思い出の音楽#5 『アカシアの香り』と広島大学附属中・高等学校

心に残る音楽はオリコンヒットチャートにだけ存在するわけではありません。インディーズはもちろんのこと、アニメの主題歌、映画の挿入歌、童謡、合唱曲、そして校歌や学園歌にだって名曲は隠れています。今回はあまりにもマニアックですが、我が母校・広島大学附属中・高等学校の学園歌、『アカシアの香り』をcheck it out!

アルバム「SCHOOL SONGS」の写真(表) アルバム「SCHOOL SONGS」の写真(裏)

1.広島大学附属中・高等学校について

それが通称アカシアと呼ばれる僕の出身校であることは、これまでにもこの研究コラムで書いてきたとおりです。アカシア最大のイベントは何と言っても体育祭なので、どうしても文化系の活動は地味なイメージがあります。僕が所属していたマイクロワールド研究班なんてまさに知る人ぞ知る超マイナー班でしょう。しかしそんな文化系の部活の中でも脚光を浴びていたのが合唱班、そして管弦楽班といった音楽系の部活です。

これらの班は文化祭はもちろん、他の学校行事でも活躍の場があったり、時には校外のホールでコンサートを行なったりもしていました。クラシックに疎い僕でも、入学式や卒業式のBGMを管弦楽班が演奏するのは膝が震えるくらい感動しました。専用の練習場所もステージもなく細々と活動していたバンド少年としては、まったくうらやましい限りで、同じ音楽なのにどうしてこうも扱いが違うんだとぼやいてもいました。それでもバンドメンバーのジョニー田中くんが管弦楽班でコントラバスを弾いていたこともあり、時々コンサートを観に行っていました。

2.『アカシアの香り』について

アカシアの生徒手帳にはいくつかの曲の詞と譜面が掲載されていました。まずは校歌。明治41年に制定、昭和22年に一部歌詞を修正したのみでもう100年以上歌い継がれていますが、はっきり言って名曲です。戦後になって歌詞のどこが変わったのかというと、男子校から共学になったことを受けて『男我ら』が『若人我ら』に、五年制が三年制になったことを受けて『楽しやいつとせ』が『楽しやみとせを』になっています。アカシア100周年記念式典に参加した時、年配の先輩たちが戦前の歌詞で肩を組んで歌っておられた姿はとても印象的でした。
校歌以外にも生徒手帳には開校記念日の歌、体育祭での応援歌など、普段あまり歌う機会のない歌や聴いたこともない歌が掲載されていました。そしてそれらの学園歌を全て収録したCDが製作されたのがアカシア100周年の平成17年、アルバム名は『スクール・ソング集』です。レコーディングにはもちろん合唱班・管弦楽班の現役部員とOBらが参加。音楽の先生が編曲したり、校長先生が校歌の英訳バージョンを作ったりなどの面白い趣向も凝らされています。

そんなアカシアソングを網羅したこのCDの中でも、僕が一番気に入ったのが『アカシアの香り』です。製作年度を見ると昭和60年、学園歌の中では新しい方で、新曲としてシングルカットしてもよいくらいです。ポップなメロディに加え、本当にアカシアの香りが漂ってきそうな美しいピアノアレンジ、そして作詞が素晴らしい。「緑濃きデルタにひらく自由の花一輪 それぞれの心に刻み 夢に急ぐ時」というフレーズが特に好きで、広島の扇状地を「緑濃きデルタ」と表現しているのがスタイリッシュ、偶然かもしれませんがアカシアの近所には翠町という地名もあったりします。アカシアの校風のテーマである自由という言葉をさり気なく盛り込んでいるのもうまい。そして「夢に急ぐ」という表現、早く未来へ飛び込みたい、未知の世界へ羽ばたきたいという期待感と焦燥感が見事にこの一言に集約されていますね。
さあみなさん、ぜひこの名曲を聴いてください…と言いたいのはやまやまですが、はたしてこのCD、今やどうやって入手できるのでしょうか。そのうちダウンロード配信が始まったりするのかな。

3.演奏の思い出

残念ながら合唱班でも管弦楽班でもない僕は、人前でこの曲を演奏したことはありません。アカシアの仲間とカラオケに行っても、今の所この曲は入っていないので歌えません。そんなわけで演奏といえばひたすら趣味の弾き語りのレパートリーとして楽しむしかないわけです。もし学生時代にこの曲の存在を知っていたら、バンドアレンジにして文化祭で演奏していたと思います。
はたしてこの曲、JASRACに登録されているのでしょうか。いつかアカシアソングの第一人者と呼んでもらえる日が来たら、ぜひこの曲をカバーしたいと思います。まあそもそもそんなポストがあるのかわかりませんが。

4.余談

どうして先月・今月とアカシアの話題をプッシュしているのかと申しますと、実は今年度の広島アカシア会の幹事が僕らの学年らしいのです。広島にいない僕は直接関わってはいないのですが、広報担当になったパペックという男から連絡をもらいまして、アカシア会報に当サイトの広告を掲載してもらえることになりました。彼とは図書委員会で新聞を作っていた思い出があり、久しぶりに一緒に作業できたのがとっても楽しく、懐かしかったです。
もし会報の広告を見て当サイトにご来訪くださった方がおられましたら、それはまさしく僕らの策略どおりでございます。

令和3年5月2日  福場将太