第二章 書くという仕事

 続いては、今回の書籍がどのように出来上がったのかを振り返ってみよう。

1.面会

 きっかけは一通のメール。2024年3月末に届いたのは、サンマーク出版さんの編集者・キッシー氏からの問い合わせだった。同月にNHK北海道のテレビ番組『北海道道』で取り上げられた際のネット記事を偶然ご覧になったようで、一度会ってお話をしたいとのことであった。構いませんよとお返事したところ、4月20日、キッシー氏ははるばる北海道まで足を運んでくださった。
 挨拶もそこそこで言葉を交わすうちに、キッシー氏は今の時代が見失いかけている『大切なもの』を敏感に感じ取っておられること、彼の言う『大切なもの』が、僕が視力を失ってから手にしたものとたくさん共通していることがわかってきた。初対面で事前に打ち合わせをしていたわけでもないのに話題は尽きることなく、あっという間に数時間が経過、「ぜひ大切なものを伝える本を作りましょう」と彼は日帰りで去っていった。

 本を出す…それは著述を愛好する者からすれば大きな夢だ。当然期待も膨らんだのだが、一方であまり楽しみにし過ぎないようにもしていた。というのも、以前にも別の出版社さんからちらりとそんなお話をいただいたことがあったのだが、突然連絡がなくなって話が立ち消えるという苦い経験をしたからだ。
 もちろん仕事として本を出す以上、出版社さんだって利益が見込めなければ動けないのが当たり前。良い薬でも儲けがなければ製造中止になったり、病院経営が赤字では必要な医療も縮小せざるを得なかったり、それは僕のいる業界でも同じことだ。ビジネスである以上、シビアなのは当然。また企画が立ち消えになっても、まあ楽しい話ができたからいいやくらいに僕は思っていたのである。

2.会議

 それから音沙汰なく一ヶ月が経過。やはり今回も…とあきらめかけた時、キッシー氏から連絡が入った。準備が整ったのでいよいよ製作に入るというのだ。嬉しい気持ち半分、本当にやるのかという戸惑いも半分で、僕は説明を聞いていた。
 そこから始まる打ち合わせの日々。どんな内容の本にするかについて、オンラインで一回3時間ほどのミーティングを6から7月にかけて数回行なった。キッシー氏が提示してくるお題について、僕なりの考えや思いを答える、あるいはその場で着想したことについて話しを広げる、深掘りする、という感じで、夜間の打ち合わせはくり返されたのである。

3.構成

 そして7月末、僕が話した内容を文字に起こしてくださったデータが届く。さすがはプロの編集者さんだ。無尽蔵だったいくつもの話題を整理し、順番を考え、それを大きく三つの章に分ける案を提案くださった。

 第一部 見えないからこそ、見えないもの。見えないからこそ、見えるもの。
 第二部 見えるからこそ、見えるもの。見えるからこそ、見えないもの。
 第三部 もう一度目が見えるなら

 なるほど、こういうふうに整理すれば、ただ延々と語り続けるよりもずっとわかりやすい。僕は形式美が好きなタチなので、この構成をとても気に入ったのである。

4.命名

 そして書籍名は『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』でいきたいとキッシー氏。これもやはりわかりやすさと興味を持ってもらいやすさを一番に考えたネーミング。
 正直普段の僕は、「目の見えない精神科医の福場です」とは言わないようにしている。それは、精神科医であることも、目が見えないということも、数ある自分の構成要素のたった一面に過ぎないからだ。それが僕の全てではまったくない。だから「目の見えない精神科医」は一番名乗らない肩書きであり、スタンスとしては「福場の仕事がたまたま精神科医で、たまたま目が見えない」といった感じ。
 とはいえ、それを書籍のタイトルで主張するほど野暮ではない。NHKに出演した時もディレクターさんと同じ様な話をした。人間は多面体、精神科医とか視覚障害者というパワーワードは先入観を与えるので肩書きにするのは望ましくない。しかし番組としてたくさんの人に見てもらうためには、わかりやすいタイトルで視聴者を引きつけなくてはいけない。結果的に番組名は『全盲の精神科医』となったが、ディレクターさんが葛藤してくださっただけで僕としては十分だった。
 今回の書籍もそれでいい。有名人でもない自分が本を出す以上、タイトルまで難解になっては誰にも手に取ってもらえない。それでは何も始まらない。これは趣味ではなく、ビジネスとして、商品として出す書籍。僕のことを目の見えない精神科医と思うか、それとも誰もがそうであるように、色々な面を併せ持つただの人間と思うかは、読んでくださった方に委ねればよいのである。

5.対象

 ただ実際に本を執筆する上で、僕の方からどうしても譲れないことがあった。それは、目が見えない人も読者として対象外にしないこと。サンマーク出版さんと打ち合わせをする中でも、「この本を読んで目の不自由な人に対する理解が深まってくれたら」という話題はたくさんあったものの、「目の不自由な人自身がこの本を読む」という前提があまりないように感じられたからだ。
 それは非情や差別意識ではなく、普段一般向けのビジネス書などを扱っておられる出版社さんなら当然の感覚。医療や福祉の書籍でも、目が不自由な人用にテキストファイルの引換券が同封されているような本はまだまだほんの一部。それをするには乗り越えなくてはいけない壁が色々あるのが現実だ。

 なので今回の書籍も、物理的に目の不自由な人が読めないのは仕方ない。ただ心理的にまで目の不自由な人を閉め出したくない、内容はバリアフリーにしたいというのが願いだった。
 僕は特段障害者差別解消について知識が深い、情熱が強いというわけではない。ただ視覚障害の当事者として、ちょっとした言い回しやルールで悪意なく仲間はずれにされた経験があるだけのこと。そして心の支援者として、そんな仲間はずれのストレスがもたらす孤独感・疎外感のリスクを知っているだけのことだ。だから視覚や精神以外の障害については、きっと自分だってたくさん無頓着な言動を普段してしまっているのだろうと思う。
 中途半端な正義かもしれない、自己満足の仲間意識かもしれないが、それでもどうしても、読者の目が見えていることを当たり前として書きたくなかった。仮に目の見えない人が読んだとしても、寂しさを感じる本にはしたくなかった。

 目の見える・見えないによって仲間はずれにならない書籍、これだけが今回僕から提示した条件。そして、当初のコンセプトとは変わってしまったかもしれないが、キッシー氏はそれを了解くださったのである。

6.執筆

 さて、ここからはいよいよ僕の作業。いただいたデータを元にして自分の文章に仕上げていく。今回の書籍では一人称が「私」、文体もですます調になっているが、これは、もともと口で話した内容を文章に起こしているからというのが一つの理由。そして、誰にでも読みやすい柔らかい雰囲気にしたいからというのがもう一つの理由である。

 僕は普段音声読み上げソフトを用いて文書を書く。ブラインドタッチの早打ちができるので書くスピードはそれほど遅くないのだが、何度も読み返して直しを入れるという作業については、音声で文章を聞く以上どうしても時間がかかってしまう。それでもちょうどお盆休みをしっかりもらっていたこともあり、一日中パソコンに向かって作業に没頭することができた。
 書いているうちに第一部と第二部の違いがよくわからなくなり、もう少し色分けできないものかとキッシー氏に相談したところ、第一部は自身を振り返るニュアンスを強め、第二部は読者に語りかけるニュアンスを強めにしてはどうかと提案。やっぱりプロの編集者さんは引き出しの数が違う。それを意識することでとても筆が進みやすくなった。
 ちなみに雑談の中で聞いたキッシー氏の奥様のエピソードを入れたり、本の中でサンマーク出版さんに話し掛けたり、この辺りは学生時代から続いている内輪ネタ好きの賜物である。

 それ以外でもキッシー氏と相談しながら、話の順番を入れ換えたり、新たな話題を追加したり、箇所によっては丸ごと書き直したりもしたので、時間にけっして余裕はなかった。プロの作家さんがホテルに缶詰にされるエピソードを聞いたことがあるが、早く仕上げて楽になりたいという気持ちと、少しでも良いものにするために粘りたいという気持ちの葛藤、これを本職にしている人は大変だろうなと思った。それでも子供の頃から大好きな書くという営み。楽ではなかったがとっても楽しかった。
 なんとかタイムリミットまでに作業を終えて送信、その後も最終調整で数回往復してから、8月末に無事脱稿となったのである。

7.装丁

 その後の作業はもうキッシー氏にお任せ。そして10月初頭、完成した本が僕の手元に届いた。
 今回キッシー氏並びにサンマーク出版さんにとても感謝したいことの一つは、最高の装丁にしてくださったことだ。職場のスタッフや友人に見てもらったが、まずは表紙のデザインの評判がすこぶる良い。イラストを手掛けてくださったのは紙芝居芸人としても知られる鉄拳さん。キッシー氏から装丁の相談があっても「どうせ自分には見えないし」と僕は生返事をしていた。これが悪い癖。目が見えない人を仲間はずれにしないでくれと言いながら、目が見えている人のための活動には無関心になりがち。そんな僕に鉄拳を食らわせていただいて構わない。

 表紙をめくった中身もとても読みやすいレイアウトで、まとめの言葉は文字を大きくしてくれていたり、インパクトのある一言はちょうどページをめくった冒頭に来るようにしてくれていたり。こちらで指定はしていなかったのに、とても僕好みの演出にしてくださっていた。書籍も演劇と同様、総合芸術であることを思い知った。

 そういえば昔自分も、知らない歌手のCDを買ったり、知らない作家の本を買ったりする時は、ほとんど表紙からのインスピレーションで決めていた。たくさんの人から好評をもらえる装丁にしていただいて幸せだ。表紙に惹かれて買ってはみたけど中身でがっかり、なんてことになっていないことを願うばかりである。

8.展開

 今回の本は紙だけでなく電子書籍でも販売。そしてサイトにおける照会文には、「もしもあなたが目の見えている人なら」と並んで「もしもあなたが目の見えていない人なら」というメッセージ。ちゃんと約束は守られていた。
 さらにオーディオブックの製作も予定してくださっただけでなく、目の不自由な人が愛用するサピエ図書にも登録できるように、キッシー氏は快く書籍のデータを提供してくださった。

 仕事として作品を作る以上、たくさんの人が関わるのは当たり前。自分一人の意見を押し通せない代わりに、自分一人では気付かないこと、及ばなかった素敵なエッセンスもたくさん加わる。ある程度出版社さんにリードしてもらいながら、ある程度好きにも書かせてもらった一冊。自分一人では絶対に生み出せなかった一冊であることは間違いない。
 初対面からわずか半年後には発刊という超スピードだったが、粋な編集者さんと一緒に書くという仕事ができて満足である。