第四章 消しゴム万引き事件?

●赤井このみ

 もうほんとに最悪、最悪、最悪! なんでこんなことになっちゃうのよ? あたしが万引きなんかするわけないのに、店長さんはあたしを犯人だって決め付けてる。せっかく人生初のサボタージュを決行してのんびりショッピングと思ったのに。
「正直に謝れば今回は許してあげてもいいんだよ」
 店長さんがまたおんなじことを言う。
「ですから、あたしは盗んでないんです。ちゃんと調べてもらえばわかります」
「じゃあ持ち物をチェックしようか? その征服のポケットの中も」
「嫌です、そんなの痴漢です」
 店長さんは呆れたように顔をそむけて頭をかく。あたしの隣で男の子は不安そうに視線を泳がせてる。壁の時計は午後2時…こんなんだったらチャビンの授業を受けてた方がましだったな。店内にまた気まずい沈黙が流れる。
 いったいどうなっちゃうんだろ、あたし。まさかほんとにこのまま犯人にされちゃうなんてことはないよね? 学校とか家にも連絡されちゃうのかな、そうしたらチャビンとかママにまたガミガミ言われるなあ。何なのよ、髪の毛を赤くしてからろくなことがないじゃん!
 思わず溜め息…を吐きかけた瞬間、入り口からあの低い声が入ってきた。
「どうもお待たせしました」

●ムーン

 警部に続いて私もその文房具店に入る。変人上司の風貌に店長は明らかな困惑と疑惑を向けていたので、いつものように私が警察手帳を示して身分を説明する。レジの所には電話してきた赤井このみ、そして彼女より少し幼い少年がいた。彼女が征服姿なのに対して少年は私服姿。
「警視庁の刑事さんですか…僕としてはあまり大袈裟にしたくはなかったんですがね。この子が知り合いの警察に相談するなんて言うもんですから」
 店長がそう言うと、このみは真剣な眼差しで一歩前に出た。
「急に電話しちゃってごめんなさいカイカンさん、それに…ムーンさん。でも他に方法が浮かばなくて、どうしていいかわかんなくて、ほんとにごめんなさい。でもあたし、ほんとに万引きなんかしてないんです」
 そう、彼女が私たちにSOSしたのはその濡れ衣についてだ。「警視庁のカイカンさんかムーンさんをお願いします」なんて110番があった時にはちょっと驚いたが、まあそんな無鉄砲さはいかにも中学生らしい。私たちのような名前の警察官が他にいるはずないのであっさりミットに連絡がつき、ここに来るに至ったわけである。もちろん本来であれば捜査一課の仕事ではないのだが…。
「いえいえ構いませんよ赤井さん、これも何かの縁ですから。ではではみなさん、詳しく事情をお伺いしてよろしいですか?」
 まあ上司もこう言っているのでよしとしよう。

 警部は相手を労りながら話を引き出すいつもの手並みで手際よく情報を集めていった。それをまとめるとおおよそこんな感じだ。
 この店は主に登下校中の小中学生をターゲットにした個人経営の文房具店。50代の店長が一人で切り盛りしており、八畳ほどの店内は棚などでいくつか死角はあるものの防犯カメラは設置されていない。店長は入り口横のレジにいて、時々店内を回っては商品の整理や掃除をしている。朝と放課後は生徒たちで賑わうが、昼間は近所のお年寄りがたまに来店する程度。まあコンビニが台頭する昨今ではこのような店を維持するのは大変なことだろう。
 それが本日午後1時過ぎ、珍しく若いお客が二名もいる状況で万引きが発覚した。客の一人が赤井このみ、そしてもう一人が彼女の隣でずっとおどおどしている青島という少年。このみとは別の中学校に通う1年生で、彼の中学は本日は開校記念日で休みだったらしい。
「正午に店内を見回った時は確かにその消しゴムはあったんです。その後でこの子たちが来店して、1時過ぎにもう一度見回ったらなくなってました。そのタイミングで女の子が店を出ようとしていたんで呼び止めました。その時間他にお客さんはいませんでしたから、彼女を疑うのも当然でしょう」
 店長はこのみを厳しい目で見ながらそう主張した。彼女は「そのタイミングって…たまたま別のお店に行こうと思って出ただけですよ」と反論する。
「そうかねえ、だいたい昼間から中学生が街をうろついてる時点でおかしいじゃないか。授業さぼって…そんな頭して…それじゃ疑われても仕方ないよ」
「この髪の何がいけないんですか!」
「まあまあ赤井さん、落ち着いて。店長さんも決めつけはよくないですよ」
 警部が仲裁、そしてずっと黙っている少年に視線を向けた。
「青島くん、その時君はどうしてたの?」
 少年はしばらく黙って考えてから、怯えた目で「まだ店にいました。ノートとか見てました」と答えた。私服姿のせいもあるが、小柄なため小学生にも見えそうな少年だ。警部は「そうですか」とだけ返し、また店長に向き直る。
「しかし店長さん、小さなお店とはいえそれなりに商品は並んでいますよね。正午に確認したとおっしゃいましたが…そんな正確に個数まで記憶できるものでしょうか」
「なくなったかどうかくらいわかりますよ」
 小さなお店という表現が癇に障ったのか、店長はむっとした様子で説明する。
「盗まれた消しゴムは人気商品でしてね、最近も何度か万引き被害に遭ったんです。だから特に注意していたんですよ。ほら、こっちです」
 彼はレジからは死角になるその棚に警部と私を案内した。
「ほら見てくださいよ、1個なくなってるのは一目瞭然でしょう」
 消しゴムは板チョコのように縦3列で横長に並べられていた。示された箇所を見ると、確かに右上の角の部分だけ消しゴムがない、それこそちょうど板チョコをそこだけ食べたような感じだ。
「刑事さんの言うように、確かに個数まで憶えていたわけじゃありません。でもきっちり縦3個で並べてるんです。正午に見た時には間違いなく1個も欠けていませんでした。でも今は見てください、一番右の列だけ2個しかないじゃないですか」
「ナルホド」
 警部は大袈裟に頷いて棚を見つめる。私も警部の肩越しに消しゴムを数えた…縦3列に横7列、右上の1個が欠けて計20個。店内も明るいので見間違うとは考え難い。
「どこかに落ちているとかはないのでしょうか?」
 黙っている上司に代わって私が尋ねた。店長は「もちろん周辺の床も探しましたよ」と返す。消しゴムは棚の上にしっかり置いてあるので客の身体が当たって偶然落ちる可能性も低そうだ。私はレジの方を見る。少年少女はお互いに言葉を交わすこともなく、答案の返却を待っているような緊張を浮かべてこちらをじっと見ていた。レジは入り口のすぐ横だ、あそこに店長がいたのなら客の出入りを見逃すはずはない。消しゴムが消えた時、店内にいたのはあの二人と考えるしかない。視線を戻すと、変人上司は棚を見つめたまま右手の人差し指にまた前髪をクルクル巻き付けている。店長はしばらく黙ってそれを見ていたが、やがて不機嫌そうに口を開いた。
「どうです? わざわざ来てもらって恐縮ですが、結論はもう出てるんですよ。男の子の方はボディチェックさせてくれましたけど、消しゴムなんて持っていませんでした。となるともうあの女の子しかいないでしょう。僕だって子供を疑いたくはないですが、けっして根拠もなく言ってるわけじゃないんですよ」
 警部は何も返さない。店長は私を見た。
「そうだ、じゃあ女刑事さんにあの子のボディチェックをしてもらいましょうか。それではっきりしますよ」
「そう…ですかね」
 どう答えたものかわからず曖昧に返事をした。その瞬間、パチンという軽快な音が店内に響く。警部が立てていた指を鳴らしたのだ。
「その必要はありませんよ、店長さん」
 よく通る声が告げる。
「消しゴムの消息はわかりましたから」

 警部は少年少女も棚の所に呼び、相変わらずの得意げ口調で語りを始めた。
「よろしいですかみなさん、現在赤井さんに疑惑が向けられている消しゴム万引き事件について説明します」
 全てを見通し田天才はまた右手の人差し指を立てる。
「正午に店長さんが見回った時には、消しゴムは縦3列でぴっちり並んでいた。しかしそれが1時過ぎに確認すると右上の1個が欠けていた。その間に店内にいたお客は赤井さんと青島くんだけ。青島くんはすでに店長さんのボディチェックを受けて何も持っていないことは証明されています。
 …確かに赤井さんが万引きしたように見える状況ではありますね」
「あたしはしてません」
 彼女が胸の前で拳を握ってそう言うと、警部は優しく「大丈夫」と返した。
「わかってます、赤井さんは万引き犯ではありません。いえ、そもそも万引き事件なんてなかったんですよ」
「それはどういうことですか? 現に1個なくなってるじゃないですか」
 と、訝しげな店長。警部は棚の上に並んだ消しゴムを指差す。
「あなたはおっしゃいました、消しゴムの並んだ形を見て1個欠けていることがわかったんだと。個数まで憶えていたわけではないと」
「同じことじゃありませんか」
「いいえ違います。これは必ずしも1個なくなっている形とは限らないんです。そう、2個増えている形なんですよ」
「えっ」
 私も含めその場にいた全員が小さく声を漏らした。消しゴムがなくなった謎に頭を抱えていたところに、全く逆の答えが示されたのだ。警部は解説する、1個減ったのではなく2個増えた、つまりもともと縦3列横6列で並んでいたところに消しゴム2個が追加され、あたかも縦3列横7列から1個なくなったように見えたのだと。
「フフフ、店長さんが勘違いするのも無理はありません。横6列と7列の違いなんて普通気付きませんし、それよりもぴっちり並んでいたのが1個欠けた形に変わったことの方に意識は向いてしまいますからね。それに、商品を盗むお客はいても補充するお客なんて普通はいませんから。
 つまりこの事件、消しゴムは持ち去られたのではなく持ち込まれたということです。最近この消しゴムが何度か万引き被害に遭ったということでしたね。となればおそらく、以前盗まれた消しゴムがこっそり戻されたのでしょう」
 唖然とする店長を尻目に、警部は少年の前にゆっくり進み出る。
「消しゴムを戻したのは君ではありませんか、青島くん」
 少年の瞳が大きく揺れた。確かに警部の推理どおりだとすると、このみがそれをやったとは考え難い。学校をさぼって制服姿で店に来れば目立つし、彼女は自分で警察まで呼んでいるのだ。
「…ごめんなさい」
 少年は泣きそうな顔でそう言うと歯を食いしばって頭を下げた。店長が詰め寄る。
「それじゃあこれまで万引きしたのも君だったのか」
「いいえ、それは違います」
 警部が厳しい声で制した。
「同じ商品を二つも万引きしないでしょう。しかも青島くんはわざわざ開校記念日に消しゴムを店に返そうとしました。同級生に疑いがかからないようにするためです。すぐに帰らなかったのも、赤井さんに疑いがかからないか確認したかったからではないでしょうか。
 ね、青島くん。君が本当に悪い子なら、例え盗んだ消しゴムが邪魔になったとしてもどこかに捨ててしまったはず。君はおそらく誰かに頼まれた…いや命令されたんじゃないのかな?」
 少年は両手で顔を覆うとその場にしゃがみ込んだ。指の間から儚い嗚咽が漏れてくる。店長も自らの過ちを察したように唇を噛んだ。そしてこのみは…濡れ衣のことなど忘れたかのように、少年の肩にそっと手を置いた。そして自らも中腰になって彼に顔を寄せる。
「ほら、もういいから全部話して」
 私たち大人はメンバーズカードをなくしてしまった子供の世界…そこだけに存在する言語を告げるように彼女は囁く。すると彼もまた、それが魔法の呪文であったかのように頷いて顔を覆った手をどける。二人は小さく言葉を交わすと一緒に立ち、異世界の住人である私たちに向き直った。
「本当に…ごめんなさい」
 深々と頭を下げる少年。その隣で彼女も一礼した。
「青島くん、悪いグループに脅されたそうです。その人たちが盗んだ消しゴムを無理矢理押し付けられて、お前が処分しろ、できないんならお前が店に戻してこいって…。お願いです、逮捕とかそういうのは許してあげてください。あたしは何も気にしてませんから」
「…了解です」
 微笑む警部。続いて店長も深々と頭を下げた。
「疑って申し訳なかった。許してください」
 子供たちはほっとしたように頷き合う。
「誰も悪くない…ということでいいよね、ムーン?」
 振り返って尋ねる上司に私は「そうですね」と返した。難解な殺人事件をいくつも解決してきたこの人にとって、こんな謎解きは天才外科医にとっての虫垂炎手術よりも簡単で取るに足らないものだったに違いない。でもきっとこの子たちにとっては、明日が変わるくらい重要な出来事だっただろう。
「ありがとうございました、カイカンさん、ムーンさん」
 少しだけ可愛く首を傾けると、このみはそう言って淡く微笑んだ。

 その後、店長からの連絡で少年の母親が姿を見せる。詳しく事情を聞いた母親は少年を潰れるほど強く抱きしめ、一緒に寄り添って帰って言った。そんな姿をこのみはどこかうらやましそうに見つめていた。少年に事後処理を強要した本当の万引き犯グループについては、母親から学校に相談して対処してくれるという。

●赤井このみ

 あっという間に解決した消しゴム万引き事件。マジすごかった、超能力みたいだった。ほんとに謎が解けるんだ、刑事さんって。まるで…そう、あれだよ、すみれがいつも言ってる…名探偵! そっか、カイカンさんは名探偵なんだ。
 あたしは興奮でドキドキしながら店内を歩く。別にいいって言ったのに、店長さんがどうしてもお詫びのしるしに何か一つプレゼントするって言うからそれを選ぶために。カイカンさんも「せっかくですからもらっておきましょう」って言ってくれたし。う~ん、どれにしよっかな。やっぱあんまり高いのはよくないよね。そんなことより青島くん…ちゃんといじめグループに立ち向かわなきゃダメだよ。負けないでほしいな。
「戦利品は決まりましたか?」
 すぐ後ろから声がした。見るとカイカンさん。その隣のムーンさんは室内で見てもやっぱり綺麗。
「まだですけど、ボールペンにしようかと思って。ほら、このキラキラしてるのとかいいかも」
「フフフ、そうですね。私の頃にも色々なペンがありましたよ。注射器の形したやつとか、コーヒーメイカーのミニチュアがついてて触るとブクブク泡立つやつとか…ねえ、ムーン?」
「警部と私は世代が違いますので」
「ありゃ、そうだっけ」
 二人はそんなこと言って笑ってる。ほんとに不思議な人たちだな。ふと見ると店長さんがしょぼんとした感じでこっちを見てる。最初は疑われて頭にきたけど、なんだか今は申しわけない感じ。
「あの、カイカンさん、やっぱりこの赤い髪の毛がいけないんですかね。そのせいで疑われて、みんなに嫌な思いをさせたんですかね」
「どうでしょう、まあ確かに一般的なイメージとしてそういう髪の色をしている人は不良だったりチャラチャラしてたりするのかもしれませんね」
「…ですよね」
「でも赤井さん、君はそうではありません。それは君と話をすればわかることです。私もこれまで色々な人に出会ってきましたが、外見と内面の違う人なんて山ほどいましたよ。それにその髪、とても綺麗な色だと思いますよ」
 ムーンさんも頷く。
「そうですね、可愛いと思います。それに外見の問題なら警部がダントツでナンバーワンですよ。警察官なのにしょっちゅう職務質問受けてますから。私も一番最初に会った時、署内に新入した不審者かと思って取り押さえちゃいました」
「そうなんですか、ハハ」
 あたしが笑うとカイカンさんは「おいおいムーン、それを言っちゃあ」と慌てる。美人刑事さんは「失礼しました」とおすまし。ほんとに不思議な人たちだ。
 そんな会話をしながらあたしは一本の赤いペンを見つける。黒いボールペンの中に一本だけ混じった赤いボディのペン。でもインクは黒。なんだかあたしみたい。
「よし、これにしようかな」
 験し書き用に置いてあるメモ用紙に文字をしたためる。うん、書き心地もいい感じ。これに決めた!
「この赤いペンをもらうことにします」
 あたしがそう言って隣を見ると、カイカンさんがあたしの書いた文字を見て固まっている。ただ黙ってるんじゃなくて、石像になっちゃったみたいに右手の人差し指を立てたままピクリとも動かない。え、何? どうしちゃったの?
「あの、カイカンさ…」
「赤井さん、大丈夫だから」
 呼び掛けようとしたあたしをムーンさんが止める。そして唇にそっと人差し指を当てて沈黙を命じた。よくわかんないけど、これもカイカンさんには普通のことみたいだ。

 …何だろ、あたしはただ試し書きで『アイウエオ』って書いただけなのに。

 結局カイカンさんは固まったままだったので、あたしはムーンさんにお礼を言って店を出る。店長さんはボールペンをラッピングしてくれようとしたけど、悪い気がしたので断わった。シールだけ貼ってもらって商品を受け取る時、店長さんが最後にもう一度「本当にごめんね」と言ってきた。
「こちらこそご迷惑おかけしました。学校さぼってたのはほんとですし、今度はちゃんと放課後に来ますね」
 自然にそんな言葉が出る。
 さて、時刻は3時半。まだ家に帰るには早いし、これからどうしようかな。せっかくだからデパートとか行っちゃおうか。
 ボールペンを胸ポケットに挿すと、あたしは夕暮れに向かう街に踏み出した。