回を重ねたからこそより味わい深くなる、そんな心の名作を研究するシリーズの27回目は、一年半をかけて行なったドラえもん映画の長期研究でした。当初は一年の予定でしたが、改めて観賞するとどの作品にも思いが込み上げてきて、一か月に一つ研究コラムにまとめるのが精一杯でしたが、無事にやり遂げられて満足しています。
■福場的総括
今回研究対象としたのは、藤子・F・不二雄先生がご存命で携わられた第18作の映画まで。着目したポイントは3つです。
1.主旋律と副旋律
ドラえもん映画の一番の味わいは、いつもと違う世界を旅する異世界冒険。ほとんどの作品でこれが主旋律となっていました。タイムマシンで行く別の時代だったり、宇宙船で行く別の惑星だったり、地球の中に隠されていた別の文明だったり、ひみつ道具で生み出された別の次元だったり、藤子F先生は魅力的な冒険部隊をいくつも創造されました。
主旋律の例外としては、冒険より戦争の色が濃かった第7作『のび太と鉄人兵団』、冒険をせずに傍観に徹した第16作『のび太の創世日記』です。
そして、ドラえもん映画の冒険以外の味わいとしては、その作品ごとのテーマ性だったり、精神性だったり。それをこの研究では『副旋律』と表現して取り上げてきました。
時に優しく包み込むように、時に厳しく警告するように、F先生の人間愛・生命愛に溢れた数々の副旋律は、幼い子供の頃よりも、大人になってからその音色に気付いた物が多かったように思います。ドラえもん映画が何度観ても味わえる、歳を重ねるほどに奥深いのは、ほのかながら揺るぎない副旋律のおかげなのでしょう。
2.冒険の渦中で帰宅
ドラえもん映画には、冒険の渦中で日常の世界にふと戻る場面があり、僕は子供の頃からこれが大好き。どうしてと言われてもうまく説明できませんが、あのほっとしたような、せつないような感覚が、とにかく心に染み入るのです。
特に好きなのは第5作『のび太の魔界大冒険』で魔界からいつもの部屋へ戻ったシーン、第13作『のび太と雲の王国』で天上連邦を脱出して自分たちの王国へ帰還したシーン、そして第14作『のび太とブリキの迷宮』で強制的にチャモチャ星から地球へ返されたシーンです。
いずれも問題は何も解決していない状況、それでも自分だけが慣れ親しんだ場所に戻った懐かしくて寂しい感慨。
職場と自宅が近所だと短い昼休みでも帰宅する人がいますが、それも社会人としての緊張や警戒を緩める大切なひと時なのでしょう。
3.冒険の切り替わり
ドラえもん映画によく見られる、最初は「巻き込まれた冒険」だったのが、途中から「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面。これも僕が大好きな要素です。
みんなで異世界へ遊びに行ってそこでトラブルに遭遇、冒険を続けるうちに脱出のチャンスが訪れる。そこで戦いをやめても自分たちの生活には特に支障はなく、むしろ抜け出せてほっとするのが人情。それでも彼らは、臆病な勇気を奮い立たせて今度は自ら冒険世界へ飛び込んでいく。
第2作『のび太の宇宙開拓史』では、もしかしたら出入り口が消えて自分たちの世界に戻れなくなるかもしれないのに、ロップルの窮地を救うためにのび太とドラえもんは飛び込んでいき、それを知った残りの三人も後を追って飛び込みました。第3作『のび太の大魔境』では、逃げる道は示されたのにペコに力を貸すためにジャイアンが爆撃を受ける森へ飛び込んでいき、残りの四人も後を追って飛び込みました。第6作『のび太の宇宙小戦争』でも、第11作『のび太とアニマル惑星』でも、離れ離れになった遠い星の友人のために、五人は宇宙へ旅立っていくのです。
その際のドラえもんの「でも逃げることは許されない、頑張るしかないじゃないか」、ジャイアンの「友達が助けを求めてるのに、知らん顔をしていられるか」などのセリフが象徴的です。
そしてもちろん、一人ではこんな勇気は持てません。五人一緒だからこそ、弱虫な少年少女はみんなとちょっぴり強くなれる。
藤子F先生が描かれたのは、僕が一番大好きな映画主題歌『だからみんなで』に歌われているような、力と心を合わせることで道が切り拓かれる、最初は渋々だったけど最期は小さく胸を張れる、そんな冒険だったのです。
4.まとめ
今回改めてドラえもん映画を見返して感じたのは、『主旋律と副旋律』については、シリーズ中期に副旋律のテーマ性が強いということ。第7作『のび太と鉄人兵団』辺りから第14作『のび太とブリキの迷宮』辺りまで、人間について、文明の在り方について、環境問題について、考えさせられるエッセンスが抱負に含まれています。
『冒険の渦中で帰宅』については、シリーズを通してその場面がありますが、単純な息抜きだったり、ギャグシーンだったり、起死回生のきっかけだったり、その重要度・印象度は作品によってまちまちです。
そして『冒険の切り換わり』については、シリーズ前期から中期にその傾向が強く、第4作『のび太の海底鬼岩城』辺りから少しずつのび太たちの精神年齢が上がっていき、第8作『のび太と竜の騎士』辺りをピークに、また緩やかに下降していくので、冒険を切り換える勇気もそれと相関して質が変化しているように感じます。
これは五人が経験を積んで冒険に慣れてしまったことも大きいと思いますが、第10作『のび太の日本誕生』辺りから徐々に冒険はいつものことという雰囲気になり、シリーズ後期の第17作『のび太と銀河超特急』辺りからは、勇気は逡巡の末に搾り出す物というより、少年らしい無邪気な物に変わりました。
ちなみに子供心に夜眠れなくなりそうな恐怖演出や、のび太と友情の絆を結ぶゲストキャラクターの存在も、シリーズ前期から中期にその傾向が強く、後期では控え目になっていきました。特に第15作『のび太と夢幻三剣士』以降は異色作が続いたこともあり、初期のように冒険の六人目のメンバーと呼べるようなゲストキャラクターは登場しません。
これもシリーズを重ねたからこそ、新しいパターンを藤子F先生が模索された結果なのでしょう。いつものドラえもん映画らしさも大切にしつつ、毎回その作品ならではの要素も忘れない。毎年毎年これを生み出しておられた藤子F先生、すご過ぎます!
■福場への影響
最期に少々思い出話を。
ドラえもん映画が始まったのは僕が生まれた1980年。小学校時代は、春休みに家族で楽しむことが多かったです。特に第9作『のび太のパラレル西遊記』は本当に本当にワクワクが止まらなくて、親や親せきにせがんで計3回も映画館へ連れて行ってもらいました。
中学に進学すると、同級生数名で映画館に行くのが毎年の恒例となりました。どういう経緯でそうなったかはよく憶えていませんが、きっと僕が普段からドラえもんの話題をたくさん出していて、同じくドラえもん好きの友人と盛り上がり、二人で周囲を巻き込んでそういう流れに至ったのでしょう。当時はメガネを掛けていたこともあって、その友人からは「野比くん」とも呼ばれていました。体型はジャイアンでしたが。
また映画観賞のみならず、コロコロコミックの誌面で「次の映画ではドラえもんたちにどんな世界で冒険してほしいですか?」のような企画があると、振るって応募もしました。
僕が考えたのは、実は太陽の内側には文明があったという『のび太と光の国』、友人が考えたのが、パパの体の中に入って冒険するという『のび太と体内メガロポリス』。もちろんどちらも不採用でした。
高校1年生になる春休みにも第17作『のび太と銀河超特急』を観に行き、ドラえもん映画がまた盛り上がってきたぞと友人と次回作を楽しみにしていました。そのため、同年の秋に藤子F先生の訃報を耳にした時には心から残念でした。
そして翌年の春休み、毎年のメンバーで第18作『のび太のねじ巻き都市冒険記』を映画館で観賞。ドラえもん映画はこれで終わりという思いもあり、どこか覚悟して席に座りました。帰り道での友人の感想は「種まく者が良かった」。僕も当時夢中になっていた嘉門タツオさんのラジオ番組に、この映画の感想を投稿して読んでもらったのを憶えています。
そして高校3年生になる春休み、ドラえもん映画は藤子F先生不在で製作されましたが、友人との都合がつかず、結局そのまま観ることなく終わりました。そしてその翌年の春には大学進学で故郷の広島を離れたため、東京にはあの友人のようなドラえもん好きはおらず、以降新作をテレビやDVDで観ることはあっても、映画館へ足を運ぶことはなくなりました。それでも音楽部を引退した時には、後輩たちから大きなドラえもんのぬいぐるみをプレゼントされたので、ドラえもん好きはバレていたようですが。
やがて大学を卒業、視力低下でこれからの進路を見失い、立ち止まっていた時。大山のぶ代さんたち声優陣がドラえもんを卒業され、シリーズ開始以降、ドラえもん映画が公開されない初めての春となりました。自分が生まれた年に始まったドラえもん映画、自分が立ち止まった年にドラえもん映画もお休みか、と不思議なシンパシーを覚えたものです。
紆余曲折ありましたが、自分も視力低下と医療の道を「巻き込まれた冒険」ではなく「自分で選んだ冒険」に切り換えねばと気付かされ、その翌年、新たな声優陣でドラえもん映画がリニューアルスタートした春、僕もどうにかまた歩き出すことができたのです。
あれから長い長い時間が流れて、気付けば北海道で暮らすようになっていた自分ですが、近年あの友人に匹敵するドラえもん好きの人ともめぐり会い、僕の熱もぶり返しました。
今年の春には29年ぶりに劇場でドラえもん映画を観賞。作品は第4作『のび太の海底鬼岩城』のリメイク版。視力を失ってもうスクリーンは見えませんでしたが、記憶の中の映像と重ねて十分に味わうことができました。そして今の時代の子供たちが、同じようにドラえもん映画を楽しんでいる劇場の雰囲気を、肌で知ることができたのです。
今改めて感じることは、自分は思っていたよりもずっとずっとドラえもん映画が大好きだったということです。この研究コラムも、映像については記憶だけで書いてきたので間違いもあるかもしれませんが、ドラえもんが天上世界を守るために飛び出す場面、のび太が美夜子さんと涙の笑顔を交わす場面、しずかがリルルと最後の握手をする場面、ジャイアンがペコを追って炎の森へ消えていく場面、スネ夫がラジコン戦車でしずかをかばう場面などなど、音声だけで全て鮮やかに思い出すことができました。それくらい、かつての僕は食い入るようにドラえもん映画を観て、心に焼き付けていたのだと思います。
これからも、講演のお仕事の中で時々ドラえもんの話をするでしょう。趣味のギター弾き語りでは『ドラえもんのうた』、そして『少年期』を歌うでしょう。部屋の片隅には引退ライブでもらったドラえもんのぬいぐるみが座っているでしょう。あの友人と再開できたら、最近のドラえもん事情を語り明かすでしょう。
藤子・F・不二雄先生が亡くなられて本日で丸30年になります。
先生がいなくなった未来を、気付けば自分は三十年間歩いたのです。長い間、ずっと心を支えてくれる、豊かにしてくれる、そんないくつもの笑いと感動を、本当にありがとうございました!
素敵な22世紀が来るように、僕たちはこの21世紀をみんなで頑張ります。
令和8年9月23日 福場将太