2つの総会 (後編)

 大学進学のために初めて東京へ出たのが1999年。あれから四半世紀が経過した今年、二つの総会に参加するために二週連続で上京する機会に恵まれたのでここにその思い出を。

 続いては6月初頭、大学時代に所属していた音楽部のOB総会。

1.部活の変遷

 音楽部の創設は1946年。ジャズ、ハワイアン、ロック、フォーク、メタル、ポップスと時代によって流行したジャンルは異なれど、音楽を愛し演奏するということは変わらず活動を続けてきた。普段はバンドごとに練習し、年に2回のライブハウスでの定期ライブ、合宿や学園祭でのステージが主な発表の場だ。1990年代からは他大学との交流も盛んに行なわれるようになり、僕が入部した頃には合同のライブイベントや合宿も多く開催されていた。

 2000年代に入るとレコーディング機材の進化もあってCDを自主製作する部員も出てきたが、やはり音楽部にとって一番の晴れ舞台はライブ。現役部員に負けるなと卒業生もOBライブを企画してステージに立つ流れも生まれていった。

 しかしそんなライブ活動が全面中止となる時代が訪れる。2020年からのコロナ禍だ。ステージはおろかスタジオに集まって練習することすらはばかられる日々が続いた。怪我の功名と呼ぶにはあまりにも痛手だが、ライブができること、みんなで集まって騒げることがどれだけ幸福かを思い知った。

 そして待ちに待ったライブ再開は2023年。10月に開催された音楽部定期ライブでは現役部員たちがステージに立ち、多くの学友やOBが押し寄せ、かつてない盛り上がりを見せたという。

 そしてこの度行なわれるOB総会も五年ぶり。新入生歓迎会と同時開催で、新旧の部員たちが一堂に会することとなったのである。

2.イントロ

 20代の頃はまだOBライブに参加していた自分だが、30代になるとOBと名乗るのは申し訳ないほど音楽部から離れていた。仕事の忙しさに加え、視力が低下してどうしても東京までの長距離異動にストレスを感じるようになっていたことが原因だ。

 しかし昨年夏に重い腰を上げて東京へ出向き懐かしい先輩方、後輩たちと再会したことで、音楽部の心地良さやつながりの有難さを再認識。今回もそれならばと多少強行スケジュールながら上京に臨んだ。

 しかもとある先輩から「みんなもやるから福場も何か演奏しなよ」と誘っていただき、急遽弾き語りもやる予定となったのである。

3.OB総会

 2024年6月1日(土)、仕事を少し早く上がらせてもらい大急ぎで新千歳空港から離陸。西新宿のハイアットエージェンシー東京に乗り着けて宴会場の扉を開くと、そこにはすでにドラムやベースの音が鳴っていてワイワイとリハーサルが始まっていた…なんてことは全くなく、誰もいない静寂の空間。やがて後輩が一人現れて衝撃の事実を告げた…「演奏するのは福場さんだけです」。

 なんと結局他に希望者が出ず僕だけが歌う式次第になったらしい。いやいやいやそんな殺生な、なんて嘆きも空しく、一人寂しいリハーサルを終えた。

 そして始まるOB総会。現在の音楽部主将が堂々たる活動報告をしてくれ、OBたちもちゃんと所在を確認し合って学生たちを応援しようといきり立った。閉会後はOBみんなで記念撮影、そこでは本当に嬉しい再会が盛りだくさん、一年前の上京では目にかかれなかった先輩方や後輩たちが続々。その度に一緒に演奏したバンドの思い出が蘇った。

4.新入生歓迎会

 会場を移動して現役部員たちも合流し次は新入生歓迎会。医学生・看護学生たちが自己紹介で自分の担当パートを発表する姿はなんとも懐かしい。同時に安心した。三年間のライブ休止期間をものともせず、音楽部魂は全くひるんでいなかった。逆境の中でも情熱のバトンをつないでくれた学生たちには感謝でいっぱいだ。

 それにしても反体制のロックンローラーなのに「僭越ながら自己紹介させていただきます。わたくしの担当楽器はギターでございます。ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます!」とござそうろう口調で挨拶する文化は相変わらず興味深い。足並み揃えよの白い巨塔とはみ出してなんぼの金髪バンドマン、音楽部魂はそんな絶妙なバランスで燃えているのである。

 と、ここまで楽しく書いてきたが、基本的には大学がバックにあるお堅い雰囲気の会であることをお忘れなく。みんな正装で背筋を伸ばして大先輩方の挨拶を拝聴している。こんな流れでいったいどんな演奏をすればよいのか、しかもするのは自分だけ。

 ギリギリまで逡巡したが、結局僕は学生時代の定番だった『Medical Wars』を20歳当時の歌詞で披露した。同じ時代に活動していた先輩・後輩はともかく、大先輩や学生たちはもちろんポカーン。そんな蔑みの視線も大好物、まあこんな愚かな奴もいることを左脳の片隅にでも記憶してもらえたら幸いである。

 その後もしばし歓談の時間。学生時代最も敬愛したMJという先輩に挨拶すると、僕が入部して一番最初のライブで『幸福の場所』という自己紹介ソングを弾き語りしたことを憶えてくださっていた。そして溢れんばかりの音楽トーク。出会いから25年、やはりMJさんは僕の永遠のヒーローである。

 会の最後はOBも一人ずつ壇上に出ての挨拶が行なわれた。自分が1年生の時の主将(ハウプト)だった先輩が「学生時代に何かを一生懸命やってください」とメッセージしておられたのが特に心に残った。今回の上京で一番嬉しかったのがこの先輩との再会、あの時の新入部員はちゃんと北海道で元気にやっておりますぜ。あなたの主将のもと、音楽を一生懸命やって本当によかったです。

 他の先輩方も、MJさんを筆頭にみなさん音楽の素晴らしさをそれぞれの言葉で語っておられた。世代を越え、立場を越え、音楽を愛する心は永遠なのである。

5.アウトロ

 つつがなく閉会。学生は学生で、OBはOBで、それぞれの二次会へくり出す。中には学生ながらOBの方の二次会へ参加する猛者もいたりする。

 僕も懐かしい世代と新宿3丁目のお店へ。すると総会には間に合わなかったメンバーも合流。卒業以来二十年ぶりにお目にかかる方もいたが、それでもすぐにあの頃の続きで話ができてしまうのは不思議。

 過去にばかり目を向けていてはいけないが、懐かしさや愛おしさはやはり一生の財産、人間にとって何よりのエネルギー源だと思う。一度は遠ざかった東京がここに来てまた近付きつつある感覚。いやはや、人生とは生きてみるものである。

6.研究結果

 二年後には音楽部創設80周年!
 その時はぜひみんなでステージに上がりましょう。その日まで、今回チャージしたエネルギーで頑張ります。

令和6年6月6日  56代目音楽部主将 福場将太