第三章 疑惑の名称

 昼休憩開始から二十分が経過した頃、校内放送がかかった。
「図書委員会に所属する生徒は、今から司書室に集合してください。くり返します、図書委員の生徒は司書室に集合してください…」
2年4組の教室、とっくに弁当を食べ終わり暇を持て余していた福場はそれを聞き逃さなかった。昨日集まったばかりでまた集合とは?そう思いながら教室を出た時、福場は廊下で初期ビートルズを想起させるマッシュルームヘアーの男子と出会う。
「おう出口。お前、今の放送聞いたか?集合だってさ、図書委員」
彼の名前は出口遊(でぐち・ゆう)、福場と同じ2年4組。昨日の会議には参加していなかった図書委員会のメンバーだ。個性派揃いのフゾクの中でも変わり者として有名で、本人も自らが変なことを言ったりしたりするのを楽しんでいる節がある。怯える仔犬のような瞳とひょろ長い風貌がどことなく頼りない印象を与える生徒だ。
「聞いてないけど…。今食堂から戻ってきたとこだから。放送で何て?」
出口は男子にしてはやや高めの声で福場に問う。
「いや、用事はわからないんだけど。まあ、行こうぜ」
二人はそのまま連れ立って4階へ向かった。道すがら福場は昨日の会議の内容を要約して伝える。図書の延滞者が増えていること、『大工』のような匿名の延滞者までいて問題になっていること、みんなで対策を検討したが結局結論は出なかったこと、そして図書室の鍵が行方不明らしいことなどを説明した。
「ふうん、そう…」
出口はさほど興味がなさそうに曖昧な返答をする…が、少し口元がニヤけているようにも見えた。

 二人が司書室に入ると、他の委員たちはすでに集合していた。昨日の会議に欠席だった1年女子の小笠原遥香(おがさわら・はるか)の姿もある。今年度後期から委員会に入った彼女は普段から口数が少ないので性格の把握はイマイチ難しいが、頼まれたことは必要以上にきっちりやってくれるのでメンバーからの信頼も厚い。少し赤みがかった肩までのくせっ毛が印象的だ。福場と出口が現れた際も、彼女は軽く一瞥するだけで特に言葉は発さなかった。
「先生、全員揃ったようです。今日は図書室が閉まっているようですがその関係のお話ですか?」
最初に口を開いたのは委員長・瀬山。普段なら壁のはめ殺しガラスを通して図書室の様子がわかるのだが、今は図書室の照明が落とされ窓のカーテンも閉められているためガラスの向こうには薄い闇だけが広がっている。岡本は委員たちの顔を順に見回してから慎重な声で答えた。
「そう、その図書室のことなの。みんな、落ち着いてこっちに来て」
落ち着いて、という言葉の意味がよく委員たちには呑み込めなかったようだ。彼らはとにかく顧問に従って順々に図書室に繋がるドアに向かう。そしてドアを抜けるとすぐの所に背の高い男が背中を向けて立っていた。生徒たちは一瞬戸惑うが、岡本が照明を点けるとその正体はあっさり判明する。
「おお来たか。じゃあ見てくれ」
振り返った沖渡がそこをどくと異様な光景が誰の目にも飛び込んだ。委員たちは無言のままカウンターを出てゆっくりと問題の長机を遠巻きに囲む。
「これ…一体何なの?」
西村が誰にでもなく尋ねる。返事はない。当然だ、誰も適切に答えようがない。いつもの太陽光ではなく無機質な電灯で配色された室内、読書スペースのほぼ中央にある長机にぶちまけられた赤黒い液体とそこに突き立てられた包丁…。無残な有様に無言の視線だけが集まっている。
「実は今朝学校に来たら、図書室のドアが開いていてこんなことに…なってたの」
弱弱しく告げる岡本。沖渡は部屋の隅で委員たちを無表情に凝視していた。岡本は続ける。
「安心して、この赤いのは塗料だから。誰か、何か心当たり…ない?包丁の持ち手の部分も見てほしいんだけど」
委員たちは一斉にそこに注目する。そしてまずマニアックマンが声を上げた。
「『大工』…、また『大工』だ!」
続いて他の者たちも口々に言葉を発する。
「これどういうこと?」
「もしかして『大工』がこれをやったの?」
「それしかないだろ」
「そんな…気持ち悪い」
「ふざけやがって!」
「図書の延滞だけならまだしも、もうここまでくると許せないな」
最後に委員長が強めの口調でそう言った。気付けば沖渡が彼の後ろにいる。
「一つ君たちに教えてほしいんだが、その『大工』ってのは何のことなんだい?」
「どうして沖渡先生がここにおられるんですか?」
振り返って尋ねる委員長。
「今朝の発見の時、たまたま私と一緒におられたの。みんなにこれを見せたのも沖渡先生の提案なのよ」
岡本が代わりに答える。それに続いて、昨日の会議の時に岡本にしたようにマニアックマンが沖渡に『大工』を解説した。
「つまり『大工』ってのは貸し出しカードにそう書いて図書を延滞している奴のことなんです。それが誰なのか、見当つきませんが」
マニアックマンはそう説明を締め括った。
「謎の延滞者…か。その名前がこの包丁の柄にまで書かれていることについて、君たちはどう思う?」
沖渡がゆっくり全員の顔を見ながら尋ねる。目が合った平岡が言った。
「どうって…。『大工』がまた嫌がらせでこれをやったんだろうとしか」
「こりゃあ、よっぽど図書室が嫌いなんだな」
福場がそう言うと瀬戸川が続けた。
「図書室じゃなくて、図書委員が嫌いなのかも知れませんよ。貸し出しカードの悪戯に対する僕たちの反応が薄かったからかもしれない。もっと驚かせたかったのかも」
「嫌いとかそんな理由でここまでやるか?こんなの悪戯の域を越えてるぜ、完全に。こんなの…逆に白けちゃうよ」
不機嫌そうに言うマニアックマン。今度は水田が口を開いた。
「相当な理由がないと、こんなことしないんじゃない?この赤い塗料だって、今はもう固まってるみたいだけど、…これだって結構な量だし、わざわざここまで運んできたわけでしょ?しかも包丁を突き立てるなんてかなり異常よ。ほとんど犯罪じゃない」
自分の憩いの空間を汚されたからなのか、彼女がここまで感情をあらわにするのは珍しい。腹立たしげな文学少女の隣で須賀が顔をしかめて言う。
「信じられないよ…こんなの。『大工』って人、頭おかしいんじゃない?」
そんな中、出口と小笠原は黙ったまま他の委員たちの言葉を聞いていた。そして一通りの言い合いが止むと、沖渡が腕を組んで言う。
「う~ん、『大工』は謎のままか…。一応訊くけど誰も正体に心当たりないな?」
「そりゃあ、ないですよ。あったら今すぐ取っ捕まえに行ってます」
と、委員長。沖渡がさらに尋ねた。
「誰か『大工』という名称について図書室や図書委員と関連して思い付くことはないか?例えば…日曜大工が趣味の者がいるとか、カーペンターズのファンがいるとか」
それぞれ思索を巡らせるが誰も何も答えない。
「どうだ?何か『大工』で連想することはないか?」
やがて福場が口を開く。
「中学生の時、文化祭の劇で寿限無をやったんです。僕はクマさんの役でした。確かクマさんの職業は大工でした…」
目を閉じて黙る沖渡。福場の言葉は誰にも拾われず虚空に消えた。続いてはっとしたようにマニアックマンが言う。
「イエス・キリストは大工だ。誰かこの中にクリスチャンはいませんか?」
これにも誰も答えない。福場のクマさん同様にこじつけなのは明らかだった。それ以上話が続かないのを察したように沖渡が目を開く。
「じゃあ、あと一つ。昨日司書室から図書室の鍵がなくなったそうだが、これについては心当たりはあるかな?君たちは他の生徒よりも頻繁に司書室を出入りしているだろう、何か知らないか?」
「鍵、まだ見つかってなかったんですか…岡本先生」
西村が振り返って尋ねる。国語教師は眉根を寄せて頷いた。
「ええ、だから昨日は予備の鍵で施錠して帰ったの。でもまさかこんな…」
「『大工』がこの悪戯をするために盗んだんでしょうね。こうなるとそうとしか…」
瀬戸川がそう言いかけると、五時限目の予鈴のチャイムが鳴った。非日常に日常のメスが入り、張り詰めた空気が少しだけ緩む。
「…わかった、みんなありがとう。最後少し話が飛躍し過ぎたが、事情はだいたいわかった」
沖渡がそう言って場を納めた。岡本が付け加える。
「じゃあみんな授業に行きなさい。このことは騒ぎになるといけないから絶対に口外しないでね。ええと、あと昨日も言ったけど今日は大掃除だから、放課後また司書室へ来てね」
何人かが「はい」と答えて散会となる。何やら話し合っている者、黙って一人で帰る者…。
だが多くの者の胸中には同じ名称が反響していた。

…『大工』。

 2年4組、五時限目はちょうど沖渡の数学だった。今日に限らず彼の授業はいつも水を打ったような静寂が支配する。教師は無言で黒板に向かい、走らされるチョークのカツカツという音だけが響いている。沈黙は生徒たちに一切の無駄話を許さない。それは威圧感ではなく、氷細工のように触ったら壊れてしまいそうな脆弱感の空気。
そんな中、福場は授業そっちのけで先ほどのことについて考えていた。彼はミステリーファンであり、いつも羽織っているコートも刑事コロンボに憧れてのもの。友人相手に普段から推理の真似事などをよくやっている。想像力はそれなりのものだがその論理の展開にはかなり無理がある、というのがいつものパターン。だが今回は実際に起こった異常事態だけに、彼の興味は不謹慎ながら津々だった。
(一体『大工』はいつあの悪戯をしたのだろう?
いくら図書室の鍵を手に入れたとしても夜は校舎には入れない。校門は乗り越えられるけど校舎の入り口にはどこもシャッターが降ろされている。あれを破ることはできない。図書室は4階だ、ロープや梯子で上れる高さじゃない。それに、夜は当直の警備員さんだっているからあんまり目立ったことはできないはずだ。
となればあの悪戯をした時刻は、昨日の夕方か今日の早朝。昨日なら岡本先生が図書室を施錠してから警備員さんが廊下を見回ってシャッターを降ろす時刻までの間だ。何時だったかは後で岡本先生と警備員さんに確認すればわかる。
今朝だとしたら、確か朝練をする部活のために午前6時に警備員さんはシャッターを開けるはずだから、それから岡本先生と沖渡先生が図書室に来るまでの間だ。部活連中は荷物を置いて着替えたらグラウンドに行くから、校舎内にはほとんど人はいない…居たとしてもまだ開いてもいない4階の図書室にわざわざ来る奴なんかいない。先生たちだって早朝図書室に用はないだろう。
…となれば、今朝の方があの悪戯をするには安全か。昨日の夕方だとするとどうも余裕が無い気がする)
福場はそこまで考えると、顔を上げて黒板を見た。板書を終えた沖渡が無表情で解説をしている。声はよく通るので熱血っぽいのだが、どうも動きがエネルギーの切れかかったロボットのようで…不気味なほど躍動感がない。波風のなさ過ぎる凪のような授業、内容はけして悪くはないのだが。
福場はふと思う。
(そういえば沖渡先生は今朝何時頃学校に来たんだろう?数学準備室は図書室の並びにある。出勤した時に不審な人間など目撃していないだろうか?例えば図書室の周辺をうろついている奴とか…。
さっそく授業が終わったら沖渡先生に訊いてみよう。ついでに岡本先生と警備員さんにも話を聞いて、次の六時限目でまた推理だ!)
そう決心すると、福場は少し眠る体勢に入った。

「私が学校に来たのは7時半頃だよ」
授業の後、沖渡は階段で福場に呼び止められた。生徒に対しても一人称「私」を使いながら数学教師は質問に答えてくれる。その顔はやはり直線的で表情に乏しい。
「バイクを駐車場に停めて、まず印刷室へ行ったんだ。授業で使うプリントを印刷して…ほら、さっき配ったヤツ。そこで岡本先生に会った。その後一緒に4階に上がって…例の事態を発見した」
「発見した時の時刻、憶えてますか?」
「うん、憶えてるよ。事態を発見して岡本先生にはすぐ他の教員を呼びに行ってもらった。私はその場に残って一人で室内を見回ったんだけど、その時に壁の時計を見たんだ。それが午前8時10分だったから、発見時刻は…おおよそ8時だね」
「そう…ですか」
福場は答えながら考えた。
(つまり今朝の犯行可能時刻は、シャッターが開く午前6時から発見の8時までの約二時間ということになる。
それに沖渡先生は出勤したその足で印刷室に寄っていてまだ数学準備室には行っていなかった。となると発見より前に図書室周辺で不審人物を目撃することはできない)
「わかりました。ありがとうございます、先生」
その場を離れようとした瞬間、福場は大きな手で後ろから肩をつかまれた。
「待て、福場。今の質問はどう言う意味だ?」
振り返った福場の目を沖渡が凝視してくる。福場は少し恐怖を感じた。
「いえ…、ただ図書室のこと、このままじゃ気味が悪いんで解明したいと…」
口外するなと言われているので、周囲に聞こえぬよう福場は小声で返す。
「あの…いけませんか?」
沖渡は一応直線的ながらも笑顔を作って言った。
「いや、そんなことはわかってる。私が訊きたいのは発見時刻を尋ねた意味だよ」
沖渡も小声になる。
「ああ…、それは『大工』があの悪戯をいつやったのかを特定したくて。今朝か、夕べか」
「それなら十中八九今朝だよ」
敏速な返答に福場は驚く。
(この人も色々と考えていたのだろうか。授業をしながら?だとしたらすごい)
「ど、どうしてわかるんですか、先生?」
「簡単なことさ、私にとってはね。つまり…」
沖渡は言いかけて腕時計を見た。
「そろそろ次の授業の準備をしなければならない。この話はまた後で」
「そんな…」
煮え切らないでいる福場を残し、沖渡はさっさと階段を上がっていく。相変わらず足音はなく、背筋はまっすぐに伸ばされたまま全く揺るがない。福場がその後を追おうとすると、彼は顔だけくるりと振り返って言った。
「福場は放課後図書室の大掃除だろ?その前に数学準備室に来なさい。その時、話すよ」
そう言うと数学教師は返事も聞かずに階上へ去っていった。

 結局時間が足りず福場は岡本と警備員の所へは行けないまま2年4組に戻った。もし沖渡が話していたことが本当なら行く必要はなくなったわけだが…。福場の頭の中で沖渡の言葉がくり返される。
「簡単なことさ、私にとってはね」
(…私にとっては、とはどういう意味なんだ?沖渡先生は実は名探偵の孫かなんかでIQ180の天才青年…中年?だったのだろうか)
そんなことを思いながら自分の机に突っ伏す。六時限目もこの教室での授業、睡眠時間になりそうだ。

「えらく来るのが早かったね。まさかホームルームをさぼったんじゃないかい?」
沖渡に図星されながらも福場は返した。
「いや、そんな…、そんなことより、先生、先ほどの続きを」
窓の外には天高い秋の空が広がる数学準備室、沖渡のデスクに福場が詰め寄る。
「まあいいか。ええと、図書室の悪戯が決行された時刻だったね。夜間はシャッターのせいで校舎には入れない。だから当然夕べのシャッター閉鎖までの間か、今朝のシャッター開放から現場発見までの間か、そのどちらかってことになるね。多分ここまでは福場も考えたんだろう?」
まるで授業のように沖渡は説明を始めた。
「…でも、私はそれより更に条件を絞ることができたんだ。なんたって第一発見者の一人だからね。君よりも情報が多かった」
そうか、「私にとっては」とはそういう意味かと福場はあっけない答えに納得しながら問う。
「まさか犯人の逃げ去る姿を見たんですか?」
「そんなんじゃないよ。発見直後に図書室の中も書庫の中も見回ったけど、誰もいなかった。これは間違いない。私が見たのは、『塗料の滴り』だよ」
福場は彼の言わんとすることがわかった。
「岡本先生も見たかどうかはわからないけど、私は発見の時、例の長机の縁からあの赤い塗料がポタポタ滴り落ちているのを見たんだ。わずかではあったけどね。
昼に福場も見たとおり、今あの塗料は固まり切っている。固まるのに必要な時間がわからないからそれはあんまり関係ないんだけど、『滴り落ちた』ってことは難しく言うと『まだ塗料と重力のバランスがとれていなかった』ってことだろう?昨日の夕方に塗料をぶちまけたんならさすがに床に落ちる部分は落ちてバランスがとれてるはずだよ。いつまでも滴り続けるってことは有り得ない」
「ナルホド」
福場は独特のイントネーションでそう頷く。
「となると先生、こういうことですかね。『大工』はシャッター開放の今朝6時以降に校舎に入って図書室に行った。そして昨日盗んでおいた鍵で侵入し、例の悪戯をする。塗料をぶちまけて包丁を刺すだけだから多く見積もっても数分の作業でしょう。そして現場を去る」
「うん、だいたいは正しいと思うよ。ただ補足をしておこう。『大工』には現場を離れた後で赤い塗料を入れて来た何らかの容器を処分する作業が残っている。多分もう一度学校の外に出て捨てたんだろう。そして、しばらく待って他の生徒たちに混ざってもう一度登校する。登校している姿を誰かに目撃されれば、とりあえずのアリバイを作れるからね」
まるで『大工』の行動を見ていたかのようだな、と福場は感心する。それと同時に疑問も浮かんだ。
「ということは先生、やっぱり『大工』はこの学校の生徒だと?」
「今までずっとそんな口振りだったじゃないか。だからそう設定して話しているんだろう?」
「そりゃそうですけど…。いや、一応外部犯の可能性もないとは…」
「確かに今朝の悪戯だけなら外部犯でも可能だ、不用心な話だけどね。でも貸し出しカードに『大工』と書いて本を持っていくのは外部班には難しい。さらに昨日司書室から図書室の鍵を盗むのは外部犯では絶対無理だ、残念だけどね。しかも…一般生徒でもほぼ…無理なんだ」
「それはつまり…」
鋭い沖渡の眼光に福場は再び彼の言わんとすることを察する。
「普段頻繁に司書室に出入りしている僕たち図書委員じゃないと不可能、ということですね?」
「もしくは昨日司書室に出入りした他の生徒か教員。…気を悪くしないでくれよ、福場。あくまで可能性の話をしてるんだ。事実は全く違うことなのかもしれない。可能性で考えれば、貸し出しカードに『大工』と書いた人物と、今朝の悪戯をした人物が別人のケースもある」
そこで沖渡は語調を強めた。
「…ただ私はあの悪戯をしたのが誰にしろ、真相を突き止めて綺麗に解決したいんだ」
「わかっています、先生」
口ではそう言いながらも、福場は自分の胸の奥で不安が膨らんでいるのを感じていた。
(図書委員の誰かがあれをやった?誰かが、嘘をついているのか…?)
「そろそろ大掃除の時間だぞ、福場」
沖渡の明るい声に福場は現実に引き戻される。
「そうですね。じゃあ、どうも…」
福場はドアに向かった。
「福場!」
背後から沖渡がよく通る声を投げてくる。
「あんまり深く考えるな、疑心暗鬼にはなるなよ。ただの悪戯だ」
それは彼の優しさなのか、厳しさなのか…。ただ言えるのは、彼は一見どこか抜けているようではあるが、実は冷静に物事を分析する頭脳を持った優秀な教師…らしいということだ。