病院を飛び出した恩田玲子は夜更けの街にマイカーを走らせる。ただし家へ向かっているわけではない。彼女は東京湾に臨む小さな埠頭に車を停めた。辺りに人がいないことを確認してドアを開く。その手に握られているのは携帯電話…そう、土橋幸一の物。大門由香利が夏川久美を呼びに行っている間に遺体のポケットから抜き取った物だ。電源をオフにしてずっと服の中に隠していた。
もう一度周囲を見回してから、彼女はそれを渾身の力で漆黒の海へと放り投げる。遠くで水音がして、愛した男の所持品は夜よりも深い闇へと沈んでいった。
「フウ…」
安堵の息が漏れる。ぬるい潮風が髪をなぶった。そして彼女は思い出す…もう一つ削除せねばならない物が残っていることを。
「…どうしよう」
独り言で呟く。それは事務室のパソコンの中にあるデータ。今から病院に戻れば逆に警察に疑われてしまうかもしれない。波音の中でしばらく逡巡した結果、彼女はこのまま帰路につくことを選択した。
車に乗り込んでドアを閉める。大丈夫、いきなり警察が職員のパソコンを調べるはずがない。彼女はそう自分に言い聞かせるとイグニッションキーを回した。