エピローグ

「お待たせ。夕焼けの丘だよ、しらべちゃん」
 無人の助手席にそんなことを伝えてももちろん返事はなかった。運転席から隣を見ると、ワクワク笑顔でそこに座る彼女の幻影が一瞬だけ瞬く。
 また目の奥が熱くなってきた。俺は慌てて車の外へ出る。そして一歩ずつ芝生を進み、そのなだらかな丘の上に立った。

 あれから一週間。俺は今、彼女と来ることができなかった場所に来てる。そう、あの曲のモデルになった丘に。
 しばらくそのままぼんやり佇む。通り過ぎていく子供連れの夫婦、そよぐ風、港の方から聞こえる汽笛…全てはオレンジ色に染まってる。海から空へと俺は視線を上げた。
「夕焼けの中飛んでいくトンボを見つめて…」
 そっと口ずさむ。
 あの日、取調室を出してもらう時にカイカンは言った。
「実は謎を解くヒントになったのもトンボでした。あのトンボ、私の地元では神様トンボって呼ばれてましてね、死者が姿を変えて戻ってきたとか、死者の魂を運ぶとか言われてるんです。そして、幸福を運んでくるともね。
 …しらべさんの最後の一日が幸福だったと、私は信じています」
 オレンジ色の空に向かってトンボがまっすぐ飛んでいく。
 しらべちゃん…こんな広い空に一人で…。
 いや、もう心配はしないよ。きっとそっちで楽しくやれるよな。だって君は神様に気に入られてるんだもんな。

 あの時、上りエスカレーターに乗った君と、下りエスカレーターに乗った俺の人生が交差した。本来ならそのまますれ違うはずだったけど、あの曲が二人を繋いでくれた。そして君は、下りエスカレーターに乗り換えて、全速力で俺を追いかけてきてくれた。

 …「その曲、教えてください!」

 次は俺が走る番だ。
「さてと」
 伸びをして腕時計を見る。そろそろ帰らなきゃ。今夜は予備校で集中講義だ。
「やってやろうじゃん、今度こそ絶対合格してやるぜ」
 俺は決めたんだ。もう一度頑張る…自分を信じて。

 車に乗り込みエンジンを掛ける。カーラジオからはDJの声。
「それではドリームドクターさんから懐かしのリクエストです。ベイシティボーイズで『夕焼けの丘』…」

―了―