終わりよくなくても

 元旦から悲しい出来事が立て続けに報じられ、2024年は「明けましておめでとう」とはいかない幕開けとなった。

1.尊厳死

 「終わりよければ全てよし」という言葉があるが、確かに物事の最後が綺麗に決まると満足度が高まり、途中経過の不満も水に流せたりする。だから人生の最後を本人の納得のいく形でという尊厳死はとても意義深いことだ。

 ただ一方で、人生の最後を納得のいく形で迎えられる人たちばかりではない。突然の事故や事件に巻き込まれて命を落とす人たちがいる。新型コロナウイルスに感染して心の準備もなく入院し家族と言葉も交わせないまま今生の別れを迎えた人たちがいる。ウクライナの戦場でも、そしてこの度の北陸の震災でも、予期しない死を選ばされた人たちがたくさんいるのだ。

2.尊厳生

 「終わりよければ全てよし」は間違ってはいないが、「終わり悪ければ全て悪し」ということではけっしてない。終わりの迎え方が無念だったとしても人生そのものを無念だと思う必要はなく、むしろ途中経過、これまで積み重ねてきた日々に満足や幸福があるかが重要なのだ。それがあるのなら、例え最後の晩餐が嫌いなメニューだったとしても残念な人生ということはないのだ。

 残される者も死に目に会うことばかりをつい重要視してしまいがちだが、仮にそれが叶わなかったとしても、心が通じ合えなかったわけではない。これまで一緒に過ごした時間、その中で交わしてきた何気ない会話の中に必ず本人の心は示されている。ゆっくり思い出を巡れば、それを汲み取ることはできるはずだ。そして残される者の心も、ちゃんと本人に届いている。そこに愛情があったなら、そこに友情があったなら、例え臨終には立ち合えなかったとしても。

3.研究結果

 前向きじゃなくたっていい。答えや意味がなくたっていい。
 一日一日を大切に生きよう。大切な人たちと言葉を交わそう。
 終わりよくなくても、よかったと思える人生になるように。

令和6年1月13日