2024年2月中旬の二週間、昨年夏に続いてNHK札幌放送局の取材を受けた。前回は『おはよう北海道』というニュース番組のワンコーナーだったが、今回は『北海道道』という30分のドキュメンタリー番組で特集してくださるという。無事に2024年3月8日(金)にオンエアーされたのでここにその思い出を。
1.町医者として
年明けにディレクターさんと再会し打ち合わせをしたのだが、正直前回以上のものは持ち合わせていないし、まだテレビに取り上げていただくほど何かを成し遂げているわけでもないからと、当初は出演に消極的だった。ただ色々とお話をしている中で、「精神科医は人間が人間を見定めるおこがましい仕事、患者さんと笑顔で会話しながらも一線を引かねばならない孤独な仕事」という僕の言葉に、「だからこそ患者さんと同じ町で暮らしてバランスをとっておられるのではないですか?」とディレクターさんが返したのだ。これは目からウロコ、今までそんなふうに考えたことがなかった。そして、気付けば十八年目に入っているこの町での暮らしを続ける意味に自分でも向き合ってみたいと思った。そこから話が進み、取材第2弾は決行されたのである。
改めて意識すると自分はこの町に支えられて働いていた。職場の近くに住み、馴染みのタクシー運転手さんに送ってもらい、患者さんやスタッフの多くも同じ町の住人、自分が体調不良の時にお世話になるのも普段おつき合いのある病院や薬局だ。
オンエアーの診療場面を見て驚いたのは、患者さんとの世間話に着目されていたこと。診察の中で自然に交わされる日常会話…別に意識的にやっていたわけではないのだが、ディレクターさんの目には何か意味深い行為に映ったらしい。確かに、「今朝は雪がすごいですね」「先日の事故はびっくりしましたね」などなど、同じ町で暮らしているからこそ自然に出てくる言葉は多い。世間話をしている時は、患者さんとの間に一線を引くことをあまり意識していない気がする。
また精神科医は病院以外で患者さんと会うべきではないとも教わったが、この町では実質不可能。スーパーへ行けば買い物している患者さんと出くわしたり、お店に入れば患者さんのご家族がそこで働いて居たり、病院へ行けば待合室でこんにちはなんてのも日常茶飯事。僕の目が見えていないから気付かないだけで、実際はもっとたくさん遭遇しているのかもしれない。
ただ心の医療では一線を引くことと同じくらい患者と治療者との同質性が重要ともされる。同じ町で同じ季節を感じることでそれが保たれている部分は大きいのかもしれない。
2.町民として
今回は前回以上に仕事以外の日常も取材。一人暮らしで食事を準備する場面、友人と買い物に行きその足で一緒にレストランへ入る場面、休日にギター弾き語りを録音する場面などなど。特にギターはドキュメンタリーの一つのキーアイテムになっていて、仕事が終わった後に一人で誰もいない職場で熱唱する場面まで撮影。番組を見たある人からは「さすがにやらせではないのか」と尋ねられたが、あれは紛れもない僕の習慣。むしろ今回はカメラがいたので控え目だったくらいである。
*この愚かな習慣にどんな意味があるのかについては、過去の研究コラムを参照されたし。
https://micro-world-presents.net/2021/09/04/210904-02/
3.町への想い
それにしてもドキュメンタリーの編集というのは大変な作業だと思う。ドラマのように脚本があるわけでもないし、限られた偶然の素材の中にテーマ性を見い出して一つの番組に構成しなくてはならないのだから。当然カットされた場面も数多い。
試行錯誤してくださった結果、今回もテーマの一つは前回と同じく『多面体』。支える側に回ったり、支えてもらう側に回ったり、時にはただ心のままにギターを弾いて歌ったり、全ての面を合わせて僕という一人の人間なのだ。そして新たなテーマが『この町で暮らして』。町の夜景や雪景色を織り込んで、ほのかに町への想いを滲ませて下さった。
番組を見てくださった方が少しでも精神障害や視覚障害、そして自分の暮らす町に興味を持ってくださったなら嬉しい。特に日本人は故郷への想いが強い国民性。心を病んでも、目が見えなくなっても、自分の故郷で暮らし続けることができる…そんな町を作っていけたらと思う。
4.町への来訪者
面白い後日談が二つある。一つはオンエアー後、打ち上げと取材のお礼も兼ねて馴染みのレストランへ行ったのだが、なんとテレビを見て食べに来ましたというお客さんと遭遇。番組の中で僕と友人が食べていたミートソーススパゲティにトンカツが乗ったこの店の名物料理がとてもおいしそうに見えたそうで、北海道のかなり遠い町からはるばる味わいに来たのだという。しかも番組で見た席に偶然僕までいたものだからその人はますますびっくり。これでは僕がしょっちゅうこの店に来ているみたいではないか。いや、間違いではないが。
もう一つ、さらにとんでもない偶然が。午前の診療を終えた昼休み、一人の男が僕の職場を訪ねてきた。なんと大学時代の音楽部の一年後輩。彼はたまたま北海道旅行に来ていて今回の番組の再放送で僕の姿を目撃、定山渓に行く予定を取りやめてわざわざ会いに来てくれたのだという。彼も卒業後に東京を離れたため、会うのはそれこそ十八年ぶり。
好みの音楽ジャンルが違っていたので一緒にバンドを組んだこともなく、二人で飲みに行ったこともない後輩であったが、まさかこうして来てくれるなんて。学生時代の終焉、視力が低下していく僕をどう思っていたのかなどを初めて語ってくれ、僕の言葉や当時の楽曲まで憶えてくれていたのは本当に嬉しかった。ぜひにとリクエストされて、つい『あいかわらずあいかわらず』という当時のナンバーを診察室で弾き語りすることにもなってしまった。
この旅行が終われば彼もまた多忙な医師としての日々に戻るのだろう。贅沢に見えながら何かとストレスも多い医学生の日々の中、音楽を通して一緒に青春を過ごした仲間が全国で頑張っているんだと思うと、やっぱり自分も頑張っていなくちゃと思わされる。今回の番組がなければもう二度と会えなかったかもしれない後輩。こんな素敵な偶然もあるから、やっぱり人生は生きてみるものである。
『北海道道』はその名のとおりNHK北海道のみのローカル番組。それでも今の時代は見逃し配信というシステムでオンエアー後二週間くらいインターネットで観賞することができたらしい。そのおかげで広島時代や東京時代の学友、あるいはかつての同僚からも感想が届いた。またこのホームページのお問い合わせ宛てにメッセージを送ってくださった方もいた。
改めて自分は思い出と出逢いに恵まれていると感じる。懐かしさと愛しさからエネルギーをチャージして僕は今日も生きているのだ。
5.研究結果
もうじき故郷の広島で過ごした年月を北海道で過ごした年月が上回ろうとしている。こんなド変人のドキュメンタリーに関わってくださったスタッフのみなさん、ご覧になってくださったみなさん、本当にありがとうございました! これ以上やると絶対ボロが出るので、また地道に精進致します。
*ディレクターさんが書いてくださった記事はこちら。番組ではカットされた場面も出てくるのでご興味のある方はどうぞ!
https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n4bf8032291f7
令和6年3月20日 福場将太