心の名作#27 ドラえもん映画の研究⑪ のび太とアニマル惑星

 僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの11回目です。

■研究作品

 北海道といえば雪国ですが、雪がどの地区にたくさん降るかは一定ではありません。今冬は札幌方面が雪害に見舞われ、何度も公共交通機関が麻痺しました。そんなニュースを見ていると、どんなに科学が進歩しても人間は自然の力にかなわないんだろうなあと思わされます。
 そういえば幼い頃にグリーンドラえもんキャンペーンというものがあり、緑色の姿をしたドラえもんが「自然を守ろう」と呼び掛けていました。原作漫画やテレビアニメに限らず、映画シリーズにも環境問題のメッセージが色濃い作品があります。今回はそんな1990年3月10日公開の第11作『のび太とアニマル惑星』を研究します。俺には動物的勘があるんだ!

■ストーリー

 深夜、野比家の廊下に出現する不思議なピンク色のモヤ。それをくぐり抜けた先にあったのは、動物たちが人間のように言葉を話し、二足で歩き、クリーンエネルギーの文明を築いている惑星だった。犬の少年チッポと親しくなったのび太たちは、かつて月でニムゲという悪魔に支配されていた先祖の動物たちが神様に救出され、この動物だけの国を造ったのだという創世神話を聞かされる。
 やがて地球へ戻った五人に届くチッポからのSOS、なんとニムゲが月から攻めてきたという。はたして悪魔の正体は? 創世神話の真実とは? ドラえもんたちはアニマル惑星を守ることができるのか?

■福場的研究

1.主旋律と副旋律

 前作でシリーズとしての一つの到達点を極めたドラえもん映画、新たな一歩を数える本作のポスタービジュアルを初めて見た時、まず思ったのは「また動物の国か」ということでした。第3作『のび太の大魔境』で登場した犬の王国の二番煎じ、いよいよネタ切れかと感じたのですが、実際に観賞するとこれまでのシリーズにはなかった空気、全く別の魅力を持った作品に仕上がっていました。

 まず主旋律の『異世界冒険』において、神話の謎を解き明かすという展開がとにかく面白い。序盤でチッポから語られた「星の船に乗った神様が月から光の階段で動物たちを脱出させた」という創世の物語が科学技術に裏打ちされた実話だったという真相は、戦いのスリルとは異なるドキドキを子供心に与えてくれました。そして映画の中盤、光の階段の正体が判明したり、実物の星の船を発見したりする場面では、ゾッとするような異父を覚えました。
 アニマル惑星で神話にちなんだ祭事が行なわれているのも、それが遠い昔に起きた史実だったということに説得力を与えており、これまでのシリーズでも魅力的な国をいくつも生み出してこられた藤子F先生ですが、本作の動物の国はその歴史的背景が現在の文化や国民の精神性にまで通じており、恐ろしいほどの奥深さです。

 もちろん冒険は謎解きのみに終始せず、のび太が一人ニムゲの住む月へ潜入する場面、戦術を持たない動物たちとニムゲ軍の全面戦争の場面と、映画の終盤もドキドキワクワクのてんこ盛りです。
 とっておきのひみつ道具として登場する『ツキの月』のインパクトも抜群で、これを飲むと3時間信じられないほど幸運がツキまくるというまさにドラえもんワールドといった効能。その主成分はゴツゴー春菊、ああこんなに素晴らしいネーミングが他にあろうか。
 漫画やドラマなどの創作物において、物事のタイミングや展開が都合良すぎて不自然なことを揶揄する「ご都合主義」という言葉を逆手にとり、それをひみつ道具にしてしまうなんて。藤子F先生の遊び心は偉大過ぎますね。

 ストーリーの特徴としては、シリーズの中でも伏線回収が豊富な作品でもあり、神話の謎解きだけにとどまらず、禁断の森、モグラロボット、ジャイアンを息子と見間違えるゴリラ、探検セットなど、何気なく登場したものたちが後で重要な役割を果たすカタルシスをいくつも味わうことができます。
 特にのび太が映画の冒頭で拾った花は、何度も形を変えながら要所要所で再登場し、重要アイテムとしてその後の展開に機能しているのがお見事!

 続いては、ゲストキャラクターのチッポについて。実は子供の頃から違和感を覚えていることがあります。それは彼ののび太に対する言葉遣いが、タメ口になったり敬語になったり、一定しないこと。
 今回改めて注目してみると、初対面の時から「上流の街さ」と言った直後に「見えてきました、あれが街です」と言っていていきなりタメ口と敬語が混在。2回目の出会いでは最初から「のび太くん」と呼び掛けてずっとタメ口、と思いきや探検の相談をする場面ではタメ口ながら「そう、のび太さんに助けられた日だよ」とまたさん付けに戻る。
 さらに3回目の出会い、助けを求めてくる場面では「のび太くん? よかった、助けて」と完全な遠慮のないタメ口。かと思いきや、決戦前夜に二人きりで話す場面では「のび太さん、いいんですよ」「約束しましたよ。おやすみなさい」と完全な敬語。
 はてさて、これはどういうことなのでしょうか。チッポはワンパクで無鉄砲な少年なので、イメージとしてはずっとタメ口なのが自然です。大人のように、相手との距離を測ってその都度言葉遣いを変えるのはキャラクターに合いません。しかも一番団結すべき決戦前夜に一番他人行儀になるなんて。大団円を迎えた後の最後の別れも「のび太さん、元気でね、また来てね」と完全なタメ口にはなりきれていないニュアンス。

 もしもこれが意図的な演出だとすると、のび太の正体が人間だと意識する場面ではチッポは彼をさん付けで呼んでいるようにも思えます。あるいは仲間として対等な立場の場面ではタメ口、庇護者として助けてもらう場面では敬語になっているのか。
 それとも、どんなに仲良くなっても動物は人間に対して完全な無邪気にはならないということを表現しているのでしょうか。終始敬語だった決戦前夜の語らいで、唯一タメ口で放たれた「友達になりたかったんだ」という言葉に、今回妙に考えさせられました。

 そんな本作には、『異世界冒険』に匹敵するもう一つの主旋律と呼んでもいい要素があります。それが冒頭でも触れた『環境問題への警鐘』。これまでも第4作『のび太の海底鬼岩城』で、人類が海を汚染していることがさらりと触れられたりはありましたが、今回はのび太のママが裏山の自然を守るための住民運動をしたり、作中で具体的な自然破壊のデータが示されたり、環境を顧みなかったせいでニムゲが産業廃棄物の中で惨めな暮らしをしていたり、地球もその道をたどりつつあることがのび太の口から語られたりと、ここまでメッセージが露骨なのはシリーズ初。そのため、子供心に大切なテーマとして根付いたのもまた事実です。
 アニマル惑星では、交通にも食料生産にも自然に優しいクリーンエネルギーが用いられており、そのせいか国民たちにも心の余裕が感じられます。チッポの父親はお巡りさんですが、扱う住民トラブルはどれも微笑ましいものばかり。しずかの「これが本当のユートピアじゃないかしら」という言葉どおり、あるべき理想の世界のように視聴者には映ります。そしてそれを実現しているのが、人間のいない動物だけの世界というのが痛烈です。

 ただ本作、不思議と人類への批判が本質とは感じません。自然破壊には警鐘を鳴らしつつも、本作の副旋律は『環境問題』ではなく『人間』。人間とは何なのか、人間不在の動物世界を描くことで、実は最も描かれているのは人間の存在。欲望に走って自然を破壊し文明を滅ぼす愚かな面もある一方で、動物や植物を愛でる心も持った矛盾した存在。
 アニマル惑星に味方するジャイアンが「人間なんて勝手だなあ」と憤り、「あれ? ジャイアン人間じゃないの?」とスネ夫がツッコミを入れ、「あ、そうだ、忘れてた」と返してみんなも笑う名場面。ここに本作の全てが集約されているように感じます。
 そしてそんな人間の存在を優しく誇った主題歌『人間だから』もあったかい。今回久しぶりに観賞して、この映画を作っているのも間違いなく人間なんだと、エンドロールでじんわり心を浸すことができました。

2.冒険の渦中で帰宅

 僕の好きな冒険の渦中で日常の世界に戻るシーン。本作ではまだ事態が深刻化する前の前半戦で、アニマル惑星と地球とを何度か往復していますね。
 出入口が今にも消えそうなピンク色のモヤという設定が秀逸で、その不安定さ・頼りなさが、動物たちの国をより幻想的で神秘的なものにしているのでしょう。

3.冒険の切り替わり

 本作では、ピンクのモヤが消えてしまい、一度チッポとのび太の世界は分断されます。会えなくなるのは寂しいですが、ただその時点では特に事件は起きていなかったので、五人はアニマル惑星のことを良い思い出として終わらせようとします。
 ただここからが大展開、つながりが絶たれたかに思われたチッポが意外な手段でSOSしてきます。そしてのび太たちも、もうモヤがない状況で意外な糸口を発見してアニマル惑星へ戻って行くのです。

 チッポたちのことは地球にとっては特に影響のない他人事。それでも迷いなく救出へ向かう五人。その理屈はジャイアンが口にした「友達が助けを求めてんのに知らん顔していられるか」という名ゼリフ、これに尽きるのが本当に心地良い。
 まさに「巻き込まれた冒険」が「自分で選んだ冒険」へ切り替わる場面であり、途絶えたかに見えた糸が何気ないアイテムによって再びつながる、今度は別の手段で同じ場所へ舞い戻る、という展開がとにかく僕は大好きで大好きでたまりません。

4.その他

 それでは、他の見どころもいくつか。
 まず、ドラえもんが耳を装着して猫の姿で活躍するというのが新鮮。本来ネコ型ロボットなのでこの姿が標準のはずなのに、それをするとますますタヌキだと思われてしまうルーティンギャグ、さらにそれが伏線になって実際のタヌキから怒られるオチには映画館でみんな笑っていました。
 しずかがウサギ、ジャイアンがゴリラ、スネ夫がキツネという変装もイメージとピッタリですが、のび太が扮する動物がクマというのは少し不思議。見た目だけならメガネザルになる方が自然ですが、のび太ののんびりさと優しさは確かにクマさん。人間にとってクマはそういうイメージの動物であることを改めて感じ、だから尚更昨今の熊被害の報道が悲しくなってしまいます。

 続いて映画の冒頭。アニマル惑星との出会いはドラえもんのひみつ道具と無関係というのが珍しい。直接的にしろ間接的にしろ、ひみつ道具が異世界へつながるきっかけになることが多いシリーズですが、本作のモヤは全くの偶然によって野比家に出現しました。もし他のお家に出現していたら、いったいどうなっていたことでしょう。そして映画を観た子供たちにとっては、もしかしたら自分の家にも異世界への入り口が開くかもしれない、というワクワクの余韻も残してくれるのです。

 セリフ回しにも注目。本作はスネ夫のジャイアンに対するツッコミが冴えていて、コンサートをする夢を見たといえば「夢でよかった」、寝言で怯えていたら「ずうずうしくて無神経で馬鹿力でデベソのジャイアンが」、ゴリラに扮すれば「たいして変わらないや」。特に動物ごっこ帽子による怪力で重たい石を取り除く場面での「素質は十分にあったのだ」というセリフが最高です。
 また決戦前夜にドラえもんが言う「みんなで力を合せればなんとかなるよ」という言葉。大山のぶ代さんの声も相まって、なんだか胸に響きました。映画シリーズでくり返し出てくるセリフでもあり、頼りないけど安心するドラえもんというキャラクターをとても表しているように思います。

 五人の役割分担については、いつもは優しさ担当のしずかちゃんが本作では頭の良さを発揮して謎解き担当なのが新鮮。のび太とのロマンスがない分、名探偵しずかをみんなで味わいましょう。
 また本作はジャイアンにスポットが当たっている部分も多く、第3作『のび太の大魔境』以来、久しぶりにいじけた姿を見ることができます。ただどんな時でも友達を見捨てられないのが彼。スネ夫が溺れればヘトヘトでも川へ飛び込み、チッポが助けを求めてくれば恐怖の敵にも立ち向かっていく。第2作『のび太の宇宙開拓史』で喧嘩中ののび太でもピンチを知れば迷わず助けに向かった頃から変わらない、これぞみんなが愛するガキ大将。
 ジャイアンがいじけから復活し、あのテーマ曲と共に現れる場面にぜひご注目!

 テーマ曲といえば、普段は日常の場面で使われるのんびりのび太のメロディが、今回は勇ましくアレンジされてニムゲの星から脱出する場面で鳴り響くのもかっこいい。弱虫の彼が一人で潜入し、あたふたしながら人質の女の子を連れて逃げる一連の救出劇は、少年心に刺さりまくりです。のび太にピッタリなひみつ道具『ツキの月』、その主成分はもしかしたらゴツゴー春菊ではなく、臆病な彼の精一杯の勇気だったのかもしれません。
 決戦前夜にベッドに横になって「ニムゲか…」と呟く彼。そういえば前作でも同じように「ギガゾンビか…」と呟いていました。不安や恐怖とは異なる、問い掛けのようなこの一言によって、視聴者も一呼吸、のび太の立場に立って物語に入り込むことができる。いやあ、素晴らしいセリフ術です。

 最後に細かい点ですが、前作では「環境庁長官」という名称だったのが本作では「環境大臣」に変わっています。このタイミングで現実の組織が変格されたのでしょうか。

 では今回はこのくらいで。次回は映画第12作、1991年公開の『のび太のドラビアンナイト』を研究します。

■好きなセリフ

「でも私、この国、大好きよ」
 しずか

 みんなが動物文明の成立を理屈で不思議がる中、素直に出た言葉

令和8年2月27日  福場将太