僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの15回目です。
■研究作品
映画でも音楽でも料理でも、重要なのはファーストインプレッション。初めてその作品に触れた時の印象が心に強く残り続けるものです。それがとても良いと、もう一度味わいたくなって、何度も触れていくうちに新たな魅力も発見し、どんどんその作品が好きになっていきます。逆に第一印象が良くないと、もう一度味わうことにも消極的になり、新たな魅力を探す機会もないままその作品と疎遠になってしまいます。
ただ、中にはファーストインプレッションこそぱっとしなかったものの、意外な魅力を含有した掘り出し物もあったりして、数十年越しに楽しめたりもするのが作品観賞の面白いところ。
今回はそんな1994年3月12日公開の第15作『のび太と夢幻三剣士』を研究します。現実感あり過ぎるよ!
■ストーリー
ドラえもんのひみつ道具『気ままに夢見る機』を使って、眠っている間に自分が活躍する夢を見ようとしていたのび太は、奇妙な誘いで特注の夢カセット『夢幻三剣士』を試すことになる。その夢の中での名はノビタニヤン、舞台はユメルミ国。妖霊軍団の侵略に困り果てた国王は、国を救った白銀の剣士をシズカリヤ王女と結婚させると宣言していた。
さっそく白銀の剣と兜を手に入れるための冒険を始めるノビタニヤン。やがてスネミス・ジャイトスという二人の剣士に加え、魔法使いのドラモン、さらに城から家出したシズカリヤ扮する旅の剣士・シズカールも仲間に加わる。
はたして妖霊大帝オドロームを倒し、ユメルミ国を救うことはできるのか?
■福場的研究
1.主旋律と副旋律
ドラえもん映画の主旋律は『異世界冒険』。これまでも宇宙だったり、海底だったり、動物の国だったりと色々な異世界を冒険してきたのび太たちですが、本作の舞台は夢世界。自分が眠っている間に見る夢の中で冒険する、というのはとても魅力的です。
ただ本作、僕はあまり夢中になれていませんでした。前述したようにファーストインプレッションがどうも物足りず、藤子F先生がご存命中の映画作品では、最もくり返し観た回数が少ないのが正直な所です。今回はどうして物足りなく感じたのか、その原因から考察していきます。
まずは期待したものとずれていたこと。前々作『のび太と雲の王国』、前作『のび太とブリキの迷宮』、共に歯応えあるストーリーと重厚なテーマ性を兼ね揃えた傑作で、今回もその路線だと無意識に思ってしまっていたのです。さらに『映画化15周年記念作品』と銘打たれていたことも、きっとものすごい超大作に違いないと、心のハードルを上げてしまいました。
また、単純な好みの問題もあります。今回はのび太たちが剣士に扮して旅をし、龍や魔物と闘うといういわゆるファンタジーの世界観で、ドラゴンクエストのようなロールプレイングゲームがモデルになっていると思われますが、僕は昔からファンタジーのテイストが苦手で、ロールプレイングゲームも一度もやったことがありません。つまり、そもそもの興味と基礎知識が不足していたのです。
さらに、ジャイアンとスネ夫の活躍シーンが少なく、最終決戦には参加すらしていないことも、いつもの五人での冒険を楽しみにしていた自分としては残念でした。
ただ、僕が本作に物足りなさを感じた一番の理由は、今回の冒険は全て『夢幻三剣士』というソフトの中での話ということ。最初から最後までのび太たちはそのソフトをプレイしているだけ、ユミルメ国も妖霊軍団もソフトの中の作り物と思ってしまうと、どうにも危機感が生まれませんでした。
類似の物語としては、第9作『のび太のパラレル西遊記』があります。ヒーローマシンというひみつ道具の西遊記ソフトをプレイするわけですが、ただしこちらではドラえもんのミスで妖怪たちがゲームの外へ飛び出してしまい、のび太たちは現実の世界を救うために戦うという必然性がありました。
本作でも、序盤においてオドロームの部下のトリホーが現実世界へ入り込み、のび太の周囲で不穏な動きを見せます。これは当時のドラえもん映画の魅力である恐怖演出であり、いったい何が起きようとしているのか、とてもドキドキさせられました。これまでも、第5作『のび太の魔界大冒険』での捨てられていたドラえもんの石像や、第8作『のび太と竜の騎士』でのスネ夫が目撃した恐竜など、序盤での謎の存在はいつも見事な伏線として回収されてきたからです。
ただ本作では、トリホーがのび太に干渉した理由は描かれていますが、そもそもどうしてソフトの中のキャラクターが現実世界へ飛び出して来れたのか、肝心なその説明が最後までありません。『夢幻三剣士』というソフトは一本限りで、強い力を持っていることは説明されるのですが、何故そうなのかがわからないのです。例えばソフト開発に陰謀が絡んでいたとか、システムにバグが生じたとか、そういう話があれば危機感も高まるのですが、それがないため、結局そういう不気味なソフトだったと思うしかないのです。
しかも妖霊軍団は現実世界への侵略をもくろんでいるわけでもなく、あくまでソフトの中の敵キャラがソフトの中だけで悪事を働いている状態。それはファミコンのスーパーマリオブラザーズでクッパ大王がキノコ王国を支配しているのと同じ、別にプレイヤーにとっては他人事、危機感も義務感も生じにくいのです。
確かにこれまでにも、他人事の世界のために戦ったことはありました。ただしそれは、第2作『のび太の宇宙開拓史』のロップル然り、第6作『のび太の宇宙小戦争』のパピ然り、第11作『のび太とアニマル惑星』のチッポ然り、のび太たちと友情を育んだゲストキャラクターがその世界にいたからです。
友達を放っておけない、だから助けに行く、というのはジャイアンを筆頭にドラえもん映画における重要な行動原理であり、映画を観る僕たちにもそれは共有されています。本作でも夢世界の中に友達がいれば十分な戦いの動機になったのですが、そんなゲストキャラクターは登場しませんでした。
ゲストキャラクターでなくても、第12作『のび太のドラビアンナイト』でしずかが絵本の中に取り残されたように、メンバーが危機に陥ればそれもその世界で冒険する強い理由になりますが、本作ではそんなことも起きないわけです。
加えて、夢世界の五人は、現実世界の人格と『夢幻三剣士』というソフトにおけるキャラクターの人格が混在していて、本人であって本人ではない。特に夢と現実を入れ換えるスイッチを押してからは夢世界の人格の方が主体になってしまうため、いつもの五人ではない、別人のような五人をどんな気持ちで応援すればよいのか、楽しめばよいのか、その辺りもどうにも勝手が掴めませんでした。
そして最後の最後、全てが解決した後にトリホーそっくりの人物が現れたり、映画のラストカットでとんでもない光景が描かれていたりと超展開。いったいどう解釈すればよいのか、わからないままエンドロールを迎えたというのが僕の感想でした。
これまでにも『のび太の魔界大冒険』のラストでまだのび太に魔力が残っているようだったり、第7作『のび太と鉄人兵団』のラストで消えたはずのリルルが姿を見せたり、といった少し不思議な描写はありましたが、それは気のせいと解釈しても問題ない程度に抑えられており、心地良い余韻や希望を残すものでした。
ただ本作のラストの不思議さはそれをはるかに超えており、そのままにするにはあまりにも不明瞭、謎の成分が強過ぎたのです。
…とまあ、色々不満点を並べましたが、実は本作、見方を変えればけっして物足りない作品ではありません。ここからはそんな考察をしていきます。
確かに、前々作や前作のような路線を期待してしまうと肩透かしを食らいますが、むしろ前々作や前作のストーリーは、これまでのシリーズに慣れ親しんだコアなファンを唸らせるひねり技であり、ドラえもん映画のスタンダードという意味ではむしろ本作。例えば本作がシリーズの2番目や3番目に配置されていたとしたら、こんなにワクワクする冒険活劇はなかったでしょう。
恐ろしい妖霊軍団を勇気と知恵、そしてひみつ道具の意外な使い方で打ち破っていくストーリーは、テレビシリーズのドラえもんが大好きな子供たちの心を鷲掴みすること間違いなし。もし僕が小学校低学年で、なおかつこれが初めて観たドラえもん映画だったとしたら、シリーズの初期作品がそうであったように、難しいテーマなんてなくても、ジャイアンとスネ夫の活躍が少なめでも、大満足したと思います。
そういう意味では、子供たちの世代も一回りした15作目にして一度複雑志向をリセット、新たにドラえもん映画を観る子供たちに向けて、わかりやすく楽しい作品を作ったのだとしたら、これ以上のものはありません。
挿入歌『夢の人』も素晴らしく、作中でこの曲が流れる場面は複数回ありますが、どれもタイミングが絶妙で、そのかっこいい歌と演奏に少年心が湧きたち、映画館の子供たちはみんな心の中で剣士に変身するのです。
さらに大人でも、ファンタジーが大好きな人ならば、その世界観の中にのび太たちがいることはたまらなく嬉しかったでしょう。
さらにさらに、推理小説好きの僕はついつい理路整然とした解釈を求めてしまいがちですが、はっきりと説明がなされないからこそ色々な考察が楽しめるわけでもあり、夢と現実が混じり合った本作の独特の雰囲気が大好きという人も多いはず。
異世界に転移して別の自分になって冒険する、というのはライトノベルで人気の設定ですし、複数のプレイヤーがそれぞれの家からアクセスして同じ仮想世界で冒険を共にする、というのはまさにオンラインゲームさながら。90年代半ばにこの設定を思い付いていた藤子F先生は、やっぱりすご過ぎますね。
そんな本作の副旋律は『のび太としずか』。これまでのシリーズでも時々描かれていた二人のロマンスが、これでもかと強調されています。
まずはのび太という少年の魅力。臆病でぐうたらだけど、人を傷つけることができない優しさと勇気の持ち主。本作でも、例え自分が不死身になるためだとしても、罪のない龍を退治することはできないと、彼は構えた剣を下ろします。そして逃げ腰でも、ユメルミ国の人たちを救うためにオドロームに立ち向かうのです。
続いてしずかという少女の魅力。可愛いけどお転婆で、女の子らしい思いやりと男の子っぽいわんぱくさを併せ持つ彼女は、王女が扮した剣士という役どころがぴったり。しかもノビタニヤンはシズカールがシズカリヤだとは認識していないので、わざとかっこ良い姿を見せてアピールしているわけでも、わざと弱い姿を見せて甘えているわけでもない。当初はさえないノビタニヤンを見てがっかりする彼女ですが、等身大での彼の優しさ、そしてひたむきさに徐々に気持ちを変えていき、大団円では結婚してもいいとまで思い至りました。
もちろんこれはしずか本人ではなく、夢世界でのシズカリヤの話。のび太も本人ではなく、夢世界でのノビタニヤンの話。本来の二人がゴールインしたらドラえもんという作品は終わってしまうので、全てが夢で別人格という本作だからこそ、ここまで踏み込んで描けたロマンスと言えるでしょう。
しずかがどうしてのび太を好きになったのか、本人であって本人ではない二人を通して、藤子F先生は最高の回答をプレゼントしてくださったのでした。
だから本作の最終決戦は、ジャイアンとスネ夫が引っ込んでいても問題なし。ドラえもんが活躍しなくても問題なし。お互いの夢の中でつながったのび太としずかが、無意識の絆でコンビネーションを見せる、最高のクライマックスなのです。
今回、シズカリヤの目線で本作を観賞すると、これまでにない味わいをいくつも感じました。ああ、こんなに魅力が隠れていたのか! 三十年越しに気付いたぜ!
2.冒険の渦中で帰宅
僕の好きな、冒険の渦中で日常の世界に戻るシーンですが、本作では夢世界と現実世界を何度も往復するため、あまり際立つ感じはないのですが、それでもノビタニヤンがオドロームに襲われて命を落とす寸前に、のび太が目を覚まして助かる場面は印象的です。まさに夢から現実に引き戻された状態、しかもそれがママの介入によるものというのがドラえもんという作品らしくて微笑ましい。
のび太たちがピンチに陥るきっかけを作ったり、かと思えばピンチから救うきっかけを作ったり、部外者ながら実は冒険の命運を握っているママ。やっぱり映画シリーズに欠かせない存在ですね。
3.冒険の切り替わり
ドラえもん映画によく見られる、最初は「巻き込まれた冒険」だったのが、途中から「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面ですが、本作では、ママに叩き起こされた後、『夢幻三剣士』のカセットを返品しようと決めたのび太とドラえもんが、ユメルミ国の窮状を知ってもう一度夢世界へ戻る形として描かれています。
この時点では夢と現実を入れ換えるスイッチは解除されているため、二人は本来の人格で戦いに臨んでいると思われ、それはまさに「自分で選んだ冒険」なのですが、前述のように、どうしてソフトの中の世界のためにそこまでの本気になれたのかがいささか合点がいきません。
ただこの場面、映画館で観た時は、夢へ突入する迫力の大画面と鳴り響く挿入歌の演出で、ものすごい盛り上がりを覚えました。
しかも自ら飛び込んだのび太とドラえもんだけでなく、たまたま夢アンテナをはずしていなかったしずかまで巻き込まれる流れもなんだかかっこいい。いや、毎度ながらしずかちゃんにとっては迷惑な話ですが。
一度は別れを告げた世界に、勇ましく舞い戻る。やっぱり僕は、ドラえもん映画のこの展開が大好きだなあ。
4.その他
それでは、他の見どころもいくつか。
まずは夢世界でのネーミング。ノビタニヤンを筆頭に、他のメンバーの名前もかっこいい外国人名にアレンジされていて、でもちゃんとそれが誰なのか名前を聞けば瞬時にわかるネーミングになっているのが見事。『のび太のパラレル西遊記』の時も感じましたが、個性の色分けも含めて、どんな世界観でも汎用が効くこの五人のキャラクターは改めてすごいと思いました。
特にいつものスネ夫よりも声がちょっとかっこいいスネミスと、シズカールに扮している時のしずかちゃんの少年ボイスが素敵です。
続いて学校の先生。今回は国王に扮して珍しく冒険世界側でも登場するのが嬉しい。「廊下に立っとれ!」と城の兵士に怒る場面は映画館でも大笑いでした。今のご時世では生徒を廊下に立たせるのはアウトなのでしょうが、この先生は厳しさの裏にちゃんと子供たちへの愛情が感じられるのがよいですよね。
現実世界の学校でも、ジャイアンとスネ夫を廊下に立たせる場面があり、ちゃんと「剛田」「骨川」と名字呼び捨てで叱っているのが新鮮。『のび太の魔界大冒険』の頃は、まだ「スネ夫」と下の名前で呼んでいましたから。
続いてはみんなの夢。子供の頃から、どうして眠っている時に見る幻と、自分の叶えたい願望を同じ「夢」という言葉で表すのかが僕は不思議でした。しかもこれは日本語だけでなく、英語の「DREAM」でも同じ。本作では、ジャイアンが歌手になってコンサートで熱唱する夢、スネ夫がハワイを貸し切って優雅に過ごす夢が描かれていますが、やはり寝ている時に見る夢は叶えたい夢を反映するのでしょうか。二人らしい夢の内容に思わず笑ってしまいます。自分を召使にしているスネ夫の夢を覗いてのび太が言うセリフも最高!
人間は人生の3分の1を眠って過ごします。もちろん一晩中夢を見ているわけではありませんが、それでもかなりの時間を夢世界で生きていることになります。もう会えない人と夢の中で会えたり、懐かしい時代に夢の中でタイムスリップしたり。癒やされることもあれば、せつなくなることもありますが、夢を見るというのは神様が人間にくださった大切な能力ですね。
ちなみにドラえもんのローマ字表記「DORAEMON」を並び替えると「ON DREAM」、夢に乗せてとなるのも素敵な暗合。ドラえもんとは、本当に子どもたちを夢に乗せてくれる存在ですから。
そんなドラえもん、本作ではやたらに反省する場面が多いのが可愛い。「いないんならいないって返事して」という『のび太と竜の騎士』でジャイアンが口にしたおとぼけセリフまで、今回はのび太を探すドラえもんが言っちゃってます。
また前作に続き、本作でもデブだと言われてしまうドラえもん。今のご時世ならこれもアウトかもしれませんが、そのやりとりにはついクスッとしてしまいますね。
映画でお馴染みのネタとしては、家出が登場しています。第10作『のび太の日本誕生』叱り、何かあるとすぐに家出しようとするのび太たち。本来は深刻なはずの子供の家出も、ママが怒ったり泣いたりする場面も、楽しく描いてしまうのが藤子F先生の魔法。
本作では、夢世界のシズカリヤまで家出しちゃっているのが面白いです。
最後に音楽について。今回は珍しく主題歌と挿入歌が別々に製作されています。剣士の勇ましさを描いた『夢の人』は本当にかっこよくて、本作のイメージにピッタリです。これが主題歌でも良さそうなのですが、あえて映画のエンドロールは『世界はグー・チョキ・パー』という賑やかな主題歌で締められています。
その歌詞は、まるでインクルーシブ教育や多様性の時代を予見していたような内容で、「大人は時々無理言うぞ」「一番が一つあればいいんだ」「みんな違うからあいこでしょ」などのメッセージは、まさに子供たちへの応援歌。のび太たちもみんな一長一短、だから楽しいチームになれる。
勧善懲悪の冒険活劇の映画で、実は最もテーマ性があったのがこの主題歌だったのでした。
では今回はこのくらいで。次回は映画第16作、1995年公開の『のび太の創世日記』を研究します。
■好きなセリフ
「君、優しいんだね」」
シズカール
人間の勝手で龍を傷付けることはできないと剣を下ろしたノビタニヤンに告げたセリフ
令和8年6月30日 福場将太