ギターを弾く人間にとって避けては通れない作業、それが弦の交換である。実はこれ、ギターだけでなく心にとっても大きな意味を持っているのだが、今回はその辺りを研究しよう。
1.ギターの弦
ギターの弦は古くなると音色も悪くなりチューニングも狂いやすくなる。そのため定期的に新しい弦と交換する必要があるのだが、正直自分はその頻度がかなり少ない。本来なら月1回ほどが理想、ライブやレコーディングがあればその度に張り替えるのが通常であるが、僕の場合は平気で数ヶ月、場合によっては年単位で弦を交換していない。まあ学生時代のようにライブ活動をしているわけでもなく、個人の楽しみとして弾いているのが九割だからさほど問題はないのだが。
とはいえ弦の交換作業が嫌いなわけではけっしてなく、むしろ好きな部類。というのも、適度に繊細で適度に単純なこの作業、やっていると心がリラックスしてくるのだ。
爪を切ったり、魚の目を削ったり、足の処置が患者さんにとっても看護師さんにとっても憩いの時間になるのと少し似ている気がする。古い弦をはずし、ギターを磨き、そして新しい弦を張ってチューニング。その穏やかな行程は僕にとって心の弦も調律する作用を持っているのである。
2.心の弦
「琴線に触れる」「糸が切れたみたいに」なんて言い回しがあるが、確かに心は弦の性質を持っている。
やわらかい弦は優しい音、硬い弦は力強い音。ある程度の聴力を保たないと役に立たない、でも無理して張り詰めたりかき鳴らしたりすると切れてしまう。心地良く鳴り響くこともあれば、全く鳴らない時もある。そして他の人の心が奏でる音と触れ合って、美しい和音になることもあれば、苦々しい不協和音になることもあるのだ。
3.弦の交換
そんなことを考えながら、先日も一本のフォークギターの弦を交換した。
まずは錆びてくたびれた古いスチール弦を一本ずつはずす。そしてネックやボディを専用のクリーナーを使って念入りに磨く。改めて撫でてみるとボディにはたくさんの傷があった。僕の使い方が荒いせいで、しょっちゅう落としたりぶつけたりしているからだ。そっと傷に触れると、ギターが痛がる声が聞こえる気がした。
このギターとは大学時代からのつき合い。僕と一緒に北海道までやって来て、普段の気分転換の演奏ではもちろん、職場の合唱プログラムでも、昨年は京都の色鉛筆フェスでも活躍、今春のNHK北海道にも一緒に出演した。ボディが大きいのでアンプをつながなくてもそれなりのボリュームの演奏が楽しめる点が気に入っている。すっかり手に馴染み、最も安心してブラインドプレイができる相棒でもある。
ただその分、加減せずにかき鳴らすせいで弦だけでなくギター自身も疲れさせてしまっているのは否めない。どんなに新しい弦を張っても、ボディを磨いても、くたびれた音しか出なくなってきている。
なんだか申し訳ない気がして、今回はすぐには新しい弦を張らずにギターを一度ケースに納めることにした。またきっと酷使してしまうだろうけど、ゆっくり休んでほしい。弦のないギターは肩書きをはずした人間と同じ、しばらくは役割から離れて休むのも回復には大切なことなのだ。
お疲れ様、いつも本当にありがとう。
4.弦の調律
数週間後、ケースから取り出したギターに新しい弦を張っていく。それはまるで自分自身の心も張り替えていくみたいに優しい気持ちになれる作業。
6本全て張り終わったらいよいよチューニング。昔はチューニングマシーンの針を見て音を合わせていたが、今は見えないので電子ピアノを鳴らしながら耳で合わせる。一度合わせても新品の弦はまだ延び切っておらず、しばらく鳴らしているとすぐに音がずれてしまうのでまた再度チューニング。そんな作業を数回くり返しながら、徐々に新しい弦はギターに定着していくのだ。
差し当たりウォーミングアップのストレッチといったところか。心も体もそう、いきなり絶好調の動きはできない。準備運動が大切なのである。
音の調子が安定したらまたしばらくのおつき合い。新しい弦とピカピカのボディのギターを弾いて歌うのはやっぱり気持ちが良い。僕もギターも確かにもうヤングじゃない、若々しい声や音は出せないけれど、まだまだ老体に鞭打ってとは言わせないぜ!
5.研究結果
ギターの弦と心の弦。
緩めたり緊張させたり、時には交換したりしながら、限りある命を奏でていこう。
いずれまた誰かと合奏する日を夢見て。
令和6年9月10日 福場将太