茜色の上洛

 2023年11月初頭、僕は人生二度目の京都を訪れた。一度目は2003年。どうして憶えているかというと、ちょうど劇場版名探偵コナンの第7作で京都を舞台にした『迷宮の十字路』が公開された年だったから。とはいえその時は東京から広島へ帰省する際に途中下車して京都駅で高校時代の友人と会っただけで観光は一切していない。今回はそれ以来二十年ぶり、実質足を踏み入れるのは初めての京都。その旅の記録をここに残しておきたい。

1.予告編

 そもそものきっかけは一年前、2022年12月に神戸で開催された神戸アイセンター5周年記念式典。『公益社団法人NEXT VISION』のメンバーとして参加していた僕はその会場で突然「福場先生ですか?」と声を掛けられた。その女性…ここでは仮にレディ・・ストーンとしておく…とは僕が所属している『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』で知り合った。これまでメールやオンラインでの交流はあったものの直接対面するのはその時が初めて、挨拶もそこそこに彼女が放った言葉こそ「来年11月に京都で色鉛筆のフェスがあるから来てください」であった。

 そこで僕の頭に流れたのは渚ゆう子さんの名曲『京都慕情』。あの人の姿懐かしい黄昏の河原町。ついに僕は河原町へ行けるのか?

 少し整理すると、色鉛筆とは京視協こと京都府視覚障害者協会が発行しているメールマガジン『メルマガ色鉛筆』のこと。レディ・ストーンは京視協のメンバーとして色鉛筆に創刊からずっと携わっており、2023年11月でいよいよそれが10周年を迎えるという。僕も色鉛筆は愛読しているし、色鉛筆をまとめた書籍『見えない地球の暮らし方』には寄稿もさせていただいた。アニバーサリー大好き人間が10周年という誘惑に抗えるはずもなく、かくして僕の上洛はこの時に決まったのであった。

2.下準備

 2023年春、『見えない地球の暮らし方 2』が刊行。書籍を一冊作るというのは大変なことなのでレディ・ストーンのエネルギーには本当に頭が下がる。その本の中に僕のとある歌詞も掲載していただいたのだが、せっかくならこれを楽曲にして11月のフェスで演奏しようという話に発展。また同時にせっかく行くのだからとフェスの前日に京都で講演会、フェスの中では音にまつわるレクリエーションの担当もする運びとなった。

 そんなわけで夏ごろから講演とレクの構想もしつつ、相変わらずの下手の横好きで楽曲製作にも着手。なんとか形にして9月にはこのサイトの音楽室に無事楽曲『光のメールマガジン』を掲載することができた。カップリング曲の『修学旅行パート4』と『今更やけど京女』も京都にまつわる曲だが、聴いてくださったレディ・ストーンからは「大笑いしました」との感想をいただいた。僕が真面目にこれを録音している姿を想像したらおかしかったとのこと。そんなに真面目な人間でもないのだが、楽しんでいただけたなら光栄である。

3.前夜祭

 一年というのはあっという間だ。気付けば2023年11月4日(土)。毎度ながら優しい友人に送迎してもらい僕は新千歳空港へ。今回はギターとアンプを抱えての旅、係員さんは快く楽器を受け取り梱包してくれた。そしていつものように優先搭乗で機内へ。この時誘導してくれたCAさんの名前が新撰組の隊士の一人と同じだったので印象に残る。歴史の街への旅立ちにさらに胸が高鳴った。

 そして飛行機は京都へ…といいたいところだが京都には空港がない。そのため着陸したのは伊丹空港。不思議なのだが空港の発着表記では新千歳空港が『札幌』、伊丹空港が『大阪』と書かれる。新千歳は百歩譲って札幌近郊としても、伊丹は兵庫県にあるのだからさすがに大阪ではないと思うのだが。

 その後は迎えに来てくれたストーン夫妻の車で京都を目指す。たどり着いたのは京都ライトハウスの研修室。ここで僕は京視協主催の講演会に登壇、その模様は前回のコラムを参考されたし。そして無事に講演会が終わるとそのまま4階の大ホールへ。ここでギターとアンプをセッティングして明日に備える。

 それも終わると再びストーン夫妻の車でお食事会の会場へ。そこには明日のフェスのために日本中から前乗りしたメンバーが集っていた。僕が講演会をしている間、みなさんは京都観光を楽しんでいたそうで、そのミステリーツアーを企画したのも参加したのも視覚障害の当事者が大半。楽しかったと口々に語っており、光を観ると書いて観光だが、光が観えなくてもちゃんと観光はできるのである。

 その食事会でもこれまでメールやオンラインだけのおつき合いだった人たちとたくさん対面できた。やはりグラスを交わして握手する喜びは直接会ってこそのもの。初めて会うのが京都の地というのも感慨深い。

 お腹も膨れたら晴眼者の人を筆頭に僕らはまるで電車ごっこのように一列になってホテルを目指す。事情を知らない人からはきっと不思議な隊列に見えただろう。ホテルまでの道すがら、芹沢加茂が暗殺された宿だの、紫式部の最後の住まいがあった場所だの、そんな話がたくさん聞け、まさに歴史の街であった。

4.祭当日

 そして11月5日(日)のフェス当日。再び列をなして十字路を歩き、バスにも乗って京都ライトハウスへ。大ホールに集った八十名にも上る関係者たち。その大多数が視覚障害の当事者だが、みんなが楽しめる数々の工夫が施されたイベントであった。僕が担当した音のレクリエーションも参加してくれたみなさんの協力でなんとか成立。詳細はメルマガ色鉛筆で紹介されるのでここでは書かないが、初対面の人たちともこうやって楽しめるのは、やはり視覚障害というメンバーズカードのおかげなのだろう。同じ苦労を持つ仲間、それだけで心が許せてしまうのだ。

 僕の愚かな演奏も終わるとあとは一参加者として楽しむのみ。ここでもゆいまーるやNEXT VISIONでお馴染みの人たちとたくさん再会できた。イベント終了後はみんなで広い喫茶店に移動、そこではこれまでにメルマガ色鉛筆に掲載された物の中から特に印象深い3つのエッセイが朗読された。朗読したのは作者本人ではないが同じく視覚障害当事者。指で点字をなぞりながらこんなに流暢に、しかもこんなに気持ちを込めて読み上げることができることに僕は驚いた。その文章を通して、書いた人の心に読んだ人の心が、それを聞いている人の心が幾重にも重なっていく。心だけじゃない、生き方が、苦労が、涙が、喜びが重なっていく。その人の顔は見えなくても、姿は見えなくても。僕は抹茶シェイクを飲みながらそんなことを感じたのであった。

5.後夜祭

 多くのみなさんはフェスの日の夜に京都を去ったが、僕はもう一泊して11月6日(月)も京都で目覚めた。理由は京都ライトハウスを見学させてもらうため。障害支援の多様な事業を展開していると聞いてはいたが、実際に足を運ぶとまさかここまでとは。充実した設備はきっと多くの人の想いと長い歩みの賜物なのだろう。

 せっかくなのでレディ・ストーンが講師を担当しておられる文章講座に生徒として参加。これぞ視覚リハ、視力を回復させるのではなく社会生活能力、そして心を回復させるためのリハビリテーション。視覚障害の当事者として、精神障害の支援者として、学ぶことがとても多かった。

 そしてそこに参加しているみなさんの姿に、自分自身の当事者としての努力不足を痛感。僕の持病は網膜色素変性症、徐々に視力を失う病気だが運良く失明する前に就職しており、さらに優しい人たちのおかげで失明後も失職せずに済んでいる。そのため盲学校で学んだり視覚リハを受けたりした経験がない。点字も読めないし白杖だってまともに使えない。

 今は仕事を離れるわけにいかないが、いつかそうなったら、その時はしっかり当事者としての訓練を受けてみたい。

 その後はストーン夫妻の送迎で伊丹空港へ。ここで最後の最後にアクシデント、高速道路の大渋滞に巻き込まれ帰りの飛行機に間に合わなかったのである。幸い遅い便に空席があり振り替えてもらうことができた。3時間余り空港で待つことにはなったが、創作を趣味にする人間にとって時間を潰すのは得意。実は今回の京都旅行を題材に推理小説を一本書きたいと思っていた。本格ミステリーよりも2時間サスペンステイストの物語。あれやこれや頭の中でその構想をしているうちに時間はすぐに過ぎ去った。

 それにアンラッキーには必ずラッキーがセットになっている。これは僕の人生観。飛行機に乗り遅れたことで生じるメリットも必ずあるはず…そう思ってアンテナを張り巡らせていると…なんと飛行機に誘導してくれたのが往きの便で誘導してくれたのと同じCAさん。そう、あの新撰組の隊士と同じ名前を持つ人だ。向こうから声を掛けてくれ、偶然ですねとお喋りし、安心して誘導してもらうことができた。ほらね、必ずアンラッキーにはラッキーもついてくる。これだから人生はやめられないのである。

6.研究結果

 京都で出会ったみなさん、素敵な三日間をありがとうございました。メルマガ色鉛筆の更なる発展を心より応援しております。

 そして今回一番驚いたこと。なんと河原町は町の名前ではなく通りの名前だったのです! やっぱり現地に行かねばわからないことはたくさんありますね。ほんまおおきに!

令和5年11月11日  福場将太