プロローグ ~ムーン~

 12月初旬の冬空は曇っていた。また一雨来るかもしれない。病院の建物を横目に見ながら、私は駐車場に愛車を滑り込ませる。ただすんなり停車しエンジンを切ったものの、なかなか降りる気持ちになれない。自分自身、きっとこの現実をまだ受け入れられていないのだ。

 私の名前はムーン、警視庁捜査一課の女刑事である。もちろんこんなふざけた名前の日本人がいるはずもなく、ムーンというのは職場上のニックネームのようなものだ。これは一般の方はあまりご存じないのだが、警視庁捜査一課はミットと呼ばれるいくつかのチームに分かれており、私の所属するミットではお互いをニックネームで呼び合うのが古くからの慣例らしい。ちなみに私の上司はカイカンなる私以上に奇異なニックネームで呼ばれている。

 そう、カイカン警部…あの人は今この病院にいる。私はフロントガラス越しに虚ろな灰色の建物を見上げた。病室は…あの辺りだろうか。
 すると、空から舞い降りてきた一羽の鳥が音もなく宙を横切る。そして駐車場脇のセンダンの木の枝で羽根を休めた。

 意を決し、私は黙ったまま車を出ると、病院玄関へと向かう。見舞いの品は必要ない。相手はもう…そんな物を受け取れる状態ではないのだ。
 …行こう。どんなに残酷でも、これがあの事件の結末なのだから。