プロローグ

 夜の病院というものはそれだけでもどこか恐ろしい雰囲気がある。都心から少し離れた場所に建つこの病院の名は柊ホスピタル、高齢者を中心に百人ほどの患者が入院する民間病院だ。
 月曜日の午後11時、大半の入院患者は寝静まり病棟には夜勤スタッフの足音だけが響く時刻。しかし今夜はもう一つ、別の音も聞こえていた。

 1階の奥にある事務室。静寂の中にカチカチという無機質な音。彼女は他に誰もいない室内で一心不乱にパソコンのキーボードをはじいている。暗闇の中、ディスプレイの光に照らし出されたその顔は悪魔に憑りつかれたかのように険しく、血走った二つの瞳は張り裂けんばかりに見開かれていた。
 ふいにガチャリとドアが開く。入って来たのは夜間巡回の警備員、彼はデスクの彼女を見つけると愛想のよい笑みを浮かべた。
「ああびっくりした。ノックもせずにすいません、音が聞こえたので気になって。どうしたんです、電気もつけずにこんな時間まで」
「こちらこそ驚かせちゃってごめんなさい」
 彼女もいつもの穏やかな顔に戻る。
「ちょっとパソコンがトラブッちゃいまして。夢中で直してたら日が暮れてました」
「そりゃ大変だ。でもまだ月曜日、仕事熱心もほどほどに。ね、課長さん?」
「もう、やめてください。そろそろ終わりそうですから」
「わかりました。ではお気を付けてお帰りください」
 警備員が立ち去り再びドアが閉まる。足音が聞こえなくなってから彼女はふっと息を吐いた。壁の時計を見る。そしてまた少しキーボードをはじいてからようやく彼女は両手を休めた。
「こんなところかな」
 独り言を漏らして打ち込んだ文字を見つめる。表題は『犯罪計画書』、Dと表記された人物を巧みに葬る方法がそこには綴られている。決行予定日は…彼がやって来る木曜日、つまりは三日後だ。
「よし、最終チェック!」
 もう一度文頭から読み返す。ぬかりはないと確信、彼女は自らの決意表明のように文末にその署名を入力した。静寂の中にまたカチカチとキーボードをはじく音が舞う。

 …『恩田玲子』。