たった一つのセリフで人生の景色が変わる、そんな心の名作を研究するシリーズの25回目です。
研究作品
命をめぐるショートショートの金字塔といえば『ブラック・ジャック』ですが、肩を並べるくらいの名作があるのをご存じでしょうか。今の時代にこそたくさんの人に知ってほしい、今回は漫画『死神くん』の研究です。迎えに来たぜ。
ストーリー
中学生の少年がビルの屋上から身を投げた。そのまま地面に叩きつけられるかに思われたが、何故か空中で時間が停止。そして少年の目の前に現れたのは、幼い子供のような姿をした不思議な存在。
『死神ナンバー413号』と記された名刺を示すと、彼は不機嫌そうに命を絶とうとした理由を尋ねてくる。そして話をしているうちに、少年の心に生じてくる一つの変化。そんな時、停止していた時間が動き出した。はたして少年の運命は?
(連載第1話『ストップ・ザ・じさつ』より)
福場的研究
1.死神
みなさんは死神というとどんなイメージでしょうか。中世の宗教画で描かれたような、黒いフードをかぶって刃の長い鎌を携えたガイコツの姿を浮かべる人が多いかもしれませんね。
本作の死神は、白いハットに黒いスーツ、蝶ネクタイで正装した可愛い子供の姿をしています。仲間は無数に存在しており、主人公である死神くんことナンバー413号はその中の一人です。ちなみに黒フードをかぶったガイコツの死神は、彼らを取り仕切る主任として登場します。
死神の仕事は、死亡した人間の魂を天界へと運ぶこと。彼らには人間の生き死にを自由にすることはできません。死亡する人間を選ぶこともできません。任務は、天界が定めた死亡予定者の前に姿を現して残された時間を告げること、そして死亡時刻ぴったりに魂を肉体から切り離して天界まで送り届けることのみ。ただし予定外の人間が命を絶とうとしている場合には、それを防ぐことも任務となります。
無数にいる死神たちの中で、どうしてナンバー413号が主人公なのか。それは彼が他の死神たちよりも人間に対する思い入れが強く、時には天界のルールにさえ反抗する強さと優しさを持っているからです。
「死を宣告された人間が最期の時をどう生きるか」というのは、黒澤明監督の名画『生きる』をはじめ、多くのフィクションやドキュメンタリーで描かれてきた普遍的なテーマ。本作は死神くんと人間たちが生死をめぐって織り成すドラマを、一話完結形式で描いていきます。
2.人間
シリーズを通しての主人公は死神くんですが、一話ごとの主役は死神くんと関わることになった人間です。その幅はとても広く、幼児から高齢者まで、仕事の鬼からチンピラまで、トップアイドルから軍人まで多種多様。時には犬やライオンなどの動物が主役になることも。ジャンプ連載の少年漫画で、主役がおばあちゃんのエピソードがあるなんてとっても画期的ですよね。
物語の舞台も、日常の学校から貧しい砂漠の国、銃弾が飛び交う戦場から宇宙空間、さびれた老人ホームからきらびやかな芸能界と、とても幅が広いです。
そんな毎回異なる物語の中で、人間は死神くんに支えられたり、共に闘ったり、反発したり、時には死神くんもびっくりの行動をとったりするのです。
3.神
本作の特徴は、生き死にをめぐる人間の在り方には様々な答えを提示しながらも、生き死にそのものについては『運命』という言葉だけで説明しているところです。どうしてあんなに生きたがってるあの人が死んで、死にたがってるあの人が助かるのか。どうしてこんなに幼くして命を落とさなくてはいけないのか。そんな理不尽に思える生死の摂理に対して、死神くんは「運命だよ。運命に理由なんかない」の一言で片付けてしまいます。
神が定めた運命は絶対のルール。人間がそれぞれに与えられた時間を悔いなく過ごせるように、死神くんは最大限のサポートをしようとします。彼が死期の迫った人間にかける言葉はとても優しく、命を投げ出そうとしている人間にかける言葉はとても心強い。
ただ、超常的な存在の死神くんですが、けっして超然的ではありません。他の死神たちよりも人間への思い入れが強い彼は、迷いも葛藤もたくさんで、とても感情豊か。あまりに残酷な運命に対しては憤りを覚え、自分の無力さを嘆き、憐憫の涙も流し、かける言葉が見つからず困った顔も見せる。時には死神の規則を逸脱してまで、人間のために尽くそうとする。
本作は生き死にの当事者の人間の物語であると同時に、支援者の死神くんの物語でもあるのです。
4.悪魔
ブラック・ジャックに対と鳴る存在のドクター・キリコがいるように、死神くんにもライバルが登場します。その名は悪魔くん。彼は3つの願いを叶えることと引き換えに人間の魂を奪う存在。それは神が定めた運命の死ではないため、死神くんは悪魔くんの誘惑から人間の魂を守らなくてはいけないわけです。
みなさんならいかがでしょう。どんな願いでも叶えてもらえるとしたら、悪魔と契約するでしょうか。2つだけお願いしたところでやめればいいと思われるかもしれませんが、人間の欲望とは限りないもので、実際に悪魔くんと契約した多くの人間がついつい3つ目の願いまで使おうとしてしまいます。
優しく寄り添って一緒に悩んではくれるけど、特別な力を持たない死神くん。魂は奪っていくけれど、魔法の力で願いを叶えてくれる悪魔くん。死神くんだから癒せる心もある一方で、悪魔くんだから満たせる心もある。様々な状況で描かれる二人の対決もシリーズの見所です。
そんな本作は生き死にをテーマにしながらも、そのかわいい絵柄もあって、けっして暗い気持ちになることはありません。少しせつなくても、読後感はとてもあたたかい。
なにせ作者はあの傑作ギャグマンガ『ついでにとんちんかん』のえんどコイチ先生ですから。シリアスな展開の中にも、クスッとさせられる面白いシーンが毎回散りばめられています。
人間も動物もどこか優しい。死神くんだけでなく、ライバルの悪魔くんすら非常になり切れない存在で、運命を前にみんなであたふたして、みんなで苦悩して、ほのかな救いにたどりつく。そんな微笑ましさ満天の作品です。秋の夜長にぜひどうぞ。
好きなエピソード
心美人
女子中学生の福子とマミは幼馴染の親友同士。ただ背が低くて太っている福子に対し、マミは美人で男子にもモテモテ。そんなある日、マミは顔に大やけどを負いその人気は急降下、お見舞いに来た福子に「もう死んでやる!」と当たり散らす。悩む福子の前に現れた死神くん、死を宣告されたのはマミではなく彼女だった。自分の人生が残りわずかだと知らされた福子は、これまでの日々を振り返る。持てはやされる親友の陰でバカにされいじめられてきた自分、いつもみじめな思いをしてきた自分、それをしょうがないとあきれ笑いでずっと誤魔化してきた自分。死亡予定日、彼女がとった行動とは?
→多くのファンが愛する名作エピソード。最近はルッキズムなんて言葉もありますが、美人と不美人、ハンサムとブ男、そんな価値観に振り回されがちな僕たちの日常。でも本当に一番大切なことは何なのか。一緒に天に昇りながら、死神くんに「生まれ変わったら美人になりたいのかい?」と尋ねられて、答える福子のセリフが大好きです。この物語に出会てよかった!
神の選択
夜中の車道。一台の自動車にたまたま乗り合わせたのは、医学生の青年とその恋人女性、高熱にうなされる赤ん坊とその母親、そして人を刺して闘争中の犯人の男。しかし車はガードレールを突き破って崖に転落、時間を停止して現れたのは死神くんだった。彼は言う、「定員オーバーだ。この中で死ぬのは一人だけだ。もし希望があれば聞く」と。誰が死ぬべきかを話し合う乗員たちだが、当然言い争いになる。死にそうな赤ん坊が死ぬべきだという話になれば母親が代わりに死ぬと訴え、犯罪者が死ぬべきだという話になれば自分にだって家族がいると反論、医者になって実家の病院を継ぐ予定の医学生は当然死ぬわけにはいかないと主張、恋人女性は死にたいと言うが医学生はそれを止める。結論の出ないうちに死神くんが告げた、「時間切れだ。誰が死ぬかは神が選んだ」と。そして時間は動き出し車は崖下に叩きつけられた。運命は変えられない。はたして天国へ行ったのは誰か?
→哲学の授業の思考実験のようなエピソード。生きるべき人間、死ぬべき人間、そして神が下す選択。シリーズとしては異色作ですが、強く心に残っています。
老兵は去らず
太平洋戦争の終結を知らずに南の島に残っていた日本兵。そこに死神くんが現れ死が迫っていることを伝える。もう一度故郷に戻りたいという願いを叶えるため、死神くんは老兵と日本へ。「日本はもう戦争はしないと誓ったんだ」と死神くんから聞いて、嬉し涙を浮かべる老兵。そんな彼が平和なはずの現代日本で目にしたものとは?
→平和とは何なのか、本当に日本は平和になったのか。広島出身で子供の頃から平和教育を受けて来た僕にはこのエピソードがとても印象的でした。戦争を知らない僕たちだからこそ、知っている人たちの言葉に耳を傾けなくてはいけないと思います。
ルール
何年も角膜移植の順番を待つ女性。彼女は悪魔くんと契約して魔法の力で視力を得たが、楽しく散歩していた時に一人の青年が人をナイフで刺す現場を目撃してしまう。犯人に見つかり、とっさに視覚障害を装ってその場を切り抜ける彼女。しかし警察から捜査協力を求められ、容疑者であるその青年と対面することに…。
→シリーズとしては地味なエピソードかもしれませんが、自身が視力を失った時に強く思い出しました。主役の女性が中途失明だったのか、先天性の全盲だったのかははっきり思い出せないのですが、「もしも目が見えるようになるのなら」というのは、僕を含め視覚障害者ならきっと誰でも一度は願うこと。ブラック・ジャックの『目撃者』や『ハローCQ』と並んで、当事者にはとても考えさせられるお話です。
死神失格
始末書続きで主任から叱られてばかりの死神くんは、これ以上ミスをすれば消滅させられかねない状況。そんな時に与えられた任務は、平和活動家の女性を殺し屋の凶弾から守ること。死神くんの説得を無視して女性にライフルの照準を合わせる殺し屋。しかも彼は悪魔くんとも契約し、命懸けで暗殺を成し遂げようとする。万策尽きたかに思えた時、死神の仕事のプロとして、ナンバー413号が下した決断とは?
→これは最終回のエピソード。一話完結のこのシリーズをどうやって終わらせるのかと思ったら、いやあ驚きました。これまでのエピソードでちらほら語られてきた死神の規則と悪魔の規則を見事な伏線として、魔法が使えない死神くんが唯一持っている力を用いての一発逆転。しかしその行為は太宰治の『人間失格』ならぬ『死神失格』。
決着後、殺し屋のおじさんがどこか晴れやかに呟いた言葉を僕もこの名作に贈りたい…「やってくれたな、死神よ」。
福場への影響
中学時代にたまたま本屋で愛蔵版を手にしたのが死神君との出会いでした。エピソードごとの完成度の高さとインパクトの強さに一気にファンになり、夢中になって何回も読み返したものです。
視力を失ってからは、残念ながら記憶の中でページをめくって楽しむしかなかったのですが、なんと2014年にまさかのテレビドラマ化。第1話が名作の『心美人』で、音声だけで観賞しているのに大号泣でした。その後も『海へ…』『老人の幸せ』『歌あるかぎり』などお気に入りエピソードがたくさんチョイスされていて、記憶の中の漫画ともリンク。大満足の全9話でした。
ぜひ今度はアニメ化してほしい。会話劇なのでラジオドラマ化もありじゃないかな。だって素敵なエピソードはまだまだありますから。生き死にの意味について見失いかけた今の時代にこそ、求められる作品だと思います。
ちなみに僕にとっては、人生の景色を変えてくれた作品でもあります。死神くんの一つのセリフが今でも心を支えてくれていて、もし中学時代にそのセリフと出会っていなかったら、現在の自分はいない。心の支援者としても、視覚障害の当事者としても、とっくに行き詰まっていたと思います。
そのセリフがこちら。福場将太の座右の銘です。
好きなセリフ
「運命は変えられなくても、人生は変えることができる」
死神ナンバー413号
令和6年11月15日 福場将太