あとがき

これは医学部5年生の一年間を描いた物語だ。小説の中の世界も、現実の執筆も、昨年の3月に始まり今年の3月に完結した。予定どおりとはいえ、まずは無事に筆を置けることを嬉しく思う。
ミステリーではなく青春小説であるという点でも、長編小説であるという点でも、人生の特殊な時期に書いた小説であるという点でも、自分にとって非常に感慨深い作品である。最後に、本作の生い立ちを振り返ってみよう。

まずはタイトルについて。『Medical Wars』はもともと大学の音楽部で作った曲に付けた名前である。医学生の苦悩をコミカルに歌った曲で、一度限りの冗談ソングのつもりが、気付けば一番演奏した学生時代の代表作となった。まあライブのお客さんの大部分も大学関係者なので、要するに内輪ネタで笑っていただいていたわけである。
そんな楽曲が小説に生まれ変わったのは大学卒業後、宛てもなく人生をさまよっていた頃のことだ。ようやく群れから離脱できたという解放感と、しかしこの先どうするんだという不安感、そんな中で書き始めたのが本作の第一稿であった。
忘れてしまう前に医学部にいた記憶を残しておきたかったのか、手持無沙汰の日々にとにかく何か打ち込めるものが欲しかったのか、当時の心境はもう憶えていない。ただ無心に書いていた。タイトルに学生時代の思い出の曲名を流用したのは、今にして思えばだが、逃げ出しかけていた医療の道にまだ未練があったからなのかもしれない。

それからしばらくの後、どうにか医者の仕事を始めるにこぎつけたわけだが、毎日をこなすのに精一杯で本作の存在は忘却の波にさらわれていた。紆余曲折ありながらようやく自分の働き方のスタイルができてきた頃には、もう三十代も半ばとなっていた。
そんな折、そういえばと思い出したのが本作であった。十年ぶりに読む自分の文章、しかも人生を闇雲に模索していた頃に書いた文章。正直箸にも棒にもかからない、千歩譲っても小説と呼べる代物ではなかったが、ただそこには消えかけていた学生時代の気持ちがたくさん散りばめられていた。どうにか医療の道を歩んだつもりでいたが、見失っている大切なものがたくさんあることに気付いた。そして今こそこの物語をもう一度書きたいと思い立った。
登場人物だけはそのままに、ストーリーはもはや別物と呼べるほど大幅な加筆と修正を行なった。これが本作の第二稿である。

そこからさらに時が流れて当サイトを立ち上げたのが一昨年、いずれ本作も掲載したいと密かに目論み始める。改めて五年前の第二稿を読み返してみた。ほぼそのままでいけるだろうと思っていたのが、そうはいかないのが創作活動の宿命、時間を置くと手直ししたい箇所や追加したいエピソードがどんどん出てくる。
そんなわけで再び大幅な加筆と修正を行ないながら、一年を通して書き上げたのが今回の『Medical Wars』、通算第三稿である。

それにしても何の因果か、十五年前に書いた時は自分の人生が迷走中だったが、なんと今回は新型コロナウイルスで社会全体が迷走中。作中世界のように医学生が実習で自由に病棟やオペ室に出入りできる状況ではない。タイミングが悪いなあと最初は思ったりもしたが、書いているうちにむしろこのタイミングでよかったと思えた。
職場と家の往復の日々、最高の娯楽である音楽も満足にできない中で、本作の執筆に集中して随分とストレスを紛らすことができた。そして何より、懐かしい学生時代の仲間たちのことをたくさん思い出すことができた。
先輩、後輩、そして一緒に白衣を着て実習した同輩。あの頃の仲間たちは、きっと今それぞれの現場で自分の役割を果たしているだろう。前代未聞の医療情勢、それでも逃げずに出勤しているだろう。そう思うとなんだか嬉しくなって、自然と勇気が湧いてきた。一度は外れた医療の道、中途半端でもこの仕事にしがみついていてよかったと…少しだけ誇りに思えた気がする。
まさに今はMedical Wars、世界中の医療者が一丸となって大きな敵と戦っているのだ。

続いて登場人物についても少しだけ触れておこう。ストーリーは何度も書き直した本作だが、不思議と14班の六人の設定だけはずっと変わっていない。きっと医学生を大別すると典型的なタイプがこの六人なのだろう。そしてこれも今にして思えばだが、学生当時自分が抱えていたモヤモヤを彼らに分担してもらっているように思う。特に自分と同じ運命を背負ってもらった遠藤美唄には多くの希望を託してしまっている。彼女のような心で生きていけたら、と今だから余計に思ってしまうのである。
ちなみに最も非現実的に思えるMJ先輩の存在だが、実はこの人だけ実在のモデルがいたりする。ある時は試験機関だというのにスタジオにこもり、ある時は病院の職員食堂で突然楽器を演奏し、周囲が眉をひそめても誰より幸せそうだったあの綺麗な瞳は今も忘れることができない。

この一年、毎日は大変だったが、大好きな14班の六人と戯れている時間は本当に楽しかった。小説の執筆というより、一緒にポリクリを回ってレポートを書いていたような感覚。やっとこさ書き終えたというのに、なんだか寂しくなって、今回描かなかった科の物語も書いてみたいなんてちょっと思ったりもしてしまう。例えば放射線科、公衆衛生、法医学なんてどうだろう。同村重一はそこでどんなモヤモヤを抱き、仲間たちとどんな言葉を交わすのだろう。そんなことを想像してみるのもまた楽しい。

最後になりますが、この物語に触れてくださった全ての皆様に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。たいそれたテーマなどない、ただただ医学生というヘナチョコながらも憎めない連中への愛情を詰め込んだ物語、どこか一つの場面でも心に感じるものがございましたら、表現者としてこんなに嬉しいことはございません。
医療とは人間愛に育まれた営み。医学とは学ぶ者を選ばない身近な学問。これからを生きていく子供たちが、「大きくなったらお医者さんになりたい!」と笑顔で言ってくれるような、そんな時代がコロナの向こうに待っていることを願っていたいと思います。

令和3年3月3日  福場将太