茜色の上京

 2023年11月下旬、僕は今年二度目の東京を訪れた。一度目は7月に大学時代の音楽部の先輩を囲む会に参加するためであったが、今回は大学院での公開講座ととある紙面のインタビューのため。とはいえお仕事だけで終わるのももったいないので一泊延ばしてリフレッシュ休暇を楽しんだ。その思い出をいつか懐かしむためにここに残しておきたい。

1.ヒポクラテス時代

 11月上旬の京都の旅から戻った後、寒暖差にやられたのか久しぶりに本格的な風邪を引いてしまい、一時は声を出すのもつらいほどであったが無事回復、なんとか講座の準備も間に合った。そして11月22日(水)、今回も優しい友人の送迎で新千歳空港へ到着、快晴の空へ定刻で飛行機は離陸し、CAさん・地上係員さんたちのあたたかいエスコートで何も困ることなく昼過ぎに羽田へ降り立った。そして今回の旅をサポートしてくれる方ともめぐり会えた。

 公開講座のお仕事は夜なので時間はたっぷりあった。この時刻にしたのは万が一の大雪で飛行機が遅れる可能性を心配したのが一つの理由、そして仕事の前に寄りたい場所があったというのがもう一つの理由だ。

 その場所とは靖国通りを東へ進むとある母校の大学。7月にNHKのディレクターさんと回った時も門の前までは来たのだが、今回は正式に許可を得て十年以上ぶりに校内へ入った。

 もちろんもう景色は見えない。全面禁煙になっているし新築・回想されている箇所もある。それでもほとんどの校舎や建物は自分がいた二十年前のままで、案内してもらいながら各所で思い出がフラッシュバックした。体育館を覗いた時は、そういえば入学式の時も卒業式の時もまだ医者になる決断ができていなかったなあと自分の割り切りの悪い性分に苦笑い。

 また僕は音楽部と柔道部という二つの部活を中心に青春を過ごしたので、音楽部の部室や学園祭の時にライブをやった地下スペース、「ファイトです!」と叫びながら仲間と稽古した道場などは胸にじんわりくるものがあった。もちろん道場を覗く時はちゃんと一礼する習慣も忘れてはいない。

 確かにこの場所で自分は大学時代を過ごしたのだ。医学部教育に対しては思う所もたくさんあったが、それでも幸福な六年間だった。いくつもの思い出をありがとう!

2.不思議なめぐり合わせ

 そして夕方、いざ国際医療福祉大学大学院の赤坂キャンパスへ。そこでの公開講座の模様は前回のコラムを参考されたし。

 しかし、学生時代を過ごした母校を回った夜に講師として大学で話すというのは不思議なめぐり合せ。しかも講義の内容には学生時代に作った楽曲『Medical Wars』が出てくる。

 もしあの頃の自分が学生としてこの講義を聴いたら…きっと眠っていたに違いない。

3.素敵な偶然

 11月23日(木)、とある紙面に掲載されるインタビューを受けた。ひとまずここではまだ内容は秘密。ただインタビューというより医療や福祉、障害や配慮についてひたすら想いを語り合ったという感じでとても学びになった。さらにその後は喫茶店でもお喋りを継続、実はこのインタビュアーさん、今回の旅をサポートしてくれている方と同一人物なのだが、偶然同い年で共通の趣味が多数あることが判明。時間が経つのも忘れて懐かしい80年代・90年代の話題を満喫した。

 夕方に一度ホテルに戻ると、今度は中学・高校時代、すなわちアカシア時代の友人が迎えに来てくれた。そして連れられて喫茶店へ行ってみると…偶然にもさっきまでインタビュアーさんとお喋りしていた店ではないか。ここは東京、街に一軒しかない喫茶店とかではもちろんない。ある意味では天文学的な確立であり、きっと店員さんも「あれ、この目の悪い人、さっき別の人と来てなかったっけ?」と思ったに違いない。連れが女性だったらチャラリー鼻から牛乳、完全に二股がばれる瞬間である。

 でも再び来店したおかげで説明する前から視覚障害に配慮した接客をしていただけた。こっちも店内の配置やメニューを知っているから利用しやすかった。

 馴染みの店を作ることで、当事者も環境に慣れ、障害を認知してもらいやすく、店員さんもサポートに慣れ、障害を理解しやすくなる。合理的配慮というとつい堅苦しくなってしまうが、どちらかがふんぞり返る必要もなく、本当はこんな自然な形が良いのだろう。

4.アカシア時代、ちょっとツタカズラ時代も

 …とまあそんな真面目なことを考えるのはそこまで、この先はひたすら同級生三人で馬鹿話。あいつはどうしているだの、青汁ヨーグルトを注文しろだの、昨年公開された実写映画『耳をすませば』について自分だったらこんなストーリーにするだの、アカシアのノリで語らい続けた。

 今回来てくれたうちの一人は僕が所属していた図書委員会の委員長でもあり、夕べの公開講座でも「人生最高の肩書が図書委員長だという男と明日会います」という話をした。それを伝えるだけで笑いが起きる。やっぱり昔馴染の友達っていうのはよいものだ。目が見えなくなっていることなんて笑っているうちに忘れてしまう。

 そして夜が更けると三人でブルーノート東京へ。色々なジャズミュージシャンが来てライブを開催し、客は飲食しながらそれを観賞できる巨大なジャズバーレストランのような所。僕が音だけで楽しめる場所として友達二人が考案してくれたようで、ちょっとゴージャスな気分になりながら食事と会話、そして久しぶりの生ライブを堪能した。

 その夜はトランペッターの黒田卓也さんが率いるバンドの演奏だったが、小学校時代にトランペット鼓隊をやっていた僕は金管楽器の音が大好きである。そんなわけでちょっとツタカズラの校舎も思い出しながら、黒田さんの熱い音色にたくさん胸が躍ったのであった。

 閉演後も会話を楽しんでから友達二人に送られてホテルへ。そこで心ばかりのお礼として北海道のお土産を渡す。本当に、懐かしくて楽しい時間をありがとう!

5.夕陽に別れを告げて

 11月24日(金)、名残惜しくも羽田へ向かう。そして最後の最後までサポートしてくれた方に心からの感謝を伝え、夕焼けの中で飛行機は離陸。

 到着した北海道は東京とは二十度以上の寒暖差、雪も降って路面はシャーベット状態。迎えに来てくれた友人の車に乗り、途中で二人で晩御飯を食べて無事に家まで送り届けてもらった。心ばかりのお礼として東京のお土産を渡す。思えば僕が北海道に来てからなのでもうつき合いは十七年になる。本当にいつもありがとう!

 気持ち良く仕事もして遊びもして、今回の旅は心身のリフレッシュになった。そして改めて、自分が小・中・高・大学と楽しい学生時代を過ごせているなあと感じた。過去にばかり目を向けていてはいけないが、懐かしい思い出と仲間たちの存在が今の自分を支えてくれている、そして未来へ向かうエネルギーになってくれているのは間違いない。

 またいつも思うことだが、僕は本当に出会いに恵まれている。雪国で一人暮らしができるのも、こうやって素敵な旅ができるのも、サポートしてくれるあたたかい人たちのおかげ。同じ言葉ばかりになってしまうが、本当に、本当にみんなありがとう!

6.研究結果

 人は懐かしさから元気をチャージできる。これからも思い出をたくさん作っていきたい。

 人は一人では生きられない。これからも出会いを大切にしていきたい。

令和5年11月26日  福場将太