プロローグ

 深夜。激しく雨が降っている。でたらめなチューニングのギターを一斉にかき鳴らしているかのような、狂った雨音のフォルテシモ。その中でゆっくりとブレーキをかける一台の乗用車。こんな悪天候でドライブするのも大概だが、停車した場所もおよそこんな時刻に用があるとは思えない裏路地。辺りに人の気配はない。あるのは深い闇と耳障りな雨音だけ。まるで意味をなしていないワイパーが無機質に動き続ける。

 意を決したように運転席のドアが開いた。男は打ち付ける雨などまるでためらうことなく路上に立つと後部座席のドアを開きもう一人の男を引きずり出す。そしてずぶ濡れになりながら動かない男を運び、ついには道脇に放り出した。ヘッドライトの中で小さな水しぶきが上がるがそれもすぐに雨の濁流の中に呑み込まれる。

 ふっと息を吐く。誰かがアンプのイコライザーでもいじったか、ボリュームのツマミでも回したか、それともオーバードライブをオンにしたか、雨音がさらに大きく、さらに耳障りになった。体中から噴き出す汗、それよりも粘っこい雨が全身を撃つ。

 そんな時だった。男の耳に一つのメロディが届いたのだ。
 もちろんこんな豪雨の中で音楽など聴こえようはずもない。それは幻聴だった。いつかどこかで聴いた覚えのある曲。優しくて、勇ましくて、懐かしい旋律。確かに知っている曲だった。しかしいつどこで聴いたのか、男の頭脳はゆうに数百曲の歌詞と楽譜を暗記していたが…。
「あかん、思い出されへん」
 男は幻聴を振り払うように首を左右に振ると、倒れた男の身体をまさぐり始める。財布はポケットから取り出し中身だけ抜いて投げ捨てた。腕時計は手首から抜いて自らのポケットにねじ込んだ。最後に後部座席から一本の傘を取り出してそれも放り投げると、もうこの場に用はないとばかりに男は運転席に駆け込む。急発進で走り去る車。

 激しく雨が降っている。遠い旋律はその中へ静かに消えていった。