第五章 赤い疑惑、赤い衝撃!

●ムーン

 パチン、と先ほどより大きく警部の指の音が響いた。
「アイウエオ…もしかしたら」
 催眠術から醒めたように動き出す変人上司。店内は下校中の生徒たちで賑わってきていた。
「警部、何かわかったんですか? 赤井さんはもう帰っちゃいましたよ」
「そうかい。それよりムーン、ダイイング・メッセージの謎が解けるかもしれない。現場に戻るぞ」
 二人で文房具店を出ようとしたところで、息を切らせた中年男性が駆け込んできた。
「あの、すいません」
 応対した店長に彼は赤井このみが通っている中学校の教員だと名乗った。店長が青島の母親に連絡した時、このみの学校にも電話して謝罪を入れていたらしい。
「生活指導の南波と申します。赤井は…」
「もうお帰りになりました。あの、本当に申し訳ございません、おたくの生徒さんを疑ってしまって」
 頭を下げる店長に教師はかぶりを振った。
「とんでもない、うちの生徒が授業を抜け出して校外にいたのは私共の責任です。こちらこそご迷惑をおかけしました」
 そこで南波は警部と私の存在に気付く。店長から警察の人たちだと教えられると、彼はとても驚いたような反応を見せた。
「あ、でもご安心ください。私たちはたまたまボランティアで協力しただけですから」
 警部は簡単にそう説明すると、「では急ぎますので」と店を出た。私も一礼してそれに従う。後ろでは南波が必死にこのみの行き先を尋ねていたが、店長がそれを知るはずもなかった。

 『セブンファイブフォー』のオフィス。大きな窓から注ぐ日差しはもう弱く、夜がそこまで近寄っていた。警部は昆布をくわえたまま室内を歩き回り、血文字の前で立ち止まり、そしてまた歩き回るという動作をくり返している。
 床には被害者の体を表した人型の白線、その人型が伸ばした右腕、その手の先にある血文字、辺りに散乱したペン・マジック・書類…。文房具店で何かひらめいた様子だったが、アイウエオの意味が警部にはわかったのだろうか?
 また立ち止まってしばらく床を見つめていた警部は今度は大画面テレビに視線を注ぐ。そしてゆっくり右手の人差し指を立て、こちらを見ずに言った。
「ムーン…このオフィスで見つけてほしい書類がある」
 警部が探すように指示したのはおおよそ事件とは関係なさそうな代物であった…が、こんな時はとにかく従うしかない。それが事件改名への最短ルートだとこれまでの経験で十分承知している。私はさっそく取り掛かった。
 私が引き出しを引っ掻き回すのと同時に、警部も床に散らばった書類や壁に貼られた書類をチェックしている。そこでどうしても気になったので私は手を動かしながら尋ねた。
「警部、ダイイング・メッセージがわかったんですか?」
「一つの解釈はできた。でも疑問もある。犯人はどうして血文字を消していかなかったのか。アイウエオの意味がわからなかったとしても、被害者が書き残した文字をそのままにしていくなんて」
 変人上司は口先で昆布を揺らしながら話す。
「それに遺体が発見された時、入り口のドアが施錠されていなかったのも疑問だ。犯人が泥棒なら合鍵を持っていたはず。どうして鍵を掛けずに出て行ったのか」
 確かに犯人の心理から考えれば、血文字は消し、遺体発見を遅らせるために入口の鍵も掛けるのが自然だ。
「それだけ気が動転していたということでしょうか」
「かもしれない。でも金庫のお金はしっかり持ち去ってるんだ。その余裕があるんなら、血文字を消したり鍵を掛けたりだってできたはずだよ。ねえムーン、私には犯人が何らかの事情で急いで立ち去ったように感じるんだ。
 犯人はとても急いでいた…慌てていた? だとしたら何故? 急ぎの用事があった? 約束があった? それとも誰かに現場を目撃された…?」
 自分で言ってからはっとしたように窓を振り返る警部。そのまま足早に歩み寄ると珍しく「まさか」と口走った。私もそちらを見ると、通行人が何人か歩いているのが見える。
「…ムーン、この窓はマジックミラーだったね」
「はい、外から室内は見えません」
「でももし犯人がそれを知らなかったとしたら? 人を殺害した直後の犯人が、通りからこちらを見つめる人間に気付いたとしたら?
 …自分の犯行が目撃されたと勘違いしたかもしれない。だとしたら犯人は目撃者の口を封じるために急いでオフィスを飛び出したっておかしくない。だから血文字は放置され、入り口の鍵も掛かっていなかったんだ」
 警部の推理力が並外れているのは知っている。しかしいくらなんでもそこまで具体的に絞り込めるはずがない。
「何か心当たりがあるんですね?」
「ムーン、昨日行った中学校はこの近くだよね。となるとこの窓の前の通りも生徒たちの通学路なんじゃないか?」
 どんどん早口になる警部。私は窓の外を見ながら「そうだと思います」と答える。
「赤井さんが言ってたんだ、彼女が髪の毛を赤くしようと思ったきっかけはビルの窓に映った自分の姿があまりにちっぽけだったからだって。窓に映った自分に話し掛けてるうちに、そう思い立ったんだって。もし彼女が話し掛けたのがこの窓だとしたら、中にいた犯人からは自分を目撃して何かを言ってるように見えたかもしれない」
 恐ろしい想像が現実味を帯びてくる。書類を持つ指先が震え、背中を冷たい汗が一筋流れた。もしそうだとしたら…。
「警部、赤井さんが髪を染めようと思ったその日はいつなんですか?」
「先週の金曜日だ。その日は進路面談で帰る時はもう日が暮れていたって言ってた」
金曜日の夜…それは被害者が居酒屋からここに戻った時刻、まさに反抗推定時刻だ! 疑惑が衝撃に変わった瞬間、視線を手元に戻した私の目は目当ての書類を発見する。
「ムーン!」「警部!」
 二人同時に叫んで言葉が重なる。私は飛び掛かる勢いで警部の前へ。
「ありました、探しておられた書類です。これで役に立ちますか?」
 手渡すと、警部は「OKだ、よし!」と意気込んだ。
「じゃあ君は急いで赤井さんを保護してくれ。もしかしたら犯人が今も彼女を狙っているかもしれない」
「わかりました、警部はどうされます?」
「私はこの書類を手掛かりに捜査して犯人を特定する。君が彼女を保護するか、私が犯人を確保するか、どちらかが成功すれば大丈夫だ」
 警部がくわえていた昆布を飲みこんだ。了解を伝え、私は全速力でビルから踊り出るとそのまま愛車に飛び乗った。午後6時を回り、辺りは夜に包まれている。こんなことなら彼女の携帯電話の番号を聞いておけばよかった。いや待て、落ち着け、学校に訊けば彼女の住所や保護者の連絡先がわかる。親なら彼女の番号を知っているはずだ。もし帰宅していなければ親から連絡を取ってもらえばいい。
 中学校の電話番号は…昨日職員室を訪ねた時に教頭からもらった名刺が役に立つ。私はイグニッションキーを回すより前にまずそこに記された番号にコールした。
 プ、プ、プ、プ…。
 気が急く。焦るな、焦るな、大丈夫だ!
 トルル、トルル、トルル…。
 警部は言った、どちらかが成功すれば大丈夫だと。それはつまり…どちらも失敗すればアウトということ。

 …成功させねば!

●赤井このみ

 またママからの電話が鳴ってるよ。しつこいなあ、どうせ早く帰ってこいとか言うんでしょ。そんでもって髪の色を戻せってお説教をするんでしょ。そんなのもううんざり。
 あたしは着信を無視しながら街をぶらついた…コンビニとか、本屋さんとか、小物ショップとか。でももう日も暮れたしどうしようかな。帰りたくないけど、帰るしかないか。
 公園のベンチであたしはすみれからのショートメールを読み返す。一時間くらい前に届いたメール。
『反乱軍のリーダーこのみ様、人生初のサボタージュはどうでした? 数学の授業でこのみがいなかったからチャビンがどうしたんだって何度もみんなに尋ねてたよ。うちも何回も訊かれたけど誤魔化しちゃった。
 そしたらさっき街でもチャビンに会って、このみのこと探し回ってるみたいだったよ。愛されてるねえ(笑)。そんな感じかな。まあ反乱もほどほどにね。じゃあまた明日~!』
 …チャビンが探し回ってるって、こりゃ相当怒ってるな。いいじゃん一回くらい授業さぼったってさ。もしかしてチャビンからママに連絡行ってるのかも。だからこんなに何回もママが電話掛けてくるのかも。きっと、きっとそうだ! 帰ったらママから大目玉だ!
 疑惑が衝撃に変わったあたしは腰を上げるとスマホの電源を切る。もうちょっとだけ、もうちょっとだけだからぶらぶらして帰ろう。

●犯人

 見つけた、見つけたぞ!
 あの赤い髪…間違いねえ、あいつだ。講演からとぼとぼ出てきやがった。
 あの夜、あのオフィスで社長を殺した時にあいつは窓の外から俺を見ていた。見ながらぶつぶつ何か言ってた。今のところそのことを警察には言ってねえようだが、いつそうするかわかったもんじゃねえ。その前にどうにかしねえと。
 幸い警察はまだ俺には目を付けてねえようだ。あの美人の女刑事も、俺を見ても何も知らねえ様子だった。今なら逃げ切れる、逮捕されずにすむ。そのためには目撃者を確実に黙らせねえと。

 落ち着け、ゆっくり後をつけるんだ。
 ここはまだ人通りがある。あいつが路地に入ったところでカタを付けてやる。
 よし、そのまま歩け。街にはのん気なクリスマスソングが流れてやがるがまあいい。そう、赤鼻のトナカイと同じさ。
 暗い夜道でもそのふざけた髪の毛が俺の目印になってくれるからな。

 あいつが路地に入る。
 …よし、今だ!

★読者への挑戦状
 さあ、このみちゃんに犯人の魔の手が迫っていますが、ここでちょっとシンキングタイム。はたして被害者の名越社長が残したダイイング・メッセージの意味は?
 ぜひ中学生が楽しむ推理クイズの要領で暗号を解読してみてください。