プロローグ

●赤井このみ

「ねえ、あんたはいったい誰?」
 思わず足を止めて、目の前のあまりにもちっぽけな存在に向かってあたしは問い掛けた。
「つまんなそうな顔しちゃってさ。ねえ、あんたは誰なの?」
 何の特徴もない黒髪ショートボブ、ワンポイントのオシャレもない制服、センスの欠片もない鞄、ソックス、靴…ぜ~んぶ全部何から何まで校則そのまんまのコーディネイト。ご覧あれ先生方、これぞお望みどおりの模範的な女子中学生でございます。
「ねえ、あんたは何がしたいの?」
 また言ってみる。もちろん相手は何も返さない…それどころか全くおんなじ口の動きでおんなじ言葉を投げ掛けてくる。そしてお互い呆れ笑い。
 そりゃそうだ、相手はガラスに映ったあたしなんだから。そう、ちっぽけなのはあたし自身、何者かわかんないのはあたし自身。ほんと何やってんだろ、学校帰りの道に突っ立って、ビルの窓に映った自分に話し掛けて…バッカみたい。スマホの画面を見るともう午後6時過ぎ、とっくに日が暮れた通学路には他に制服姿の子はいない。

 さっきの進路面談の時の先生とママの顔…なんで二人ともそんなに楽しそうに笑ってんのって感じだった。「お嬢さんのご成績なら私立の高校でもどこでも入れますよ」なんて担任たる風間先生が言って、「そんなそんな、先生方のご指導のおかげですわ」なんて保護者たるママが言って、当事者たるあたし一人が置いてけぼりでどんどんどんどん話が弾んで…結局それでおしまい。あたしの進路面談なのにいったい誰の話をしてんの? 褒められても嬉しくないとこばっか褒めるし、まあ何か要望がありますかって訊かれても大してないんだけどさ。

 あたしって何なんだろ。小さな溜め息。それをかき消すみたいにビル風が吹き抜ける…排気ガスの嫌な臭いがした。
「あんたも大変だね」
 また目の前の自分に言ってみる。今度はお互い苦笑い。いい加減そろそろ帰ろっかな、ママはご機嫌のまま会社の忘年会に行っちゃったから家には誰もいないけど。ご褒美にって買ってくれたドーナツの袋だけがあたしの手にぶら下がってる。
 なんだろこの感じ、気持ちがモヤモヤしてとにかくつまんないつまんないつまんない!
 そう、あたしはドーナツ。一番肝心なとこがぽっかり空いちゃってる空っぽ人間。

「何かしてみればいいじゃない」
 え? 今の言葉…あたしが言ったの? 他に誰もいないしあたしの声だからそうだよね。なんかガラスに映った方のあたしが言ってくれた気がした。
「何かしてみればいい…?」
 小声でそうくり返した瞬間だった。

 …パチン!

 びっくり、胸の奥で何かがはじける音がした。周りに聞こえちゃいそうなくらい、クラッカーみたいに大きくて軽快な音。
 何かする? そっか、そうだよね。何かすればいいんだ。遠慮せずにやったらいいんだ、どうして今まで思い付かなかったんだろ。そうだ、そうだよ、何かしよう。何でもいいから何かしよう!
「ありがと!」
 鏡の世界の自分にお礼を言うと、導火線に火が着いたねずみ花火みたいにあたしは勢いよく駆け出した。