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今日はお父さんと買い物に行きました。明日からの旅行に持っていくカバンを買ってもらいました。とてもうれしかったです。電車で帰る途中、僕はずっとカバンを抱っこしてました。
北雲駅に到着します。ホームにおりたらお父さんが今日はあったかいねと言いました。僕が明日電車はおくれないかなあと言ったら、お父さんはだいじょうぶと答えました。
二人でちゅうしゃ場まで歩きます。うちの赤い車はかくれていたけど僕が見つけました。僕が乗ったらお父さんはエアコンをつけてくれました。その後、前の窓や横の窓、後ろの窓をガンガンとかガリガリたたかれてちょっとこわかった。僕のほっぺに一すじのしずくが流れます。
家に帰る前、今日もお父さんはアキナーマートによってくれるかな。アイスクリームを買ってくれるかな。アキナーマートに着くまで20分くらいあるから、今のうちに書こうと思って日記を書いてます。
駅前の道路には車がたくさん走ってます。みんな急いでいるけど、一車線だからおいこせないね。
明日はひこうきとぶかなあ。一人で乗るのは初めてだからちょっとドキドキする。でも空港まではお父さんがいっしょだし、東京にはおばさんが待っててくれるから安心。気をつけて行ってくるね、お母さん。朝ねぼうしないように今日は早くねなくちゃね。
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間もなく午後3時。真夏の太陽はまだ傾く素振りを見せずに相変わらずの灼熱を窓から送り込んでくる。警部は窓に背を向けて立ち、ボロボロのハットのツバをエアコンになびかせていた。
「一体どういうことですか?私たちが勘違いをしているって」
改めて尋ねる。どう見ても子供の字で書かれたこのシンプルな日記を…誤読しているというのか?
警部は「いいかいムーン」といつもの得意気口調で右手の人差し指を立てる。
「この日記を書いた少年は…何も嘘はついていない。ちゃんとありのままを書いてるんだ。少年は間違いなく北雲駅がある町に暮らしている」
「でも…」
私が当然の疑問を口にする。確かに日記には北雲駅の名が記されていた。北海道に実在する駅名だ。しかし直接この地を訪れたビンさんが日記の記述と地理が一致しないと言っているのだ。
警部は「フフッ」と少し笑ってから答えた。
「確かにビンさんが見た駅前の道路は二車線、少年の日記では一車線。駅から五分のアキナーマートが少年の日記では二十分。でも場所は同じ北雲駅。…この矛盾は何なのか?」
「もしかして警部は私たちが場所を勘違いしているとおっしゃるんですか?ビンさんは別の北雲駅を訪ねていると?しかし北雲という駅名はそこしかないんですよ」
「いや、場所じゃない。私たちが勘違いしていたのは…季節だよ」
そこで警部は立てていた指をパチンと鳴らす。
「季節…?」
「そう、この日記に書かれているのは夏の情景じゃない…真冬なんだよ」
私はわけがわからなかった。日記から想像していたのは紛れもなく夏の北雲駅を歩く少年と父親の姿だったのだ。
「ま、待ってください。日記の日付は今年の7月9日なんですよ?」
「おそらくそれは1月9日だ。少年は字が汚い、7が1に見える書き癖があるんだよ」
急いでノートを開く。確かに…7ではなく1に見えないこともない。文章中には他に1も7も出てこないから気が付かなかった。
「しかし…これが1月だとして、何が変わるんですか?」
「全てが変わるさ。北海道で1月だよ?雪に閉ざされて…たとえ同じ町でも夏とは全くの別世界になる」
警部の語調が強まってくる。
「これで道路の謎も解ける。大雪が積もれば除雪が間に合わなくて夏は二車線の道が一車線になっているのは珍しくない」
「でも日記にはどこにも雪が積もっているなんて書いてませんよ」
「そりゃそうさ。毎日積もってるんだから、そんな当たり前のこといちいち書かないさ。これでアキナーマートへの所要時間の謎も解けるね。親子が電車で出掛けている間に、車の上には雪が降った。となると少年が車に乗ってもすぐに出発はできない。まず父親は車に積もった雪を下ろし、窓の雪を剥がさなくてはいけないからね。二十分くらいかかるさ」
私は警部が指摘する日記の箇所を読み返した。確かにそう言われると…そんなふうにも読めてくる。
「では警部、ガンガンガリガリと窓を叩いているのは…」
「父親だよ。窓に凍り付いた雪を落としていたんだろうね。父親はまず少年を車に乗せ、エアコンをつけてあげてから自分はまた外に出てその作業をしたんだ。まあ激しい音だから少年はちょっと怖かったみたいだけど。あ、エアコンというのは当然暖房のことね」
「しかし…」
まだ納得には程遠い。おいそれと受け入れるわけにはいかない。私は日記を最初から読み返す。何か、何かないか。…そうだ!
「警部、父親は少年に今日は暖かいと言ってますよ。真冬だとしたらこのセリフはおかしくないですか?」
「そんなことはないよ」
そう言って警部はコートのポケットから新たな昆布を取り出す。
「確かに言葉だけ聞くと違和感があるかもしれない。でもそこは冬の北海道、毎日寒いのが当然の世界。マイナス5度の日々が続いていたら、0度の気温でも今日は暖かいなんて言ったりするのさ。
…さっき見たアニメでもそうだっただろう?肌寒いような気温でも、ワインセラーの温度としては高かった。だからソムリエは暖か過ぎると言ったんだ」
そうか、そこで警部はひらめいたのか。悔しいなあ…私だって何度も何度もこの日記を読んだのに、季節が冬だなんて考えもしなかった。
「では警部、少年が電車が遅れないかなとか、飛行機が飛ぶかなと心配しているのも…」
「そう、雪の影響を心配してたんだ」
そう言って昆布を口にくわえる警部。この全てを見通せた気になっている天才に、私はせめて一矢報いたかった。十分尊敬はしているが…完全試合にはさせたくない。そこで少し意地悪な質問をしてみる。
「警部は先ほど車の上にも雪が積もっていた、だから出発まで時間がかかったとおっしゃいましたが…」
「それが?」
「確かに北海道は豪雪です。冬の間は解けずにずっと根雪になっている町も多いです。でも、毎日雪が降ってくるわけではありません。この日記の日に雪が降ったとは断定できないのではありませんか?」
屁理屈だが間違ってはいないはずだ。しかし警部は平然と答えてみせる。
「ナルホド。でもね、この日は降っていたと思うよ。駐車場の赤い車がちょっと隠れていた、と書いてあるのは雪が積もって隠れていたということだろう」
「他の車の陰に隠れていた、とも解釈できますよ?」
「フフフ…、ではとっておきを説明しよう。こういうくだりがあったね、少年の頬に一筋の雫が流れた…と。最初は窓をガンガン叩かれた恐怖で涙が出たのかと思ったけど、叩いていたのが父親ならそこまで怖がるはずはないよね」
そこで警部はくわえていた昆布をタバコのように指に挟んだ。
「確かにどうして泣いたのかよくわかりませんが…」
「そもそも少年は泣いたのかな?これが文学作品なら涙を流すことを『頬に雫が流れる』と表現するかもしれない。でもこれは子供の日記、そんな技巧を凝らすとは思えない」
「では…」
「そのまま解釈すればいい。本当に雫が頬を流れたんだ。ではその雫とは一体何か?」
まさか…。警部は再び昆布をくわえてから言った。
「それは頭の上に積もった雪が車内の暖房で解けて流れ落ちた…ってことじゃないかな。駅を出て駐車場まで歩いている間に少年の頭には雪が積もった。ということは…」
「その日は雪が降っていた、ということですね」
私が言うと、警部は「そういうこと」と昆布を呑み込んだ。そして満足そうな顔をする…悔しいなあ、悔しいけど納得。また完敗だ。
「お見事です、警部」
一礼する私。変人上司はソファに腰を沈めてから続けた。
「フフフ、最初から少し不思議ではあったんだよ。日記が7月9日ならその翌日は7月10日。こんな平日にどうして少年は旅行になんか行くんだろうって。でもこれが1月10日なら納得だ。北海道は夏休が短い分冬休みが長いからね、まだ休み中ってわけだ」
「さっそく航空会社に1月10日の乗客名簿を調べてもらいます」
「よろしく!」
受話器を手に取った私に警部はそう言って微笑む。もちろんそんなはずはないのだが、ノートに挟まれた写真の彼女も…少し笑ったように見えた。
2
ビンゴだった。1月10日の午前中に一人で新千歳-羽田間を渡航した10歳の少年がおり、乗客名簿からその身元がわかったのだ。警部の推理どおり、少年は北雲駅がある町で暮らしていた。その住所を北海道にいるビンさんに伝える。家を訪ねて写真のコピーを見せたところ、少年は飛び上がって喜んだという。そして仕事から戻った父親から事情を聞くこともできた。
写真の女性はやはり少年の母親だった。ただしその姿は少年を身ごもるよりもずっとずっと前の青春時代のもので、撮影したのは後に夫となる恋人…つまり少年の父親だ。彼女は少年が物心つく前にこの世を去った。写真が苦手で結婚式も挙げなかった二人にとってあの写真は唯一彼女のありし日の姿を残すものだったのだ。
少年は父親から託されたその写真を肌身離さず持っていた。日課の日記帳に挟み、どこへ行くにも持ち歩いた。そう、あの写真を見ながら少年は日記の中でお母さんと呼びかけていたのだ。空港の待合室にノートを忘れたことに気付いた時、少年はすぐに空港に問い合わせた。しかし運悪くソファと壁の間に落ち込んでしまったそれは発見されることはなく、少年は傷心で北海道へ帰るしかなかった。
そしてノートは誰にも知られることなくこの半年間ずっとそこにあったのだ。先月の模様替えでソファを動かした時にようやく発見されるまで。半年も前の問い合わせを空港事務局が記憶しているはずもなく、当然少年が改めて問い合わせることもなかったため、それは落とし主不詳で警視庁へ送られた。しかしそこで運良く警部という名探偵の手に渡ったのである。
北海道の夏休はもうすぐ終わる。ビンさんはノートを自宅へ送ろうかと提案したが、少年はどうしても自分で取りに行くと言ってきかなかった。この半年間元気のなかった息子のわがままな情熱にほだされ、父親は二度目の一人旅の許可を出したのである。ビンさんからそんな報告を受けながら、私は改めて写真の彼女を見た。
やっぱり…お母さんだったんだね。
日記を声に出して読んだ時、どこか懐かしい感じがした理由がようやくわかった。そういえば小学生の頃、日記は書くだけでなく母親に読み上げるのも宿題のうちだった。忙しそうに台所に立つ母親の後ろで、私も得意げに日記を読んでいたな。
…今夜あたり、久しぶりに電話してみようかな。