マイクロバスターズの冒険 ヒバゴンの伝説

 とある友人は「人生最高の肩書きは図書委員長」と言っていたりするが、自分にとっての人生最高の肩書きはもしかしたら『マイクロバスターズのリーダー』かもしれない。
 それはもう今から三十年以上前の話。広島大学附属中学校(通称アカシア)に入学した僕は、マイクロバスターズというグループを結成していた。由来はマイクロバスと映画のゴーストバスターズ、一緒に出掛けたり遊んだりする仲間をいつしかそう呼ぶようになっていたのだ。まあ映画のグーニーズや漫画の奇面組みたいなものだろうか。公式なチームではなく何ら褒められた活動をするわけでもないのだが、その謎のチーム意識は高校時代にも存続し、アカシア時代の思い出にはマイクロバスターズの存在が燦然と輝いている。
 今回はそんなしょうもない連中のしょうもない冒険譚を一つご紹介。

マイクロバスターズの冒険 ヒバゴンの伝説
MICRO BUSTERS and the LEGEND OF HIBAGON

1.前日譚

 1970年代、広島の比婆山連邦にヒバゴンという珍獣…今で言うところのUMA(未確認生物)がいるとして大きな話題となった。といっても僕はその時代に生まれていたわけではないのだが、ちょうど父親が若い頃にその比婆山近郊で勤務しており、探索隊が何度も山に分け入った当時の盛り上がりを子供心に聞いたことがあった。

 時は流れて90年代後半、僕は高校で何気なくそんな話をした。すると仲間たちはヒバゴンの名前すら知らなかったが、図書室で探すと確かに当時のことが書かれた書籍はいくつかあり、だったら実際に行ってみようとあれよあれよという間に平成のヒバゴン探索隊が組織されたのである。
 中心メンバーはもちろんマイクロバスターズ。きっとインディ・ジョーンズやXファイルの影響もあったのだろう。あるいは「未知の光を求め」という学園歌の歌詞にも表れている、我が母校の魂・アカシアソウルのなせる業だったのかもしれない。気付けばマイクロバスターズ以外の有志同級生も参加する一大プロジェクトとなっていた。

2.冒険譚

 とある日曜日、勇んでJR広島駅に集合。芸備線の珍道中を経て比婆に到着すると向かった先はひとまず役所の窓口。「東京でヒバゴンの研究をしている者じゃけど」とバレバレの広島弁で言うと、役所の方も笑いながら対応、なんと奥の応接室に通してくださった。「これが当時の資料です」と年代物の箱から取り出されたのは足跡の写真。戦慄というのか、感動というのか、あの時の恐怖と期待が入り混じった独特の感覚は今も憶えている。心霊写真と同様、実際の物的証拠を見せられると信憑性は格段に増すのである。

 その後は役所に置いてあったヒバゴンのマスクをかぶって記念撮影。そしていざ探索、と山に出向いたが…残念ながらヒバゴンは影も形もなし。そのそも山林に分け入るような装備も準備しておらず、僕らの冒険はハイキングさながらに終わった。仕方ないので仲間の一人が持っていたレインコートを木の枝に引っ掛けて、それを遠くから写真撮影してヒバゴンの影に見せかけたのであった。まったく、どこがインディ・ジョーンズなんだか。

3.後日談

 それでもせっかくみんなで行ったので、文化祭では冒険の記録を発表。模造紙にヒバゴンの全身図を描いて壁に貼り、レインコートの写真もそれらしく加工して展示した。インチキもここに極まれりだが、校長先生がやけにじっくりヒバゴンの点字を見ていらっしゃったのが印象的だった。もしかして若かりし頃に昭和の探索隊に参加したりしていたのだろうか?

 さらに時は流れて2000年代。参加メンバーの一人の女子は大学でこの経験の話しをしたところ、ニックネームがヒバゴンになったという。またヒバゴンをモチーフにした『ヒナゴン』という映画が公開された際には、マイクロバスターズで情報を共有、僕もDVDを購入したものだ。
 さらにこの度、当サイトの図書室に更新した『刑事カイカン 珍獣殿下』。ここにきてヒバゴン探索の思い出は小説の着想もくれたのである。

 今でもネッシーやツチノコを探し続けている人たちがいる。珍獣探索はきっと自分の心の中に童心や冒険心を探すことでもあるのだろう。探索に旅立つ時のあのワクワクは、まさに人生の宝物、ロマンという名の秘宝なのである。

4.研究結果

 少年よ、珍獣を追え! 令和のヒバゴン探索隊を組織せよ!

令和6年8月1日  福場将太