エピローグ

●赤井このみ

 おそらくあたしにとっては人生で一番スリリングでサスペンスでミステリーだったあの夜から一週間が過ぎた。未だに興味津々のすみれと別れて、あたしは放課後の秘密基地でカイカンさんとムーンさんに会っていた。二人が事後処理のために学校に来るのは今日で最後だって。
「赤井さん、色々とありがとうございました」
 カイカンさんが言う。あたしは「こちらこそありがとうございました」と返し、少し気になってたことを尋ねてみる。殺された社長さんのダイイング・メッセージ、カイカンさんの推理はすごかったし十分納得できたけど一つだけ腑に落ちないことがあったから。それは、あんな複雑なメッセージをとっさに考え付けるのかってこと。
 質問するとカイカンさんに代わってムーンさんが教えてくれた。
「その後の調査でわかったのですが、あの地デジの暗号は名越社長が中学生の時の文化祭で考えたものだったそうです。パソコン部の仲間と一緒に作ったミステリーゲームのネタでした」
「じゃあ亡くなる寸前に中学時代の思い出が浮かんだってことですか?」
「そうですね」
 今度はカイカンさんが答える。
「名越社長にとっては一生の思い出だったのかもしれません。つまり赤井さん、今君はとても大切な時代を生きているということですよ」
 そう言われてもなかなかピンとこない。多くの大人が青春時代の素晴らしさやかけがえのなさをこれみよがしに語るけど…その渦中にいるはずのあたしにはまだよくわかんない。
 あたしが黙っているのを見て、ムーンさんが赤いボディのボールペンを手渡してくれた。あの文房具店でもらったやつだ。
「犯人に襲われた路地に落ちていました。一応綺麗に消毒しておきました。これが落ちていたから私は赤井さんが近くにいるとわかったんです」
 そっか、あたしこれで犯人の手を刺したんだっけ。受け取りながらあたしはまた「ありがとうございます」と返す。続いてカイカンさんが言った。
「その髪も似合ってると思いますよ」
「そ、そうですか」
 ちょっと照れながら答える。前髪がおでこに触れてくすぐったい。そう、あの後あたしは髪の毛の色を黒く戻した。別にチャビンとかママのためってわけじゃないけど…まあ大人もそんなに嫌じゃないかなって思えたから。的外れも多いけど、自分たちの都合じゃなくてあたしのために叱ってくれてるって思えたから。
「やっぱり、髪を赤くするなんて間違ってましたか?」
 あえて尋ねてみる。カイカンさんは最初に会った時みたいにゆっくり首を振った。
「そんなことありません。髪を染めようと思い立ってすぐコンビニに駆け込んだから、君はオフィスを飛び出して追ってきた犯人に会わずにすみました。その後もその髪のおかげでしばらく犯人に見つからずにすんだわけです。赤い髪は何度も君を助けてくれましたよ」
 そっか…そうだよね。髪を赤くしてから嫌なことばっかりって思ってたけど、赤い髪のおかげで命が守られてたんだもんね、あたし。
「わかりました。でもしばらくはまたみんなとおんなじ黒い髪で頑張ってみます。カイカンさんみたいに好きな格好をしても堂々といられるようになるには、あたしはまだまだ修行が足りませんから」
 そう答えると、ムーンさんが「言われてますよ、警部」と悪戯っぽく微笑む。そんな顔もやっぱり綺麗。
「それまではこれがあたしのパチンの証明です」
 そう言って赤いボールペンを胸ポケットにしまう。
「そう、重要なのは髪の色ではありません。ちゃんとパチンがきたということです。きっとこれからもっと大きなパチンもきますよ。とびっきりのパチンが」
 言い終えるとカイカンさんは懐かしそうに空を仰いだ。12月の夕焼けは弱く、儚く、それでいて美しいとあたしは思った。

 二人が帰ってからもあたしはしばらく秘密基地でぼんやり過ごした。高校のこと、将来のこと、人生のこと…まだまだ考えなくちゃいけないことはいっぱいある。決めなくちゃいけないことはいっぱいある。
 そう、あたしはドーナツ。真ん中がぽっかり空いた存在。でも多くの大人たちがそのドーナツの時代を宝物のように言う。まだよくわかんないけど、ドーナツの穴にどんな物を詰めていくかは焦らず考えよう。うん、ゆっくり考えていこう。
 弱い風が吹く。また古い木の香りがした。

 そろそろ肌寒くなってきたのであたしは帰路に着く。横を通ると旧体育館の中からスパーンスパーンっていう前にも聞いたあの音。ちょっと気になって開いた窓から覗くと弓を構えた人がいる。たった一人で弓道部の自主練かな? 顔を見ると隣のクラスの男子。あんまり話したことはない。もう3年生は引退してるはずだけど…。
 彼は真剣な眼差しで大きなドーナツみたいな的を見つめてる。スパーン、とまた放たれる矢。彼は弓を下ろすとタオルで額の汗を拭った。そして的の中心を射止めた矢を見て嬉しそうに微笑む。
 それを見た瞬間、あたしの胸の奥にこの前よりもっともっと大きなあれがきた。

 …パチン!!

おしまい