僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの7回目です。
■研究作品
仕事やら何やらで色々な予定が重なってとても忙しい秋。やらなければいけないことが目白押しにもかかわらず、書いているのはこの研究コラム。いったい自分は何をしているのでしょう。
今回は1986年3月15日公開の第7作『のび太と鉄人兵団』を研究します。時々理屈に合わないことをするのが人間なのよ。
■ストーリー
ひょんなことから北極で巨大ロボットの部品を拾ったドラえもんとのび太。近所迷惑にならないよう、鏡面世界の東京でそれを組み立て、ザンダクロスと名付けてしずかも誘って操縦を楽しむが、実は恐るべき兵器であったことが判明する。巨大ロボットのことは忘れようと誓い合うのび太たち、しかしその存在を追う謎めいた少女・リルルが現れ、地球人を奴隷にするために間もなく遠い宇宙のロボットの星・メカトピアから鉄人兵団が来襲することが告げられる。ザンダクロスもリルルもその計画の下準備のために送り込まれてきたのだ。
人類に危機が迫る中、圧倒的多勢の鉄人兵団を迎え撃つのはたった五人。はたして地球とメカトピアの運命は?
■福場的研究
1.主旋律と副旋律
本作の主旋律は『バトル』、侵略者である鉄人兵団との銃火器を用いた熾烈な争いが描かれます。ドラえもん映画といえば、異世界へ遊びに行って冒険するのが定番ですが、本作の舞台は現実世界と左右が反転しているだけの鏡面世界なので異世界という雰囲気があまりなく、ずっといつもの街にいるので冒険ロマンもほぼ皆無。代わりに終始緊迫と恐怖が立ちこめ、とにかくシリアスなバトルが続きます。それはまさに血で血を洗う戦いで、見慣れた東京の街並み、世界各国の名所が鉄人兵団に壊滅させられる戦慄の光景は、ドキドキワクワクの楽しさを期待して映画を見た子供心には正直受け付けませんでした。
また、第4作『のび太の海底鬼岩城』の頃から始まった恐怖演出は本作でも色濃く、とにかくゲストキャラクターのリルルが怖い。美少女なんだけどその瞳はマネキンのように生命感がなく、何かを企んでのび太たちに接触してくる。地球人を奴隷にすることにまるで罪悪感を持たず、計画を立ち聞きしたのび太を「逃げられないわ」と追い詰めたり、正体を見たしずかに襲いかかったり、あまりにも恐怖でした。
そのため夢中でシリーズのビデオを見返していた小学生時代も本作だけは敬遠していたのですが、年齢を重ねてから改めて観賞すると、紛れもない名作。ドラえもん映画のベストに推すファンが多いのも納得です。
本作を名作たらしめているのはバトルの主旋律の奥底でほのかに流れ続ける副旋律、それは『人間らしい心』です。
リルルの正体は、地球人そっくりに造られたメカトピアのスパイロボットでした。当初彼女は、祖国のために地球人捕獲作戦の準備を進めていきます。しかしのび太やしずかとのふれあいの仲で徐々に計画に疑問を持つようになり、この心の変化が戦争をある終結の形へと導いていくことになります。
ここで研究したいのがリルルの変化の解釈。「冷酷なロボットだったリルルが人間の優しさにほだされて、自らも思いやりの心を持った」ということでしょうか。悪い敵側にいた人物が善の心に目覚めて味方になるという展開は王道であり、もちろん感動的なのですが、本作でリルルによって巻き起こされる感動は、どうもその次元ではない気がするのです。
人間と同じ容姿をして、人間と同じ言葉を話す彼女は、怒ったり笑ったり、神を崇めたり祖国を愛したり、人間と同じ感情も持ち合わせています。けっして心を持たない存在ではない。それなのに何故彼女はロボットで、のび太たちは人間なのでしょうか。
藤子F先生が描かれたロボットと人間の違い、それは葛藤の有無でした。本作を見る度に、葛藤こそが人間が人間である証なのだと強く思わされます。
当初のリルルは確かに冷酷に見えました。しかしそれは善意のなさ・思いやりのなさというよりも迷いのなさによるもので、彼女は祖国の命令に従ってあまりにもまっすぐに行動していました。それに対して、のび太たちは何度も葛藤しながら戦いに臨みます。
傷ついたリルルを手当てするしずかは、彼女に撃たれて一度はその場を放棄しながらも、「やっぱり放っておけない」と戻って手当てを続けます。情報を鉄人兵団に伝えに行こうとするリルルに一度は銃を向けたのび太も、地球を守るためには彼女を撃って止めなければならないとわかっていながら、結局引き金を引くことはできませんでした。
ただ合理性だけで行動することができない生き物…思いやりと敵意、勇気と弱気、善意と悪意、他者への愛情と自己への愛情。そんな葛藤こそがロボットと人間の違い。リルルが地球人を奴隷にすることを間違いだと感じ始めたのは、優しくされて情が移ったわけではなく、助けてもらった恩返しでもなく、優しさや思いやりも含めて、人間はロボット以上に複雑な心を持っていることを知り、尊重すべき存在だと気が付いたからなのです。
映画終盤のリルルが人間的に見えるのも、彼女自身が葛藤するようになったから。当初は盲目的に祖国を正しいと信じていたのが、「私は自分の義務を果たします」と義務感で迷いを抑え込むようになり、ついには「奴隷狩りは悪いことだと思うけど、でも祖国メカトピアを裏切ることはできない。どうすればいいのか、自分でも自分の心がわからないの」と口にします。この葛藤こそがまさに人間らしさです。
本作が公開されて来年で四十年。SF作品の中の存在だった人工知能AIは、僕たちの社会や生活の中に実在し、ものすごい勢いでその存在感を強めています。確かにAIの記憶できる情報量は人間をはるかに凌ぎ、その情報を処理する精度も速度も人間は足元にも及びません。もう全てにおいて人間よりも優れていそうなAIですが、弱点があるとすればやはり葛藤のなさ、迷いやためらいのなさではないでしょうか。
葛藤のある方が優れている、というとなんだか変な感じがします。しかし生物の世界で考えてみても、人間ほど葛藤する動物はいません。そして生存競争を生き抜いて今この地球に君臨しているのはその人間なのです。
確かに個のレベルで考えれば、葛藤は弱点。あれこれ考えて攻撃をためらう動物よりも、迷いなく相手を攻撃できる動物の方が強いに決まっています。しかし集団のレベルになった時、葛藤は生き残りの強さとなる。進化とは種が生存し続けるために生じる変化。もし葛藤が人類にとって弱点でしかないのなら、心の進化の過程でとっくに退化しているはずです。時代の難局を乗り越えるためには、あるいは文明を発展させるためには、葛藤や気まぐれ、迷いや矛盾、ジレンマや両価性といったイレギュラーバウンドが必要ということなのでしょう。
人間は、例え祖国のためであっても他国に爆弾を落とす瞬間にはボタンを押す指が躊躇します。例え人命を脅かす猛獣であっても、駆除することには議論が生じます。しかしAIは躊躇なく爆弾を落とし、議論せず猛獣を駆除する。一見とてつもなく強そうですが、その葛藤のなさが、いずれAIの敗因になるのかもしれません。
ここでもう一歩研究を進めます。人間の言葉を流暢に話せるリルルには、知らない言葉が二つだけありました。一つは「死ぬ」であり、これは彼女がロボットなので「壊れる」という概念しかないのは当然です。もう一つ知らなかったのは「友達」という言葉。のび太に言われてきょとんとする描写があります。
メカトピアは、人間の愚かさに絶望した科学者が、平和の希望を託してアムとイムという二体のロボットを造り、そこから繁栄して出来上がった国でした。しかし次第にロボット文明の中にも貧富の差や身分の差が生まれていきます。作中でしずかも言っていますが、それはまるっきり人間の歴史と同じでした。にもかかわらず、ロボットの文明には「友達」という概念がないのです。
葛藤のない心で相手を迫害したり支配したりすることはできても、相手と友達になることはできない。友情は非合理的な心にしか宿らない。だからこそ、クライマックスでリルルが嬉しそうに「お友達」と口にしながらしずかの手を握るシーンに本作の全てが集約し、とてつもない感動が花開くのです。
自分でもバカだと思うことをしてみたり、大嫌いだけど大好きだったり、すればいいとわかっていてもできなかったり、喧嘩しても友達だったり…人間の心は本当に複雑。そしてそんな心を持っている人間という生き物であることを、少し誇らしく思えるのが本作の魅力なんだと僕は思います。
主題歌の『わたしが不思議』も、そんな心の不思議に寄り添ったまさにリルルのテーマのような一曲。表面的な内容よりも奥底のテーマに共鳴する歌詞を毎度書かれる武田鉄矢さん。はたしてこれは藤子F先生と打ち合わせをされてのことなのか、自身で感じ取られてのことなのか。
ちなみに、アムとイムに施された改造のように、たった一つの感情の有無でその主の命運が大きく変わるというのは、精神科医として非常に興味深いです。僕たち人間はこれまでどんな心の進化を遂げてきたのでしょう。これからどんな心の進化をしていくのでしょう。
2.冒険の渦中で帰宅
僕の好きな冒険の渦中で日常の世界に戻るシーン。前述のようにあまり異世界で冒険している雰囲気のない本作ですが、最終決戦のさなか、しずかとリルルが現実世界に戻ってきてのび太の部屋でママと出くわすコミカルな場面があります。
まさに緊張と緩和。方や地球を守るために命を懸けているのに、方や何も知らずに掃除機をかけている。こんなほっこりがあるからこそのドラえもん映画ですよね。
3.冒険の切り替わり
本作には、一度全てが解決して平和な日常に戻ったかと思いきや、更なる危機が告げられるという展開が存在します。そのきっかけになるのがママが物置にしまっていたザンダクロスの頭脳。これにより二度と行くつもりのなかった鏡面世界へのび太たちは戻ることになります。
前作『のび太の宇宙小戦争』の大統領の宇宙船もそうでしたが、シリーズではこれ以降も、一度異世界とのつながりは切れたと思わせておいて、一つのキーアイテムが残っていたことによって、再び異世界への道が開かれるという展開が多いです。
それはまさにのび太たちが自ら冒険に飛び込む瞬間であり、僕は大好きでなりません。そして、さり気なくキーアイテムを残している藤子F先生の巧みな伏線に毎回脱帽、最高です!
4.その他
それでは、他の見どころもいくつか。
まずはタイトル。これまでは『のび太の○○』で統一されていましたが、今回初めて『のび太と』が使われています。
そして映画冒頭。第3作『のび太の大魔境』では、実質的な主役だったジャイアンが第一声を発していましたが、本作でも実質的な主役のしずかちゃんが第一声を飾っています。
また、のび太が「ドラえもーん!」と呼び掛けてからお馴染みのオープニングテーマが始まる流れは本作が初。これは形式美として以降ずっと引き継がれていくことになります。
本作はシリーズ7作目の記念ということもあってか、過去作品のオマージュらしき場面がちらほら。例えば序盤でスネ夫がロボットを自慢してのび太がうらやましさのあまり無茶な約束をしてしまう場面は、第1作『のび太の恐竜』の序盤でスネ夫が化石を自慢する場面と重なります。そしてこの自慢話からの導入はこれ以降のシリーズでも度々見られるようになります。さらに冒頭でドラえもんがアイスを食べているのは第4作『のび太の海底鬼岩城』を思い出させますし、のび太と喧嘩してドラえもんが「それを言っちゃおしまいだ」と言うのは第5作『のび太の魔界大冒険』を思い出させます。
射撃の天才ののび太、優しく聡明なしずか、勇敢なジャイアン、臆病なスネ夫といった映画で掘り下げられる各キャラクターの魅力もすっかりお馴染みとなり、シリーズが回を重ねてきたからこその味わいがあります。
サブキャラクターとしては、学校の先生が今回は複数回登場するのが印象的。バトルの合間の日常、先生とのび太の教室でのシーンがよいアクセントになっており、エピローグへの伏線になっているのも見事です。
ひみつ道具としては、この先のシリーズで何かと活躍するスペアポケットが初登場しているのも押さえておきたいですね。
同じくドラえもん映画を愛するある人に言われて気付いたのですが、本作の中盤、ドラえもんとのび太としずかが秘密厳守の誓いを立てる場面、三人とも右手を挙げるというキリスト教式の宣誓をしています。神や神様というワードが多く出てくる本作、宗教色を意識した演出でしょうか。
また、スネ夫の従兄弟が造ったロボットのミクロス、藤子F先生らしい臆病だけど憎めないキャラクターですが、彼がしずかに告げる「怖いものは怖いんだもん」というセリフの言い回しが第4作『のび太の海底鬼岩城』に登場した水中バギーと全く同じ。声優さんも同じだからたまたまそうなったのか、それとも視聴者にバギーちゃんを思い出してほしいという意図された演出なのか。しずかがリルルを助けようとしたのも、もしかしたら同じくコンピューターだったバギーちゃんを思い出したからかもしれませんね。
最後はセリフ回しについて。ドラえもんシリーズも回を重ね、声優さんたちの演技もすっかり定着。一人ひとりのセリフもそうですが、掛け合いの呼吸がぴったりで、聴いていて本当に楽しい。母ちゃんに追い回されるジャイアン、ママに泣いて謝るスネ夫、のび太のパパとママのやりとりなど、ストーリーがシリアスな分、合間のコミカルな会話が心地良いです。普段息子に贅沢させて甘やかしているスネ夫のママも、夜遊びに対してはしっかり叱るという掘り下げがなされているのも微笑ましいですね。
名人芸だなあと感じるのは、リルルに「こんな小さな家じゃ無理ね」と言われて「小さな家で悪かったわね」と返すのび太のママ、ドラえもんに「何かいい案でもあるの?」と尋ねられて「ない」と返すジャイアン、言い方が絶品です。
そしてもちろんドラえもんも。「知りませんよ」「よろしい、仕掛けを公開しよう」「僕はあっちを探すということになります」など、時々のび太たちに対して丁寧語で話しています。けっしてかしこまっているわけではなく、むしろ気を許した間柄だからこそ出るお茶目な語り口。文字で読むと違和感があるかもしれませんが、これは大山のぶ代さんのドラえもんだからこその絶妙な味付け。みなさんも耳で聴けばこの可愛く微笑ましいニュアンスが伝わるはず。今回久しぶりに本作を観賞して、そうだ、のぶ代さんのドラえもんはこういう話し方だったんだと思い出しました。やっぱり素晴らしいなあ。
では今回はこのくらいで。次回は映画第8作、1987年公開の『のび太と竜の騎士』を研究します。
■好きなセリフ
「いいわ、撃って!」
リルル
ほんとに撃つよと虚勢を張って銃をかざすのび太に晴れやかに返した言葉
令和7年10月29日 福場将太