僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの5回目です。
■研究作品
日本の暑い夏、怖い話や肝試しでゾッとするのもおつなもの。ドラえもん映画にもそんな感覚を味わえる作品がいくつかあります。今回は1984年3月17日公開の第5作『のび太の魔界大冒険』を研究します。科学なんて迷信を信じてるの?
■ストーリー
魔法が使えたら苦労しないでなんでもできる…ドラえもんのひみつ道具・もしもボックスでそんな願いを叶えようとするのび太だったが、実現した魔法世界は思ったほど甘いものではなかった。山奥の屋敷で出会った少女・美夜子とその父である魔学博士の満月から、間もなく悪魔が地球に来襲することを教えられた二人は元の世界へ戻ろうとするが、トラブルでもしもボックスを紛失。さらに博士は悪魔に捕らえられ、美夜子も猫の姿に変えられてしまう。彼女はのび太たち五人こそ魔界へ乗り込んで世界を救う運命の勇士だと告げた。はたして悪魔の侵略から地球を守ることはできるのか? 大魔王デマオンを倒す方法とは?
■福場的研究
1.主旋律と副旋律
本作の主旋律はタイトルどおりの大冒険、前作に続き恐怖の成分も多めです。誰が造ったのかわからないドラえもんの石像がゴミ捨て場に捨てられているという不気味な冒頭から始まり、実際に悪魔が登場してからはそのビジュアルも相まって震え上がるようなシーンもたくさん、魔界で様々な窮地を乗り越えながら、大魔王を倒せない絶望と敗北、伏線を回収して絶体絶命からの大逆転と、まさに息をつく間もないスリルと興奮の冒険活劇となっています。
普段のテレビアニメで登場したひみつ道具もたくさん再登場しており、短編では遊びや日常の問題の解決に用いた道具たちが、アイデア次第で魔界攻略に役立つというのが面白いです。
また藤子F先生といえば、タイムマシンというアイテムを用いた魅力的なストーリーをいくつも生み出しておられますが、本作もその一つ。序盤の謎が終盤で明らかになった時、子供心にそのカタルシスの衝撃は凄まじかったです。タイムパラドックスの名作『BACK TO THE FUTURE』もまだ公開されていない時代にこんなからくりを考えてしまう藤子F先生、すご過ぎです。
そして本作の最高潮はクライマックスにおける宇宙空間での闘い。初のCGが駆使された疾走感、迫りくる大魔王軍団の恐怖感、美夜子を先頭に仲間全員が外向きに一枚の空飛ぶ絨毯に揃い建つ一体感が合わさって、とてつもない高揚感。いやあ、ドラえもん映画は5作目にしてここまで到達したかと感服です。
そんなスリルとアクションがメインの主旋律ですが、ドラマ成分も美しい。二人で悪魔に包囲された時、「いくら僕だって女の子を置き去りにして逃げられないよ」と強がるのび太に対して「ここで二人とも捕まったら誰が地球を守るの」と声を荒げ、自分だけ囮になる美夜子、その後ろ姿から目を逸らし、泣きながら謝りながら一人走り去るのび太の姿には胸が絞めつけられます。あまりにもせつない。魔法も使えず、悪魔とも闘えないのび太にできることは、残された希望として自分だけ逃げること。もちろんここで無謀と知りながら美夜子と一緒に悪魔に特攻するのも一つのかっこよさですが、藤子F先生が描いたのは、無力を認めて逃げるかっこよさだったのです。
そんな大満足の冒険ロマンの主旋律に寄り添っている本作の副旋律は『常識と迷信』。現在多くの場面で正しいとされているのは科学、根拠として説得力を持つのは科学ですが、科学はそこまで絶対的なものでしょうか。映画の冒頭で出機杉くんが「科学も魔法も根は一つなんだよ」とわかりやすい歴史解説をしてくれますが、のび太が想像したように、何かのはずみで科学ではなく魔法が発達していたとしてもおかしくありません。もしもボックスで生まれた魔法文明の現代社会はとても興味深いです。
大きな書店に行くと、医学・工学などの専門書と並んで、魔法・魔術の専門書は普通に売られているのをご存じですか? 学生時代に少しだけ読んでみましたが、冗談やフィクションの本ではなく、魔法はちゃんと体系を持った学問として研究されていました。
魔法は存在します。今は科学が常識、魔法が迷信とされているけれど、それは与党と野党のようなもので、立場が逆転したって何もおかしくない。実際に世の中でたくさん起きている科学では説明できない出来事も、魔法的な見方をすれば不思議ではないのかもしれません。非科学的な面の多い精神医学や心理学に携わっていると、僕は尚更そんなふうに思うのです。
本作の主旋律は悪魔の魔法とドラえもんの科学との闘いでもあり、見事に主旋律と絡まった奥深い副旋律と言えるでしょう。
2.冒険の渦中で帰宅
ドラえもん映画で僕が大好きなのは、冒険の渦中でふっと日常に戻る場面。まるで修学旅行の最中にいつもの町を通った時のような、仕事の外回りの途中で自宅に立ち寄った時のような、不思議な安堵感と懐かしさが込み上げるのです。
本作では、タイムマシンでのび太とドラえもんがもしもボックスを使う前の時代、つまり魔法世界になる前の元の世界に戻る場面があります。事件はまだ解決していない、でも少しだけほっとする。のび太の「ねえ見てよ、元の世界だよ。魔法も悪魔もいない、平和な世界だよ」というセリフと共に、このシーンで心身に込み上げる感覚が僕はたまりません。
3.冒険の切り替わり
ドラえもん映画で僕がもう一つ好きなのは『巻き込まれた冒険』だったのが『自分で選んだ冒険』に切り替わる場面。本作ではそれもしっかりあります。
魔界から地球へ脱出したのび太とドラえもん、新しいもしもボックスも手に入り、それを使えば自分たちは元の世界に戻れて全て解決…かに思われましたが、それでは魔法世界の仲間たちは悪魔に囚われたまま、地球も救われない。パラレルワールドのことであり、自分たちが暮らす現実世界に影響はないとはいえ、やっぱり放っておけない。ここで冒険は切り替わり、のび太たちは危険を承知で再び魔界へ飛び込んでいくのです。
特に本作では、冒険の切り替わりの場面にシリーズ唯一の面白い演出が施されているのでぜひご賞味ください。
4.その他
それでは、他の見どころもいくつか。
まずは予告編。ゾッとする場面が多い本作ですが、実は映画の予告編からして恐怖演出。子供の頃はビデオでこの予告編を見るだけで眠れなくなっていたものです。また当時は作中に登場する「北北西」という言葉の意味がわからず、勝手に何か怖いものだと思い込んでいました。
続いてオープニングについて。第7作からは、のび太が「ドラえもーん!」と呼び掛けてからオープニングテーマが始まる流れが形式美となりますが、それまでの6作は流れは様々。中でも最も魅力的なのが本作で、のび太の「チンカラホイ」の呪文と共にホウキが跳ね上がって流れ出す『ドラえもんのうた』、こんなにワクワクする導入はありません。
そして映画初登場のキャラクターとしては、学校の先生。まだこの頃は「野比」や「骨川」ではなく、「のび太」「スネ夫」と下の名前で呼んでいるのが新鮮です。
ちなみにもう一人、僕がドラえもんシリーズで一番好きなキャラクターも本作で初登場。誰かって? それはもちろんキュートな声の…!
また本作では魔法世界が現実になるわけですが、シリーズではこれ以降も、のび太が空想した世界が実現する、実在する、というパターンがたくさんあります。子供たちが空想する世界、一般的には迷信とされる物が、実はあったぞと言ってくれるのもドラえもん映画の魅力ですね。
そういえば、他の女性にデレデレするのび太に対してしずかがやきもちを焼く場面も本作が初。あれ? しずかちゃんはのび太を意識していたの? 女心は難しい。
最後にBGMについて。本作ではテレビシリーズのBGMに加え、過去4作の映画シリーズから流用されている曲が多いのも特徴。特に仲間が全員集合する場面で第2作の主題歌『心をゆらして』のメロディが流れたり、威勢よく旅立つ場面で第3作のペコのメロディが流れたりするのは、本作がこれまでの集大成といった趣きにもなっていて素敵。
また主題歌の『風のマジカル』が、大人の事情でビデオやDVDで流れないのは有名な話ですが、そのメロディを奏でたBGMはちらほら残されています。特にのび太の部屋で月の光を浴びた美夜子が猫から元の姿に戻った時に流れる曲が良い。優しくて可愛くてどこかせつないメロディに、その場の空気があたたかくなるのです。
ちなみに本作の楽曲で一番印象的なのは、魔界の人魚が歌う誘いの歌。悲しくて美しくて恐ろしいメロディ。いずれこの曲をギターで弾き語りしたいものです。ジャイアンが怒り出すかな?
では今回はこのくらいで。次回は映画第6作、1985年公開の『のび太の宇宙小戦争』を研究します。
■好きなセリフ
「僕、きっとまた会えるよね」
のび太
自分だけ囮になるために悪魔の前に飛び出そうとする美夜子に涙の笑顔で伝えた言葉
令和7年8月8日 福場将太