第四章 DETECTIVES

「け、警部、一体どういうことですか?」
私は思わず問い掛けた。
「よし、手短に説明するから君は空港出口に向かうんだ。ほら、急いで!」
電話の向こうの低い声が急かす。私は言われるままに、周囲の捜査員たちに会釈しながら機内客室の通路を抜けていく。
「ムーン、この事件の最も根本的な疑問は何だと思う?」
「それは…『犯人がどうやって毒を盛ったのか』ということでしょうか」
「いや、もっともっと根本的な疑問がある。『犯人はどうして飛行機の中で犯行に及んだのか』ということだ。いいかいムーン、確かに推理小説やサスペンスドラマではお馴染みのシチュエイションだけど、現実世界ではどうだろう。飛行機の中で殺人を決行するメリットがあると思うかい? 容疑者も限定されるし、搭乗前には保安チェックで持ち物も確認される。機内でも防犯のために乗務員が常に目を光らせている。犯人にとってとても身動きの取りづらい状況だよ。
仮にだよ、そんな状況でも決行できる大胆不敵なトリックを思い付いたとしても、そこまでして機内にこだわる必要がない。それなら被害者を夜道で後ろから殴った方がよっぽど成功率が高いさ」
確かに…、寝台列車や豪華客船、飛行機の中で計画殺人が起こるのはフィクションの世界の話。ドラマの舞台としては恰好だが、現実では全く合理性がない。私は被害者については「飛行機の中で自殺するのはおかしい」なんて考えたくせに、犯人については心理面の考察を完全に失念していた。
「そうですね」
答えながら私は機外に出た。
「警部のおっしゃるとおり、どうして犯人が機内で犯行に及んだのかがわかりません」
「そうだよね。そこで私はこう考えた。犯人は特に機内での殺人を望んだわけじゃない、仕掛けておいた毒がたまたま機内で発動してしまったんだと。
じゃあその毒はどこに仕掛けられていたのか。被害者が機内で口にした物はアップルジュースと酔い止め薬。でもアップルジュースは除外できる」
「何故です?」
「奈々さんは甘えて被害者の飲み物を味見してたんでしょ? もしジュースに毒が入っていたら奈々さんもただじゃすまないさ」
そうだった。私はそんなことも失念していた。
「それに紙コップからも毒物反応は出ていないしね。よってジュースは関係ない」
「ではやはり酔い止め薬の錠剤ですか?」
「それしかないね。被害者は数種類の薬をジャラジャラ持ち歩いていた。その中の1錠に毒が仕込まれていた。そしてその1錠を引き当てて飲んでしまったんだよ」
「しかし警部、薬は今日被害者自身が、家を出る前に新品の物を用意したんですよ?」
「スーツの左ポケットに入れていたんだったね。被害者は座席に着く寸前まで上にジャンパーを着ていたんだから、確かに途中で誰かがポケットに毒の1錠を放り込むことはできない。
そばにいた奈々さんならジャンパーを着る前、あるいは脱いだ後にこっそり放り込むこともできたかもしれないけど、被害者に酔い止め薬を飲むように勧めたのは彼女自身だ。せっかく毒を仕掛けたのに自分の隣で死なれたら何の意味もない。彼女が犯人ならできるだけ自分と離れている時に飲んでほしいと思うはずさ」
「では、奥さんは犯人ではないと」
「そうだ。そしてCAの岡本仁美さんも違う。彼女には被害者のポケットに毒の1錠を放り込むチャンスはない。しかも急変した被害者に対して人工呼吸をしようとしていた。彼女が犯人ならそんな恐ろしいことはできないよ。薬の欠片でも口の中に残っていたら大変だからね」
そうだ、とっさにそう思ったからこそ、私も人工呼吸をしようとした彼女を反射的に止めたんだった。
「しかしそうなると…」
私は人影のない空港廊下を早足で歩きながら返す。
「一体誰が毒を仕掛けたんですか? もう被害者の関係者はいませんよ」
「もう一人いたじゃないか、君の報告の中に」
そこで警部は耳に残る重たい声で言った。
「犯人は中村由加さんだよ」

「中村さんが…?」
一瞬唖然としてしまう。
「警部、関係者といっても彼女は被害者と個人的な交流はありません。たまたま彼の座席に間違えて座ってしまっただけで、まさかそんなことで殺人に及ぶはずが…」
「座席を間違えたのはたまたまだろう。でも彼女と彼は赤の他人じゃない。二人は顔見知りだった可能性がある」
警部は断言した。
「ムーン、よく考えてごらん。彼女が間違った座席から移動する時、彼は彼女のバッグを荷物入れから取ってあげたんだったね」
「はい、彼女の青いバッグを。しかしそれが何か? 顔見知りじゃなくても荷物を取ってあげることはあると思いますが」
「そうじゃない。いいかい? 問題なのは、どうしてそれが彼女のバッグだとわかったのかってことだ。荷物入れには君のバッグも入っていたのに」
思わず立ち止まる。そうか…よくよく考えればおかしい。彼は彼女が返事をする前に率先してバッグを取ってあげた。まるでそれが彼女のバッグだと知っていたかのように。一番最後に遅れて飛行機に乗ってきた彼が、その時すでに荷物入れの中にあった彼女のバッグを知っているはずがないのだ。
「旅行バッグを知っている関係…。ムーン、二人は親しい仲だったんじゃないかな。おそらく彼が結婚する前に交際していたんだ。そして悲しい別れ方をした」
安土弘樹の顔を見て目を丸くした中村由加の顔が浮かぶ。あれは座席を間違えたことに気付いた驚嘆ではなく、かつての恋人に再会した驚愕だったのか。
気持ちが追い付かないが頬に当てた携帯電話からはさらに推理が続く。
「だとすると、奥さんを連れた彼を見て由加さんには殺意が生じた可能性がある。親しい関係だったのなら彼がポケットに薬を入れて持ち歩く習慣を知っていてもおかしくない。そして彼女には毒の1錠をそこに放り込むチャンスまであった」
「いえ警部、そんなチャンスはなかったはずです。彼がジャンパーを脱いだのは彼女が後ろの席に移った後ですよ」
「そう、だから彼女は彼が着席した後でやったのさ。飛行機の座席には肘掛けがあるよね。つまり窓際席の椅子を後ろから見た時、背もたれは壁とぴったりくっついているわけじゃない。肘掛けの分だけ背もたれと壁の間には空間がある」
「まさかそこに手を突っ込んだと?」
電話の向こうで警部が立てていた指を鳴らすパチンという音がした。
「そのとおり。由加さんは細身で腕も細長かったんでしょ? きっと突っ込めるさ」
「確かにそうですが…」
「被害者は大柄な男性、ならポケットには手が届きやすかっただろう。もしかしたら肘掛けの上にちょうどポケットが乗っていたかもしれない」
想像してみる。後ろの席から手を伸ばし、背もたれと壁の隙間から前の席に座る男のスーツの左ポケットに錠剤を放り込む…。絶対に不可能ではないだろうが、あまりにも突拍子がない。
「しかし警部、そんなことをしていたら周囲の乗客に見られるかもしれません。先ほど警部もおっしゃいましたが、客室乗務員だって乗客の不審な行動には目を光らせているでしょう。それに被害者自身も、誰かが自分のポケットに手を突っ込んできたら気付くのではありませんか?」
「フフフ…」
変人上司は不気味に笑う。
「確かにね。でも誰にも見られずに、なおかつ相手にも気付かれずにやれるチャンスがあるんだよ。君は眠っていたから知らないだろうけど、離陸する時は乗務員も着席していて客室を見張っているわけじゃない。しかも夜のフライトでは離陸の時は客室を消灯する。彼女はその闇の中でやったのさ。だから誰にも目撃されなかった。
それに離陸の時は音も振動も激しい。被害者の意識も無事に飛行機が飛ぶかどうかに向いている。ポケットに手を突っ込んでも気付かれるリスクはかなり低いと思うよ。
ちなみに着陸の時も消灯するんだけど、君は乗務員控室にいたからね。ここでも客室の消灯を経験できなかったからまあ思い付かなくても無理ないよ」
そういえば聞いたことがある。飛行機の事故は離着陸の時に最も多い。そのため外に緊急脱出する場合を想定して乗客の目をあらかじめ暗闇に慣れさせる、そのために客室を消灯するのだと。
そうか…。警部の推理は徐々に説得力を増してくる。いや待て、やっぱり難しいんじゃないか?
「しかしですね、ちょっと無理がありませんか? 背もたれと壁の間の隙間に手が入るかどうか、どのくらい手を突っ込めば前の席の乗客のポケットに届くか、彼女にはわかりません。離陸時の消灯を知っていたとしても、一体どのタイミングで消灯して何秒くらい暗いままなのか、乗務員はいつまで着席しているのか…正確にはわかりません。全てはぶっつけ本番になります」
「由加さんには正確にわかっていたんだよ。隙間の大きさも、座席の距離感も、消灯のタイミングも、乗務員の動きもね」
「何故です?」
「だって彼女はCAさんなんだから」

 携帯電話を落としそうになった。なんだって? 中村由加がCA…つまりは客室乗務員?
「私が彼女を疑ったもう一つの理由がこれだよ。彼女は身分を偽っている。君には喫茶店のウエイトレスと自己紹介したけど、実はCAなんだ。君が乗ったガーネット航空の別区間で働いている。いや、正確には働いて痛んだけど先月末に退職している。会社に確認を取ったから間違いない」
「どうして彼女の嘘がわかったんですか?」
「君の聴取で彼女が口走った『ギャレー』という言葉が気になってね、ビンさんに訊いてみたんだ。そうしたらギャレーは確かに厨房のことだけど普通の飲食店の厨房じゃない、飛行機の中でドリンクやフードを用意する場所を表す言葉だった。ギャレーでてんてこ舞いになってるCAさんのことを業界用語でギャレリーナなんて言ったりするそうだよ。
これでスキップの謎もわかった。『お客様にお水を配る時にスキップしちゃって怒られた』と彼女は言ったけど、そのスキップは飛び跳ねることじゃない。飛行機の客室で順番に飲み物を配る時に一列飛ばしてしまうことを表したCAの業界用語だよ」
私は黙るしかなかった。確かに大の大人がスキップすることに違和感はあったが、まさか業界用語だなんて考えもしなかった。
そういえば彼女は席を間違えたことを謝罪する時に「ごめんなさい」ではなく「失礼致しました」という少し硬い言い方をしていた。そして岡本仁美も同じ言い回しを使っていた。だとしたらあれも…とっさに乗務員の時の癖が出たのかもしれない。
悔しいな、ヒントはちゃんとあったのに。
「由加さんがCAなら被害者との出会いも想像がつく。岡本仁美さんの証言を思い出してごらん。偽名を使ってCAさんをナンパするのが彼の手口だった。偽名を使う理由はわかるよね? いつでもドロンするためさ。
由加さんもかつてその手に引っかかってしまい、騙された挙句に逃げられてしまった。探そうにも見つけられず、ずっと恨みを募らせてきたんじゃないのかな」
安土弘樹はその後ものうのうと同じようなことをくり返していたわけか。最低な男だ。思わず怒りと吐き気が込み上げる。あいつが機内でどこか居心地悪そうにしていたのも、妻との会話に生返事だったのも、自分の後ろに捨てた女が座っていたからなのだ。その憎悪の視線を背中に受け、文字どおり後ろ暗さを感じていたからなのだ。
そして中村由加…ずっと憎んでいた男と再会した千載一遇のこのチャンスに彼女が殺意を実行に移したのも頷ける。飛行機を降りればまたあいつを見失い、おそらくもう二度と会うことはないだろうから。そう考えたらどうしても決行するしかなかったのだ。もちろんあいつが毒の1錠をまさか機内で引き当ててしまうとは思わなかっただろうが。
「ねえムーン、ちゃんと出口に向かってる?」
警部の声で我に返る。ダメだ、どうしてもこの手の話になると私は理性を鈍らせてしまう。陰性の感情に囚われてしまう。普段無感動なくせにこんな時だけ私は…。
「すいません、すぐ向かいます」
そう言って再び足を進める。体を動かすと脳の刺激になるのか、階段を下ったところで新たな疑問が浮かんできた。
「あの、一つ質問してよろしいですか?」
「どうぞ」
「警部の推理どおりなら、中村由加の犯行は突発的なものですよね。それなのにどうして彼女は毒の錠剤を持っていたんですか?」
「だから君に急いでって言ってるんだよ。殺人以外の目的で毒を持ち歩く理由は一つしかないじゃないか」
背筋が凍る。私は全てを理解した。彼女が退職していること、今まで行きたかった場所を巡って旅行していること、そしてあのどこか儚さを帯びた笑顔…。彼女は自らの命を奪うために毒薬を持っていたのだ。警部の言った「自殺説もある意味で当たっていた」とはこのことだったのだ。
「はい!」
叫ぶように答えると、私は全速力で暗いロビーを駆け抜ける。彼女はもうとっくに空港を出てしまっただろう。
「警部、もうじき出口ですが、出たらどうすればよいですか?」
「よし。北海道警の知り合いに車を回すよう頼んであるんだ。連絡したら、ちょうどこの事件の担当だって。北海道のことなら彼女が詳しい。君は彼女と一緒に由加さんを捜して保護してくれ」
「了解しました!」
「頼んだよ。何かわかったらまた連絡するから」
そこで通話は切れる。携帯電話をポケットに戻したところでちょうど空港出口に到着する。外に出ると氷のように冷たい夜気が押し寄せた。肌が痛み私の乱れた息も白くなる。11月でこの寒さ…これが北海道か。よく見ると少し雪もちらついている。
そして目の前には黒い4WDがエンジンを唸らせて停まっていた。すぐに運転席が開き、一人の人物が颯爽と降り立った。コートにハット…一瞬警部が現れたのかと思ったがそうではない。シルエットは少しだけ似ているが警部より小柄で細身、コートもハットも緋色だ。
「ムーン巡査ね、待ってたわ」
冷気の中で透き通る声が言った。
「初めまして、あたしは北海道警察の法崎よ」
舞い散る粉雪の中、ロシア人形のように白くて端正な顔が可憐に笑む。これが彼女…法崎さくら警部との出会いだった。

「じゃあ中村由加さんを追うわよ!」
私が助手席に乗り込んでシートベルトをするやいなや、法崎警部はそう言ってアクセルを踏み込んだ。場合が場合なので私は簡単な自己紹介だけで済ませる。
「フフッ」
すると運転席から笑いが漏れる。
「それにしてもムーンなんていかにもな名前よね」
「…すいません」
ちらりと隣を見る。女性警部はやはり雪のように肌が白く、鼻の高い顔立ちをしていた。軽くウエーブのかかった髪を後頭部でまとめているが、左頬を撫でるようにそこだけワンポイントで前髪が解放されている。そしてその声はまるで洋画の吹き替えのようにはっきりとしている。
「別に謝らなくていいのよ。どうせカイカンくんが付けたんでしょ。あいつの下に就いてどれくらいになるの?」
「今三年目です。あの、もし言いにくかったら本名で呼んで頂いても…」
「あらそんなことないわよ。三年目か…まあ色々大変だろうけど、ミットの慣例は守らなくちゃね、ムーンちゃん」
知的だがどこか幼さも感じる仁美で彼女は語る。
「うちの警部とは長いんですか?」
「お互いまだ警部補だった頃…もう五年くらい前かな、あいつが研修で北海道に来た時に知り合ったの。わかってると思うけど頭にドが付く変人でしょ。まずは空港で不審人物として職務質問、あたしは空港警察まで身柄を引き取りに行ったわ。それが出会いね。それからすぐに署内で噂になったわ、警視庁からとんでもない刑事が来たって。
いくつか事件を一緒に捜査したんだけど、そしたら聞いてよ、いつの間にか署内であたしのことを『女カイカン』なんて呼ぶ輩が出てきたのよ。あたしがあいつに似てるって。失礼しちゃうでしょ」
「それは大いに失礼ですね」
「ほんとにねえ。確かにあたしもコートとハットを着込んでるけどあいつみたいにボロボロじゃないし、もちろん職務質問も受けないし」
そう言いながら彼女は胸ポケットから細く短い物体を取り出して口にくわえた。タバコではない。私はぎょっとする。
「こらムーンちゃん、びっくりしないの。別にあいつの真似してるんじゃないわよ。これは昔からの習慣なの。それにあいつがくわえてるのは安っぽいおしゃぶり昆布でしょ。あたしのは北海道限定販売のスナックなんだから」
「そうですか…」
この人が女カイカンと呼ばれたのは実は妥当だったのかもしれない。警部と捜査したという北海道での事件簿も聞いてみたいが今はそんな場合ではない。
「ところで、これからどこに向かうんですか?」
私が本題に戻ったので彼女も口元から笑みを消す。
「とりあえず主要道路には検問を張ったからその報告待ち。じっとしてても仕方ないから札幌方面に向かって走ってるわ。電車、バス、タクシー、レンタカー…由加さんがどの手段でどこに向かったかがわからないから雲を掴むような状態だけどね」
「私は何をお手伝いすればいいですか?」
「由加さんと直接会って話したあなたなら、彼女の行き先のヒントを何か持ってるかもしれない。だからゆっくり思い出して…彼女のこと。それがカイカンくんの指示」
そこで車は日本一長い直線道路を有する国道に入り、彼女はさらにアクセルを踏み込んだ。

 深夜2時を過ぎたが未だに中村由加の消息はわからない。どこかのホテルに宿泊しているのか、それともこの夜の中にいるのか。考えた句はないが、もしかしたらもう飛行機でも行けない天井の国へ旅立っているのかもしれない。
機内での彼女の様子を色々思い返して見るが、何も見つからない。ひとまず法崎警部と私は道警本部の駐車場で待機している。
「雪も降ってるし、今夜はもっと気温が下がりそう」
スナックを口元で動かしながら女性警部が言った。
「11月でも雪が降るんですね」
「北海道だもん。まだ根雪にはならないと思うけど。由加さん、早まらずにあったかいベッドの中にいてくれたらいいんだけどね…」
そうですね、と返そうとしたところで私の携帯電話が鳴った。断わってからそれに出ると東京の変人上司。
「ムーン、そっちはどうだい?」
「すいません、まだ見つかりません。ホテルや民宿も当たってるんですけど…」
「そうか。実は今、中村由加さんの借りてた部屋に来てるんだ。会社から住所を教えてもらってね。ビンさんにパソコンを調べてもらったらいくつかわかったよ。インターネットの闇サイトを使って彼女は毒の錠剤を購入したらしい。
航空チケットの購入履歴も残ってた。彼女は日本中を南から北へ色々旅行してるけど、北海道から先のチケットはない。もちろん東京に戻るチケットもね。それに…机の上に遺書もあった。彼女が北海道のどこかで命を終えようとしてるのは間違いない」
「あの、遺書の内容に何かヒントはないですか?」
「ないんだよ。自分を騙した男性への恨みと、他にはご両親やお友達への感謝が綴られているだけで」
「そうですか…。あ、今隣に法崎警部がおられますがお話されますか?」
そう提案したが、警部の返事を待たずに女カイカンは「結構です」と却下。電話口からは「相変わらずだね」と本家カイカン。そして「じゃあ頑張って」と通話は切れる。
車内には微妙な沈黙が流れた。しかしそこでふと、警部との会話で一つの記憶が蘇る。
「そういえば…」
「ん?何か思い出した?」
法崎警部がこちらを見る。
「はい。まだ離陸の前ですけど、由加さんとこんな会話をしました。彼女は南から北へ旅行してたんで、『渡り鳥みたいですね』って私が言ったら、彼女は『おしまいは渡り鳥の最終居留地へ行こうかなって』と答えたんです。その時は北海道が旅行の最後の場所だからそう言ったんだと思ったんですけど」
「渡り鳥の…最終居留地」
女性警部の口元がどんどん綻んでいく。
「あの、何か参考になりますか?」
答えるより先に彼女は車を発進させた。4WDは威勢よく嘶き、私は驚いて体勢を崩す。
「あ、あの…」
「さっすがムーンちゃん! 噂どおり、カイカンくんの着火剤ね」
褒め言葉なのか? 警部はこの人に私のことをどう紹介したのだろう。それにしても突然の頭脳の活性化…やっぱり女カイカンだ。
「かっ飛ばすわよ、振り落とされないでね」
くわえていたスナックを一気に飲み込むと、北の女刑事は目を輝かせてアクセルを踏み込んだ。