2025年2月2日(日)、『RDD2025in旭川』というイベントで講演を行なった。ご依頼を受けた時にまず最初に思ったのが「どうしてこの日なんだろう」ということだった。真冬の北海道、2月の旭川となれば大雪で公共交通機関に影響が出る可能性はけっして少なくない。スタッフにとっても、来場者にとっても、もっと会場に足を運びやすい日取りの方がよいのではないか?
しかし、この疑問は僕の見識の甘さであった。今回のイベントは、確かに2月に開催する意義があったのである。
演題
優しい想像力を心に広げて ~みんなが暮らしやすい社会について考える~
セットリスト
第一章 どうして難病なのか
第二章 難病との二人三脚
第三章 難病からの3つの回復
第四章 みんなが暮らしやすい社会
第五章 まとめ
1.RDDとは
RDDをご存じだろうか。これはレア・ディジーズ・デイ、『世界希少・難知性疾患の日』のことである。本当に不勉強で申し訳なかったが、今回のお話をいただくまで、僕は全く知識がなかった。
世界には、患者数が少なく治療法の研究が進んでいない病気がたくさんある。そんな病気について知ってもらうこと、患者の生活充実を推進することなどを目的として、毎年この日にイベントを開催する動きが2008年にスウェーデンから始まり、2010年からは日本でも続けられているそうだ。そして2月の最終日こそ、このレア・ディジーズ・デイの当日なのである。
かくして、今回のイベントも2月に合せて行なうことに大きな意義があったわけだが、ではそもそもRDDはどうして2月の最終日に設定されているのか? 創始者の誕生日とか、何かが採択された日とかではない。日付の数字にゴロ合わせがあるわけでもない。
それは、2月29日が四年に一度しか巡ってこない希少な日付だから。希少な疾患を伝える日としては、まさにうってつけだったのである。
2.難病とは
日本でも『難病』という言葉がある。2015年1月に施行された難病法という法律で、それは「発病の機構が明らかではなく、治療方法が確立していない希少な疾病で、長期に渡る療養を要するもの」とされている。簡単に言えば、原因がよくわからず、患者の数も少ないから治療法も見つかっておらず、長年つき合わねばならない病気、ということだ。
僕の持病の網膜色素変性症も、いくつかの遺伝子に原因があることはわかっているがまだ完全な解明には至らず、4000人から8000人に1人が発症、治療法は見つかっておらず、夜盲・視野狭窄・視力低下などの症状が長年かけて進行していくので、まさに難病の定義に当てはまる。そしてこの持病は難病の中でも、医療費助成の対象となる指定難病疾患とされている。
正直僕が難病について知っていたのはこれくらいのことだけ。言い訳をしてはいけないが、精神疾患は基本的に難病には該当しないため、普段診療で難病法と照らし合わせて何かをしたり、職場でRDDの話題が出たりすることがなかったのだ。
ただ誤解してほしくないのは、精神疾患が法律的には難病ではないからといって、けっして困難が少ない病気、簡単な病気ということではない。精神保健福祉法など、別の法律で扱われているから難病法の範疇には含まれていないというだけの事情である。
3.障害とは
一方で『障害』という言葉もある。難病の患者がイコール障害者なのかというと、必ずしもそうではない。難病によって長年回復困難な機能障害が生じれば、身体障害者手帳交付や年金受給の対象となることはあるが、それは難病患者の全員ではない。逆に障害者手帳を所持している人が、全員難病の患者というわけでもないのである。
どうしてあちらは認められてこちらは認められないのか、と時に矛盾や理不尽を感じることもあるだろう。ただ忘れてはならないのは、「何が難病か、何が障害か」というルールを作っているのは神様ではなく人間だということ。当然不完全であり、時代のニーズや価値観に合わせてこれからもこのルールは変化していく。
よって、医療や福祉の制度を利用する上ではもちろんルールは大切なのだが、今を生きる患者にとってより大切なのは、「難病を患うことによって何が難しくなり、どうすればそれを克服できるのか」ということ。
今回の講演では、半分は難病の当事者として、半分は心の支援者として話しをした。もちろん100パーセントの答えを示すことはまだできないが、1パーセントでも聴いてくださった方の役に立つヒントが含まれていたら嬉しい。
4.出会いとは
前夜まで雪の影響を案じていたが、当日は快晴に恵まれた。ダイヤどおりのJRでスムーズに旭川へ到着。乗り降りに際しては駅員さんに誘導をお願いしたが、旭川駅がとても広かったことに驚いた。まだ視力が少し残っていた頃にも訪れた記憶があるが、こんなに大きな駅だっただろうか。
またJRの車内は外国人の観光客と思われる方がたくさん。雪に触れたくて来ている人も多いらしく、今回の講演でも話したテーマだが、人にはそれぞれの事情がある。僕のように雪が降ってほしくない人もいれば、観光客のように降ってほしい人もいる。そんなみんなが一緒に暮らす、それが社会なのだ。
会場は『旭川市障害福祉センターおぴった』。到着すると、スタッフのみなさんとお弁当を食べながら打ち合わせ。今回の主催の北海道難病連さんには、本当に本当によくしていただいた。難病という悲しみがあったからこそ出会えた人たち、その人たちと分かち合える喜びが確かにある。
そして会場まで足を運んでくださった来場者のみなさんには、心からの感謝を伝えたい。あたたかい空気の中でお話をすることができた。講演の後にもたくさん声を掛けてもらって、そんな出会いこそ、現地に赴く醍醐味である。
5.生きるとは
イベントの後半は難病連さんだけでなく、地元で活動している様々な当事者団体のみなさんの発表だった。その中にはお馴染のJRPS北海道の重鎮もいらっしゃった。僕が所属している『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』もそう、『公益社団法人 NEXT VISION』もそう、規模や形は様々だが、人は集まることで支え合い、勇気と知恵と元気を高めることができるのだ。
難病患者だけが大変なわけではない。視覚障害者だけが大変なわけではない。どんな人にもそれぞれの事情があり、その人なりの苦労があり、その人だけの痛みがある。そしてそれは簡単に口にできることではない。
だからこそ、この社会で一緒に生きるためには、相手の事情を察する『優しい想像力』を、お互いの心に広げていくことが大切。RDDのイベントに参加して、改めてそのことを強く思った。
ちなみに今回一番の驚きは、会場に小学校時代の同級生がいたこと。講演のチラシを見て会いに来てくれたそうだが、広島県呉市で共に育った友人と旭川の地で数十年ぶりに再会するなんて。
生きるとは本当に不思議。人生は生きてみるものである。
6.研究結果
語り手として、聞き手として、とてもあたたかい時間を過ごせたイベントでした。
僕は難病の患者です。精神科の医者です。視覚障害の当事者です。心の支援者です。音楽と文芸を愛する表現者です。ドラえもんと推理小説と激辛カレーの愛好者です。もしかしたら変質者かもしれません。
そんなただの一人の人間は、また旭川に来る日を楽しみにしています。
令和7年2月3日 福場将太