心の名作#26 MIND ASSASSIN マインドアサシン

 ある限られた世代には強烈なインパクトを残している、そんな心の名作を研究するシリーズの26回目です。

研究作品

 今から30年前の1994年、週刊少年ジャンプを読んでいた少年少女たちの心に静かな衝撃が走りました。あまりにも他に類を見ない新連載が始まったのです。それこそが今回研究する漫画『MIND ASSASSIN』。きっと僕と同世代のジャンプ読者なら、その不思議な魅力が記憶の片隅に残っているのではないでしょうか。
 本作はまさにそんな記憶と心がテーマで、『ブラック・ジャック』や『死神くん』と並ぶ、一話完結の秀逸な人間ドラマとなっています。当時コミックスがボロボロになるくらい何度も何度も読み返した愛読作品、三十年越しの研究と参りましょう。その犬…山下夜志保という名前ではなかったですか?

ストーリー

 第二次世界大戦中、ナチスドイツの科学力によって特殊な超能力を持った暗殺者が作り出された。彼の力は、生き物の頭部に外部から触れるだけで、精神と記憶を破壊することができる。終戦から50年、MIND ASSASSINと呼ばれたその超能力者の血を引く日独クォーターの青年が日本にいた。青年の名は奥森かずい、彼が営む奥森医院の看板には「精神と記憶に関する相談承ります」の一文。今日もまた、自らの記憶に苦しむ患者たちが彼のもとへと訪れる。

福場的研究

1.超能力者

 本作のキーとなるMIND ASSASSINの力とはどのようなものでしょうか。MIND ASSASSINは普段その力を制御するためのピアスを両耳につけており、それをはずすことで能力の発動が可能となります。光る右手で相手の額に触れるだけで、何の傷跡も残さずに一瞬でその人の精神と記憶を破壊する…つまり、何も話せず何も考えられない生ける屍にしてしまうのです。なんと恐ろしい超能力でしょう。

 まあ政治犯やスパイ、危険思想者を秘密裏に葬るために作られた力なので、恐ろしいのは当然なのですが、実はこの超能力、加減を調整することで他の使い方もできます。
 その一つが「特定の記憶だけを壊す」というもので、主人公の奥森かずい先生は主にこの作用を用いて患者さんたちを苦しみから救おうとします。暗殺のための力を医療に用いる…薬物などにも言えることですが、科学技術はまさに善いことにも悪いことにも使える、医療と軍事は表裏一体ということですね。

2.医者

 奥森先生は190センチを超える長身、髪を伸ばせば女性と間違われる端正な顔立ちの青年ですが、柔らかい物腰とドジキャラで近所から慕われている町医者さんです。専門は内科・小児科・放射線科で精神科医ではありません。それでも先生は診療の中で患者さんの心の悩みにも真剣に耳を傾けていきます。
 お話をしてアドバイスを与える、いわゆるカウンセリングの他に先生が用いるのが祖父譲りの超能力。患者さんが生きる力を失うほどつらい記憶を抱えている時、それを消すことで先生は苦しみから解放してくれるのです。

 みなさんはこの治療法をどう思われますか? つらい記憶を消すことで心を楽にするというのは正しいでしょうか、間違っているでしょうか。中学生時代から僕もずっと考えていますが、まだ答えは出ていません。
 MIND ASSASSINの能力は言うなれば心を切るメスです。身体から癌に冒された臓器を切除して命を守るように、心からつらい記憶を切除して命を守る。現実の精神医学でも、脳を手術したり脳に電流を流したりという方法で、精神疾患を治療しようという試みがなされた歴史があります。ただこれらは患者さんへの侵襲があまりに大きいことに加え、特定の病巣や記憶だけをピンポイントに消せるほど精巧な技術でもないため、人道的な見地からも日常臨床には定着しませんでした。
 しかし奥森先生の手法は、医者が患者の額に触れるだけという至ってシンプルな施術で侵襲もない、しかもピンポイントに消したい記憶だけを消せるという精巧さです。これならいかがでしょう。実際にこんな技術があったとしたら、みなさんはその治療を受けたいでしょうか。

 記憶も大切なその人の一部、記憶を消したらもうその人ではなくなる、つらいことを忘れて楽になってもそれは本当の幸せではない…という考えが僕にはまずあります。でも奥森先生がおっしゃるように、人間はつらい記憶を全て乗り越えられるほど強くありません。そもそも誰だって気付かないうちに物忘れをしながら生きている。実際にショックな出来事から心を守るために健忘が生じる例は知られていますし、人間が認知症になるのは死の恐怖から逃れるためだという見解もあります。つらい記憶を消すことで笑って暮らせるのなら、それは幸せかもしれない…そんなふうにも思うのです。精神科医として患者さんと向き合いながら、この人を苦しめている記憶を消してあげたいと願ったことも、正直一度や二度ではありません。

 救いのない出来事、悔やみきれない過ち、忘れられない恋人、叶わない夢など、奥森先生はつらい記憶を消してくれる。その結果、癒しを得た患者さんがたくさんいます。しかし、記憶を消したことが逆に悲劇を招いた患者さん、あえて消さなかったからこそ幸せになれた患者さんもいます。記憶は人を生かすのか殺すのか、これが本作のテーマの奥深い所ですね。

3.暗殺者

 つらい記憶を消してくれるお医者さん。これだけでも主人公の設定として十分魅力的なのですが、MIND ASSASSINの能力が善悪表裏一体であるように、実は奥森先生にもけっして人には見せられない裏の顔があります。
 それは祖父と同じ暗殺者としての顔。ただし誰かに命令されたりお金をもらったりして人を殺すわけではありません。患者さんを苦しめる悪党の加害者が存在した場合、先生は白衣から黒い服に着替え、夜の闇に紛れてその人物の所へ出向き、超能力の本来の使い方で相手を生ける屍にしてしまうのです。その際の先生は表情も言葉遣いも、いつもの穏やかなものとは全くの別人です。

 どうして奥森先生は殺人を犯すのでしょうか。一つは患者さんのため。加害者がいる限り患者さんが幸せになれないような状況の時、先生は加害者を亡きものにしてしまいます。そしてもう一つは報復のため。患者さんの人生が無残に奪われた時、先生は復讐者となって加害者を葬ります。でもそれは社会正義に反した虚しい仇討。先生自身もそれはわかっていて、暗殺の帰り道にはいつも虚ろな目をされています。

 昼間は優しいお医者さんが夜は冷酷な暗殺者…いつ心のバランスを崩してもおかしくない、今にも破綻してしまいそうな脆い存在…それが本作の主人公であり、誰の心も同じように脆く儚いということだけが、一貫したこの作品のメッセージであるように思います。

4.理解者

 ブラック・ジャック先生にピノコがいるように、奥森先生にも最高の理解者がいます。
 それは虎弥太という18歳の少年。彼は幼い頃、家庭環境に恵まれず、心に深い傷を負っていました。当時高校3年生だった奥森先生は彼の母親と交流を持つ中でその現状を知り、母子を救うために人生で初めてMIND ASSASSINの力を使います。その結果、虎弥太の命と心は守られましたが、10歳にしてそれまでの記憶だけでなく精神も人格も失った彼は、また0歳から人生を歩むことになったのです。
 そのため今奥森先生と暮らしている虎弥太は、身体は18歳ですが精神と記憶は8歳。無邪気にロボットの人形で遊んで日々を過ごしています。ただふとした瞬間に年齢相応の表情を見せ、その純粋でまっすぐな言葉が大人の心を打つこともあります。

 医者としての奥森先生のことはもちろん、暗殺者の奥森先生のことも受け入れ、あたたかく帰りを待っていてくれる存在。「ボクが優しい心を失わずにいられるのは虎弥太のおかげです」という先生の言葉どおり、救いのないエピソードも多い本作において、虎弥太の存在は先生だけでなく、僕たち読者をもほっこりさせてくれるのです。

5.作者

 設定やストーリーに加えて、本作に独特の雰囲気を与えている大きな要素は、作者であるかずはじめ先生の静かで繊細な画風と演出であることは間違いありません。
 ベタやスクリーントーンを多用せず、細い線だけで描かれるその画面は、舞台が病院で奥森先生が白衣姿ということもあってかなり白い。少年ジャンプ連載時には、目次を見なくてもパラパラめくるだけで突然ページが真っ白になるので、一目で掲載箇所がわかったほどです。人間の心の光と闇を描く本作、内容は闇の方が濃いですが、絵柄は白味成分が濃い。自己主張しない画風の中で、登場人物の瞳だけは強いエネルギーで描かれているのも異彩です。

 演出も少年漫画とは思えないほどとても繊細でさり気ない。ある入院患者さんの記憶を消すシーンでは、読者には病室の外の廊下しか見せず、ドアの下の隙間にわずかに光が漏れた描写だけで奥森先生が超能力を使ったことを表現していました。いやいやコミックスならまだしも、週刊漫画雑誌の荒い印刷じゃあわからんっちゅうに!

 そんな静かで謙虚な作中の空気感。さらに、他の連載漫画が力強い画風でドッカンドッカン闘ったり騒いだりしている中、そこに並んだこの作品そのものの美しく儚い存在感。それも含めて、今も忘れられない本作の魅力なんだと思います。

 ちなみに僕が一番好きな奥森先生のカットは、遊園地で高校時代の同級生の女性と再会し、彼女から想いを打ち明けられた時の無言の表情。実はこのカット、ジャンプ連載時とコミックス収録時で絵が挿し換えられているのですが、僕は断然ジャンプ連載時の方が好きです。優しさだけじゃなく、せつなさと厳しさを織り交ぜた奥森先生の静かな表情がとってもかっこいい! この繊細なニュアンスは、かずはじめ先生にしか描けません。

好きなエピソード

 学会のためにドイツを訪れたかずい。そこで日本人の女性留学生二人に出会うが、その一人は現地の男に弄ばれて精神的に不安定となっていた。彼女を救うためにつらい記憶を消すかずいだったが、それが結果的に彼女を死に導いてしまう。怒りのままに加害者の男を暗殺したかずいは、もう一人の留学生・秋野にその胸の内と懺悔を語るのだった。

→加害者を暗殺するシーンがストーリーのクライマックスとなるこれまでのフォーマットを崩し、その後の奥森先生の内面に比重を置いた異色作『異国の雪降る街』です。ずっとシリーズを追ってきたファンとしては、まさかこう来たか、とその新たなストーリー展開にうならされました。
 自分が軽はずみに超能力を使ったせいで人を死なせてしまったことを泣きながら謝る先生の姿は、先生がずっとギリギリのところで心のバランスをとってきたことを、シリーズの中で最も描いたシーンでした。生まれながらに人を殺す能力を持っている、ずっとその苦しみを抱えてきた先生は、「この能力を人のために使う」という答えを見つけ、自分なりの医療を続けてきました。このエピソードでは、やっと見つけたその答えが揺らぎ、「結局自分は人殺しの力を持った人殺し」と全てを投げ出しそうになります。
 そう、どんなにつらい思いをしても、先生自身は自分の記憶を消すことができない、これまで消してあげた患者さんたちのつらい記憶もこの人は全て背負って生きているのです。命を救いながら殺人という反社会的な行動を抑えられないのも、その大き過ぎるストレスの暴発なのかもしれません。

 このエピソードには、患者でも加害者でもない立ち居血のヒロインとして、日本人留学生の秋野さんが登場します。暗殺者であることを告白されても先生を受け入れ、一緒に涙を流しながら、壊れそうになった先生の心を守ってくれた秋野さん。別れのシーンで「つらい記憶を壊しますか?」と尋ねた先生に対して、彼女が返した言葉こそ、記憶をテーマにしてきた本作の答えだったのかもしれませんね。
 情景描写が美しい異国を舞台に、二人の静かなロマンスも含めて、このエピソードは本シリーズの一つの到達点だったと思います。

福場への影響

1.愛読者

 中学生時代、週刊少年ジャンプの中でも特に毎週楽しみにしていた本作ですが、実は連載はわずか半年ほどで終わってしまいました。ただ連載終了直後に発売されたコミックス第1巻がなかなか本屋で見つからないという事態が発生。読むのを心待ちにしていた僕は、いくつも書店を巡ってようやく一冊だけ発見。それから何度も何度も読み返しました。
 それにしてもどうして本屋でなかなか売っていなかったのか。入荷しないほど人気がなかったのかと最初は思いましたが、そうではなく逆だったんだと僕は確信しています。本作の潜在ファンは実はたくさんいて、一気に売り切れたのではないかと。
 その証拠に、本作は不定期ながら季節誌や月刊誌のジャンプで連載継続、さらにドラマCD化や小説化までされ、そちらもシリーズで続いたのです。

 ドラマCD版は、奥森先生の声はまさしくこんな声だというイメージどおりのキャスティングで、いつものフォーマットの短編のみならず、ナチスドイツが絡んだ長編や虎弥太との出会いが描かれる前日譚まで製作。しかも先生のヘアースタイルカタログや漫画本編では登場しなかった母親のイラストが描かれたファンブック、さらに奥森医院の診察券まで封入されているファンサービスぶり。今でも宝物にしています。

 小説版は原作者とは別の作家さんが書いているのですが、この作家さんは原作のマニアなのかと思うくらい、原作漫画とのさり気ないリンクが散りばめられています。また小説オリジナルストーリーも完成度が高く、特に多重人格の少女の片方の人格だけを破壊するというエピソードは、MIND ASSASSINの能力の新たな使い方として興味深かったです。
 また上述の『異国の雪降る街』は何故か季節を冬から夏に変更して小説化されているのですが、秋野さんの一人称になっていて、バイオリンを弾きながら先生に心の中で語り掛ける素敵なシーンがあります。かずはじめ先生のせつない挿絵とともに、今も僕の記憶に焼きついています。

2.徘徊者

 さすがに今ではやってませんが、この作品に夢中だった頃は、先生の真似をして黒い皮手袋とコートを着用、夜の街をさまよって暗殺者気分を味わっていました。よく職務質問を受けなかったものです。
 あと最も大きな影響があるとすれば、今精神科医の仕事をしていることでしょうね。奥森先生の患者さんを受け入れる時の優しい物腰、患者さんの嘘を見抜く時の厳しい眼差しは、とても勉強になります。

3.当事者

 中学生の頃は単純に奥森先生の魅力や独特の画風、記憶をテーマにした面白いストーリーを楽しんでいたのですが、今回改めて研究していると、奥森先生に共感を覚える部分がたくさんあることに気付きました。
 暗殺の力を持って生まれてしまった孤独と悲しみを乗り越えるために先生が見つけたのが、「この能力を人のために使う」という答え。これは自分における視覚障害の受け入れのプロセスとまるで同じでした。
 視力が低下した最初の頃は、いかに視覚障害を隠すか、視覚障害に邪魔されずに人生を歩くかということばかりを考えていました。仕事の面でも、目が見えないことをカバーする方法ばかりを模索していました。しかしやがて「視覚障害を自分の医療に活かす」という答えにたどり着き、劣等感や罪悪感を乗り越えることができたのです。
 奥森先生もかつては両耳のピアスを指摘されるのが嫌で、髪を伸ばして隠していました。それが答えを見つけてからは髪をバッサリ切り、白衣にピアスという姿で笑顔で患者さんの前に立っておられます。僕もそう、かつては白杖を人に見せたくありませんでしたが、少しずつ人前で使用できるようになりました。目が不自由なことを、微笑んで患者さんに伝えられるようになりました。

 あるエピソードでは、先生と同じく暗殺用の超能力を持たされた男が登場します。彼は相手が自分の両親を惨殺した黒幕だと知りながら、それでもその人物に従って暗殺を続けてきました。そんな彼の「誰にも必要とされないで生きているより、あんな奴にでも必要とされて生きたかった」という言葉を、奥森先生は否定しませんでした。そして「私は自分の力を人に必要とされたい。私の力を必要とする人が幸せになれたらいいと」と返すのです。悲しい力を背負っている先生だからこそ、その力で誰かの役に立ちたいと強く願っておられるのでしょう。

 僕も同じです。僕が講演会でくり返し話している「誰かの役に立ちたいという気持ちを大切に」というメッセージは、実はこの作品からもらったものなのです。

4.支援者

 奥森先生に救われた患者さんたちは、多くの場合奥森医院に通院していた記憶も失くしてしまっているので、街で偶然先生と再会してもわかりません。だから感謝を伝えることもない。それでも幸せそうに暮らしている患者さんの姿を見ながら、先生は遠くでそっと微笑むのです。

 支援者も人間ですから、感謝されると嬉しくなるのが当然。でも感謝にこだわってしまうと、支援を見失うことがよくあります。感謝されているからといって相手の役に立っているとは限らない、これが支援の仕事の難しい所ですね。
 自分のことは忘れてくれていいから、幸せになってほしい…奥森先生のスタンスは、支援者の戒めとして肝に銘じておきたいと思います。

好きなセリフ

「大切なのは妄想かどうかということより今あなたが苦しんでいるという事実です。それだけでボクは十分あなたを信じますよ」
 奥森かずい先生

令和6年12月4日  福場将太