心の名作#27 ドラえもん映画の研究(番外編) のび太の結婚前夜

 僕の人生に何度も気付きとエネルギーを与えてくれたドラえもん映画を研究するシリーズの番外編です。

■研究作品

 ドラえもん映画といえば、もちろん夢とロマンに溢れた異世界冒険の長編が基本。ただ一時期、その同時上映として三十分の短編シリーズも製作されていました。普段のテレビアニメでも映像化された原作のエピソードから、特にドラマ性の高い名作を映画用にリメイクしたもので、中でもこの一作はメインの長編を凌駕してしまうほど印象的でした。
 6月といえばジューンブライド。英国ではこの時期に天候の良い日が多いため6月に結婚する花嫁は幸せ…というのがその由来だそうですが、日本においては「6月6日に雨ザアザア」というドラえもん絵描きうたにもあるように、けっして天候の良くない梅雨の季節。それでも結婚に託される幸せの願いはきっと万国共通。
 今月は長編シリーズはお休みして、何度も心をあたためてくれた1999年3月6日公開の短編『のび太の結婚前夜』を研究します。そう言うと思ったわ。

■ストーリー

 白雪姫の演劇を練習するしずかと出木杉を目撃したのび太は、その仲睦まじい様子に本当に将来自分がしずかと結婚できるのか不安になってしまう。ドラえもんと共にタイムマシンで未来を見に行くと、そこには結婚式を翌日に控えたのび太としずかの姿。はたして大人になった彼らは、どんな思いでそれぞれの独身最後の夜を過ごしているのか?

■福場的研究

1.お馴染の面々

 まず嬉しいのは、お馴染の面々の未来の姿が描かれていること。原作ではタイトルどおり夜の場面がメインなのですが、本作では日中の場面がオリジナルで加えられており、ドジを踏んだのび太が気まずそうにしずかの両親と接する場面、その後にしずかに励まされる恋人同士らしい場面、さらにジャイアン・スネ夫も加わって迷い猫を飼い主に届ける小さな冒険をする場面と、いずれもとっても微笑ましいです。
 特に大人になった四人が、童心に帰ってはしゃぐ雰囲気。声質だけでなく、子供の頃と口調も少しだけ変えている声優さんたちの演技がお見事で、相変わらずの部分と、少し頼もしくなった部分がそれぞれに垣間見えるのが素敵です。
 早くに地元を出てしまった僕としては、ずっと同じ街で同じ仲間と暮らして、一緒に歳を重ねていく人生に、ちょっと憧れたりもします。

 そして夜の場面では原作どおりに、両親と最後の夜を過ごすしずか、ジャイアン・スネ夫・出木杉と宴を囲むのび太が描かれます。
 しずかのママが託してくれた真珠のネックレス、愛犬ペロの回想などは、それらにまつわる原作エピソードを知っているドラえもんシリーズのファンならさらに感情移入できてしまうでしょう。また、帰るのび太を見送る際のジャイアンの顔が本当に本当に嬉しそうで、誰よりのび太をいじめながら、きっと誰よりのび太を気に掛けてきた永遠のガキ大将に、「心の友よ」と叫びたくなってしまいます。

 そしてそして、また少しだけオリジナルの追加シーン。ジャイアンの家からの帰り道でのび太が出会ったのはまさかのあの人。のび太の成長を語る上で確かにこの人は欠かせない。優しくて素敵なアレンジだと思います。
 できれば大人になったのび太と両親との会話も見てみたかった気もしますが、まあ本作の主人公はやっぱりしずかちゃんなので、欲張らずにあえてそこは描かない選択も見事。同じ夜の下、ママとパパがのび太についてどんな会話を交わしているのか、想像するだけでまた胸があたたかくなります。

2.時代設定

 本作を味わい深いものにしているのは時代設定。大人になったのび太たちが暮らしているのは、近未来と昭和の街並みが混在する世界。ジャイアンの家や川沿いの土手などは昔のままで、でも少し都会に出ればドラえもんが来た22世紀の雰囲気に少し近付いてきている。そんなブレンド具合が絶妙。
 ぶっ飛び過ぎずに、でも確かに時は流れてみんな大人になったんだということを自然に感じさせてくれるのです。

3.名場面

 そして多くのファンが愛する名場面、結婚への不安を口にしたしずかに対して、しずかのパパが語りかけるシーン。声優さんの名演もあって涙なしでは見られません。
 一人娘の自分が嫁いだら親は寂しくなる、本当にのび太とうまくやっていけるか、そんなしずかの不安にパパはとてもあたたかい言葉で答えます。そしてパパが語った、人間にとって一番大事なこと。自分が歳を重ねれば重ねるほど、本当にそうだなあと思わされます。
 振り返れば、目を悪くしてからの自分は生来の負けず嫌いもあって、素直に人を祝ったり、悼んだりしてこなかった気がします。自分に祝福や心配をくれる家族や友人の有り難さに、気付いていなかったと思います。本作のしずかのパパの言葉は、どうしてしずかがのび太を選んだのかという、この壮大なシリーズの最大の謎を解いてくれたものでもありました。だからのび太が幸せになることに誰も異論を唱えない。僕も今からでも、そんな心になれる生き方をしたいと思います。

4.最高潮の一分間

 これはそのタイトルどおり、結婚前夜を描いたエピソード、夜のうちにドラえもんとのび太は現代へ戻ってしまうので、原作でも翌日の結婚式の場面は描かれませんでした。だから本作でも現代に戻って主題歌が流れ始めた時、ああ、やっぱりそこはないんだと納得しながらもがっかりしたものです。

 ところが、な、な、なんとその後のエンドロールで二人の結婚式の場面が静止画という形で挿入されたのです。わずか一分間ほどのエンドロールですが、これが本作珠玉の演出にして最高のハイライト。セリフや動きは見せずに数枚の写真だけで結婚式の様子を少しだけ垣間見せる。静止画だからこそ、長年ドラえもんを見てきたファンはその一枚一枚に思いをはせることができる。
 頼りないけど頼もしい表情ののび太、泣きながら目を伏せてその手を取るしずか、そんな二人を見ながら涙ぐむジャイアンとスネ夫。そしてここに来て登場、少し歳をとったのび太のママとパパ。優しく息子を見守るその表情だけで、見ているこちらも感無量。
 映画の冒頭で練習していた演劇本番の写真を見せる演出も憎い。そこでは白雪姫のしずかちゃんの王子様は出木杉、のび太は端役で悔しそうな顔。でもそんな子供だったのび太は大人になって、みんなに感謝しながら望んだ幸せを叶える。
 視力を失ってこのエンドロールが見られないのは本当に本当に残念ですが、今でも輝く写真たちがずっと心に焼きついています。

■好きな場面

 最も胸に来るのが、のび太たちが大人になった世界にはもうドラえもんがいないということ。のび太を幸せにするために未来から来たドラえもんは、その役目を終えてどこかのタイミングで未来に帰っており、のび太が大人になった時代にはもういない。のび太もしずかもジャイアンもスネ夫も変わらず仲間のままだけど、その中心にいたドラえもんはいない。
 誰もその寂しさを口にすることはなく、話題にも出さない。一見みんな忘れてしまったかのようにも思えるけど、作中で一度だけ、夜空を見上げてのび太がその名を呟く。

→控えめな演出が素晴らしいですね。ちゃんと未来ののび太は親友を忘れていなかった。忘れているはずがなかった。でもその寂しさで泣いて立ち止まっていたら親友は喜ばない、親友のためにちゃんと笑顔で今を生きている。
 本作のエンドロールの最後は、青空のもと、教会の前でのび太としずかをみんなが囲んでいる静止画ですが、やっぱりそこにもドラえもんはいない。いないけどそこにあるのはドラえもんが導いてくれた未来。不在という形でより大きく存在を感じることができるのです。
 主題歌『幸せのドア』も、どこでもドアのイメージと重なって、まるでドラえもんが幸せにつながるドアをポケットから出して「頑張ってこれを開くんだ!」と言ってくれたよう。
 僕はこの映画こそ、ドラえもんシリーズの最終回だと思っています。それくらい大好きでもう何回号泣したかわかりません。ありがとうドラえもん、ちゃんと幸せになるからね!

 それでは今回はこのくらいで。次回こそ映画第4作、1983年公開の『のび太の海底鬼岩城』を研究します。

■好きなセリフ

「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ」
 しずかのパパ

令和7年6月27日  福場将太