眠れない夜を過ごした恩田玲子は柊ホスピタルに出勤すると、急いで着替えて事務室に入った。不自然に早く出勤すればかえって目立ってしまう。部下たちと朝の挨拶を交わしながら彼女はいつもどおりを装って自分の席に着く。そしてノートパソコンの電源を入れた。立ち上がるまでの数分がやけにもどかしい。こんなことなら予算をケチらずにもっと性能の良い機種を買うんだった、と今更どうしようもない後悔まで込み上げる始末。
音が鳴ってパソコンが立ち上がる。彼女は通常業務をする振りをしながら素早く目当ての隠しファイルを探した。そして一気に消去する。
思わず安堵の溜め息。携帯電話は海の底。ファイルは消え去った。これでもう大丈夫、彼女はそう自分に言い聞かせる。
「失礼します」
そこでノックの音がして一人の青年が事務室に入ってきた。彼は他の者など目もくれず一直線に玲子の前まで来る。その顔には見覚えがあった。昨夜事情聴取の時に同席していた刑事だ。
「おはようございます恩田さん。警視庁の戸塚です」
彼はちらりと警察手帳を示す。
「土橋先生が亡くなられた件で、もう一度お話を伺いたいので来ていただけますか?」
顔は柔和だが有無を言わさぬ語調だった。断わるのもおかしい、彼女は「わかりました」と席を立つ。すると彼は彼女の手元を一瞥してさらに続けた。
「すいません、そのパソコンもお借りできますか」