1
珍獣をこよなく愛する愚かな男二人が奥の部屋に消えてしまったので、私はリビングのソファで彼女と話しを続けることにする。彼女…有馬亜希子は本件の重要参考人である有馬大介の妻。肩までの黒紙にクリーム色のブラウス、ベージュのロングスカート。秀でた美貌というわけではないがその所作には気品が感じられ、柔らかい空気をまとった女性。飲み干してしまったコーヒーの代わりに二人分のダージリンティーを新たに入れ、さらにクッキーまで用意してくれた。
「大介さんたちはまだ部屋でお話してるのかしら」
細い指をカップに掛けながら彼女が言う。
「すいません、うちの警部が無理なことを申しまして」
「いえいえ、大介さんも話が合う人ができて嬉しそうでした」
私は気になることを尋ねてみる。
「あの、奥様は…どうなんでしょうか。信じてらっしゃるんですか? その、ハッシーが本当にいると」
「そうですねえ…」
特段気分を害した様子もなく優しい声は答えた。
「正直…私はハッシーが実在してもしなくてもいいって思ってるんです。むしろあんなに夢中になれることがあってうらやましいなって。まあ、たまに一生懸命過ぎてあきれちゃいますけど。私よりもハッシーを優先されちゃう時もあるんで」
「それは苦痛ではないですか?」
「仕事には真面目な人ですし、それに女の人の影がちらつくような人よりずっといいです。相手がハッシーなら、こっちも嫉妬でやきもきしませんしね」
カップが薄い唇に運ばれる。
「実は私、最初につき合った人に浮気されちゃったことがあって、もう男なんてとか思ったりしたんです。でもそんな時に大介さんと出会って…安心してまた恋愛ができました。あ、今の話は大介さんには内緒で」
可愛く舌を出す亜希子。私も少し笑んで頷いた。私にはわからないが、男女の相性とはそういうものなのかもしれない。それにほのぼのと談笑するために私はここに訪れたわけでもない。
警部は有馬大介が村松昭二殺害に関与しているかもしれないと睨んだ。根拠の一つは動悸。村松が借金で追い詰められていたのなら、珍獣調査に大枚をはたくかつての友人にお金の無心に来てもおかしくはない。そこでトラブルになり、思わずはずみで殺害…というのは有り得ることだ。そしてマッチ棒の燃えカスのロジック。あれによって村松が雨が降るより前に湖へ行っていた可能性が示された。さらに村松が行き先を書くと言って残した白紙のメモ用紙。あれもハクシが博士のダジャレだとしたら、動画の中で博士と呼ばれていた彼に会いに行くことを示していると考えられる。そう、確かに筋は通るのだ。
だから警部と私はここへ来た。もちろんどれも状況証拠だ。彼が村松に接触した決定的な証拠はないし、何より死亡推定時刻にはこの家にいたという鉄壁のアリバイがある。
「あの」
私も一口飲んでから切り出した。
「再度の確認になりますが、ご主人が昨夜帰宅されたのは7時半頃で間違いないんですよね」
「ええ。帰りが遅いんで7時過ぎに私から電話もしましたけど、ちょうど湖から戻っているところでした。私が掛けたらワンコールですぐ出てくれて」
「何かおっしゃっていましたか?」
「いつもと同じですよ。湖にハッシーを見に行ったけど現れなかった、でも必ず見つけるからって。雨も降ってきてるから急いで帰るって言ってました。実際にその後すぐに戻ってきました」
「夕べはご両親や妹さんもご一緒だったんですよね」
「ええ、ずっと」
身内の証言だから全員で彼をかばっている可能性もゼロではない。しかし妻はともかく、義理の両親や義妹までグルというのはなかなか考え難い。一応後で義妹にも話を伺うか…と思ったところで脳天気な声が飛んできた。
「オッハロー!」
片手を挙げてリビングに現れたのは明るい茶髪の若い女性。亜希子が「もうすぐ夕方よ」と返していることから、これが妹なのだろう。顔はあまり似ておらず、素朴な姉に対して妹は目鼻立ちが華やかな美人でメイクもバッチリ。年齢もまだ20代半ば、黒のタンクトップにジーンズのハーフパンツを合わせている。ただその顔には見覚えがあった。そう、有馬大介の動画でアシスタントをしていた女性だ。彼女も私の存在に気付いて怪訝な顔。
「あれ、お姉ちゃん、このお綺麗な人は誰?」
「失礼な言い方しないの。こちらは刑事さんよ。すいませんね、妹のアンヌです」
亜希子に頭を下げられて私は「いえいえ」と手を振る。そしてソファから起立してその妹に挨拶した。
「お邪魔しています。警視庁のムーンと申します。日曜日にすいません、有馬大介さんのお知り合いが殺害された事件を調べておりまして」
「え、マジ? 殺人事件?そうなんだ…」
念入りに描いたらしき眉毛を吊り上げて驚いたかと思うと、一転して彼女は人懐っこい笑みを浮かべる。
「それよりびっくり。刑事さん、すっごい美人だからモデルさんでも来たのかと思っちゃった。ムーンって名前もキュートだよね。あ、お姉ちゃん、あたしにも紅茶ね。あと何か食べる物あるかな。帰る前に腹ごしらえ」
「もう、あんたは」
口ではそう言いながらも歳の離れた妹が可愛いのか、亜希子はしなやかにキッチンへ消えた。代わりにアンヌが私の体面に座ったので私もまた腰を下ろす。
「殺人事件って、どんなのですか?」
テーブルのクッキーをつまんでいきなりそんな質問。私は支障のない範囲で説明した。
「へえ、あの湖で死体が発見なんて嘘みたい。こりゃ当分動画の撮影は無理かな」
「いくつか動画を拝見しました。アンヌさんはどういう経緯でアシスタントをすることになったんですか?」
「だって楽しそうじゃん、幻のハッシーを探すなんて。最初は博士が一人で動画作ってたんだけど、すっごく真面目でお堅くてさ、あれじゃあ人気出ないと思ってあたしが参加したの。もちろんバイト代はありで」
「バイトですか。普段は何を?」
「フリーター。一応ファッションカラーコーディネーターの資格も持ってんだけど。ムーンさんはなんで刑事やってんですか?」
年齢が近いからかアンヌはやけに気安い。正直苦手なタイプだ。
「まあその、司法に興味があったと言いますか」
「ふーん。でも大変だよね、こうやって聞き込みして回って」
私はそこでさり気なく昨夜の有馬大介のことについて尋ねてみた。すると亜希子同様、アンヌも間違いなく彼がずっと家にいたことを証言した。
「夜中の2時くらいまで三人で飲んでたかなあ。そういえば博士は今何してるの?」
「私の上司と奥のお部屋でお話してます」
「え、それって事情聴取? 博士、疑われてんの?」
アイプチで造られたらしき二重の目がぱっと見開く。
「そんなわけないでしょ」
答えたのは戻ってきた亜希子。妹の前に紅茶とフレンチトーストを置くと彼女はその隣に座った。
「刑事さんもUMAが好きで、それで二人で大介さんのコレクションを見てるのよ」
「なーんだ、そっかそっか。博士が犯人とかマジやばいもんね。いっただきまーす」
どこまで本気で言っているのか、アンヌは笑ってフレンチトーストにかぶりついた。
…これが若さか。いや、同世代だけど。
*
その後もしばし三人で雑談…というより姉妹の会話に私が相槌で参加する形。
「ああいう動画って趣向をどんどん変えないとすぐに飽きられちゃうのよ。最近は再生回数も減ってきてるし、そろそろお姉ちゃんも登場したら? 博士の妻のミセス・ハッシーとかいいじゃん」
「無理無理、私はそういうの全然できないから。陰ながら応援するわ」
「お姉ちゃんみたいなタイプは一回やってみれば結構はまると思うけどなあ。博士が考える調査の方法も、すごいのはわかるんだけどインパクトがないんだよねえ。この前あたしがビキニで湖へ潜ろうかって言ったら、博士にマジギレされちゃった。いつも優しいのに、怒ると意外に恐いんだね」
「そりゃ怒るわよ、湖に潜るなんて危ないわ」
「ビキニは冗談だけど、あたしスキューバーダイビングも得意だからいけると思うけどなあ」
彼が怒ったのはそんなことをしたら動画の格調が下がってしまうからではないか、と私は内心思う。
「そうだ、地引網とかどうかな。海でやるみたいなやつ。あれでハッシーが引っ掛かったらすっごい映像になるよ」
「大介さん一人でそんな網を引っ張れるわけないでしょ。ただでさえ運動不足でメタボなんだから」
「キャハハ」
アンヌは手を打って笑う。
「確かにね。あ、でも、今朝はちゃんと朝のジョギング行ってたよ。あたし、早朝に目が覚めて窓の外を見たら博士がジャージ来て走ってくところだった」
「あらそう。ずっとさぼりっぱなしかと思ってたわ」
彼が早朝にジョギング? もし昨夜殺人事件を起こした犯人なら、心身共に疲れているのが自然だ。わざわざ翌朝にジョギングへ行くとは考えにくいか。アリバイのこともあるし、もしかしたら今回は警部の見込み違いかもしれない。
「アンヌ、大介さんを手伝ってくれるのは有難いけど、自分のこともしっかりしなさいよ。いい加減実家も出て、定職にも就きなさい」
「わかってまーす。はい、ごちそうさま!」
紅茶を飲み干して伸びをするアンヌ。私もいい加減ここでのんびりしている場合じゃない気がしてきた。それにしても変人上司はまだ彼の部屋で珍獣コレクションを見ているのだろうか。そう思って廊下の方に目をやるとなんとそこには…。
「警部」
思わず声を出してしまう。変人上司はリビングの入り口の陰に佇んでいた。亜希子とアンヌもそちらを見る。
「やあムーン。楽しそうに話してるからなかなか入るタイミングがなくてね、フフフ」
そう笑いながらやって来るが…きっと嘘だ。きっと会話を立ち聞きしていたに違いない。私がソファから立ったので姉妹も腰を上げた。
「お姉ちゃん、この人がUMA好きの刑事さん?」
「そうよ、警視庁のカイカンさん」
「キャハハ、ヘアースタイルが長パンクじゃん。どうも、博士の助手のアンヌでーす!」
「こら、失礼なこと言わないの。すいませんカイカンさん。あの、お話は終わられましたか? 大介さんは?」
「元気な妹さんですね。ご主人はまだお部屋にいらっしゃいます。いやあ、貴重な写真や資料をたくさん見せてもらいましたよ」
「楽しんでいただけてよかったです」
そこでアンヌが前に出る。
「ねえねえ、刑事さんの服、めっちゃボロボロ。なんで?」
「捜査に駆けずり回っていますので」
嘘つけ、服は昔からボロボロじゃん! しかしどういうリアクションなのか、アンヌはまた手を打って笑っている。私も一歩進み出た。
「警部、そろそろおいとましますか」
「そうだね。大切な日曜日にお邪魔しました、奥様。ご主人にもよろしくお伝えください」
「はい、捜査頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。あ、アンヌさん、次の動画も楽しみにしてますから」
「どうもでーす! お勤めご苦労様でーす!」
貞淑な姉と奔放な妹に見送られながら、警部と私は有馬宅を後にした。
2
「警部は変わらず有馬さんが怪しいとお考えですか?」
警視庁へと車を走らせながら助手席に向かって尋ねる。
「そうだね。やっぱり挙動は気になるかな」
「しかし、彼にはアリバイがあります」
「まあね。でもアリバイってのは偽装される場合もあるからね」
ハンドルを握る手に力がこもる。昨夜6時に『流星』を出た村松がその足で湖へ行ったとすれば、そこで有馬大介と会って事件が起きたと考えることができる。午後7時までは湖にいたことを彼も認めている。しかし…発見された遺体には雨に降られた痕跡がなかった。7時過ぎから降り出した雨は徐々に激しさを増してそれが止んだのが8時半。村松が地面に倒れたのはそれ以降でなければ辻褄が合わないのだ。
でも待てよ。逆に言えば、遺体を雨に濡れないようにすることができればこのアリバイは崩れる。
「警部、有馬さんは何らかの方法で遺体が雨に濡れないようにしたのではないでしょうか」
「私もそう考えてる。でもそれが難しいんだ。林の木の下に隠したって大雨なら関係ない。有馬さんが犯人ならこれは突発的な犯行だ。人間一人を大雨から完全にかばえるようなテントやビニールシートを彼がたまたま持ってたなんてことはないだろう。折りたたみ傘…くらいじゃとても無理だし」
「ビニールのゴミ袋ならどうですか? それならたまたま持っていることもあるかもしれませんよ」
「なくはない…けど、ゴミ袋に人間一人を入れようと思ったらどうしても体を屈曲させなくちゃいけない。現場の検死ではそんな報告はなかったよ」
それもそうか。じゃあどうすればいい? 遺体を地面に埋めるか? いやいやそれこそ泥だらけになって雨からかばうどころじゃなくなる。たまたまレインコートを持っていて遺体にそれを着せたとしたらどうだ? いやダメだ。それだって全身を覆い尽くせるわけじゃない。必ずズボンや靴は濡れてしまう。
「難しいですね」
「そうなんだよ、難しいんだ」
「おそらく今夜には司法解剖の報告が届くと思いますので、まずはそれを待ちましょう」
「それしかないね」
警部はそう言うとおしゃぶり昆布をくわえる。そして立てた人差し指に長い前髪をクルクル巻き付け始めた。私も言葉を止め、少しだけアクセルを踏み込んだ。
3
警視庁に帰着。いつもの部屋のドアを開けると、奥のデスクにはミットの長の姿。
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です、ビンさん」
二人揃って頭を下げる。彼の階級は警視だが、警部も私も親しみを込めてビンさんと呼ばせてもらっている…もちろんビンというのもニックネーム。この人は普段現場に出ることはなく、警部や私からの報告書に目を通したり、庁内で行なわれる委員会に参加したり、過去の捜査資料を見返したり…と、なんだかそんなことをしながら過ごしているらしい。白髪の混じった灰色の頭に恵比須顔の小柄な容姿はとても殺人事件を扱う捜査一課の警視には見えないが、かといって肩書きだけの昼行灯かというと全くそんなことはなく、その経験に裏付けされた知識はまさに生き字引、インターネットの検索エンジンなど目じゃないのだ。そして彼の何よりのすごさは、警部や私のような扱いにくい人間を許容してくれているその懐の深さに外ならない。
「今朝割り振られた事件、刃矢田町だったな」
「はい。現場の状況から殺人事件と見て間違いありません」
警部が答える。
「そうか。いや、刃矢田町といえば懐かしのハッシーだからな。あの頃は一大ブームだった。一応当時の新聞記事を見つけてみたぞ」
「本当ですか?」
「見てみろ、これだ」
ビンさんはぶ厚いファイルをどっかりデスクに置き、その箇所を開いてくれた。警部と私はそこに納められた黄ばんだ新聞の切り抜きに頭を寄せる。
見出しは『湖に珍獣ハッシー現る!』、二十五年前の記事だ。それによると、ハッシーブームは一人の町民男性とその幼稚園児の孫があの湖で最初に目撃したのがきっかけとのことだった。他にも当時の町を上げての盛り上がりぶりが伝わってくる。
「こんなにすごかったんだ。井出さんが当時の町の勢いを取り戻したいっていうのもわかるね」
「そうですね」
私が思っていた以上にハッシーは愛されていたらしい。しかしそんなノスタルジーに浸っている場合ではない。
「じゃあ僕はそろそろ失礼するよ。お前たちも無理するな、健康あっての刑事だからな」
バッグの紐を肩に掛けると帰っていくミットの長。警部と私はまた一礼して見送った。
その後それぞれ水分を補給して小休止していると部屋の電話が鳴りFAXが届く。
「司法解剖の報告書です」
「待ってました。さあどんな感じだい?」
壁際のソファから警部が言う。私は自分のデスクから立ち、紙を手に取ると目を通しながら伝えた。
「死因は頭部外傷による脳挫傷。傷は一カ所。それほど深い損傷ではないので即死かどうかまでは断定できない、ただこれが致命傷に間違いないとのことです。やはり、殴られて殺害されたんですね」
「凶器についてはどう? 現場からは発見されなかったけど」
「この報告書でも特定はされていませんが…石などのゴツゴツした物ではなく、何らかの形状を持ったプラスチック、あるいは金属。それほど重たい物ではないだろうとの見解です。左側頭部に左方向から衝撃を受けているので、被害者と犯人が向かい合っていたとすると、犯人は右利きとのことです」
「ナルホド。それで、死亡推定時刻は?」
そう、それだ。もし午後7時以前に殺害されたとなれば、有馬大介が犯人である可能性が高まる。私は急いでその欄を見た。
「…ムーン?」
絶句する私に警部が怪訝な声。
「どうしたんだ。8時半から10時までの死亡推定時刻、少しは広がったのかい?」
腰を上げてこちらに歩み寄ってくる低い声に、私はもう一度しっかり確認してから報告する。
「被害者が亡くなったのは…午後9時から10時の間だそうです」
さすがの変人上司も言葉を失う。部下は感情なく付け加えた。
「余計に…狭まっちゃいましたね」
*
室内には重苦しい沈黙。警部は再びソファに沈み腕組みして口先で昆布を動かしている。私も自分の席でこれまでの手帳のメモを読み返す。
司法解剖で断定された村松昭二の死亡推定時刻は昨夜の午後9時から10時。雨が上がったのが8時半だから遺体の服が濡れていなかったこととも一致する。そして有馬大介はその時刻、自宅で妻と義理の両親、さらに義妹と一緒に過ごしていた。犯行現場の湖まで往復することは絶対に不可能だ。
やはり見込み違いだったか。状況証拠は一見彼の犯行を示していたが、さすがにこれでは覆せない。もちろん警部も人間だ。推理を間違えることだってある。このミットに私が着任した時にも、解決できない事件はいくらでもあると警部から指導された。そう、むしろ一番危険なのは決め付けてしまうことだ。おかしいと思ったらちゃんと省みること、その気持ちを忘れたら警察官はただの独裁者になってしまう。
私は警部を見た。ボロボロのコートとハットに身を包んだ警察官は、今何を考えているのだろう。
そこで私のスマートフォンが振動。見ると友人の氏家美佳子からのメール。そういえば今度食事に行こうと話していたっけ。警視庁の交通課に勤務する彼女は、時々こうやって私を人間らしい暮らしに連れ出してくれるのだ。メールはその店が決まったという内容だった…が、確認している最中に今度は電話の着信。慌てて出ると今回の事件を捜査している所轄の捜査員からだった。
「ご苦労様です。何かありましたか? え、あ、はい…」
それは意外な知らせだった。村松の遺体の第一発見者の嵐負債が今交番に来ているというのだ。朝の時には言い忘れた…というよりも言えなかったことがあったらしい。そういえば警部も、夫が何か言いたそうな顔をしていたという心証を持っていたな。
「それで、嵐ご夫妻は何を? ええっ!」
予想の斜め遥か上空を行く内容。私は思いっきり間抜けな声を上げてしまう。そんな様子に気付いてソファの警部もこちらを向く。
「ごめんなさい。しかしまさか、いくらなんでもそれは…。はい、はい、そうですか…わかりました。警部にご報告しておきます」
通話を終えて目を閉じる。そしてゆっくり立ち上がり、胸に手を当てて深呼吸。大丈夫、大丈夫、私は冷静だ。目を開くと変人上司は正面に立っていた。
「ムーン、何か事件についての連絡かい?」
「はい、そうです」
すると警部の顔に安堵が浮かぶ。
「よかった、行き詰ってたからね。こういう時に神様は突破口になるとっておきの情報をくださるもんだ! ああよかった。捜査の神様どうもありがとう」
そんな神がいるのか、いたとしてもこの人にご加護をくれるのかははたはた疑問だったが、今は伝えられた情報の衝撃が強過ぎて私はツッコミを入れる気にもなれなかった。
「それで? ムーン、どんな情報が届いたんだい?」
「あの…」
一瞬躊躇する。しかし言わないわけにもいかない。そして霧が晴れるどころかさらに頭を混沌とさせる情報を私は口にした。
「あの林に現れたそうです…珍獣ハヤゴンが」