第二章 夢現

 月曜日。大学に行くとやはり輝夫の事件の噂で持ちきりだった。土日の間にも同級生からいくつかの情報が回ってきた。それによると、輝夫はどうやら自分のアパートで死んでいたらしい。発見したのはラグビー部の後輩。土曜日朝8時、練習に姿を見せないため様子を見に行ったら玄関の鍵は開いていて、中に入ると輝夫が倒れていたという。
もちろん詳細はわからないが、念のためイマルにも電話すると、彼女も既に他の同級生から連絡を受けていたらしく、その声は困惑していた。無理もない。俺たちと電話で話した後、間もなくしてあいつは死んだのだ…しかも殺人、彼女がショックを受けていないはずはない。会いに行こうかとも伝えたが、彼女は大丈夫と答えた。
そして今朝講義室に現れたイマルはやはり元気がなかった。俺がいつものように「よう、寝坊しなかったじゃん」と声をかけても力なく微笑むだけ。輝夫の身に何が起こったかはわからないが、彼女にとってはタイミングが悪過ぎた。
俺たちは階段教室の最後列に並んで座り、小声で輝夫のことを話した。あの時の電話では平然としていたあいつ…あの後に一体何が起こったのか。
「実はね、警察から話を聞きたいって連絡があったの」
「え?」
驚いて隣を見ると、彼女は肩を縮めて俯いている。詳細を伺うと、昨夜警視庁の女刑事から電話があり、今日講義の後に会いたいと言われたという。輝夫の携帯電話の最後の通話履歴が彼女なので詳しく聞きたいらしい。しかもその女刑事は自らを奇妙な名前で自己紹介したというのだ。
「ムーン?それがその刑事の名前なのか?冗談だろ」
「知らないよ、聞き間違いかもしれないけど…そう聞こえたんだもん。それよりセージ、あたし疑われてるのかな」
「バーカ、違うよ。携帯電話に履歴があったから一応確認するだけだろ。もし疑われたら俺がしっかり証言してやるから安心しろ。あの夜俺たちは一緒にいたって。だって一晩中…」
そこまで言いかけて俺は口を押さえる。朝っぱらから危ない危ない。周囲を伺うと誰も俺たちの会話は聞いていないみたいだった。イマルが恥ずかしそうに頬を染め、「バカ」と俺を肘で小突く。
「もうセージ…。じゃあ一緒に刑事さんに会ってくれる?」
「ああ、任せろ」
色ボケしてる場合じゃない。しっかりこいつを守ってやらないと。

 午後4時、俺たちは大学から少し離れた喫茶店で女刑事と面会した。キャンパス内や学生街の店では目撃されて変な噂が立っても困るから、と俺が進言したのだ。時間どおり現れた刑事は、まるでテレビドラマで女優が演じているかのような美人だった。少し茶色がかった肩までの髪をセンターで分け、切れ長の瞳でじっとこちらを見る。年齢は俺たちより少し上…この若さで捜査一課の刑事というのだからきっと優秀なのだろう。唯一謎だったのは名乗った名前…やはり聞き間違いではなくムーンだった。職務上の偽名だろうか。警察手帳を示した女刑事に、俺たちもそれぞれ簡単に自己紹介を返した。
「それではさっそくお話を伺わせてください。水沢さん、あなたは…」
女刑事はコーヒーが運ばれてくるのも待たずさっそくそう切り出した。俺はそこで言葉を遮る。
「すいません、その前に輝夫に何が起こったのか教えてくれませんか?噂は色々聞きましたけど、実際のところがよくわからなくて」
「そう…ですね。わかりました」
女刑事は一瞬迷ったようだったが、「職務上言えないこともありますが」と前置きしてから事件のことを教えてくれた。幸い店内は空いていて近くのテーブルに客はいなかった。
女刑事によると、噂どおり土曜日の朝8時にラグビー部の後輩がアパートの自室で死んでいる輝夫を発見。死因はテーブルの角に後頭部を強打したことによる脳挫傷。部屋の中央に仰向けに倒れ、そばのガラス製のテーブルの角に血痕がべったり残っており傷口も一致した。慣れ親しんだ自分の部屋で滑って転ぶとは考え難く、玄関の鍵が開いていたこと、輝夫の衣服に乱れがあったことなどから見ても、室内で誰かと争って突き飛ばされた可能性が高いらしい。
「遺体を検案した結果、死亡推定時刻は金曜日の午後6時半から9時半の間と判明しています。特に部屋から盗まれた物もないようなので、今のところ怨恨の線で調べています」
女刑事はそこで一息つく。説明が終わったらしい。それにしても流暢で明快な語り口だった…きっと普段からこういった報告に慣れているのだろう。
「では水沢さん…」
女刑事の目元が少し厳しくなり、改めてイマルへの質問が開始される。
「現場にあった本田さんの携帯電話を調べたところ、あなたとの通話履歴がありました。金曜日の夜です。まずあなたから彼にかけたのが午後8時30分。この時は彼は電話に出ていません。そして彼からあなたに折り返したのが8時40分。一度目は出なかったようですが、二度目は出ていますね。二十分ほど通話されています。
…その時のことを詳しく教えていただけますか?」
イマルは緊張した様子だったが、そこでコーヒーも運ばれてきてそれぞれ口をつける。そして「あの時は…」と彼女は説明を始めた。
「実はセージ…あ、倉橋くんと一緒だったんです。一緒に飲み屋さんにいて、本田くんとの電話もそのお店でしました」
女刑事は彼女を見つめていた。俺もあの時の記憶を確かめながらイマルの言葉に集中する。彼女はこんな時にも少しの嘘もつけないようで、輝夫に気持ちを伝えたことやそのために俺にそばにいてもらったことなども包み隠さず話した。
「まあ…結局フラれちゃいましたけど。それで電話を切りました」
言葉を終えた彼女に、女刑事は少し間を置いてから尋ねた。
「それは確かに本田さんの声でしたか?」
「間違いありません。声も口調も本田くんでした」
そう答えたイマルを俺も援護する。
「それは本当です。実はあいつからの電話が鳴った時、彼女はトイレに立ってたので俺が先に出たんです。だから俺も聞きました…確かに輝夫でした」
そう、短い言葉のやりとりではあったがあれは間違いなくあいつだった。
「そうですか…すると本田さんは電話を終えた午後9時までは確かに生きていらっしゃったことになりますね。先ほどの死亡推定時刻と併せると、9時から9時半が犯行時刻ということになりそうです。
ちなみにお二人は電話の後はどうされていたのですか?」
「あたしがずっとグズッてたんで、倉橋くんがずっとそばにいてくれました。確か11時過ぎまでお店にいて、その後はあたしのアパートに一緒にいました…朝まで」
おいおいそこまで言うのかよ。「朝まで」という言葉と俺の焦りを見て、女刑事は事情を察したらしい。気のせいかもしれないが、一瞬冷たい目が俺に向けられた気がした。まあ…そう思われても仕方ないか。

 その後も女刑事はいくつかの質問をしてきた。ただそれは輝夫といつ知り合ったか、関係はどうだったかなどの形式的なもので、特に突っ込んで訊かれることはなかった。一通りの質問が終わったところで、俺たち以外にも事情聴取しているのかと尋ねてみると、女刑事は頷いた。
「本田さんの交友関係を片っ端から当たっています。ラグビー部や、大学のご友人や、大学以外のおつき合いまで」
俺の考え過ぎかもしれないが、少し含みのある言い方だったように感じる。まあ輝夫の交友関係となると当然女性が絡んでくる。あれだけ噂も広まってるのだから、俺があえてここで教えなくても警察の耳には入るだろう。
そうか、あいつは女性問題で身を滅ぼしたのかもしれないな。うん、それが一番自然だ。輝夫はどこか憎めないタイプだ。それを利用して後腐れなく女遊びをしていたが、やはり中にはあいつを恨んでいる女…あるいはその彼氏などがいたかもしれない。輝夫に怨恨があるとすれば、きっとそういった類だろう。
まあいずれにせよ俺たちは事件とは無関係だ。ずっと一緒にいて完全なアリバイがあるし、そもそもあいつを殺す動機なんてない。
女刑事もそう思ってくれたのか、聴取はそこで終了となる。コーヒー代は出してくれるとのことなので有難くご馳走になった。

 その後はイマルと近くのファミレスで夕飯を食べた。あまり会話は盛り上がらなかったがそれも仕方ない。同級生から輝夫の通夜が今夜あるらしいとの連絡もきたが、俺もイマルもパスすることにした。あいつには悪いが、イマルには早くこのことを忘れてこれからのことを考えてほしかった。そう、俺と過ごすこれからのことを。

 それからの数日間は、まだ輝夫の噂がちらほら耳に入りはしたが穏やかな時間が流れた。イマルも元の明るさを取り戻しつつあるように見えた。俺たちはキャンパスだけでなく、多くの時間を一緒に過ごしできるだけ楽しい話をした。
そして事件から一週間が経過した土曜日。夕飯は彼女の部屋で食べる約束をし、午前中は自分のアパートでゴロゴロしていた俺を一人の刑事が訪ねてきた。
ドアを開けた瞬間にまず驚く。この前の女刑事の上司とのことだが、その風貌があまりに異様だったからだ。この真夏にボロボロのコートとハットを着込み、長い前髪は右目を隠している。そしてカイカンというこれまた奇妙な名を名乗った。
「突然お邪魔してすいません、いくつか確認したいことがありまして」
よく通る低い声。部屋に上げるのはためらわれたので玄関先で応対する。
「いえ構いませんよ。それで刑事さん、どんなお話でしょうか」
「実はですね、亡くなられた本田さんについて色々聞き回ったんですが…あまり評判がよろしくないんです、特に一部の女性には」
まあそうだろうなと思いながら俺は曖昧に頷く。
「私の部下、先日お伺いしたムーンですが、彼女が熱心に女性の関係者を当たってくれましてね。そしていくつか重要な証言を引き出してくれました」
刑事は咳払いすると、これまでに輝夫が強引に女性に関係を求めたことが何度もあったようだと言った。好意を持って近付くのは女の方だが、輝夫の豹変に驚いて逃げ出してしまった者もいたという。
「中には初めてのデートで彼の部屋に招かれ、そこで関係を要求された女性もいたようです。それで考えてみたんですよ、事件の日もそのようなことがあったんじゃないかと。つまり、関係を強要されそうになった女性が彼を突き飛ばし、彼は後頭部をテーブルにぶつけて亡くなった」
なるほど…それはあるかもしれない。
「ではこれは…衝動的な犯行ってことですか?」
「計画的な犯行の可能性は低いと思います。確かに本田さんを恨みに思っていた人はたくさんいたかもしれませんが、そんな人物が殺意を持って彼のアパートを訪ねたとしたら、突き飛ばすなんて殺害方法はとらないと思うんです。事前に凶器を用意したはずですから。
つまり、あの日無警戒に彼の部屋に入った女性が怪しい…と考えられます」
刑事はスラスラと推理を披露する。さすが警察、こうやって犯人像を絞っていくわけか。感心させられる一方で、俺は犯人の女を哀れにも思った。もしこの刑事の言うとおりだとしたら…これは正当防衛にも値する。胸の奥に、輝夫に対する…そして同じ男である自分に対する嫌悪感がドロドロと渦巻いた。
「実は事件当日の午後7時頃、本田さんのアパートから飛び出してくる若い女性を見たという目撃証言がありましてね」
そうか…じゃあ決まりだな、と俺はしんみりしかけたが、刑事の次の言葉で事態は一変する。
「それによると…目撃された女性は水沢イマルさんに似ているようなんですよ」

「まあ目撃者は近所に住むかなりご高齢のおばあちゃんで、しかも見たのは一瞬ですから断定はできないんですけどね」
「まさかそんな、有り得ませんよ」
思考が停止しそうになったが、俺は自分を奮い立たせてその可能性を否定した。
「彼女のはずがないです。だって彼女は7時から俺と居酒屋で食事を…」
いや違う、そうじゃない。あの時イマルは待ち合わせに二十分ほど遅れて現れた。輝夫のアパートには昔何度か遊びに行ったが…あそこから居酒屋まで走れば十五分くらいだろう。目撃されたのがイマルなら時間はぴったり合う。
心がどんどん波立ってくる。いや待て待て、落ち着け。彼女の名前が出て俺は混乱している。冷静に考えなくては。そう、そうだよ、重要なことを忘れていた。
「何を言ってるんですか刑事さん、もし彼女を疑ってるんなら大間違いですよ。だって俺たちは居酒屋で輝夫と電話で会話してるんです。つまりその時まではあいつは生きてたんです」
「ええ、確か8時40分から二十分ほど話されたんでしたね。つまり本田さんが殺害されたのはそれ以降」
「そうですよ。その後は俺たちはずっと一緒にいました。彼女が…水沢さんが犯人のわけないです。7時に目撃された助成ってのは、事件とは無関係なんじゃないですか?」
俺はそう笑ってこの話題を終わらせようとした…が、刑事は執拗に質問を続ける。
「居酒屋で電話された時、まずあなたがお話されたんですよね。確か水沢さんがトイレに立っていたとかで。その時、相手は本当に本田輝夫さんでしたか?」
「ええ、女刑事さんにも言いました。間違いなくあいつの声でしたよ」
「そうですか。ちなみに電話ではどのようなやりとりをされましたか?できるだけ詳しく思い出してください」
「そんなの訊いてどうするんです!」
苛立ちでつい声が大きくなる。このまま怒鳴って追い出そうかとも思ったが、それでイマルへの心象が悪くなってもまずい。落ち着け落ち着け…。俺は「すいません」と謝ると、小さく深呼吸してから答えた。
「確か…俺がもしもしって出たらあいつは『本田です』って言いました。俺が倉橋だって言うと『セージ』って俺の名前を呟いてました」
刑事はじっと俺の言葉に集中している。
「それで…あ、そうそう、俺が水沢さんの話を聞いてやってほしいって言ったら今度は『イマル』って言って、電話代わるって伝えたら『お願いします』って答えてましたよ。そこでトイレから戻ってきた彼女に電話を代わりました。あれは絶対に輝夫本人に間違いないです」
「そう…ですか」
刑事は感情のない声で答える。そして右手の人差し指を立てた。
「色々失礼なことを言ってすいませんでした。本田さんの頭の傷口は部屋のガラステーブルの角と完全に一致しています。つまり、犯行現場は彼の部屋に間違いないのです。どこか別の場所で殺害されて、後から部屋に運ばれたということはありません」
色々な可能性を考えるものだ。俺がまた感心していると、刑事はそっと微笑んだ。
「つまり今のあなたのお話が事実なら、水沢さんが事件に関わっている可能性はありません。本田さんの死亡推定時刻は長く見積もっても午後9時半まで。電話の後もずっとあなたと一緒におられたのなら、水沢さんが本田さんのアパートに行くチャンスはありませんから。ご安心ください。では…失礼します」
立てていた指を下ろすと、あっけなく刑事は踵を返した。そしてドアを開け半歩踏み出したところで顔だけこちらを振り返る。
「そういえば…事件当日の6時半過ぎ、本田さんのお母さんが彼の部屋に電話をかけているんです。しかし本田さんは電話に出なかったそうです。どうしてでしょうかね?」
「携帯電話にかけたんですか?」
「いえ、お部屋の固定電話です」
「だったら部屋にいなかったんでしょう。金曜の夜でしょ?部活とか飲み会とか」
「ラグビー部の練習は火・木・土曜日です。彼の友人にも色々当たったのですが、その日本田さんと一緒に出掛けていた人はいないんです」
逆行と前髪のせいで刑事の顔はほとんど見えない。それに不気味さを感じつつ俺は「一人で出掛けることだってあるでしょう」と返した。
「…そうですね。では」
そう呟くと、刑事は玄関を出ていった。ドアがパタンと閉まる。
これでイマルの疑いは晴れた…のか?刑事は含みのある言い方をしていたが…。
でも俺は嘘なんてついてない。本当に輝夫と電話で話したし、その後も彼女とずっと一緒にいた。イマルが事件に関わっているはずはないんだ。
何度も自分にそう言い聞かせる。でも…心のどこかがすっきりしない。魚の小骨のように、何かが鈍く引っ掛かっていた。

 その夜約束どおりイマルの部屋で夕飯を囲む。彼女はキッチンに立ち、スパゲティを茹でていた。その背中に向かって俺がカイカンという刑事のことを伝えると、同じ頃彼女はあのムーンという女刑事の訪問を受けていたと明かした。
「おい、それで尋問されたのか?」
「ちょっと、そんなに驚かないでよ。尋問っていうほど大袈裟じゃないって。事件の日の夜7時頃に本田くんのアパート近くで若い女性が目撃されてて、それがあたしに似てるんだって。だからアパートに行ったのかって質問された」
「それでどう答えたんだよ」
「そりゃもちろん、行ってませんって答えたよ。行くわけないじゃん。だってあの夜はセージと会って、そこで本田くんに電話する予定だったんだから。アパート行くような関係なわけないでしょ」
イマルは振り返らずに笑い、鍋から麺をボウルに移す。
「…セージは何を質問されたの?」
「ああ、俺は…あの電話のことだよ。本当に輝夫本人だったかって」
「…それで?」
「もちろん本人に間違いないって答えたさ」
彼女はパチンとコンロの火を止める。そして無言で盛り付けをしてから二つの皿を持って振り返り、俺の待つテーブルに並べた。
「そうだよね、漫画じゃあるまいし、別人が声を変えられるわけないもんね。よ~し、じゃあ食べよう、イマル特製ミートソーススパゲティ!」
明るく言う彼女。俺もそれに合わせ「おう、うまそうじゃん!」とフォークを握った。
…そうだそうだ、何も気にすることはない。何も…おかしくなんかない。

 一夜明けての日曜日。二度目の朝帰りをして俺は自分のアパートに戻った。見ると郵便受けに紙が挟まっている。手に取ると宅配の不在届…お袋からだ。時々こうやってお節介に食材なんぞを送ってきやがる。
夕べイマルの家にいる間に届いたんだな、と思いながら俺はドアを開ける。そして鼻歌混じりに玄関に座り、靴を脱いだところでふと思い当たった。
そういえば…確かあの時も…。
初めてイマルの部屋に止まって帰る朝、彼女の部屋の郵便受けにも不在届の伝票が挟まっていた。そう、デザインの教材の…前日の午後2時に届けたと書いてあった。
心に引っ掛かっていた小骨が、まるで急に深く刺さったようにジンジン痛みだす。
おい、おかしくないか?居酒屋に遅刻して現れた時、イマルは言っていた…大学の後で部屋に帰って昼寝してから来たと。夕方部屋に帰ったのなら、そこであの不在届に気付いたはずだ。確かに深く挿し入れてあったからドアの表側からは気付きにくいかもしれない。実際俺も彼女の部屋に入る時には気付かなかった。
でも…ドアの裏側から見れば一目瞭然、つまり出掛ける時には必ず気が付く。イマルが一度部屋に戻ったのなら、伝票が挟まったままになっているのはおかしいじゃないか。
じゃあつまり…夕方部屋に帰ったというのは嘘?イマルはどうしてそんな嘘を?部屋にいなかったのなら一体どこにいたんだ?
痛みがさらに強まる。
まさか…輝夫の部屋?じゃあ目撃されたのはやっぱりイマル…?
「ハハハ、そんな馬鹿な」
俺は無理矢理口に出してその考えを打ち消すと、脱いだ靴を揃えて腰を上げた。
「そうだよ、あいつうっかりしてるから見落としたんだ。そうそう、寝坊して俺との待ち合わせに遅れそうだったから慌ててたんだよ、きっと。ハハハ」
…プルルルル。
笑いながら部屋に入ったところでちょうど固定電話が鳴った。ディスプレイの画面を見ると実家からだった。
お袋だな。宅配が届いたかの確認とその内容の解説だろう。まだ荷物は受け取ってないし、電話に出たら話が長いからなあ…。疲れているし今はパスさせてもらうか。
鳴り続けるコール音に背を向けて俺は服を着替える。やがてコール音が止まり留守番電話に切り替わった。
「只今留守にしております。ご用の方はメッセージをお願いします」
ピーッという音の後二やはりお袋の声。
「もしもし誠司?お母さんです。宅配便出したんだけど届いたかな?まあ別にたいした物じゃないんだけど。そうそうお母さんね、最近ようやく携帯電話が使えるようになったのよ。前に誠司に教えてもらって…」
留守電相手によく喋る相変わらずの高くて早口な声。やれやれ、少し休んだらかけ直してやるか…と思ったところで、シャツのボタンを外す手が止まった。
まさか…。
その瞬間、全身に衝撃が走る。まるで氷の雷に撃たれたようだ。背中に冷たい感覚がどんどん広がり、指が小刻みに震えだす。

嘘だろ、そんな…。
俺は思い当たってしまったのだ…あの事件の真相を。