心の名作#27 ドラえもん映画の研究⑱ のび太のねじ巻き都市冒険記

 僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの最終回です。

■研究作品

 昨年3月から開始したこのシリーズ。まあ研究とは名ばかりで、概ね月に一作ずつ、ドラえもん映画についての自分の思いをしたためてきました。第1作『のび太の恐竜』から始めて、当初は第17作『のび太と銀河超特急』までと考えていました。
 というのも、藤子F先生は第17作の公開から半年後にご逝去されているからです。翌年公開された映画は、スタッフのみなさんが先生の残しておられたメモや話しておられたストーリーを頼りに、途中で絶筆となっていた原作漫画の続きを補って製作した物。つまり、藤子F先生の純粋なオリジナルではないわけです。
 ただこの一年半、ドラえもん映画を改めて観賞してきて、やっぱり最後はこの作品について書きたいと強く思いました。最終回はそんな1997年3月8日公開の第18作『のび太のねじ巻き都市冒険記』を研究します。大丈夫だよ、この星は不思議な力を持ってる。

■ストーリー

 どんな物にも命を吹き込むことのできるひみつ道具・生命のねじ。のび太たちはこれを使い、偶然見つけた自然豊かな小惑星にぬいぐるみとおもちゃの町を建造。『ねじ巻きシティー』と名付けて楽しむが、不思議な落雷の影響を受けて知恵を得たぬいぐるみたちは、急速に独自の文明を発展させていった。一方、地球から迷い込んだ前科百犯の凶暴犯・熊虎鬼五郎は、たまたま拾ったひみつ道具で自身のコピーを生み出し、徒党を組んでねじ巻きシティーを乗っ取ろうと画策する。
 やがてドラえもんたちや鬼吾郎一味の前に現れる謎の大魔神。さらに地割れに落ちたのび太には、「種まく者」と名乗る少年が語り掛けてきた。はたしてこの惑星で何が起きているのか? 五人は平和を守ることができるのか?

■福場的研究

1.主旋律と複旋律

 ドラえもん映画の主旋律は『異世界冒険』、今回の舞台はのび太たちがねじ巻きシティーを建造した小惑星です。
 初めて映画館で観た時からそうなのですが、僕にとって本作は位置付けが難しい作品。過去の傑作のように、感情を揺さぶられる衝撃展開や壮大なカタルシスのある映画ではありません。かといって全く物足りないかというとそうでもなく、この作品にしかない輝きを確かに感じるのです。まずはその辺りから研究を。

 物足りなさについて。本作はシリーズで最もフィールドが狭い。物理的に狭いというより心理的に広がりを感じません。
 映画の序盤、ねじ巻きシティーで遊ぶのび太たちですが、そもそもおもちゃの町なのでこじんまりとしています。映画の中盤では、森から岩山を越えて地割れまで行きますが、大魔神に追われてまた森に戻ってくる。森からロケットで宇宙へ出たかと思えば、またロケットで同じ森に戻ってきます。
 映画の終盤でも、鬼五郎一味にねじ巻きシティーを乗っ取られた時は森で待機、ねじ巻きシティを取り返したら鬼五郎一味は森へ退散、今度はまた鬼五郎一味が森から攻めて来たのでねじ巻きシティーで迎え撃ち、最後は逃げた鬼五郎を森へ追いかける。
 そんな感じで、のび太たちは同じ場所の中を行ったり来たりしているだけ。まるで場面転換のない舞台劇のようで、ドラえもんの冒険活劇としては地味に感じました。

 また、フィールドだけでなく、冒険のスケールもいささか小さい。今回ののび太たちには、地球を救うとか、元の世界へ戻るとか、何か一貫した目的があるわけではなく、起こった出来事に対処する動きが基本。敵役は宇宙人でも魔物でもロボットでもないただの中年男。ピストルを持ってはいますが、これまで世界を滅ぼそうとする軍隊とだって戦ってきたドラえもんたちですから、どうしても強敵には思えません。しかも一人の人間が複数にコピーされて集団でいる映像は、生理的に気持ちの悪さも感じてしまいました。

 ストーリーの構成も異色で、のび太たち、鬼五郎一味、ねじ巻き都市のぬいぐるみたちが別々に行動するため、それぞれの動向が並行して描かれて生きます。のび太たちが楽しく遊んでいる裏で、鬼五郎一味は大魔神と奮闘。みんなが宇宙へ行っている間にぬいぐるみたちは話し合い。やがて三つの物語が交差していく群像劇の面白さはあるものの、単純にドラえもんの活躍を期待して本作を観てしまうと、鬼五郎一味だけの場面がやけに長いことに戸惑いを覚えます。
 また、当初は最大の敵かと思われた黄金の大魔神は中盤で退場し、一度は共闘した鬼五郎一味が結局最終的な敵になるという展開も、意外性はありながら肩透かしの感も否めません。
 BGMについても、生命のねじで命を与えられた骨格標本たちが登場する場面で流れるエキセントリックな曲が、どうにもこれまでのシリーズとテイストが異なる気がして好きになれませんでした。

 とまあ、いつもと違うフィールド、スケール、構成、展開、テイストに、やっぱり藤子F先生がいないとダメなんだ、なんて思ったりもしたものです。ただ、前述のように本作ならではの輝きも存在し、この作品をシリーズベストに選ぶファンがいたとしても全くおかしくありません。続いてはそんな輝きについての考察を。

 例えば、火星から飛んできた隕石に生命の痕跡があった、という現実の時事ニュースがいち早くストーリーに盛り込まれていたのには興奮しました。ドラえもん映画のSFは、ちゃんと教養に基づいているのが良いですよね。
 また、言葉としては出てきませんが、コピーされて人数を増やした鬼五郎の姿は、当時少しずつ現実味を帯びていたクローン技術を意識させるもので、その是非を考えさせられました。
 シリーズを通してくり返しテーマになってきた環境問題についても、一方的に自然を守ろうとか、人間が間違っているとかではなく、「ちゃんと植物と対話しよう」というメッセージに昇華されているのが素晴らしく、本作で五人が環境問題に向き合う姿勢はとても自然体です。
 「この星の植物は心を行動に表すことができる」というある人物のセリフもとても印象的で、クライマックスで植物がのび太の助っ人になってくれる場面は、まさにこの舞台、この雰囲気だからこそ成立する本作ならではの輝き。ずっとそこにあった森が助けてくれた、どちらかの庇護ではなく持ちつ持たれつの共存、これぞ藤子F先生の世界観だと思います。

 そして何と言っても、本作最大の輝きは…種まく者とホクロさん!
 種まく者は造物主であり、これまでも色々なキャラクターが登場してきたドラえもん映画の中でも、これは最上級の存在。実際は優秀な科学者だったのが神話では神様として伝わった、といううような設定は過去作でもありましたが、本作の種まく者は正真正銘の神様。最初はその正体に呆気にとられましたが、種まく者とのび太が会話するシーンこそこの映画のハイライト。美しい主題歌のメロディが劇的なアレンジで流れる中、種まく者が飛び去って行く場面は映画館で膝が震えました。

 そしてホクロさん。鬼五郎のコピーでありながら、一人だけ気弱で優しい人柄。まるで「どんな人間にも必ず良心がある」「人は生まれ変われる」ということを体現したような存在で、ホクロさんの挙動を見ていると、何か心にあたたかい物が込み上げてきます。やたらに鬼五郎一味の場面が多い本作ですが、ホクロさんの物語と思えば、もっとずっと見ていたい気持ちになります。こんな愛しいキャラクターを生み出せるのも、やっぱり藤子F先生ならではですよね。
 最後に鬼五郎一味が捕まり、元の一人に戻される場面。そうなると当然ホクロさんは消えてしまう運命。彼の涙の結末をぜひ味わってください。

 このように、地味ながら輝きを放つ本作。公開当時に観た時には、「藤子F先生はどこまでストーリーを考えておられたんだろう」という思いが大きかったですが、今回久しぶりに見返して、「残されたスタッフさんたちはどんな気持ちでこの映画を作ったんだろう」という思いに初めてかられました。ドラえもんを生み出し、歴代シリーズの物語を考えてきた藤子F先生。映画製作において、実働的にはもちろん、精神的にもみんなの支柱。そんなとってもとっても大きな存在を失って、自分たちだけでドラえもん映画を作れるのか、作ってよいのか。きっとものすごい葛藤があったんだと今なら想像できます。
 でも藤子F先生はすでに原作の筆を執っておられた。タイトルも決まっていて、漫画連載も始まっている。先のことはともかく、この作品だけは仕上げなければ。悲しみに立ち止まる余裕もなく、映画を完成にまで導いたスタッフさんたち、その上で『製作総指揮 藤子・F・不二雄』と最大の敬意と感謝を込めてスタッフロールに表示したその姿勢には、心から感謝の拍手を送りたいです。そんな気持ちで観賞すると、本作はなんだかどの場面もキラキラ輝いて見えますね。

 思えばこの映画にはシリーズの過去作を彷彿とさせる場面がたくさんあります。
 例えば音楽。第1作『のび太の恐竜』の開幕局だった「あったまデカデカ」の歌が流れたり、初期シリーズで使用されていた懐かしいBGMもちらほら。特にのび太がみんなと再会する場面で流れる曲には「あ、このメロディ!」と長年のファンは涙が出そうになることでしょう。
 セリフにおいても、のび太が「まるで孫悟空みたい」と口にしたり、スネ夫が「ブリキのおもちゃ」と口にしたり、それぞれ第9作『のび太のパラレル西遊記』と第14作『のび太とブリキの迷宮』を思い出させます。
 またストーリーにおいても、のび太が不思議な夢を見る場面は第10作『のび太の日本誕生』や第13作『のび太と雲の王国』などでも印象的でしたし、最終決戦前夜の決起集会は第7作『のび太と鉄人兵団』や第11作『のび太とアニマル惑星』などでも見られました。
 得体の知れない存在を感じさせる恐怖演出、誰かの一言でみんながズッコけたり、無理矢理四次元ポケットに手を突っ込まれて変な物が飛び出したりするギャグ演出、ドラえもんが故障してしまう悲劇演出も、過去作でお馴染み。さらに前作『のび太と銀河超特急』でもらったアイテムが、本作ではそのことに触れられながら再登場しています。
 ややあからさまかもしれませんが、こういった心遣いが本作がちゃんとシリーズの一作であることを補強しているのです。

 五人の個性もバランス良く発揮されていて、まずはのび太。射的と植物への優しさに加え、泳げないことをからかわれたり、タケコプターが最初に電池切れを起こしたり、しずかちゃんのために勇敢になったりするのも彼らしい。
 また、久しぶりに単独行動の展開も。子供の頃は、五人で冒険しているのにどうして『のび太の○○』というタイトルなのか疑問でした。でも彼がみんなとはぐれて一人で行動する場面が大抵あるので、やっぱり映画はのび太が主役の物語なんだと納得していました。
 本作には、地割れに落ちた彼がみんなと再会するまで、色々なキャラクターに助けられながら頑張る場面があります。第10作『のび太の日本誕生』で一人雪山に取り残された場面然り、第13作『のび太と雲の王国』で故障したドラえもんを連れて脱出した場面然り、まさにのび太の冒険ですね。
 第5作『のび太の魔界大冒険』以来久しぶりに、みんなで石ころ帽子をかぶる場面で彼の姿だけ視聴者に見える演出も、やはり主人公はのび太という感じがして懐かしかったです。

 続いてしずか。思いやりがあり、第3作『のび太の大魔境』ではジャイアンの秘められた苦悩を察し、第4作『のび太の海底鬼岩城』ではみんなから疎まれた水中バギーをかばった彼女は、五人の中で誰より人というものを見ています。本作でも鬼五郎一味の中でホクロさんだけが優しさを持っていることにいち早く気付き、戦いが終わって捕らえられた彼が寂しい笑みを浮かべていることにも唯一気が付いています。
 第7作『のび太と鉄人兵団』のリルルともそうでしたが、彼女との心の交流でゲストキャラクターたちに変化が生じるのも、ドラえもん映画の醍醐味ですね。
 ちなみにのび太との絆もしっかり描かれていて、緊急事態でみんなが大混乱する中、地割れに落ちた彼をずっと案じ続けている姿が可憐です。

 そしてジャイアン。前作に引き続き勇敢なガキ大将としての姿が健在です。本作では久しぶりに「任されよ!」「心の友よ!」の決めゼリフを言ってくれるのが嬉しい。ちょっといじける姿も、第11作『のび太とアニマル惑星』などで描かれた彼らしさですし、痛い目に遭ってヘロヘロしながら「そうしよう」と同意する姿も、第13作『のび太と雲の王国』などで見られた彼の愛すべき所です。
 BGMでは、「俺はジャイアーン」のメロディが複数のアレンジで流れるのも贅沢です。一方で、ぬいぐるみのティラちゃんを可愛がる姿は新たな一面でした。

 続いてスネ夫。冒頭の自慢話に始まり、本作では第6作『のび太の宇宙小戦争』以来、彼のラジコンの腕が存分に発揮されます。普段はジャイアンの尻に敷かれる彼が、大魔神との戦いで「ジャイアン、手伝って」と声を掛けるのも新鮮。二人の相棒関係がよく表れていますね。
 また、ジャイアンなどの言動に対して地味ながらちゃんとツッコミを入れているのもまさにスネ夫の役割。もうちょっと辛口でも良いくらいです。

 最後はドラえもん。「あれでもない、これでもない」とひみつ道具をばらまく場面、「タヌキじゃない、猫型ロボット!」と怒る場面、自分の失敗に責任を感じて泣く場面も久しぶり。おっちょこちょいだけどみんなを見守り、導く存在である立ち位置が愛しいです。

 こんなにふんだんに五人それぞれの要素をストーリーに盛り込んでいるのは、きっとスタッフのみなさんが『これまでと同じドラえもん映画らしさ』が本作から失われないように苦心された結果なのでしょう。藤子F先生ご本人であれば、全て盛り込まなくても今回は何を強調して何をカットするか、誰を目立たせて誰を引っ込ませるか、というご判断ができるのでしょうが、スタッフのみなさんがそれをするのは恐れ多いこと。そのため、引き算ではなく足し算で盛りだくさんになっている本作ですが、でもきっとこれが正解。まずは藤子F先生の創られたドラえもん映画をなるべくそのまま引き継ぐことに注力されたのだと想像します。
 スタッフのみなさん、本当にお疲れ様でした。この映画を完成させてくださったことに、敬意を評します。

 そんな本作の副旋律は『生命』。まずは生命のねじというひみつ道具があまりにも奥深い。この道具で生命を与えられ、自ら考え動くようになったぬいぐるみたちの姿は、可愛いものであると同時に脅威も覚えます。他にも、意思を持った植物、コピーされて増殖した鬼五郎、生命の種をまく造物主など、本作には「生きるとはどういうことか」「生命とは何を持って生命なのか」ということを考えさせるエッセンスがいくつも登場します。
 そして、物語が始まった時点でもうのび太は生命のねじを普通に用いていて、どんな理由で、どんな状況でドラえもんがこのひみつ道具を出したのかは作中で語られません。最後の戦いでは、生命のねじに鬼五郎の銃弾による傷が残ります。壊れてしまったのか、大丈夫なのか、それも明言されず、ただ傷口の小さな輝きだけが描かれるのです。
 始まりはわからない、終わりも曖昧、そして傷付くことなく存在することはできない。もしかしたらそんな生命のことわりもこの道具に込められていたのかもしれません。藤子F先生が本作の執筆中に逝去されたということも、本作が命をテーマにしていることに更なる重みを与えています。

 そして本作のもう一つの副旋律は『未来を任せる』。種まく者は、当初植物だけの星を造ろうとしていましたが、やがてのび太たちに未来を任せて去っていきました。事件が解決した後、ねじ巻きシティーのことはぬいぐるみたちに任せようとドラえもんが提案し、五人も地球へ帰りました。
 そして藤子F先生も、ドラえもんという作品の未来をスタッフのみなさんに任されたのでしょう。生命は永遠ではない。家庭でも、職場でも、永遠に存在する人はいない。それでも未来を任せていくことで、ずっと続いていく物語もある。
 本作のラストでは、五人がそれぞれの別れの言葉を告げます。それはねじ巻きシティーに残るぬいぐるみたちへ向けられたものですが、明らかに映画を観ている子供たちに向けられたものでもありました。藤子F先生によるドラえもん映画はこれで本当におしまい。本作で映画シリーズは完結という思いも、スタッフさんの中にあったのかもしれません。
 僕にとっても、これが映画館で観た最後のドラえもん映画となったのです。

2.冒険の渦中で帰宅

 僕の好きな、冒険の渦中で日常の世界に戻るシーンですが、本作ではしずかちゃんの持って来たお猿のぬいぐるみがのび太の部屋にスペアポケットを取りに戻る場面にそれが見られます。第14作『のび太とブリキの迷宮』と同じ起死回生のアイデアではあるのですが、ポケットを別の物と勘違いするギャグまで同じというのに笑ってしまいます。

 また、学校の骨格標本、子供が遊ぶパンダの乗り物、公園の小便小僧など、僕たちの日常にある物が生命を与えられて仲間となり、遠い星で一緒に戦うという設定が本当にワクワク。これもまた日常とSFが混在する藤子F先生の世界です。

3.冒険の切り替わり

 ドラえもん映画によく見られる、最初は「巻き込まれた冒険」だったのが、途中から「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面ですが、のび太から種まく者の話を聞いたみんながねじ巻きシティーを守るために奮起するシーンとして描かれています。「私たちにもこの星を守る責任があるわ!」とみんなをたきつけるしずかのセリフが象徴的ですね。

 人間の感情は自分の内側から燃え上がるものばかりではありません。誰かから託されて燃え上がる情熱もある、勇気もある。今自分は誰に何を託されているのか、僕も時には考えてみたいと思います。

4.その他

 それでは、他の見どころもいくつか。

 洪水の後の場面で、ドラえもんがのび太に言う「よく頑張ったね」。これは第10作『のび太の日本誕生』で吹雪を抜けた場面で言うセリフに重なります。また地割れに落ちて行方不明になったのび太に向けて言う「無事でいてくれ」、これも第8作『のび太と竜の騎士』で行方不明のスネ夫に向けて言うセリフに重なります。シリーズを通して、ドラえもんはずっとドラえもんらしい言い回しで喋ってくれる。この安心感、大山のぶ代さんはやっぱりすごい!

 日常の場面では、のび太のパパが登場したり、みんなで集まる言い訳をまた宿題にしていたり、野比家から帰るみんなをのび太とママが見送ったり。こういう場面が挟まってほっこりするのもドラえもん映画の魅力です。

 本作では鬼五郎目線の場面が多く、たまたま迷い込んだ彼がのび太たちを見て「不思議な子供たち」と表現しているのが面白いです。そう、客観的に見ればドラえもんとひみつ道具で遊んでいる姿はあまりにも不思議。当たり前になって僕もすっかり忘れていました。
 ぜひ、本作を別視点で描いた映画ドラえもん『鬼五郎と不思議な子供たち』を製作してほしいです。

 本作には、出木杉くんやドラミちゃん、ジャイアンの母ちゃんなど、キャラクターとしては登場していませんが、その声優さんたちが別役で参加しておられます。鬼五郎の声優さんも、シリーズ初期からドラえもん映画の敵役を演じてきた方。
 藤子F先生の最終作を盛り上げようと、これまで携わってきたスタッフとキャストのみなさんが集まった…そんな団結って素敵ですよね。本作はそんな大団円を感じる映画でもあります。
 一方で、シリーズの主題歌を長年提供してきた武田鉄矢さんは本作には不参加で、新たな方が主題歌を担当されています。そして翌年からのドラえもん映画では色々な方が主題歌を担当していくことになります。つまり本作の大団円の中には、少しだけ新たな始まりも含まれているのです。
 その後、2004年までこの製作陣での映画が続いたことを思うと、本作は藤子F先生のオリジナルのストーリーの時代と、スタッフさんたちが新たに生み出したストーリーの時代をつなぐ、唯一無二の映画と言えるでしょう。

 では今回はこのくらいで。次回はこれまでの研究を総括しておしまいです。

■好きなセリフ

「じゃあみんな、元気でね!」
 ドラえもん

 ぬいぐるみたち、そして映画を観ている子供たちに告げた本作最後の言葉

令和8年9月3日  福場将太