JRPS講演会 『網膜色素変性症との二人三脚』

 2023年8月27日(日)、JRPS北海道からのご依頼を受けてオンライン講演を行なった。自宅の部屋から配信したのだが、当日は猛暑に加え雨模様で窓が開けられず、録画に音が入ってしまうため扇風機も回せずという状況。ほのぼのしたお話をしているはずなのにまるで政治演説のように汗を流しながらの熱弁となった。

■演題

 網膜色素変性症との二人三脚

■セットリスト

 第一章 自己紹介
 第二章 網膜色素変性症との二人三脚
 第三章 3つの回復
 第四章 まとめ

 今回のコラムでは講演の記録とともに、革めて網膜色素変性症といういけすかない我が相棒について研究してみたい。

1.天網恢恢

 JRPSこと日本網膜色素変性症協会とのご縁はもう十八年前、いずれ見えなくなるかもしれない目で医者を目指すべきか否か迷っていた頃だ。決断するためにはやはりこの病気についてもっと知らなければと思い立ち、インターネットで検索したところJRPSの存在に行き当たった。そしてたまたま新潟で行なわれる講演会の存在を知り、足を運んだのが出会いである。
 その時の講演会への参加が人生の転機になったのは以前のコラム『流浪の研究』シリーズでも書いたが、そんなJRPSと再会し、今度は自分が演者となって講演会に参加するのは非常に感慨深いものである。

 今回は視覚障害の中でも網膜色素変性症がテーマ。なので講演の前半では一人の当事者として、自分がこの病気とどう関わってきたのかを実体験でお話した。今でこそ二人三脚なんて言っているが、最初から良好な関係を築いていたわけではもちろんなく、むしろこんな奴と仲良くなんてできるかと思っていた。

2.独立戦争

 初めて出会った頃、すなわち確定診断を受けた医学部5年生の時点ではこいつはまだ少し気になる程度の存在だった。言わば他人の関係、特段仲良くなろうとも喧嘩しようとも思っていなかった。
 ただ徐々に視力が低下し人生に影響を及ぼしてくると、こいつは厄介な邪魔者。北海道に就職してからはものすごいスピードでどんどん自分から大切な物を奪っていく恐怖の存在に変貌した。

 しばらくは為すすべもなくただ奪われ続けたが、32歳の頃にようやく僕は反撃に転じる。きっかけは『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』との出会い。同じ戦場にいる仲間の存在を知り、戦う勇気と知恵を与えられたのだ。とはいえ敵もさるものでとても打ち倒せそうになく、なんとか対抗手段を講じて自分が倒れないようにするのが精いっぱいだった。

3.共存協定

 そんな奴と晴れて和解が成立したのは38歳の頃、山梨で開催されたこの病気の講演会で目が見えない医者であることを初めてカミングアウトして話をした時だ。それまではこいつの意地悪をどうやってかわしながら仕事をするかばかり考えていたが、「目を患った人たちのメンタルケア」というこいつと一緒にやれる仕事にようやくたどり着いた。

 その後、『公益社団法人 NEXT VISION』へとつながり、より具体的に視覚障害当事者の支援を考えるようになり、精神科医でありながら時々眼科でも講演するという今のスタイルがこの五年間で少しずつ見つかってきたところである。
 出会いから二十年。最初は嫌っていた奴とこれだけ時間をかけて仲良くなったのだ。これからもいざこざはあるだろうが、さすがにもう全面戦争はないと信じたい。

4.二人三脚

 今回のテーマは二人三脚。ただ和解してそばにいられるというだけでなく、お互いに支え合って役に立っているということだ。では具体的にどの辺りが二人三脚なのかというと、こいつは僕の苦手な部分をたくさんカバーしてくれている。

 一つは人とのつながり。僕は人間関係の輪を広げるのに消極的な性分だ。少人数でも仲良しのチームが一つあればそれで満足、そこから新たに出会いを求めたり輪を広げたりしようとはしなかった。
 しかし、こいつは次から次へと新しい出会いを運んで来てくれた。ゆいまーる、NEXT VISION、さらにそこからつながって日本のあちこちに知り合いができた。そのおかげで執筆や講演のお仕事をいただけたり、ラジオでお話をしたり、先日はテレビ取材まで受けさせてもらったりしたのだから、まるでこいつは腕利きのマネージャー。出会いが嬉しい、つながりが財産だなんて思えるようになったのはこいつのおかげである。

 もう一つは積極性。僕は非常に腰が重たい性分で一つ好きなことを見つけてしまうとそれ以外のことをなかなかやろうとしない。しかしこいつはそんな僕の尻を叩きまくってくれた。特に二十代後半の年々急速に目が見えなくなっていた時期は、「お前には時間がないんだ、だからさっさとやれ!」とずっと追い立てられ、おかげで無駄な時間をほとんど過ごさずにすんだように思う。
 今でもなるべく後回しにしない、ためらうより挑戦するという癖は残っており、あれだけ腰が重たかった自分がそこそこ動くようになったのもこいつのおかげなのである。

 それに今から思えば、目が見えなくなるまでの数年間は世界がきらきら輝いていた。目にした人たちの顔、声、景色、出来事など、全て鮮やかに心に記憶されている。日没の直前は最も景色が美しく見えるためそのわずかな時間を『マジックアワー』と呼ぶそうだが、僕の人生においてはまさにあの頃がマジックアワー、それもこいつが作ってくれた貴い時間だった。
 まだまだある。心の医療者としてもこいつから教わった視点はたくさんあるし、音楽や小説作りでもこいつがアイデアをくれたことは数多いのだ。

 では逆に自分がこいつに何かしてやれているかというとそれがほとんどないことに気付く。強いて言うなら、こいつは悪い奴じゃないとかばってやることくらい。視力を奪う厄介な病気だ、治療法がない難病だと悪者のように言われてしまいがちだが、つき合ってみるとそんなに嫌な奴でもない。むしろたくさん助けてくれる、与えてくれる、気付かせてくれる優しい奴だ。人によって相性はあると思うが、僕にとっては大切な相棒である。
 活躍の比率で言うともはやこいつがメインで自分が付き人のような気もするが…「福場さんはいいんで網膜色素変性症さんだけ来てください」なんて言われないよう、僕自身も頑張らねば。

5.回復技法

 講演会の後半では医療の知識も交えて回復についての話しをした。臨床的回復・社会的回復・心理的回復の意味について説明し、そして特に今回は社会的回復にスポットを当ててその鍵となる『カイロ』の技法についてお話した。
 はたして『カイロ』とは何か? それはもっと洗練してからまたいずれの講演でお話したいのであえてここでは書かないでおく。小さい男ですまん、相棒よ。

6.研究結果

 昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の相棒。

令和5年9月7日  福場将太