第七章 素人探偵たちの捜査

1

 昼休憩、福場は他に誰もいない屋上に寝転がっていた。午後からの授業に出る気にはなれないが下校する気にもなれなかった。ちらりと腕時計を見る…ちょうど午後1時。目の前には天高い秋の空が180度に広がっている。午前中のあの出来事がまるで夢か幻、あるいはどこかで読んだ推理小説だったのではと思えてくる。そんな悲しいくらいに青い空。
しかし全ては紛れもない現実。福場は思考を巡らせる。
(…密室、本当にそんなことが有り得るのか?
出口が書庫の中にいたってことは、図書室から書庫へ繋がるあの鉄扉に鍵はかかっていなかったんだ。それ以外に侵入ルートはない。
くそっ、昨日大掃除の後にちゃんと施錠していれば…。窓にばかり気を取られていた。あの鉄扉は普段施錠しないでおくのが当たり前だったから、うっかり見逃していた…)
胸の奥から苦い後悔が込み上げてきたが、今更どうしようもないことはわかっていた。そして考えあぐねた末、福場もあの密室状況を作り出せるのは出口本人しかいないという結論に達していた。
(…そんな馬鹿な!確かにあいつは意味のないことや変わったことをするのが好きだったが、いくらなんでも自殺なんてするものか。何か悩みがあったとしても絶対に自分から死ぬなんて…。
それに自殺にしては納得いかない点が多過ぎる。鉄扉を施錠したのはまあいいとしても、図書室や書庫のドアの鍵穴を粘土で塞ぐ必要がどこにある?命を絶つ方法にしたって、本で自分を殴るなんておかしい。マニアックマンが出口は鍵を書庫の天窓から投げ捨てたと言ってたけど…そんなことをする意味があるか?
それとも…出口はあえて他殺を演出して自殺したのか?だから鍵穴を塞いだり、本で自分を殴ったり、鍵を中庭に捨てたりしたのか?『大工』に殺されたように見せかけるために?
しかし…あいつがあの状況を作り出すには、窓を使って図書室に出たり入ったりしなければならない。果たしてそんなややこしいことまでするだろうか?意味がない。…まあそんな意味のないことを熱心にするのが変人の出口らしいと言われればそんな気もするが。
待て待て、別の可能性はないか?他殺の演出でないとすれば何だ?
そういえば何かの本で読んだな。古代エジプトのファラオは多くの財宝と共にピラミッドに葬られた。だから盗掘者が棺の部屋まで入り込めないようにピラミッドには何重もの仕掛けが施されたと。出口も書庫を密室にして誰も入れない神聖な棺の部屋を演出したのだろうか?
…馬鹿な。書庫で自殺して神聖もくそもない。
もしかしたらそもそも自殺などではなく、冗談か何かでやったつもりが事故でこんなことになったとか?しかし冗談にしてはさすがに趣味が悪過ぎる。
確かに、物理的にはあの状況を作り出せるのは出口本人だけなのかもしれない。…しかしここまでたくさんの不可解な状況を、全てあいつが変わり者だからということで片付けてしまってよいのだろうか…?)
福場はそこまで考えると身を起こして立ち上がった。そしてこの事件の探偵役になってくれるかもしれない、あの教師の知恵を借りることにした。

 沖渡は幸いにも数学準備室に居た。ついさっきまで刑事と話をしていて今し方戻ってきたところだと彼は言った。
「福場、もうじき午後の授業が始まるぞ、いいのか?」
「いいんです…そんな心境じゃないですし。先生こそ授業の担当はないんですか?」
「幸か不幸か五時限目にはないんだ。六時限目はあるがね、君のクラスの数学だ」
「じゃあ、それには僕も出ますから、それまで話を」
これまた幸か不幸か、その時刻数学準備室に他の教員はいなかった。
「頼ってくれるのは嬉しいが…まあいいか」
沖渡は空いている椅子を促す。福場は黙って着席した。
「それで、何を話したいんだい?」
「はい…」
福場は自分がたどり着いた結論、浮かび上がった疑問などを洗いざらい打ち明ける。話の途中、沖渡は黙って頷いたり目を閉じたりしていた。その表情は相変らずロボットのように直線的だ。一通り聞き終えると、少し間をおいてから静かに口が開かれる。
「う~ん、だいたいの考えは私と同じだね。人間の思考過程はみんな似ているようだ。ええと、彼…久保田も同じような推理をしていた。つまり…出口の自作自演の自殺だと」
沖渡は両手の指を噛み合わせ、その上に顎をちょこんと乗せる。
「でも、大切なのはその段階を越えて次に進めるかどうかなんだ。思うにそこが天才と凡人の違いかもね。まあ…、実のところ私は自殺だとは思ってないんだ」
沖渡の言葉が福場には救いの光のように感じられた。
「先生、といいますと?」
「確証があるわけじゃないんだけど…さっき福場が話したとおり、自殺だとすると不可解な点が多い。いくら出口が変わったことをするのが好きなエンターテイナーだとしてもだ。そういう視点でよく考えてみると、結局のところ、自殺説を支えている柱は『密室の書庫』の一本しかないんだな。まあこれが今のところ太くて頑丈な柱なんだが」
数学教師は両手を解いて身を乗り出す。
「では真犯人の『大工』が存在すると仮定して話を進めてみよう。勿論図書室の鍵を盗んだのも真犯人。犯行を行なったのは昨日の悪戯同様におそらく今朝だろう。出口の体はまだ温かかったからね。
真犯人と出口は今朝、シャッターが開いた午前6時過ぎに学校にいた。真犯人は出口を書庫にうまく誘導し、隙を突いて本で出口を殴った。そして、何らかの方法で書庫を密室にしたまま外へ脱出した」
福場は沖渡の言葉に集中する。
「…その後、図書室や書庫のドアの鍵穴を塞ぐ作業をして、その時に用いた道具なんぞを処分すればいい。当然この一連の作業で自分の指紋は残さないし、自殺をでっちあげる上で出口の指紋が必要な箇所には出口の指紋をつけておく。
一番気になるのは…中庭に鍵が落ちていたことかな。真犯人はどうしてそんなことをしたんだろう」
「そこがよくわからないんですよ、先生。これが出口の自殺で他殺を演出したんだとしたら、窓から鍵を投げ捨てるのもわかるんです。自分が鍵を持っていてはまずいですからね。
でも真犯人がいて出口を自殺に見せかけて殺したんだとしたら、鍵は出口に握らせていた方が自然じゃないでしょうか?もし鍵まで出口が持っていたら、出口の自殺を疑う余地はもっとなくなります。
そう考えると…あの鍵は真犯人なんかいないことを示しているようにも思えるんです」
「…なるほど、そういう考えもあるか。でもな福場、こういう考えもあるぞ。いいか?福場の言うように真犯人は鍵を出口に握らせるべきだった、でもうっかりそれを失念してしまったんだよ。そのことを思い出したのは書庫から脱出した後でもう戻ることはできなかった。
しょうがなく真犯人は辻褄合わせで中庭に鍵を置きに行ったのさ。この場合、真犯人はちょっとドジな奴だね」
沖渡は僅かに微笑み、またすぐに真顔に戻った。
「あるいはこういう考えもある。真犯人はあえて不自然な証拠を残しているのかもしれない。警察の捜査を攪乱するため…この場合真犯人はかなり頭の切れる、挑戦的な奴だな」
「挑戦…」
福場の脳裏に机に突き立った『大工』の包丁が浮かぶ。
「そんなに心配そうな顔するな、福場。警察に挑戦する犯人なんてのは滅多にいないさ。
果たしてこの事件、出口は他殺に見せかけて自殺したのか、それとも自殺に見せかけて殺害されたのか…。密室の謎が解けなければ前者、解ければ後者の説が勝つ」
「そうですね…」
結局はそこに帰着する。福場は頷いた。
「私は後者の説を支持したいね。あの中庭の鍵、出口が窓から投げ捨てたというのはやっぱりおかしいと思うから。さて真犯人はいかなる方法で書庫を密室にしたのか、そしてどんな理由で鍵を中庭に…」
言葉を止める沖渡。そして「ん?だとすると…いやそんなはずはないか」と呟いた。
「…先生何か?」
「いや、何でもない。ところでこの事件の担当刑事が実は私の兄でね、兄の話じゃ警察は今のところ出口の自殺の線で捜査しているらしい。状況が不可解なのは警察も百も承知だけど、出口が普段から変わり者だったってのが効いてるんだろうね」
福場は沖渡の兄が刑事であったことにも驚いたが、出口の自殺が警察の判断であることに大きなショックを受けた。
「でもね、現場が学校だけにいまいち捜査が進んでないみたいなんだ。刑事達がぞろぞろと校内をうろつくわけにもいかないらしい。
…というわけで、兄が言うには私に調べてほしいってことなんだ。刑事が生徒に質問すると尋問みたいでよからぬ噂が立っちゃうかもしれないだろ?でも、私なら一応教師だから気軽に生徒に質問できるってことなんだ。まあ私にしてもこの事件の解決には全力投球するつもりだから、ある意味願ったりなんだけどね」
数学教師はそこで思い付いたように言う。
「そうだ、この際だから福場にも協力を願おう」
「な、何ですか?僕にできることなら…何でもやります」
「出口について、どんな奴なのかを交遊関係を当たって調べてほしいんだ。これは教師でも難しいから。福場ならうまく調べられると思う」
「はい、構いませんが…、これはどういう?」
「事件が起こった以上その裏に何らかの原因があるはずだから、それを知るための作業だ。出口がこの事件に大きく関わっているのは、自殺であれ他殺であれ間違いない。…まあ、なんとか命が助かって未遂になってくれればいいんだけど。
とにかく福場には、事件の動機を知るために情報を集めてほしい。それがわかれば、きっと真相が見えてくるはずだ」
「わかりました」
福場はそう答えて気合いを入れた。
(望ましい真相ではないかもしれない。それでもできることがあるのなら全力でやりたい、出口のためにも…自分のためにも)

2

 五時限目と六時限目の間の休憩時間は十分間しかないのだが、福場は出口が図書委員会に入る前、つまり前期までは生物管理委員会に所属していたことをつきとめた。図書委員に変わった理由まではわからなかったが、それは放課後調べることにした。
六時限目の沖渡の授業はとりあえず受けると、福場は早速生物管理委員会が活動の拠点としている生物教室に向かった。そこには、日頃出口と仲の良さそうだった2年3組の林という男子生徒がいた。
「やあ、林くん。生物委員だったんだね」
福場は彼と面識があった。二人ともギターが趣味で、昼休憩によく音楽室で顔を合わせていたのだ。
林はザリガニの水槽にエサを蒔いていた手を止めると、少し長めに伸ばした髪を掻き上げながら答えた。
「…やあ福場くん、どうしたんだい?」
「実は出口のことで訊きたいんだけど…いいかな?」
端正な林の顔が途端に曇る。
「ああ…そう…。ホームルームで少し聞いたよ。本当にどういうことなんだ?あいつは無事なのか?」
「…それはまだわからないんだ、ごめん。林くんは出口とは仲良かったんだろ?」
「まあね。中学が一緒だったからその時からのつき合いなんだ。フゾクに入学した後も1年の時は同じクラスで、一緒にこの生物管理委員会に入ったんだ。あいつも俺も生き物が好きだから」
「そうなのか…。でも出口は2年の前期でやめちゃったんだろう?今は図書委員だもんな。やめたのには何か理由があったのかな」
林は少し考えてから答えた。
「本人から聞いたわけじゃないから違うかもしれないけど…出口が当番の時にたまたまみんなが可愛がってた鯉が死んじゃって、…その責任を感じてやめたんじゃないかな。俺はそう思ったんだけど」
「鯉?」
「そう。中庭に池があるだろ?あそこで飼ってたんだ。俺たちが入学した時にはすでに飼われてた鯉…昔うちの卒業生の学者が寄贈してくれた鯉らしい。とても綺麗な鯉だったんで、天空が死んだ時にはみんなショックだったなあ」
「…『天空』?」
「ああ、ごめんごめん。その鯉の名前さ。入学当時あの鯉には名前がなかったからね、出口が勝手に命名したんだ。実はあいつの中学時代のあだ名でもあるんだけどね。まあそれはいいとして、みんなその名前が気に入って、すっかり『天空』が委員の中で定着したってわけ。女子なんか天空ちゃんって呼んだりしてさ」
懐かしそうに話す林。福場は知らなかった事実ばかりに直面し、戸惑いながら言った。
「ちょ、ちょっと待って。出口は中学の頃は『天空』っていうあだ名だったの?どうして?」
「ああ、たいしたことじゃないさ。あいつ、昔から変なことばっかり言う奴だったんだ。中学の時も、自分には臨死体験があるなんて言って。それで『出口は天国から舞い戻ったヤツだ』ってことで、『天空人』ってあだ名がついたんだ。その後いつの間にか略されて『天空』になったわけ。俺も昔はそう呼んでたけど、フゾクに入ってからは『出口』に戻したね」
そこで林は少し微笑む。
「でも出口本人はかなりあのあだ名、気に入ってたみたい。だから可愛がってた鯉にも命名したんだと思うよ」
「『天空』…。ふ~ん、そんなあだ名、知らなかったな」
「この学校で知ってる奴はいないと思うよ、多分。鯉の名前としてはある程度有名かもしれないけど。俺と出口以外に同じ中学から来た奴いないし」
「…ありがとう。他に何か出口について知ってることはない?」
「長いつき合いだから…ないわけじゃないけど…。プライバシーに関わることだからなぁ。まあ、今朝のこととは無関係だと思うけど」
「できれば教えてほしいんだ。もちろんむやみに口外はしない。ただ出口に何が起こったのかを突き止めたいんだよ」
林は少し迷いを見せる。そして視線を逸らして静かに答えた。
「…まあ、いいか。そこまでの事でもないし」
「助かるよ」
「実はあいつ、彼女がいたんだ。2年の一学期からつき合い始めた。結構仲良かったみたいだね、うらやましい話さ。
…でも、これは噂だけど、出口の方が一方的にふっちゃったらしい。ちょうど、この委員をやめる頃だったかな。つまりまあ、半年弱くらいしかつき合ってなかったってこと。多分夏休みに何かあったんだろうって俺は思ってた。でも一方的な別れだから、しばらく女子から顰蹙買ってた」
福場はそういえばそんな噂を聞いたことがあるような気がした。
「でもまあ、本当のところは分からないよ。あいつにも事情があったんだろうし。俺は友情と恋愛は割り切ることにしてるから、さほど気にならなかったけどね。出口も何も言わないし。
…あいつは確かに変わった奴だけど、悪い奴じゃないよ」
「その彼女の名前、わかる?」
福場は何気なくそう訊いただけだった。しかし、林は福場が想像もしなかった事実を告げた。
「ああ、わかるよ。確か1年の…小笠原遥香だ」

「小笠原さんなら、今日は早退したっす。午前中の図書室での話の後すぐに」
小笠原と同じクラスの平岡を捕まえて福場は質問していた。生物教室からの帰りに、偶然廊下で見かけたのだ。
「やっぱり、女の子だから…ショックだったんじゃないっすか、今朝のこと」
平岡は人差指で口髭を擦りながら言った。
「そうか…。ところで、小笠原さんって確か後期から図書委員に入ってきたよね。前期は何やってたの?」
「確か…委員会はやってなかったっすね。部活はずっと書道部かな」
「そうか。じゃあどうして後期から図書委員会に?」
「さあ…本が好きなんじゃないっすか」
そこで福場は少し声を落とす。
「ところで、小笠原さんに彼氏がいたって話、聞いたことあるか?」
「え、いたんすか?初耳っす。残念だなあ…、結構狙ってたのに」
平岡は冗談めかしてそう笑う。福場はそれには合わせず真剣な口調で続けた。
「いや、それならいいんだ。ありがとう。…ところで今からどこへ行くんだ?」
「…図書室っす。現場百遍ってことで。マニアックマンは出口先輩の自殺だって言ってたけど、俺はそう思えないんすよ、なんか。でも、他殺だとすると書庫の密室がおかしいでしょ?だからその謎を解きたいなあと思って」
彼もまた同じような推理を展開していたらしい。どうやらこの学校には素人探偵がたくさんいたようだ。あるいは、自分たちの身近で起こった悲劇を早く解決したいという願いが、彼らをそう動かすのかもしれない。
「同感だ平岡。よし、一緒に行こう」
福場はそう言って後輩の肩を叩いた。

 二人が図書室の前まで来ると、ちょうど司書室から沖渡が出てきた。
「やあ福場、平岡。揃ってどうしたんだ?」
「先生こそ何してるんすか?」
「いやあ、ちょっと用があって。一昨日司書室に出入りした人間を確認してたんだ」
「つまり、図書室の鍵を盗んだ容疑者を限定するためっすか?」
「なかなか鋭いな。そのとおりだ。鍵がなくなったのが一昨日の月曜日。その日に司書室に出入りした人間を、岡本先生と原田先生に頑張って思い出してもらった。まあ図書委員は日頃から出入りしてるから誰がどうだったかはさすがに憶えてないそうだけどね。
…記憶している範囲で出入りした教師はなし、生徒は二人いたそうだ」
「僕たちは容疑者のままですか…」
「そう気を落とすな、福場。とりあえず容疑者は二人増えたことだし」
「はい。あの、その二人というのは誰ですか?」
「1年生の板村と渡辺という男子だ。二人とも昼休憩に岡本先生に国語の質問をするために来たそうだ」
「そいつらなら俺知ってるっすよ。友人です」
平岡が驚いたように言った。
「そうか…。なら明日会った時、話でも聞いておいてくれ」

3

 その後三人で事件について少し話し合った後、福場と平岡はその場を去った。平岡のことを気にして、福場は先ほど林から得た情報を沖渡に伝えるのは明日に見送ることにした。二人と別れた沖渡は数学準備室に戻りかけたが、思い直したように引き返し再び司書室に入った。
「あら沖渡先生、また御用ですか?」
「いや、すいません岡本先生。今度は図書室の方に。本当に鍵穴が塞がったままってのは不便ですよね、せっかく鍵が見つかったのに。書庫の方は警察に現場保存されてるから通れないですし」
「それなら明日までの辛抱だ」
窓際でタバコをくゆらせていた原田が言った。
「明日午前中に業者が来て、ドアを新しい物と交換してくれる。その時、今朝破った書庫のドアの残骸も一緒に回収してくれるそうだ」
「そうですか、そりゃあよかった。このままじゃ生徒も図書室を利用できないですもんね。では…」
「ちょっと、沖渡先生」
図書室に繋がるドアを開けようとしていた沖渡を原田が厳しい口調で呼び止めた。
「何を嗅ぎ回ってるのか知らんが、ほどほどにな。君は教師だ」
「教師だからこそ、です」
そう言うと数学教師は相変わらずのロボットのような動きで図書室へ消える。英語教師と国語教師は顔を見合わせるばかりだった。

 図書室の中には図書委員2年の女子三人がいた。長机の隅に集って何やら話をしていたらしい。沖渡の出現に彼女たちは少し驚いた顔をする。
「君たち…、まさかあれからずっとここにいたのか?」
「…そうです。授業を受ける気分じゃないけど、下校する気にもならなくて」
水田が答えた。
「でも、昼食とかは…」
「食欲がありません」
「そうか。まあいいけど、晩飯は食えよ。…あれ、小笠原は一緒じゃないのか?」
三人は一瞬顔を見合わせる。そして今度は西村が答えた。
「はい。小笠原さんは午前中の岡本先生の話の後、すぐ早退したようです」
「そうか。…まあ、君たちも遅くならないうちに帰れよ」
そう言うと沖渡は問題の鉄扉に向かおうとした。
「先生!」
須賀が呼び止める。三人は再び顔を見合わせ互いに頷き、立ち上がって沖渡のもとまで来る。そして須賀が続けた。
「先生、事件の事を調べてるんでしょ?だから…お話しします。実は…出口くんと小笠原さん、昔つき合ってたらしいんです。9月頃、出口くんが一方的にふっちゃったって噂になってました」
女子というのは概してこの手の噂に敏感なものだ。男側に一方的に非があるなんて醜聞が流れようものなら、その男は女子陣を一気に敵に回してしまったりする。出口が図書委員会にどこか馴染めずにいたのはこんなところにも遠因があったのかもしれない。
「それはつまり、小笠原には出口に対して恨みがあった…ということかい?」
「そ、そんな。ただそういう事実が何らかの形でもしかしたら、関わっているかもと…」
須賀は動揺を見せる。いつもの元気がムードメイカーが発動されないのも、こんな日では仕方がない。
「う~ん、なるほど。ありがとう、他にも何かあるかい?」
沖渡のその言葉に、西村は恐る恐る質問した。
「さっき、書庫を調べてた刑事さんの話し声、聞こえてきたんですけど…。出口くんが『大工』の正体で、今朝のことは出口くんの気をてらった自殺だっていうのは…本当ですか?」
「それはまだわからない」
そう言った沖渡は、次の瞬間突然「そうだ!」と声を上げる。女子三人はあまりの大声に半歩後ずさった。
「『大工』は図書を延滞している謎の人物だったね。その『大工』が書いた貸し出しカード、まだ残ってるか?警察に押収されてなければ、まだここにあるよね?」
「多分あると…思います」
そう言うと水田が足早に動く。そしてカウンターの上に設置されている貸し出しカードのボックスを探った。
「あ、ありました。これです」
文学少女は数学教師にそのカードを渡す。彼は「ありがとう」と無表情で受け取ると、目をまん丸にしてそれを凝視した。
「本の名前は…『水に棲む生き物』か…」
冷静にカードを観察する数学教師。
書かれている文字は、まず学年記入の欄に大きく漢字で『一』。クラスや日付の欄は無記入。そして名前の欄にはこれまた大きく『大工』。すべて鉛筆によるなぐり書きだ。さらにそれだけでなく『大』と『工』の文字の間にその鉛筆を刺して空けたのだろう、直径2ミリほどの穴がある。この穴が不気味さを際立たせ狂気を演出しているのは間違いない。
「悪戯にしては趣味が悪いな。『大工』は意味不明だし、鉛筆を刺すとは…。書かれてるのは全部簡単な漢字だけだし、これじゃあ筆跡鑑定も難しいだろうなあ…」
沖渡の隣で水田が尋ねた。
「刑事さんたちの話が本当なら、このカードを書いたのも出口くん…ということになるんでしょうか?」
沖渡はしばらくカードを見つめると、静かに言った。
「う~ん、どうかなあ…。この悪戯、どういう意味なんだろう?何で『大工』なんだろう?大工さんがどうしたっていうんだ?…さっぱりわからない。こんな意味不明じゃ、悪戯にもならない」
沖渡はもうしばらくカードを凝視すると、あきらめたようにそれをカウンターのボックスに戻した。
「ありがとう。遅くならないうちに帰れよ」
三人にそう言うと、沖渡はスタスタと最初の目的であった鉄扉へ向かった。

 女子三人はまた少し何やら話をしていたが、そのうちに図書室を出ていった。沖渡は黙々と問題の鉄扉周辺を調べていたが、ふいに現場保存のテープをくぐって書庫に入り、今度は破られた廊下側のドア周辺も調べ始めた。
「捜査は順調ですか、沖渡刑事?」
声をかけられ振り返るとそこには彼の兄。
「沖渡刑事はあなたでしょう、兄さん。私は教師・沖渡です」
「そうだったな。で、どうだ、何かわかったか?」
「いやあ、それがなかなか…。何とか部屋の外側から密室を作れないものかと考えているんですがね。
例えばこの鉄扉。施錠の方法は書庫側からノブのツマミを回すしかありません。さすが書庫だけあって頑丈な鉄扉です。閉めてしまえば僅かな隙間もない。推理小説みたいに釣り糸を使ったトリックで、図書室側から施錠するのは無理なようですね」
数学教師はやれやれといった感じで頭を掻く。
「一方、こちらの廊下側のドアですが、といっても今は外されてますけど、こちらは他の教室と同じ引き戸です。廊下側から鍵を使う以外施錠も開錠もできない構造です。これじゃあトリックなんてやりようがない…」
そこで教師は刑事の方を見た。
「あの…一応確認ですが、マスターキーみたいな物はないんでしょうか?この学校の全てのドアを開け閉めできるような。それがあれば書庫の鍵がなくても…」
「そんな便利な物はない。確認済みだ」
「…ですよねえ」
残念そうに言う弟に兄は軽く伸びをしてから言った。
「まあ、確かに不可解な構造の校舎だとは思うぞ。この書庫だって頑丈な鉄扉と普通の引き戸と出入り口が二つあるのはおかしいだろ。貴重な本を保管するための部屋なら鉄扉だけでいいじゃないか」
「それはですね兄さん、ここが古い学校だからです。長い歴史の中で、増築や部屋の用途変更がなされてきた結果なんですよ。この書庫ももともとは別の部屋だったのが改造されたんでしょう。じゃないと内側のノブにしか鍵のツマミがないのはおかしいですから」
「なるほどな…。だからといってさすがに秘密の抜け穴とかがあるわけじゃないだろ。あの小さい天窓から人が出入りするのも不可能だ。
…無理だよ、密室を作るなんて。小説じゃないんだから。やっぱり自殺で決着させるべきなんじゃないか?」
教師・沖渡は黙るばかりだった。