歌え! アカシア120周年記念式典

 2025年4月19日(土)、歴史的なイベントが開催された。それは我が母校、アカシアこと広島大学附属中・高等学校の開校120周年の記念式典である。愛情の種類には色々あるが、時として男女や親子の愛をも凌駕するのが母校愛。かなりの強行スケジュールではあったものの、無事に参加できたのでその思い出をここに残しておこう。

1.約束の地

 今も忘れない。2005年の春、人生に立ち止まりあてもなく実家に戻っていた自分に届いたのがアカシア100周年記念式典の報せだった。ぽっかり空いた心と時間に飛び込んできた母校からの招待に僕は応じた。そして思い知った。医者になろうがなるまいが、目が見えようが見えまいが、自分はアカシアの卒業生、そこで得た数々の学びや思い出、仲間の存在は何も変わらないのだと。

→コラム「流浪の研究第一楽章 アカシア100周年記念式典」
 https://micro-world-presents.net/2021/04/14/nomadic-research/

 あれからゆっくりまた人生を歩き出して気付けば二十年。まだ何かを成し遂げたわけではないが、ようやく自分の道が見つかった感触。今度は不安ではなく、祝福と感謝、そしてほんのちょっとの誇らしさを持って式典に参加できる気がした。

 約束の地は、今回も広島国際会議場フェニックスホール。友人と待ち合せてさっそく足を運ぶと、受付は多くの人でごった返していた。あちらこちらで再開を喜ぶ声が上がっている。
 100周年の時は記念書籍、校歌や学園歌を収録したCD、学校の歴史を振り返るDVD、校章を象った文鎮などなど、数多くのアカシアグッズが製作されていたのだが、今回は残念ながらそれらはなし。ただ特製パンフレットをもらうことはできた。

 ホールに入ると、まだ開会前だがとても賑やかに音楽が鳴っている。ステージの上で現役の管弦楽班と合唱班がリハーサルをしているらしい。イントロだけでどの曲かわかってしまう自分をはにかみながら着席。ちなみに部活動を「部」ではなく「班」と称するのもアカシアの慣習である。
 まだリハーサルなのに、客席からは演奏に合わせて歌う声もちらほら。その声はどれも嬉しそうで楽しそうで、この日を心待ちにしていたに違いない。もちろん自分もつられて口ずさんでいたのである。

2.記念式典

 ブザーが鳴っていよいよ開会。オープニングナンバーはエルガーの『威風堂々』だった。続いて客席全員が起立して『校歌』と『開校記念日の歌』の合唱。生のオーケストラをバックにホールに響く歌声は圧巻だった。特に『開校記念日の歌』はCDではピアノ伴奏だったので、今回のマーチングアレンジはとても新鮮だった。しかもよく見ると指揮者は二十年前と同じあの音楽の先生ではないか。
 この先生、僕が高校生だった頃にもテレビドラマ『古畑任三郎』のテーマソングを耳で譜面に起こして生徒に演奏させてくれたり、100周年記念のCDでは数々の編曲を担当したりと、実は知られざる天才。高校2年生の時には、この先生の主催で生徒がオリジナル曲だけを発表するイベントも開催された。僕が曲作りが大好きになったのも、この先生のおかげなのである。

→アルバム『20年後のアカシアソウル』
 https://micro-world-presents.net/cat_musics/acaciasole-after20years/

 ああ、それにしてもこんなに心躍ることがあってよいのだろうか。この合唱に参加できただけでも、はるばる戻って来た価値があったというものだ。
 その後は現職の校長先生、アカシアのOBであられる広島県知事、日本各地の同窓会支部を統括する全国アカシア会会長といった方々の挨拶が続く。とある方は、卒業後に「あんたもアカシアか」と同窓生と知り合うのが楽しいと語っておられた。「あんたもアカシアか」という言い回しがツボに入ったので、僕もこれから使おうと思う。

 次第が進んで式典の後半は現役生徒からの発表だった。SSH(スーパー・サイエンす・ハイスクール)と呼ばれる生徒主体の学術研究の取り組みをアカシアは早くから実践しており、その課題や成果がプレゼンテーションされたのだ。
 いやあ、今の高校生はこんなにもすごいのか。研究の内容もさることながら、語りも明瞭。ヒバゴンを探しに行って、嘘の写真を撮って、勝手な想像図を模造紙に描いて、自己満足の発表していた僕たちとは…すいません、レベルが違います。
 式典ではSSHを経て現在大学や社会でさらに意義深い研究をしているOB・OGのコメント映像も流された。教育の名門と名高い広島大学教育学部、その教育研究機関であるアカシア。それは学ばされる教育ではない。『自由・自主・自立』の精神に裏打ちされた、生徒が自ら学んでいく教育なのだ。きっとこれからも優秀な人材を輩出し、日本の教育をリードしてくれるに違いない。…ちょっと褒め過ぎ?

 理系要素の強かったSSHの発表に続いて行なわれたのが、文系要素の強いユネスコ班の活動報告。これも歴史ある班で、僕が在学していた頃にも所属している同級生がいた。人類を豊かにするのは科学だけではない。思想が伴ってこその文明。平和の願いを込めたユネスコ活動に力を入れているのも、またアカシアの教育。
 ユネスコ班は積極的に他校の生徒と拘留し、語らいの場を設けているという。とてもよいことだ。どんどん語り合い、学び合い、刺激し合ってほしい。ちなみに僕が在学中に他校と拘留したのは、図書委員会の企画で行なった「男子校がよいか、共学がよいか」のディベート大会くらい。本当にお恥ずかしい。

 そんなこんなで何度もステージに拍手を贈りながらあっという間に時間が経過。最後に生徒会の発表をもって、記念式典は閉会した。歴史を見返し、今を見つめ、未来を見据える。大満足の内容であった。
 惜しむらくはもう一曲、アンコールで学園歌『アカシアの香り』を演奏してほしかったところである。

→コラム「思い出の音楽#5 『アカシアの香り』と広島大学附属中・高等学校」
 https://micro-world-presents.net/2021/05/12/memories-of-music05/

3.ピースフォーラム

 広島国際会議場は平和公園に隣接している。小休止のために一緒に参加した友人たちとレストハウスへ向かったが、平和公園内には多くの外国人観光客と思われる人たちが溢れていた。G7のサミット以降、この地を訪れる人が増加したとのこと。僕たちも一緒に記念碑に手を合わせたが、ヒロシマの日射しは春でも強く照り付けていた。

 コーヒーを飲んでから再びフェニックスホールへ。続いてのイベントはピースフォーラム。広島は長崎と共に世界で唯一原子爆弾を投下された街。そこに生まれた者として、育ち学んだ者として、平和の願いをどう伝えていくか、どう実現していくかが講演とパネルディスカッションで語られた。
 印象的だったのは『許す』『恨まない』などのワード。同じ言葉でも、そこに込めている思いや持たせている意味はその人によって異なる。まずはそのことをちゃんと想像できてこそ真の相互理解へと人は進めるのである。

4.祝賀会

 有刻、国際会議場の前に並んだバスに乗ってリーがロイヤルホテルへ。そこで催されたのが本日最後のイベント、記念祝賀会である。
 参加者は約700名、その中で僕の同期は10名ほど。卒業以来に会う奴もいて、一つ一つの会話が貴重だった。
 そして今回感激したのが、懐かしい先生方もたくさんいらっしゃっていたこと。当時クラスの担任だった先生、各教科の担当だった先生、フレッシュな新任だった先生が、今はもう引退されていたり、役職に就いていらっしゃったり。それにしても、毎年大勢の卒業生がいるのに、僕たちのことをちゃんと認識してくださる先生方の記憶力はいったいどうなっておられるのだろう。とにかく会話と記念撮影を楽しんだ。

 仲でも嬉しかったのは、中学・高校の六年間所属していた『マイクロワールド研究班』の創設者にして初代顧問でもあった先生、通称M大王と再会できたこと。当サイトの名称を見てもおわかりのとおり、この部活がなければ僕の人生は全く違ったものになっていただろう。目が見えなくなった後で余裕でパソコンのブラインドタッチができたのも、この先生のおかげなのである。

→コラム「THE HISTORY OF MICRO WORLD」
 https://micro-world-presents.net/2020/05/03/historyofmicroworld/ 

 さらにもう一人、高校卒業寸前に僕の人生初の推理小説を学校の印刷機で増刷してくださった先生も。会った瞬間に「お前の本まだ持っとるぞ!」と言ってもらえて涙が出そうだった。昨年初の著書を出版したことをお伝えすると、驚きながらも喜んでくださった。僕がこんなに長く執筆を愛好できているのも、この先生のおかげなのである。

→人生初の推理小説『図書室の悲惨』
 https://micro-world-presents.net/cat_novels/library-fv/

 話したい人とはおおよそ話した頃、会場に流れ出すBGM。最後は出席者みんなで再び『校歌』と『開校記念日の歌』の合唱だ。一時期は新型コロナウイルスの影響でアカシア会関連のイベントもオンラインになっていたが、またみんなで歌える時代が来て本当によかった。
 そして閉会の挨拶はアカシア会の会長。その中で「アカシア魂」という言葉を使っておられたが、僕も仲間内ではアカシアソウルという言葉をよく用いる。世代を越えて、時代を越えて、アカシア魂よ永遠なれ!

5.アフタースクール

 お疲れ様、さあ帰ろう…となるはずもなく、今度は同期だけでの宴へ。そこから参加した奴もいて、また懐かしい会話を楽しんだ。別に在学中にこのメンツで一緒にいたというわけではない。今でも連絡を取り合っている奴もいれば、こういう時にしか会わない奴もいる。それでもこうやって笑いの絶えない時間を過ごせるのだから、同期の絆というのは本当に不思議。ちなみに一人の同期いわく「うちの学年はスタンドプレイヤーだらけ、まとまりゃしない」とのことである。

 きっと日々にはそれぞれの抱えているもの、大変なことがたくさんあるのだろう。実は僕も翌日は朝一番の便で北海道へ戻って講演の仕事が控えていた。社会人としては夜更かしせずにさっさと寝るべきなのだが…たまにはいいよね、心をあの頃へ還しても。

6.研究結果

 御無沙汰しております、アカシアの神様。
 100周年で授けていただいた勇気のおかげで、120周年まで歩いて来られました。
 こんなに愛しい母校があることを心から幸せに思います。
 さあみんな、次は150周年で会おうぜ! アカシア大好きだったじいちゃん、見てるか?

令和7年4月25日  福場将太