エピローグ

少年が警視庁を訪れたのはその三日後だった。半袖シャツにハーフパンツ、ファイターズの野球帽…とまるで昆虫採集にでもいくかのような格好で少年はこの部屋に飛び込んできた。そしてビンさんから念願のノートと写真を受け取り、「本当にありがとう!」と屈託のない笑顔を見せた。
それを見て、あきらめなくてよかったと私は思う。普段血生臭い仕事ばかりだからたまにはこんなのもいいじゃないか…と。
「本当に…嬉しそうですね」
ビンさんの机を借りて半年ぶりに日記の続きを書く姿を見ながら、私が警部に言った。相変わらずのコートにハットで警部も「そうだね」と微笑む。
「警部のおかげですよ」
「いやいや。あのノートが目に留まったビンさんと、気にかけてくれた君のおかげさ」
そう言う警部の左目はまっすぐに少年を見つめている。長い前髪に隠された右目の視線の先はわからない。この人にも…ずっと前に置き忘れてきた物があるのだろうか。そしてもしかしたらいつか誰かが届けに来てくれるかもしれないと…淡い願いを捨てきれずにいたりするのだろうか。きっと、私も含め多くの人間がそうであるように。

少年は夢中でペンを走らせている。それは母親への想い。
…と、そこでペンが止まった。警部の視線に気が付いたのか、少年もまっすぐに警部を見つめている。そして曇りのない声で言った。
「おじさん…変な髪型」
「何を!君こそもっと綺麗に字を書く練習をしろ!」
そう言って警部が少年に歩み寄ると、彼はアッカンベーをして駆け出した。狭い室内に愚かな追いかけっこが始まる。それを見ながらビンさんはただただ笑っていた。

 その後、おみやげのバターケーキを一緒に頂く。食べ終わると少年は父親に買ってもらった鞄にノートと母親の写真をしっかりとしまう。
「では、本当にありがとうございました」
最後だけ敬語でそう言って少年は頭を下げた。警部も「じゃあ元気でね」と手を振る。
…くれぐれもこんな大人になっちゃダメよ。

警視庁の出口まで見送った私にもう一度お礼を言い、彼は東京の熱いアスファルトの上を駆けていく。夏の日の少年は、眩い陽光の中へ消えていった。

-了-