僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの13回目です。
■研究作品
昨年から続くこの研究コラムもいよいよここまで来ました。宣言しておくと、今回研究するのはシリーズの中で僕が最も衝撃を受け、最も感情を揺さぶられた作品です。以前のコラムで、第3作『のび太の大魔境』をドラえもん映画が本当に映画になった作品と紹介しましたが、その十年後に制作された本作は、ドラえもん映画が映画を超えた作品です。
共通する魅力はカタルシス。『のび太の大魔境』は、そのストーリーの中に散りばめられたエッセンスがクライマックスに向かっていくつも結実していきましたが、本作のカタルシスはストーリーの中だけの要素で生じるものではありません。これまでのシリーズで描かれてきた様々なエッセンスがふんだんに盛り込まれ、セリフ一つ、振る舞い一つ、場面一つに過去の作品たちからのつながりが感じられ、心に積み上げてきたものが本作で壮大なカタルシスとなって押し寄せるのです。
『のび太の大魔境』を初めてドラえもん映画を見る人にお薦めの傑作とするなら、本作はずっとドラえもん映画を見てきた人にこそ味わい深い名作。シリーズを愛してきた人であればあるほど、ドラえもん映画らしさににっこりし、いつか見たような場面にほっこりし、そして予想を裏切る超展開にびっくりすること間違いなしです。
新年度の幕開け、今回はそんな1992年3月7日公開の第13作『のび太と雲の王国』を研究します。どっちの未来が勝つかは、これからの僕たちの頑張りによるんだ!
■ストーリー
ひみつ道具で雲の上に夢の王国を造って楽しんでいたのび太たちは、偶然別の雲の中に迷い込む。そこには高度な科学を備えた天上文明が存在していた。
次第に天上人たちの挙動に不信感を覚えて脱出を試みるが、しずか・ジャイアン・スネ夫は捕らえられ、連邦会議で行なわれる最後の審判への出席を命じられる。その議題は、自然を守るために大洪水で地上文明を洗い流すという、恐るべきノア計画についてであった。一方、王国に帰還したドラえもんとのび太もノア計画の存在を知り、天上連邦に対して中止を求める危険な交渉を開始する。
はたして、二つの文明に共存の道はあるのか? 天国の法廷が下した判決とは?
■福場的研究
1.主旋律と副旋律
ドラえもん映画の主旋律は『異世界冒険』、本作の舞台は雲の上の国です。世界に漂っている雲が実は州になって連邦を形成、その中には美しい大都会があったり、絶滅動物を保護する大自然があったりするなんて、とっても素敵な設定ですよね。
これまでのシリーズでもたくさん魅力的な国を生み出してこられた藤子F先生。どんな歴史があって、国民たちはどんな精神性を持っているのかということまで感じさせてくれるその奥深さに、毎回驚かされます。
第11作『のび太とアニマル惑星』では、創世神話という形で動物だけの国が誕生した経緯が語られましたが、本作においても、上演されているミュージカルという形で天国誕生の経緯が視聴者に描かれます。『のび太とアニマル惑星』で史実がもとになって神話ができていたように、天上世界も過去に何かがあって生まれたのだと思うと、僕は子供心に底知れない畏怖を感じました。
この宇宙には人間の知らない文明がまだまだ隠れているのかも、と想像させてくれる藤子F先生の世界観が本当に大好きです。
ただし、そんな素敵な舞台設定の本作ですが、実はあまり『冒険』という雰囲気はありません。天国のあちこちを旅するわけでも、どこかを目指して突き進むわけでもなく、活動の場は天上連邦の一部の州とのび太たちが造った王国という限られたフィールド。そして、敵を倒すとか、仲間を救出するとか、無事に家に帰還するとかが目的でもありません。
ここに本作最大の特徴があるのですが、本作における戦いは、環境問題を巡る天上人と地上人との対立。ノア計画の審議の実質は地上人を断罪する裁判であり、地上人たちがいかに自然や動物たちを傷付けているかが示され、オゾン層の破壊や空気汚染によって雲の上で暮らす人たちの健康被害が起きていることが語られます。このままでは天上人は絶滅するしかない、だから多少無茶でも地上文明を洗い流すノア計画を決行するしかない、という彼らの主張には正当性があるのです。
異世界で遊んでいたらそこで未知の人類と出会う、という展開は第4作『のび太の海底鬼岩城』や第8作『のび太と竜の騎士』と同様です。ただ海底人とは地球を救うという共通の目的で手を組みました。地底人とは一時対立関係になりましたが、それは双方の勘違いによるものでした。しかし、天上人は違います。切実な理由があって地上人に敵意を向けているのです。
子供の頃、映画館で見ながら、いったいどうやって解決するんだろうと思いました。だって、悪いことをしているのは地上人の方。『のび太とアニマル惑星』では、動物たちの味方になって環境汚染をする愚かな人間たちと戦った五人ですが、今回は立場が逆。自分たちの生活を守るためだからといって、相手をやっつけてもハッピーエンドにはならない。終盤、天上人と対等に交渉するための手段としてドラえもんはとある兵器を用意しますが、これもドラえもんらしくない虚しい作戦。とても大団円につながりそうになく、物語がどこに着地するのか、全く予想がつきませんでした。
そんなわけで、ドキドキワクワクの冒険を楽しみにしている幼い子供には、裁判で争う本作はちょっときつそう。僕が初めて観たのは小学校6年生になる春、環境問題や国際問題のことを少しずつ知りつつある年齢だったので、とてつもない衝撃と感動の中で映画館から帰りました。
昨年、映画化45周年を記念して本作がリバイバル上映されたそうですが、シリーズの王道ではないこの作品が選ばれたことに、意義深いものを感じます。
さて、色々書きましたがあくまでこれはドラえもん映画です。いつもどおりの味わいについても研究してみましょう。
まずはお馴染みの恐怖演出について。本作でも健在で、吹雪の山頂、大きな亀が意識不明の半裸の少年を背中に乗せてゆっくり運んでいるのを目撃する場面、これはあまりにも怖い。いったい何が起きているのか、その得体の知れなさが恐ろしいです。
また、天上人たちの挙動もいちいち怖い。口元は笑っていてもその仮面の下ではいったい何を考えているのか。状況説明の達人、スネ夫の名ゼリフが炸裂します…「これは僕の勘だけど、天上人たちは何かを企んでいる。きっと恐るべき陰謀を!」。
さらに、本作では普段のび太たちが暮らしている街が大洪水に沈むという衝撃シーンも。ノア計画が実行された場面なのですが、いつもの部屋やいつもの階段に水が押し寄せ、家が傾き、そしてどんなに叫んでもママもパパもいない、人間は一人もいない…という絶望の映像。日常の世界には影響を及ぼさないというドラえもん映画の掟が破られたという意味でも、このままでは本当に世界が滅んでしまうということを如実に表したという意味でも、ここまでの恐怖はシリーズでも類を見ません。
続いて、冒険要素の少ない本作において、ドキドキワクワクの場面を。この映画では、ドラえもんとのび太の二人だけで行動している時間が長く、第1作『のび太の恐竜』や第2作『のび太の宇宙開拓史』などのシジーズ初期が思い出されます。
故障したドラえもんを連れて、のび太がひみつ道具に頼らずに天上世界から脱出するまでの流れはまさに大冒険。無事に雲の外に逃れた時には、全身の力が抜けるほどほっとしました。
それにしても、壊れたドラえもんにずっと優しいのび太、壊れてものび太にしっかりしがみついているドラえもんの姿がとってもあたたかい。それ以外でも、ドラえもんの故障が治って喜んだり、危険な行動をしたドラえもんを案じて叫んだり、その結果再び故障したドラえもんに泣きすがったり、のび太の友情の深さが伝わる場面がいくつもあって、こちらも涙腺を刺激されます。シリーズを重ねてきたからこその感慨ですね。
本作のドラえもんの声は大山のぶ代さんの喉の調子が違っておられたのか、まるで涙声のような、いつもよりせつなさを帯びた声音。そのせいでよりドラマ性が高まっているように感じます。
続いて、ゲストキャラクターのパルパルについて。ドラえもん映画の女性ゲストキャラクターでは、やはり第5作『のび太の魔界大冒険』の美夜子さんや第7作『のび太と鉄人兵団』のリルルが印象的ですが、僕にはこのパルパルが気になる存在。
のび太たちが最初に出会った天上人で、天上世界の案内役、ノア計画を仕方の無いこととして告知したものの、やがて裁判でしずかたちを擁護する発言をしてくれます。
そう、彼女と最も言葉を交わすのはしずか。同世代の女性同士という気安さもあったのか、出会った直後から天上世界についてしずかはパルパルにたくさん質問したり、ちゃんと名前を呼んでおやすみの挨拶をしたり、心配を素直に相談したりと、好感を抱いている様子が伺えます。仮面をつけていてどこか表面的な応対だったパルパルも、次第に仮面をはずして感情を覗かせるようになっていきます。
自分たちの環境や健康を脅かす地上人、敵であるはずのしずかたちに対して、ある時は優しく寄り添い、でも逃げようとすればそれは許さない厳しさも見せる。そしてこの争いそのものに悲しさを感じていく。彼女はどのように葛藤し、どのように心境を変えていったのか。
描写が少ないため多くは想像で補うしかありません。実はずっと迷っていたのかもしれない、それでも中盤から終盤にかけての彼女はずっと真剣でした。もし彼女をヒロインにして本作を描き直したら、パルパルにはリルルや、『のび太の海底鬼岩城』のバギーちゃんに匹敵するドラマがあったのかもしれませんね。
別行動になったドラえもんは、逃げ出してきた地上人から裁判の様子を聞いて「パルパルは悪い子じゃなさそう」と呟きます。そしてクライマックス、緊急事態で自分がその場を離れる際に「パルパル、みんなを頼む!」と後を託すような発言をするのです。
これに応えるようにパルパルはジャイアンに協力を依頼、当初彼女に気に入らない感情を見せていた彼も必死に連携。この時の凛としたパルパルの表情、素敵です。
先日映画館で『新・のび太の海底鬼岩城』を観賞して、最近の映画は友情や信頼というものが、言葉で明確に語られるんだなと感じました。わかりやすいというのも一つの魅力ですが、本作のパルパルのように、どんな気持ちだったのか、どんな絆だったのか、色々とわからなくて想像できる余白が多いのもまた魅力。
そんな彼女は初登場の場面、のび太たちが造った王国を見て「素敵! こんな街に住んでみたいわ」と無邪気に口にしていました。任務を考えればそんなこと言っている場合じゃないはずですが、もしかしたらここに等身大のパルパルがいたのかもしれませんね。
では最後に、本作の副旋律について。それは『犠牲』です。
主題歌の『雲がゆくのは』の歌詞にもあるように、どこかの街に雨が降っている時にはどこかの街は日射しの中にある、自分が濡れることで誰かのためになるのならそれもいいい…人間には確かにそんな思いがあります。地上文明が栄えることで天上文明が犠牲になる、天上文明を守るためには地上文明が犠牲になる。
クライマックスで多くの人の命を守るために、自らとみんなで造った王国を犠牲にするドラえもん。そういえば映画の序盤でも、ずっと王国が空に浮かんでいたら、その下の街の人たちに太陽が当たらないという場面がありました。
ドラえもんが生み出してくれる夢の世界でさえ、無自覚な罪を含んでいて、誰かの犠牲の上に成り立っている。序盤の王国建造のシーンがとっても楽しそうだっただけに、最後にそれが崩壊していく映像は、子供心にあまりにも衝撃的でした。いやあ本当に、この映画は衝撃が多過ぎます。
ちなみに主題歌は武田鉄矢さんが歌うアコースティックのマイナーチューン。そのせつないしらべは第6作『のび太の宇宙小戦争』のあの名主題歌を彷彿とさせますね。雲の上の冒険であれば楽しく跳ね回るような曲をあてがいそうなものですが、そうではなくちゃんと本質のテーマにシンクロした曲にしておられるのが、毎回本当に見事です。
映画のフィナーレ、どうやって解決するのか全く予測できなかった二つの文明の対立は、解決ではなくこれからの約束という形で保留されました。
本作をご覧になった方ならもうご存じと思いますが、最後の最後で地上人に味方してくれたのは、これまでのテレビシリーズでドラえもんとのび太が助けてきた人たちでした。地上人の自然破壊は確かに間違っている、でもそんな地上人には確かに動物や自然を守る優しさがある。その優しさへの恩返しに救われるという結末は、藤子F先生だからこその最高の落としどころだと思います。
実際にテレビアニメのエピソードの映像も作中で流れ、長年ドラえもんを見てきた人にとってはこの上ないプレゼント。ドラえもんが22世紀から来た未来のロボットだという、一番当たり前で基本の基本の設定が、起死回生の伏線になっている脚本もお見事。久しぶりに観賞して、極上のカタルシスを味わって、やはり本作はシリーズの集大成だと確信しました。
他にもまだまだ過去の作品からつながるエッセンスはあるのですが、さすがにきりがないので、それはまたコラムの最後にまとめましょう。
初めて映画館で観てからもう三十年以上経ったけど、しっかり守れていいないかもしれないけど、ドラえもんがスクリーン越しに見せてくれたあの笑顔と約束は絶対に忘れません。
2.冒険の渦中で帰宅
僕の好きな冒険の渦中で日常の世界に戻るシーンですが、本作には最高の名場面として存在しています。それは故障したドラえもんを連れたのび太が、大きな鳥の背中に乗って天上世界を脱出した後のシーン。
自分たちの雲がどこにあるのかわからず夜空をさまよっていると、突然鳥が一つの雲へと急降下。そこには、星明りの中に静かに佇むみんなで造った夢の王国の姿。映画館で見たこの美しい夜景の映像は、今も心に焼き付いています。
残りの仲間は捕えられ、ドラえもんは故障し、問題は何も解決していない状況。その不安だらけの中で込み上げる、懐かしくてほっとしたような感覚。せつない主題歌が響く中、のび太の気持ちが流れ込んできたようでした。
しかもしかも、鳥がこの雲を見つけられたのは、みんなで楽しく過ごしていた頃にドラえもんが何気なく置いておいたとあるひみつ道具のおかげ。その描写に涙が溢れてきます。どうしてと言われてもわかりませんが、本当に僕はこの場面に心が震えてならないのです。
王国に戻ったのび太は、ドラえもんと食事を摂って一休み。そしてどこでもドアで一度家に帰ろうと扉を開きます。いつもの部屋に戻って更なる安堵がやって来るかと思いきや…、いやあ、この後の展開には度肝を抜かれました。
3.冒険の切り替わり
ドラえもん映画によく見られる、最初は「巻き込まれた冒険」だったのが途中から「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面ですが、本作ではノア計画の発覚がそのタイミングになっています。
ただそれは、これまでのシリーズのような勇ましいベクトルではありません。地上文明を守るための戦いには違いなくても、けっして天上文明を打ち負かすための戦いではない。前作『のび太のドラビアンナイト』における、しずか救出という迷いのないベクトルでの冒険とは全くの別物。ドラえもん映画の幅の広さを思い知らされます。
4.その他
それでは、他の見どころもいくつか。最初にお伝えしたように、本作は過去の作品からのつながりを感じる場面が非情に多いので、それを列挙していきます。
●オープニング
本作のオープニングは、無人島に流れ着いた親子が謎の声から大雨が降るという啓示を受け、実際にその夜に大洪水が起きる、しかも豪雨は雲からピンポイントで島にしか降っていない…という恐ろしいもの。
のび太たちが一切登場せず、不思議な出来事だけが描かれるオープニングは、原始人ククルが謎の空の穴に吸い込まれた第10作『のび太の日本誕生』と同様ですね。
●無茶な約束をするのび太
本作の始まりは、「天国があることを証明してみせる」というのび太の無茶な約束。これはもう『のび太の恐竜』の「恐竜を丸ごと見つけてみせる」に始まり、シリーズで何度もくり返されてきたパターンですね。本作で孫悟空の話題が出るのも第9作『のび太のパラレル西遊記』を思い出してニンマリ。
神話や民話は作り話だとドラえもんから言われて「昔の人は嘘つきだって言うの?」と返すのび太ですが、これも『のび太の魔界大冒険』で魔法は迷信だと言われた後のセリフ「昔の人はみんな嘘つきだったのか」と重なります。
そして気象衛星やレーダーがチェックしているので天国の存在は有り得ない、と言われてがっかりするのび太。これも『のび太と竜の騎士』の序盤で、地球上に恐竜はいないと証明されてショックを受ける場面を思い出させます。でも本作の天国然り、実はのび太の言っていたことが正しかった、それが後に明らかになる…というのがシリーズのお約束ですね。
●夢を叶えるドラえもん
本作では雲の上に王国を造るという夢のような場面がありますが、異世界に楽しい家や町を造るのもシリーズの定番。『のび太の海底鬼岩城』での海底のキャンプ場然り、『のび太と竜の騎士』での地底の秘密基地然り、『のび太の日本誕生』での原始生活の村然り。
また『のび太の宇宙小戦争』でぬいぐるみを操るために登場したロボッターというひみつ道具が、本作でも雲ロボットを動かすために形状を変えて再登場。
完成した夢の町で、五人それぞれがそれぞれの好きなことをして過ごす場面が描かれるのも定番。本作では『のび太と竜の騎士』以来久しぶりに、しずかちゃんのバイオリン演奏が見られます。
●パパ
これまでのシリーズでも時々挿入されてきた、パパを中心とした野比家の夕食シーン。日常の象徴であり、パパが画面に出てくると空気が和みますね。パパとママの夫婦の会話がとても自然体で素敵。本作では鈴虫の鳴き声も聞こえていることから、秋を感じる場面にもなっています。
今にして思えば、この穏やかな夕食シーンを恐怖演出にした『のび太のパラレル西遊記』はすごかったですね。
●ママ
本作では、ママを誤魔化すために勉強会と偽ってのび太たちが集まりますが、この流れは『のび太と竜の騎士』と同じ。そして本作でも嘘がバレてママ激怒、ただその怒り任せの行動がストーリーの重要な鍵になっているのが面白いです。褒める時は「のびちゃん」、叱る時は「のび太」と呼び方が変るのも自然体で微笑ましい。
さぼりやズルには厳しいママですが、のび太の友達に向ける視線はいつもあたたかく、本作でも帰っていくみんなを見送りながら「本当にいいお友達ね」と漏らす名場面があります。野比家からのみんなの帰宅シーン、『のび太の恐竜』や『のび太の宇宙開拓史』のエピローグを思い出しますね。
本作では登場こそしませんが、ジャイアンもスネ夫も母親に言及する場面があり、ママという存在は、ドラえもんという作品において欠かせないぬくもりなのでしょう。
●道案内と創世神話
ゲストキャラクターに異世界を案内してもらう場面は本作でも健在。特にパルパルに案内してもらったミュージカルが、天上文明の成り立ちとノア計画の意義を教えてくれている点は、『のび太と竜の騎士』でローさんに案内してもらった歴史博物館が、地底文明の創世の秘密を物語っていたのと重なります。どちらの文明も、宇宙から落ちてきた彗星が世界誕生のきっかけになっているのが興味深いですね。
●BGM
お馴染みの『のんびりのび太』のメロディ、『俺はジャイアン様だ!』のメロディが本作でも使用されていますが、今回特にアレンジがかっこいいのが『ドラえもんのうた』。あんなこといいなのメロディがとても勇ましい曲となって、洪水の中でドラえもんがのび太を救出する場面に鳴り響いています。
そしてそして、裁判が決着したフィナーレで流れる曲、懐かしくてあたたかいこのメロディは、そう、『のび太の日本誕生』でのび太がククルに優しさを向ける場面でも使われていたあの曲。
いやあ、ここにこれを持ってくるとは、これまでのシリーズで紡がれた優しさも一気に込み上げて、感無量です!
●夕焼けの別れ
『のび太の海底鬼岩城』でのエル、『のび太と竜の騎士』でのバンホーさんとローさん、『のび太の日本誕生』でのククルとペガたち、というようにこれまでも夕焼けの中でのゲストキャラクターとの別れが描かれてきましたが、本作でも夕焼けの裏山でパルパルに別れを告げています。
正直、本作で活躍の描写が少なかった彼女ですが、原作漫画にもなかったこの別れのシーンがちゃんとあったのはとても嬉しい。彼女はどんな気持ちで最後の言葉を告げていたのか。やっぱりパルパルをヒロインにした物語を見てみたいなあ。
●五人の個性
それぞれのキャラクターにもお馴染のシーンが見られます。
まずはドラえもんについて。のん気だったり深刻だったり、うっかりだったり頼もしかったり、可愛くて優しいその魅力を存分に発揮。宇宙完全大百科で真剣に調べる場面は『のび太のドラビアンナイト』、一人必死に作戦を考える場面は『のび太と鉄人兵団』を思い出させます。
またクライマックスでは、シリーズで最も衝撃的な行動をとりますが、これも『のび太の海底鬼岩城』や『のび太のパラレル西遊記』などで見せていた人一倍の責任感の強さを思えば、けっしてドラえもんらしくない行動ではありません。本作で僕はますますドラえもんというキャラクターが好きになりました。
続いてのび太。教室でみんなに笑われたり、すぐ家出をしようとしたり、先生に叱られたり、ドラえもんと意地を張って喧嘩したり、せっかくの異世界なのに昼寝を愛好したり、ひみつ道具で調子に乗ったり、不思議な夢を見たりなど、これまでのシリーズで見掛けた場面が満載です。
本作の序盤、海で謎の流木を見つけた際、潜って調べようとするドラえもんに対して、のび太は遠慮するのですが、だんだん一人で待っているのが不安になり、しかも謎の雷雲から攻撃を受けてしまいます。これは『のび太の海底鬼岩城』で、みんなが沈没船の中に入ったのにのび太だけ外で待ち、そのせいでバトルフィッシュに襲われてしまうのと同じパターン。相変わらず臆病だけど優しいのび太くんがよいです。
続いてしずか。思いやりと聡明さが本作でも光っていて、パルパルと育む友情、裁判での訴えの言葉などにそれが表れています。基本的にはパルパルとタメ口で話す彼女ですが、感謝と敬意を込める言葉はちゃんと敬語になる心遣いがいいですね。もちろん天国でもお風呂に入るのは忘れません。
ただ本作、のび太とのロマンス描写は特になし。のび太が好意を寄せている場面はあるのですが、まあ他の要素がたくさん詰まったストーリーなので、二人の関係については掘り下げなかったのかもしれません。
そしてジャイアン。彼といえば言い間違いの男。本作でも株主とカブトムシをごちゃ混ぜにして怒っています。監禁された部屋でドアにタックルする勇ましさも『のび太の海底鬼岩城』以来の登場。
初期のような怒りっぽくて乱暴な面も見せつつ、ドラえもんの回復を喜ぶシーンなど、仲間思いの面も健在です。ジャイアンリサイタルというセリフが出てくるのも嬉しい。ぜひ久しぶりに歌ってほしかった!
最後にスネ夫。本作では「みんな貧しいんだなあ」というとんでもないセリフで大金を差し出す、本来の嫌味キャラを発動。天上人への的確な疑念もさることながら、音痴なジャイアンへの毒舌過ぎるツッコミ、危険な道具を出したドラえもんへのためらいのない批判も見ものです。
そして『のび太と竜の騎士』で話題になったネッシーが本作でも登場し、その背中に乗ったのび太が「スネ夫、悔しがるだろうなあ」と思わず言うのも、二人の関係が表れていてよいですね。
そんなこんなで本作の五人は、減点回帰したような初期の個性も覗かせつつ、シリーズで培われた新たな魅力も覗かせつつ、ちゃんと全員に見せ場があるのも素晴らしい。特に映画のラストシーン、五人が一言ずつそれぞれの個性で発言して、エンドロールへつながる流れ、キャラクターたちも声優さんたちも最高のチームワークです。
天と地をめぐる物語のラストが、スネ夫の叫ぶ「神様」という言葉。笑いでもあり、戒めでもあり、本作ならではの極上の余韻を残すのでした。
では今回はこのくらいで。次回は映画第14作、1993年公開の『のび太とブリキの迷宮』を研究します。
■好きなセリフ
「約束だよ」
ドラえもん
裁判の決着後、自然を守ることを仲間たちに、そして映画館の子供たちに伝えた言葉
令和8年4月25日 福場将太