第32回 視覚障害リハビリテーション研究発表大会 in東京

 2024年9月下旬、視覚障害リハビリテーション研究発表大会に参加するため、二泊三日で東京を訪れた。ここにその記録を。

1.リハビリの意味

 リハビリとは何だろう。事故で足を負傷した人がまた歩けるようになるために歩行の訓練をする、心を病んで休職した人がまた働けるようになるために短い時間から慣らしていく、筋肉が衰える病気の人が少しでもその進行を遅らせるために運動をする。そんなイメージの人が多いのではないだろうか。
 失った能力を回復させる、あるいは能力が低下しないように維持させる、それはもちろんリハビリテーションである。ただし機能回復や機能維持のための活動だけがリハビリだとすると、視覚障害においては出番がないことになってしまう。

 例えば僕の持病の網膜色素変性症。網膜の中にある視細胞が徐々に壊れて行くことで少しずつ目がみえなくなっていく病気だ。一日1万回瞬きをすれば視力がアップする、一時間連続で眼球運動をすれば視力低下のスピードが落ちる…というのならみんな頑張ってやるだろう。しかし残念ながらそんなことはなく、この病気の進行に抗う術はない。確実に効果のある薬も未だ開発されていない。20代後半、日に日に目が見えなくなっていく中で僕にできたのは、これ以上視力を奪わないでと神様に願うことだけだった。

2.回復の意味

 では視覚障害におけるリハビリテーションとは何か? それは視力を回復するための活動ではない。生活を回復するための活動だ。例えば白杖を用いた歩行、点字、音声ソフトを用いたパソコン操作、スマートフォンやアプリの操作。それらの技術を訓練し習得することができれば、目が見えないままであっても生活は飛躍的に向上する。
 また、点字ブロックや音声誘導、転落防止ゲートの設置、視覚障害についての正しい知識の普及など、当事者が暮らしやすい社会環境作りも生活向上には欠かせない活動、すなわちこれもリハビリテーションなのである。けっして、当事者本人が訓練することだけがリハビリではないのだ。

 実はこれ、医療と福祉の結びつきが強い精神科では当たり前の考え方。リハビリテーションとは患者さんの回復のための活動。回復とはもちろん病状が良くなる『臨床的回復』もそうであるが、家事や仕事など生活能力が向上する『社会的回復』もあることを忘れてはいけない。そしてもう一つ、心が満足や希望を感じられる『心理的回復』も大切な回復。目は見えないままだったとしても、心を満たすことはできる。そのための活動もリハビリテーションなのである。

 とはいえ、眼科領域にそのような考え方が広まってきたのは近年の話だ。実際に眼科医の先生方とお話をしても、まだまだ視覚障害にはリハビリがないと思っている当事者・支援者はたくさんいるのだという。
 そんな視覚障害のリハビリテーションの研究発表大会…はたしてどんなものかと思ったら、そこは予想以上の盛り上がりを見せていた。不謹慎を承知で形容するなら、まさしくお祭り騒ぎである。

3.ほっこりアワード

 9月21日(土)、夕刻。会場の日本教育会館のある神保町に到着。電子書籍の普及で本屋さんが減少している昨今ではあるが、さすがは本の町、書店のみならず読書しながらゆっくりできるお店がたくさんあった。いつか視力が戻ったら、何日もかけて古本屋さん巡りをしたい。
 そんなことを思いながら会場に入ると、さっそく僕が所属している『公益社団法人 NEXT VISION』の面々に出くわす。忙しいはずなのに当然のように神戸からはるばる参加していらっしゃるのはさすがの一言。しかもしっかりNEXT VISIONのメンバーTシャツを着用して。

 そのまま受付に促されて中会議室へと進む。まず行なわれたのは『ほっこりアワード』というプログラム。参加者が十名くらいずつのグループに分かれてそれぞれテーブルを囲み、視覚障害にまつわるほっこりする話を語り合った。そこには当事者はもちろん、視能訓練士や眼科医といった支援者、そして僕のように当事者かつ支援者という方もたくさんいた。良い意味で、ここまで当事者と支援者がごちゃ混ぜになっている学会も珍しい。
 各グループで一番ほっこりした話を、最後は一人ずつ代表者が壇上に出て発表。日本中の色々な現場に、人間の優しさ・愛しさは散りばめられているものだ。

4.余暇活動分科会

 続いて行なわれたのは『余暇活動分科会』。テーマは「視覚リハビリテーションとリクリエーション 実践から考えよう」、仕掛け人はレディ・ストーン…このコラムのマニアの方ならご記憶かもしれない。京視協こと京都府視覚障害者協会のメンバーであり、メルマガ色鉛筆の創刊者としてもお馴染みの女性だ。詳しくは昨年のコラム『茜色の上洛』をどうぞ。あるいは図書室の小説『刑事カイカン 緋色の上洛』にも、彼女をモデルにしたソプラノボイスのママさんが登場するのでそちらもご参照あれ。

 そんなレディ・ストーンの関西パワー全開の司会で開会。まずは二人の当事者が順番に登壇して趣味の体験発表。一人はウクレレ、一人は旅行の楽しさを存分に語っていた。目が見えなくても生活を充実させ、心が満たされている話で、まさしく社会的回復と心理的回復の実証例であった。

 続いて壇上に上がったのが…僕。そう、昨年の色鉛筆10周年フェス同様、レディ・ストーンに巻き込まれ…もとい導かれ、今回の学会参加は発表者としてでもあったのだ。
 まずは刑事コロンボのテーマを流して主旨説明。行なったのは「視覚障害者は名探偵。音だけの情報でどれだけのことがわかるか?」というプログラム。実際にスピーカーから音を流し、会場のみなさんに推理してもらった。
 正直予想以上の反応が返ってきた。例えば足音だけでも、どんな靴を履いているか、どんな場所を歩いているか、どんな気持ちで足を運んでいるか、などをみなさん次々に推理してくれた。まあラジオドラマというメディアもあるくらいだから、人間は音だけでも状況をある程度把握することは可能なのである。実際のラジオドラマの音声もいくつかご紹介した。
 そして一番最後はテレビドラマの音声。音だけでもわかるように作られているラジオドラマとは異なり、映像ありきのテレビドラマの音声でどれだけのことがわかるかに挑戦してもらった。いやはや、名探偵とは実在するものだ。限られた情報だけでズバリ物語の核心を言い当てるその推理力には、素直に脱帽するしかなかった。

 僕が壇上を降りると、レディー・ストーン自らが中心となって最後のプログラム。それはなんとダンス。目が見えなくても声で振付を説明し、うまくいったりいかなかったりでもみんなで踊って、それら全てを笑いで包み込む。そんなあたたかさの中でこの分科会は閉幕となったのである。

 もうお気付きと思うが、レディ・ストーンが最も大切にしているのは「楽しむこと」。リハビリテーションとリクリエーションの融合こそが、きっと彼女の目指すものなのだろう。
 その夜は有志で食事会。ここでもレディー・ストーンはパワー全開。全国各地のみなさんと交流しつつ、目が不自由だと食べにくい料理・食べやすい料理について語り合った。

5.ポスター発表

 9月22日(日)、午前はポスター発表会場へ足を運んだ。そこはたくさんの人でごった返していた。ポスター発表とは、活動や研究をポスターにして貼り、その前に発表者自身が立つ。そして来場者はポスターを見ながら、興味があれば発表者に直接話が聞けるというものだ。
 しかし、今回の会場の密集ぶりはすごかった。僕がまず探したのは、所属している『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』のメンバーのポスター。ゆいまーる会員にアンケートを取って行なわれた、視覚障害当事者の電子カルテ事情についての研究発表。ポスターの前まで行くと、そこにはゆいまーるの仲間たちがたくさん応援に駆け付けていた。
 再会を喜びつつ、別のポスターも見て回ると、レディー・ストーンはここでもソプラノボイスで奮闘中。昨年見学した京都ライトハウスの発表ポスターもたくさんあった。さすがは視覚障害支援のメッカである。

 もっと色々学びたい気持ちもあったのだが、同日午後からは学会を離れて東京に棲むアカシア時代の友人たちと会食へ。そこでは毎度ながらの馬鹿話。共に過ごしたのは中学・高校の六年間だけ。もうその何倍もの時間が過ぎて、それぞれの立場で社会に関わっているが、やはり同級生とはよいものである。彼らの前では、自分が視力を失っていることをすぐに忘れてしまう。
 さらにその夜は、とある恩人と夕食を囲んだ。人生の醍醐味はやはり出会い。自分は出逢いに恵まれていることを心の底から幸せに思った。

 スケジュールとしてはハードだったが、翌9月23日(月)、たくさんのエネルギーをチャージして僕は北海道へ戻ったのである。

6.研究結果

 ゆいまーるにNEXT VISIONに京都組にと、まるで視覚障害業界のオールスターが一堂に会したような視覚リハ大会。これって学会ですよね? お祭りじゃないですよね? こんなに笑っていてよろしいのでしょうか。
 目が見えなくなっても生活を高めることはできる、心を満たすことはできる…まさに!

令和6年10月1日  福場将太