心の名作#27 ドラえもん映画の研究⑫ のび太のドラビアンナイト

 僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの12回目です。

■研究作品

 最新作『のび太の新・海底鬼岩城』を観賞しました。映画館に足を運んでドラえもん映画を観るのはかれこれ三十年近くぶり。やっぱり良いものですね。

 さて、小学生の頃、ドラえもんのアニメと同じくらい毎週欠かさず見ていたのがとんねるずの番組でした。笑い満載の一時間の最後に二人が真面目に一曲歌唱する姿がとてもかっこよく、中でも外国の戦争の映像を背景に『情けねえ』という曲を熱唱する姿は心に焼きつきました。当時一緒にテレビを見ていた父親が、湾岸戦争に対する日本の姿勢を歌った曲だと解説してくれたのを憶えています。それと同じ年、こちらは全くの偶然ですが、中東を舞台にしたドラえもん映画が公開されました。
 そして今、再び中東で悲しいことが起きています。今回はそんな1991年3月9日公開の第12作『のび太のドラビアンナイト』を研究します。みんな疲れ果てているんだなあ。

■ストーリー

 絵本の中に入ることのできるひみつ道具で遊んでいたのび太たちだったが、しずか一人がアラビアンナイトの世界に取り残される事態が発生、しかもアクシデントでその絵本も失われてしまう。もはや救出は不可能かに思われたが、現実の歴史の中にアラビアンナイトへつながる糸口を発見した四人は、いざタイムマシンで8世紀のバグダッドへ旅立つ。
 やがてたどり着いたのは、砂漠の果てにある黄金の宮殿。そこには老齢となった船乗りシンドバッドが不思議なコレクションに囲まれて暮らしていた。はたして無事にしずかと再会できるのか? 黄金宮に迫る危機とは?

■福場的研究

1.主旋律と副旋律

 本作の主旋律である『異世界冒険』の舞台は、アラビアンナイト。有名な物語をモチーフにしている点は第9作『のび太のパラレル西遊記』と共通していますが、その味わいはまるで別物で、けっして派手ではないものの、時々見返したくなる独自の魅力が本作にはあります。それはシリーズでも類を見ない解放感と穏やかな異国情緒、そして全編を通して漂う不思議で幻想的な雰囲気によるものではないでしょうか。

 開放感の理由は、青い空と砂漠がどこまでも広がるロケーション。登場する宮殿も、天井が高くて吹き抜けや中庭が多く、とにかく空間的な窮屈さがありません。
 加えて、ターバンやマントに代表されるアラビア衣装を身に着けたゲストキャラクターたちが優雅で上品、異国情緒を演出します。ドラえもんたちも同様の格好をし、そこに空飛ぶ絨毯や魔法のランプなどのアイテムも添えられて、画面全体がとってもチャーミングです。
 また、穏やかさを強く感じる理由としては、敵役の素朴さもあるでしょう。悪徳商人のアブジルと盗賊カシムは人類の滅亡を狙うわけでもなく、のび太たちが暮らす日常に危機を及ぼすわけでもなく、真の正体が隠されているわけでもありません。単純に宝を狙う悪党たちからしずかを救出し、シンドバッドと一緒に黄金宮を守るのが本作の戦い。拳銃も爆発も噴火もなく、シリーズでお馴染の恐怖演出もなく、ギャグ満載のドタバタ争奪戦になっています。

 そして本作最大の特徴、不思議で幻想的な雰囲気。そもそも、絵本のアラビアンナイト世界に取り残されたしずかを探しに行く場所が、現実の8世紀のアラビアというのが不思議。ドラえもんも当初は「タイムマシンは本物の歴史の中を行ったり来たりするものなの、架空の物語の世界とは関係ない」と明言していました。しかしアラビアンナイトの中に実在の人物も登場していることを突き止め、その人たちのいる時代へ行けばアラビアンナイトの世界へ入れるかもしれない、と彼らは冒険に旅立つのです。その理屈でいうなら、実在の三蔵法師に会いに行けば西遊記の世界へ入れることになりそうですが。
 しかもしずかが奴隷船に乗せられているという手掛かりも、のび太が夢に見たというだけで何の根拠もありません。また仮に絵本のアラビアンナイトの世界と現実のアラビアがつながっていたとしても、しずかがいるのがどうして一年のずれもなくみんなが訪れた794年だったのか、あまりにも謎です。
 ジャイアンが口にした「なんだか頼りない話だなあ」「夢なんか当てになるかよ」などの言葉は、まさしくそのとおり。でも、しっかりとした理屈や根拠のない、思いに任せた頼りない旅だからこそ、助けに行けるかもしれない希望が見つかった時、しずかがちゃんとそこにいてくれて再会できた時の喜びは一入。その場面で流れる主題歌の演出も素晴らしいです。

 もしかしたら藤子F先生は、アラビアンナイトをモチーフにした本作だからこそ、あえてきっちりし過ぎず、緻密にし過ぎない、まるで全てが夢であるかのような不思議な旅にされたのかもしれませんね。不思議さ、可愛さ、穏やかさ、この映画そのものが子供の頃に読んだ絵本のようなぬくもりを帯びているのです。

 続いてゲストキャラクターについて。本作の真の主役とも呼べる船乗りシンドバッドですが、彼もまたとても不思議な存在です。アラビアンナイトでは勇敢な青年として描かれたシンドバッドが、七つの海の航海を終え、今は砂漠の果ての黄金の宮殿でのんびり暮らしているおじいさんなんて。絵本では描かれないシンドバッドの余生をこんなふうに想像してしまう、藤子F先生の想像力は本当に優しくてあたたかいです。
 このおじいさんのシンドバッドは、もともと歴史に実在する人なのか、それとも絵本の世界のキャラクターが現実の歴史に迷い込んだのか、それもまた謎です。でもそこがよい。主題歌のタイトル『夢の人』もまさにそう、歌詞に出てくる「不思議の旅 終わらせないで」もまさにそう。存在するのかしないのか、夢なのか現実なのか、魔法なのか科学なのか、境界線が曖昧で、でも確かにそこには幸福な気持ちがある。その不思議さこそが『ドラビアンナイト』の味わいなのです。

 そんな本作の副旋律は『ロマン』。若かりし頃のシンドバッドが追い求めたのがまさしく胸躍る冒険というロマン。アブジルたちに黄金宮を奪われていじけた彼が、ロマンに生きた自分を世界中の子供たちが尊敬しているとのび太から聞かされ、もう一度勇敢な船乗りシンドバッドとして復活する場面は胸が熱くなります。肉体は年齢を重ねても、心はいつまでもロマンを宿すことができるんですよね。
 本作の特筆すべき点は、ロマンの光だけでなく、影の部分も描いていること。七つの海の航海を終えて、宝物と自慢のコレクションに囲まれて一人で暮らすシンドバッド。めでたしめでたしで夢を叶えた勝者の姿がそこにはあります。しかし映画の終盤、のび太たちが家族の話しをした時に彼は初めて寂しそうな顔を覗かせました。
 ロマンを追い続けた悔いのない人生。でもその代償として彼には家族や故郷と呼べる存在がない。誰にでも手にしている物と手にしていない物がある、全てを手に入れることは誰にもできない。映画館でこの場面を見た時、少し心が大人に近付いた気がしました。

 みんなと大笑いするシンドバッドの笑顔で本編は完結。エンドロールでは、また遊びに来たのび太たちから自分を描いた絵本をもらって、興味深そうに読みふけるシンドバッドの姿が描かれます。心地良く流れる主題歌の中、優しくて不思議な、シリーズでも最高の余韻を残すのでした。

2.冒険の渦中で帰宅

 僕の好きな冒険の渦中で日常の世界に戻るシーンですが、本作には存在しません。前述のように本作の味わいはその不思議な旅、途中で水を差さずに、エンドロールまでずっとあたたかい夢の中にいさせてくれるのです。

3.冒険の切り替わり

 ドラえもん映画によく見られる、最初は「巻き込まれた冒険」だったのが途中から「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面ですが、本作では最初から主体的に冒険へと飛び込んでいきます。それは当然、しずか救出という他人事ではない目的が存在するから。
 そして旅の途中、ずっとその羅針盤の針を乱さないのがのび太。船出の時も「もう少しの辛抱だからね、頑張れよ、しずかちゃん」と胸の中で励まし、仲間割れしそうになった時も「ぼくたちの目的はしずかちゃんを助けることじゃないか!」と仲裁し、みんなの気持ちを導き増す。

 行方不明になったメンバーの一人を救出に旅立つ、という設定は第8作『のび太と竜の騎士』のスネ夫捜索と同じですが、そちらではスネ夫の消息が早い段階で判明しその後にもっと大変な事態が発生するのに対して、本作ではしずか捜索が主軸のまま中盤まで物語が進行し、その後のアブジルたちとの戦いも、しずか救出の延長線上にあるもので、特に別軸の冒険には切り換わりません。
 ちなみに第14作『のび太とブリキの迷宮』では、ドラえもんが敵にさらわれ残りの四人で捜索する設定ですが、チャモチャ星を救うというもう一つの目的も同時に存在しているため、やはり本作とはニュアンスが異なります。
 一貫した明確な目的を持って冒険が始まり、切り換わらずにそのまま冒険が終わっていくのも、シリーズには珍しい本作の特色です。

4.その他

 それでは、他の見どころもいくつか。
 本作を代表するひみつ道具『絵本入り込み靴』は、普段の短編エピソードで既出の物。映画の序盤では、このひみつ道具で絵本世界を楽しむ様子がたくさん描かれています。単純にその絵本の中に入れるというだけでなく、人魚姫と竜宮城、親指姫と一寸法師など、童話や昔話のキャラクターが夢の共演をしてくれるのが本当に楽しいです。ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家のおばあさんに、白雪姫のおばあさんが毒りんごを売りに来るなんて、こんなことを思いついてしまう藤子F先生が大好きです。

 しずかがアラビアンナイトの世界に取り残されてしまう直接のきっかけは、のび太のママが絵本を燃やしてしまったこと。第5作『のび太の魔界大冒険』ではもしもボックスを捨ててしまったママ、相変わらず行動が極端です。ただ本作においては、のび太、ジャイアン、スネ夫、さらにシンドバッドまでしずかが帰れなくなる一因を無意識のうちに作っているのが特徴的。全くの偶然でもなく、敵の悪意でもなく、おなじみの面々によるうっかりが冒険のきっかけというのも、微笑ましい幕開けです。いや、しずかちゃんからすればたまったものではありませんが。

 『魔界大冒険』といえば、逃げるのび太たちを悪魔が追ってくる場面、悪魔の乗る魔獣が独特の音で鼻を鳴らしてにおいを嗅ぐのがとても恐ろしいですが、本作でもしずかを追うアブジルのラクダがそっくりの音で鼻を鳴らしています。これは偶然?
 そして前述のように、本作の敵役であるアブジルたちは、ロボットでも妖怪でもなく、宇宙人でも未来人でもないただのおじさんです。オトボケも多くてどこか憎めない小悪党、そんな敵役なのにのび太たちがピンチに陥るための設定として、ドラえもんの四次元ポケットが失われるという展開が初めて導入されました。

 ひみつ道具を使えず、水も食料もなく、四人で砂漠をさ迷う姿はあまりにも過酷ですが、そんな中でもお互いがお互いを思いやる、彼らの少年らしい友情を感じる貴重な場面となっています。
 砂漠で行方不明になったのび太に対して「道のない所で道に迷うなんてドジの天才だ」とぼやきつつ心配するジャイアンの姿に、当時映画館があたたかい笑いに包まれたのを憶えています。

 確かに今回のび太は、体力のなさが禍して身体面ではあまり活躍できません。しかし心理面では前述のようにみんなを一つにまとめたり、シンドバッドを再起させたりと、大きな役割を果たしています。
 しずかとの心の絆を感じる場面も多く、普段はつらくなるとすぐ投げ出しそうになるのび太なのに、しずか救出という今回の旅はけっして投げやりになりません。しずかの方も、砂漠を一人でさ迷いながらみんなを思い出す時はまずのび太の名前を挙げ、再会の場面でも最初にのび太に呼び掛ける。子供の頃には気付きませんでしたが、二人のロマンスはちゃんと演出されていたんですね。

 本作では久しぶりにしずかのママがセリフ付で登場する場面があり、奇行をくり返すのび太に何度も戸惑うルーティンギャグになっていますが、優しく接するその姿にのび太への信頼感が滲み出ているような気がします。将来を描いた短編映画『のび太の結婚前夜』でも、うっかりだらけの青年のび太に対して、しずかのママが変わらず信頼して接していたことを思うと感慨深いですね。

 本作には、第7作『のび太の鉄人兵団』ぶりにスペアポケットが出手きます。ドラえもんの不在時でも、スペアポケットの隠し場所をのび太は知っている。まさかこの設定が、後のシリーズの重要な伏線になろうとは。

 最後に、自分にとっては嬉しい小ネタを二つほど。
 盗賊カシムの手下の一人の声優さん、どこかで聞いた声だなあとずっと思っていたのですが、今回ようやくわかりました。大好きな『刑事コロンボ』にコロンボ警部の助手として複数回登場するウイルソン刑事の声でした。真面目なのにどこか間の抜けた優しい人柄が滲み出るこの声は、今回の憎めない敵役にピッタリですね。やっつけるのでも倒すのでもなく、こらしめて降参させるという決着が、絵本みたいで本当に微笑ましいです。
 そしてもう一つ、シンドバッドのコレクションとして登場した『胸騒ぎブローチ』。シンドバッドで胸騒ぎといえば、サザンのあの曲を連想してしまいますが、はたしてちなんでいるのでしょうか?

 では今回はこのくらいで。次回は映画第13作、1992年公開の『のび太と雲の王国』を研究します。

■好きなセリフ

「そうか、家族か」
 シンドバッド

 家族が心配するから帰るというのび太たちに対して寂しそうに呟いた言葉

令和8年3月28日  福場将太