心の名作#27 ドラえもん映画の研究④ のび太の海底鬼岩城

 僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの4回目です。

■研究作品

 まずはお詫びと訂正から。前回の研究コラムで「6月6日に雨ザアザア」をドラえもん
絵描きうたの歌詞として書いてしまいましたが、正しくは「6月6日にUFOが」でしたね。ごめんなさい。
 さて、暑い7月、子供たちは夏休みが楽しみになる頃です。ドラえもん映画でも夏休みに冒険に出掛ける話は少なくありませんが、僕が夏休みと聞いて思い出すのはこの一作。今回は1983年3月12日公開の第4作『のび太の海底鬼岩城』を研究します。同じ海底人として僕は恥ずかしい!

■ストーリー

 金塊を積んだ沈没船が発見翌日に忽然と消えた、そんなニュースがテレビに流れる夏休み、水中バギーに乗り込んで海底キャンプへ出掛ける五人。ドラえもんのひみつ道具でスリリングながらも楽しい時間を過ごすが、突如現れた海底人の少年兵士エルに捉えられてしまう。そこで目にしたのは海の底の国・ムー連邦。当初は敵対したものの、やがて連邦の首相は地球の命運をドラえもんたちに託すのだった。はたして彼らが恐れる自動報復システム・ポセイドンとは? 

■福場的研究

1.主旋律と副旋律

 ファンの間でも名作と名高い本作。まずはムー、アトランティス、バミューダトライアングルなどの現実の海洋ミステリーを盛り込んだSFとしての設定が秀逸です。そしてその中で展開される冒険の主旋律には、シリーズで初めて『恐怖』が色濃く押し出されています。それはこれまでのように恐竜や猛獣が恐い、強敵が恐いといったものではなく、得体の知れないものに対する怖ろしさ。なので子供の頃の本作の印象は「怖い」でした。

 今回改めて観賞すると…やっぱり怖い。序盤の場面では、海の中の絶景、深海魚、プランクトンのバーベキュー、マリアナ海溝探検などなど、ドラえもんがいてくれたらこんなに楽しいことができるんだという、まさに夢のような海底キャンプが描かれます。そして、のび太たちの知り及ばない所で「何か」が密かに不穏な動きをしていることが視聴者にだけ描写されるのです。まさに忍び寄る影。
 その象徴が謎の沈没船。映画冒頭で衝撃的に登場し、のび太たちが眠っている間にその近くを疾走し、やがて船内に侵入したドラえもんによって白骨化した船長の航海日誌が意味深に読み上げられる。他にも、海底に響く大砲の音、何かのエネルギーで砕けた岩、助かるはずのない状況だったのに何故か生きているジャイアンとスネ夫、深海で聞こえるアヒルの鳴き声、のび太を襲った火を噴く怪魚、夜中にノックされるしずかの部屋のドアなどなど、恐怖ばかりでいったい海底世界で何が起きているのか視聴者にはわからない。
 ゲストキャラのエルも中盤まで登場せず、登場しても海底人が何を考えている連中なのかさっぱり不明。沈黙の海底都市の雰囲気はあまりにも不気味です。

 こうして中盤にかけて少しずつ恐怖が積もっていき、海底世界の事情がようやく判明するのは最終決戦の直前。この時のスネ夫がエルに対して尋ねた「ところで僕らはどこへ何しに行くの?」が、実は視聴者にとって最も重要な問いだったわけです。
 しかも事情が明かされて怖ろしさが薄らぐかというとむしろ逆、得体の知れなかった恐怖は地球滅亡の危機という具体的な恐怖に変わって襲い掛かってきます。
 アトランティス潜入後の場面ではずっと部隊が暗く、墜落した飛行機と沈没した船舶の残骸、滅んだ都市の街並みの映像は子供心にあまりにも怖い。本作にはジャイアンとスネ夫が死にかけるショッキングな場面もありますが、白骨、空や海の事故、戦争の犠牲など、明確に人間の『死』の存在が描かれているのも特徴です。

 このように恐怖が多めの主旋律ですが、ドラマ性の高さも抜群で、エルが心を開いてくれる裁判の場面、ひみつ道具を駆使した敵との混戦、クライマックスでのあるキャラクターの大活躍など、見所は尽きません。五人それぞれに印象的な見せ場があるのも前作の流れを引き継ぎ、よりパワーアップさせた作りと言えるでしょう。

 そんな骨太の主旋律に寄り添う本作の副旋律は『コンピューターの心』。戦争のために開発され人間の話を聞き入れず旧式のままのポセイドン、娯楽のために開発され人間の優しさに触れてデータを増やしていく水中バギー、そしてそれぞれが見せる暴走。
 しずかの「機会に善い悪いを区別する力ないわ」という言葉、エルの「危険に陥った者を見殺しにできないという人間らしい心」という言葉と共に、これからAIと生きていく僕たちが考えなくてはいけないテーマだと思います。

2.冒険の渦中で帰宅

 本作には、僕の好きな「冒険の渦中でふっと日常に帰った時の不思議な安堵感」を与えてくれる場面はありません。類するものとしては、後半のシリアスな展開我始まる直前に、一度五人が海の上へ出て晩ごはんを食べるシーンがあります。まさに嵐の前の静けさといったところでしょう。

3.冒険の切り替わり

 本作には、『巻き込まれた冒険』が『自分で選んだ冒険』に切り替わる明確な場面もありません。というよりも、海底人から協力を要請された時点でこのままでは地球が滅ぶと知らされるため、巻き込まれたと同時に自分でも選んだニュアンス。ドラえもんの「何が何でもやるしかない」というセリフにもあるように、今回の戦いはそもそも他人事ではない、別世界のこととしてそっぽを向く選択肢がないのです。これもシリーズでは珍しい設定ですね。

4.その他

 恐怖とシリアスが多めの本作ですが、他にもいくつか魅力を。
 まずは冒頭の夏休みの宿題の場面。「全部片付けるまでどこへも行っちゃいけません」とのび太をいさめるママ、そしてちゃんとのび太が宿題をやり切ったら「思いっきり楽しんでらっしゃい」と優しく送り出してくれるママがとてもよい。本当に我が子のためを思って厳しくしてくれていることが伝わってきます。特に仕上がった宿題を見ながら「頑張ったのね」としみじみ言うママの声が絶品!
 また本作は、しずか・ジャイアン・スネ夫、それぞれの母親が映画初登場しているのも見所。地球を救う大冒険をしてるけど、みんなママや母ちゃんには適わない小学生なのです。

 ドラえもん映画では欠かせないひみつ道具・テキオー灯も本作で初登場。どんな環境にも適応できるようになるこの道具のおかげで、これからのび太たちは様々な世界へ出掛けていけるのです。それにしても、24時間で効き目が切れるというのは恐怖。道具を取り出す場面の効果音がやけに神秘的なのは、その後の展開を暗示していたのでしょうか。
 そういえば子供の頃に勘違いしていたこと。自分を襲った火を噴く怪魚についてのび太が大きさを説明した際の「後楽園球場くらいあるんだぞ」というセリフ。広島在住だった僕には後楽園球場という単語が脳内になく、「コーラ研究所くらいあるんだぞ」と思っていました。子供心に、アメリカでコカ・コーラを研究している所はそんなに大きいのかと思ったものです。

 本作で印象的なのがのび太が海底人によって見せられる学習ドリーム。全ての生命は海から生まれ、やがて海から陸に上がり、陸から海へ戻った生物もいる…多くを語らずとも海底国家がいかにして誕生したのかを想像させ、説得力を持たせる、藤子F先生ならではのSF演出。のちの『のび太とアニマル惑星』『のび太と雲の王国』でも国家誕生の神話が示されますが、もう天才としか形容できません。
 またシリーズでくり返しテーマになる、人類の自然破壊について触れられたのも本作が初ですね。

 さらに本作では、のび太がますますしずかちゃんを好きになったんじゃないかなと感じる場面があります。一つは鬼岩城を見つけるためにわざと囮になるとしずかが名乗り出る場面。もう一つはみんなが誇らしげな大団円で一人心を痛めるしずかに気付いた場面。ただ可愛いだけじゃない彼女の魅力と二人の特別な距離感は、今後のシリーズでもたくさん描かれていきます。

 そして最後に声を大にして言いたいのは、本作はやたらにスネ夫のセリフの切れ味が良いということ。時には端的に視聴者に必要な説明をしてくれます。
「でもあれは30メートルはあったよ」
「空まで伸びていたというバリアがあそこに」
「もしもバリアが地底まで伸びていたら…」
「冗談じゃない、バミューダトライアングルの面積は日本の倍以上もあるんだよ」
「無茶なんだよ、あてもなく歩くなんて」
「魔のトライアングルの犠牲者たちはここに沈められていたんだよ」
「敵が多過ぎるよ」
 これらのセリフのおかげで、物語のテンポを削ぐことなく視聴者は瞬時に状況が把握できます。さらに情緒的なこんなセリフも。
「海の夕陽ってすごいねえ」
「あいつらの心は海の底と同じように冷た過ぎるよ」
「そうしなくちゃいけないんだよ。みんながもっと海を大切にすれば、きっと海底人だって…」
 まるで詩人のようなセリフです。そしてなんと、鬼岩城に乗り込む時の第一声もスネ夫。
「じゃあ早いとこやっちゃおうよ!」
 いったいどうした? かっこよすぎるぜ、スネ夫!

 では今回はこのくらいで。次回は映画第5作、1984年公開の『のび太の魔界大冒険』を研究します。

■好きなセリフ

「もう一つ、道があります!」
 エル
 もはや神に祈ることしかできないと嘆く首相に背後から力強く放った言葉

令和7年7月19日  福場将太