心の名作#27 ドラえもん映画の研究⑯ のび太の創世日記

 僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの16回目です。

■研究作品

 猛暑・酷暑が騒がれる夏休み、今の時代の子供たちはどんな過ごし方をしているのでしょうか。小学校からはどんな宿題が出されているのでしょうか。
 僕の頃には、学習ドリルと並んで自由研究という物がありました。自分で興味を持ったことに対して観察したり実験したりして、それをまとめたレポートを作る。低学年の頃は、朝顔を育てて観察したり、お風呂に色々なおもちゃを浮かべて浮き方の違いを実験したりしましたが、だんだんネタがなくなって、高学年になってからは自由創作に切り替え、毎年オリジナルの絵本を作っていたのを思い出します。
 そういえば去年からやっているこのドラえもん映画の研究もいわば自由研究。小学生の頃に思い付いていればなあ、夏休みをかけてレポートを書き上げたのに。もしそうしていたら、先生は花マルをくれたでしょうか。
 子供たちを悩ませる夏休みの自由研究。ドラえもん映画の中にも、のび太たちがあまりにも壮大な自由研究をするエピソードがあります。今回はそんな1995年3月4日公開の第16作『のび太の創世日記』を研究します。共同研究だからな、忘れんなよ!

■ストーリー

 夏休みが半分過ぎても自由研究のテーマが見つからないのび太のために、ドラえもんが出してくれたのは『創世セット』。それは自らが神様になって宇宙も惑星も生物も、世界を丸ごと創造することのできるひみつ道具だった。さっそく新しい太陽系に新しい地球を生み出し、観察日記をつけ始める五人。やがて人類が誕生し、特にのび太にそっくりな一つの家系の歴史を追っていく中で、新世界には現実の地球とは異なる進化を遂げた生物が存在することがわかってくる。時代が進み、新世界の人類はその種族と対立する局面を迎えた。
 はたして、神様として争いに和平をもたらすことができるのか? そしてのび太の自由研究は無事に完成するのか?

■福場的研究

1.主旋律と複旋律

 ドラえもん映画の主旋律は『異世界冒険』、とこれまでの研究コラムでずっと書いてきましたが、本作は全くそうではないという点でシリーズでダントツの異色作となっています。
 前作『のび太と夢幻三剣士』もいつもと異なる雰囲気が多々ありましたが、それでも異世界を冒険するという主旋律は保たれていました。第7作『のび太と鉄人兵団』も冒険のニュアンスは薄目でしたが、仲間と力を合わせて敵と戦うのは同じでした。しかし今回はそもそも冒険がない、力を合わせて敵に立ち向かうこともない。のび太たちはずっと創世セットで新世界の様子を観察していくだけなのです。時にはのび太たちさえその場にいないこともあり、映画館の子供たちは新世界の人々の姿だけを長時間見守ることになります。
 僕も中学を卒業した春に毎年の恒例で仲間と映画館へ足を運びましたが、正直ドキドキやワクワクをほとんど感じませんでした。では不満だったかというとそうでもない。初見時の物足りなさは前作の方が大きく、むしろ本作はこれまでにないテイストであることが序盤からわかり、いつもの味わいとは違うけど、これはこれで心地良い、そんな不思議な満足感で映画館を出たのを憶えています。

 今回改めて観賞すると、その不思議な満足感の理由がいくつかわかった気がします。
 一つは教育要素。これまでのシリーズでも、恐竜のことだったり、海のことだったり、魔法のことだったり、藤子F先生が描かれるSFにはちゃんとリアリティを補強する強要が添えられていました。楽しい物語の中で、少しだけ挟まれるその学術的な解説が子供心に強い興味と関心を誘ったものです。
 本作はいわば教育要素の集大成の映画。宇宙と地球の誕生、生命の進化の歩み、文明の発展と課題など、藤子F先生の生物学や歴史学への造詣の深さがふんだんに盛り込まれています。

 またストーリーとしても、あまりにいつもと異なるので新鮮さは抜群。新世界の地球で古代から近代までそれぞれの時代で暮らす人々の姿が描かれますが、人類以外の種族の存在をちらつかせることで、ただの歴史教育漫画になっていないのがお見事。同時にいつもの町にも昆虫の姿をした謎の連中が現れ、ジャイアンとスネ夫をさらっていくという、当時のドラえもん映画の魅力である恐怖演出も忘れていません。
 映画の終盤、全ての事情が判明し、あっさり解決してしまうのは冒険や戦いを求める気持ちで映画を観てしまうと肩透かしですが、どこにも悪役がいない本作ならではの余韻もあり、実は相手側の事情も自由研究ならぬ卒業論文だったというオチも、とても藤子F先生らしいと思います。

 さらにもう一つ、本作に不思議な満足感をもたらしているもの。それは、これまでの映画シリーズのエッセンスがたくさん散りばめられていることではないでしょうか。
 まずは映画冒頭でのび太が語るアダムとイブの創世神話。これまでにも『のび太の鉄人兵団』のメカトピア、第11作『のび太とアニマル惑星』の動物の星、第13作『のび太と雲の王国』の天上国家など、その不思議な国がいかにして誕生したのか、世界を創った神とはどのような存在であったのか、神話という形でいくつも語られてきました。シリーズで色々な国の創世の物語を重ねてきたからこそ、世界を創る立場に立つという本作の壮大な設定をすんなり受け入れられたように思います。

 続いて映画の序盤。出木杉くんが夏休みの自由研究で作った多奈川絵巻ですが、多奈川といえば、第8作『のび太と竜の騎士』に出て来た重要な場所ではありませんか。
 さらにタイムパトロールと未来デパートの配達員も登場。タイムパトロールは記念すべき第1作『のび太の恐竜』と第10作『のび太の日本誕生』で、未来デパートの配達員は『のび太と夢幻三剣士』で、それぞれ印象的な役割を果たしましたね。
 物語が進み、海から生命が誕生しやがて陸へ上がる場面は、第4作『のび太の海底鬼岩城』と『のび太と雲の王国』で語られた母なる海の話に通じます。
 ティラノサウルスの登場に興奮するのび太の場面は『のび太の恐竜』を、惑星の衝突で恐竜が絶滅する場面は『のび太と竜の騎士』を、石器時代の氷河期でマンモスが登場する場面は『のび太の日本誕生』を、それぞれ思い出さずにはいられません。

 ひみつ道具についても、スペアポケット、タイムテレビ、お医者カバン、尋ね人ステッキなど、映画シリーズでお馴染みの物がいくつも登場。特に植物改造エキスは第3作『のび太の大魔境』、石ころ帽子は第5作『のび太の魔界大冒険』、芭蕉扇は第9作『のび太のパラレル西遊記』での場面が懐かしいです。
 BGMについても、のび太とドラえもんが白神様と戦う場面でなんだか懐かしいメロディが。これは『のび太の海底鬼岩城』で、ポセイドンを目指してみんなで敵を蹴散らしていく場面で流れていた曲のニューアレンジ。かっこよくてかわいい感じがドラエモン映画にぴったりですね。

 のび太たち五人についても、長年シリーズを重ねてきたからこその自然な役割分担があり、困っている人を放っておけないのび太、一番人や状況を見ているしずか、名投手のジャイアン、絵を描くのが上手なスネ夫、それぞれの得意を活かして観察日記に貢献し、それをドラえもんがあたたかく見守っている雰囲気が大好きです。
 五人以外のキャラクターも、もしかしたらオールスターが意識されていたのかなと思うくらいの充実ぶり。久しぶりの出木杉くんに加え、のび太のパパもママと揃って嘱託に登場。また訪ねて来たのび太の挙動を怪訝がるしずかちゃんのママ、これは第12作『のび太のドラビアンナイト』にもあった微笑ましい場面です。そして夏休み中のため姿は見せませんが、学校の先生も映画のエンドロールの最後の最後で素晴らしい花を添えてくれています。
 以上、けっして派手な感動がある作品ではありませんが、ずっとシリーズを追ってきた人にとって本作は、無意識の部分も含めて、ゆっくり過去作を心の中で振り返る、そんな楽しみ方もできる映画なのかもしれません。

 さて、そんな本作の副旋律はというと、いやそもそも主旋律の異世界冒険がないのでこちらが主旋律かもしれませんが、それは『出会いと別れ』。今回も主題歌の『さよならにさよなら』がそのテーマにシンクロしています。
 一つ一つの時代の物語の終わりになると流れるこの優しい曲。それぞれの時代に楽しみと苦しみがあり、それぞれの世代に喜びと悲しみがある。永遠ではない人生を紬ながら、出会いが別れに、別れが出会いにつながっていく。もういない祖先から、まだ見ぬ子孫へと、思いは受け継がれていく。
 そんな時代の積み重ねと命のくり返しを感じながら、今回僕はこれまでのシリーズで登場したゲストキャラクターたちの顔をたくさん思い出していました。どこにも過去作に言及するセリフはないのに、本当に不思議です。
 ピー助、ロップル、ペコ、エルとバギー、美夜子さん、パピ、リルル、バンホーさん、紅孩児と三蔵法師、ククルとペガ・グリ・ドラコ、チッポ、シンドバッド、パルパル、サピオ。もう会えないけどそれはさよならじゃない。出会いと別れをくり返して、ドラえもん映画も時代を重ねてきた、そしてこれからも重ねていく。
 珍しくフルコーラス流れるエンドロールの主題歌をゆったりと聴きながら、とても穏やかな気持ちで僕は久しぶりの干渉を終えました。

2.冒険の渦中で帰宅

 僕の好きな、冒険の渦中で日常の世界に戻るシーンですが、確かに新世界と現実世界をのび太たちは何度も往復しています。ただ本作ではそもそも冒険をしていないので、現実世界に戻ってほっとするあの感覚は味わえません。

3.冒険の切り替わり

 ドラえもん映画によく見られる、最初は「巻き込まれた冒険」だったのが、途中から「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面ですが、これも冒険をしていない本作では存在しません。
 のび太たちは一貫して神様の立場、だからこその本作の味わいなのです。

4.その他

 それでは、他の見どころもいくつか。

 何度も言うように本作では冒険をしないため、ピンチの中でかっこよくなるジャイアンも見られません。逆に普段のテレビシリーズのように、自分勝手でおとぼけなジャイアンが楽しめます。スネ夫にも、ちょっぴりナルシストという懐かしい設定が見られて面白い。自作の歌のテープを持参して自由研究に乱入してきたジャイアンに対して、スネ夫が叫ぶ「全てはおしまいだ!」が最高です。本当に名コンビですよね。

 続いてのび太としずかのロマンスについて。前作で一つの到達点を迎えた二人の関係、本作ではさらにその先が描かれます。ただし前作同様、のび太としずか本人ではなく、二人を投影した別キャラクターとしてですが。新世界の大正時代、のび太に当たる青年・のび秀としずかに当たる女性・しず代。二人の大人のやりとり、そして極限状況でのプロポーズが素敵です。しかもその場には出木杉くんに当たる出木松博士もいる、というのが、三人の関係に決着がついたようでもあり感慨深い。
 この出木松博士もシリーズでは特異な存在で、何しろ映画では冒頭にしか出番がないのがお約束の出木杉くんが、本人ではないにせよ、彼を投影したキャラクターとしてメインで物語に関わるのですから。ジャイアンでもスネ夫でもなく、のび太とお互いを認め合う相棒として出木杉くんが描かれているのが嬉しい。のび秀と出木松のやりとり、かっこよくてしびれますぜ。

 では今回はこのくらいで。次回は映画第17作、1996年公開の『のび太と銀河超特急』を研究します。

■好きなセリフ

「もう神様は必要ないよね」
 のび太

 新世界での争いが終わり、創世セットから離れる時の言葉

令和8年7月26日  福場将太