青春のヤスクニー・ロード 東へ

 2023年7月末、久しぶりに、本当に久しぶりに新宿を訪れた。大学時代に所属していた音楽部の大先輩が東京にいらっしゃるからみんなで集まるぞと僕にもお呼びがかかったのだ。今回はそんな思い出めぐりの一日目の記録を。
 靖国通りをただ東へ、そこに僕の母校の大学がある。

1.忘れない街

 学生時代、レコードショップ、楽器屋、練習スタジオ、ライブハウス、そして打ち上げの店などなど、音楽に絡んだ青春のステージはいつも新宿であった。とりわけ靖国通りはギターを背負って通産何百往復したかわからない。

 北海道に就職してからも、最初の数年は眼科の通院や学友の結婚式、そして音楽部のOBライブ出演のために時々上京はしていた。しかし視力が低下して単身で移動するのが困難になると楽しみよりもストレスの方が上回ってしまい、2010年のOBライブ出演以降新宿から自分で足を遠のかせてしまっていた。
 今回の旅はそれ以来の来訪。少しだけ歩いた安国通り、懐かしい空気と、あの頃踏みしめた路面の感触を味わうことができた。

2.忘れない声

 そんなこんなで店に到着。驚いたのは名だたる先輩方が続々と参加されていたこと。今回主役の大先輩は僕が1年生の時の6年生で、その方に由縁のある世代が中心に集まっているのだから当然といえば当然なのだが、まるで入部当時のように僕は座組の中で思いっきり下っ端であった。かといってお話についていけないというほどのジェネレーションギャップはなく、そんな距離感と雰囲気がなんだかとっても心地良かった。もうお顔は見えなくてもお声を聞けば一人ひとりのあの頃の姿がすぐに浮かぶ。

 さらに心地良かったのはその場では誰も「先生」という呼称を使っていなかったこと。普段職場では患者さんからも同僚からもそう呼ばれてしまうお仕事だが、ここではニックネーム、あるいは呼び捨てで何の問題もない。僕も随分ぶりに「バーフク」と当時の通称で呼んでもらえた。
 そして話題も仕事の話はほとんど出ず、大部分が音楽関連。学生時代に組んでいたバンド名や思い出のライブが次々に連想され語られていく。さらに最近バンド活動を再開したとか、どのメイカーのどの楽器の音が良いとか、誰それのライブを見に行ったとか、その場にいなかった懐かしの名前も次々に登場してその度に笑いが起きる。集ったのは二十名くらいだが、なんだか五十人くらいと再会した気分になった。

3.忘れないバンド

 今回足を運ぼうと思った一番の動機は、誰よりも主役の大先輩にお目にかかりたいというのが大きかった。僕はこの先輩に多大な恩があるのだ。

 入部して最初の夏合宿、僕は1年生一人という状態で参加していた。そんな時にその先輩が僕の作詞ノートをパラパラめくって『年上オフィスラブ』というワードを発見、これは面白いから曲にしようとおっしゃり、あれよあれよという間にメンバーが決まって合宿最終日に発表となった。先輩方はすごいテクニックでギター・ベース・ドラムでセッション、右も左もわからない僕はとにかくその渦中で「オフィスラブ!」と
叫んで飛び跳ねるというステージであった。好評を博したのかこのバンドはその年の学園祭でも披露された。
 当時は自分のパフォーマンスがウケていると自惚れていたが、今ならはっきりわかる。全ては先輩方の力、みなさんが盛り立ててくださっていたのだと。同級生がいなくてポツンとしていた僕をバンドメンバーに入れて盛り上がるライブの快感を味わわせてくださり、音楽部に溶け込ませてくださった。これがあったから部活を続けられ、後に生涯の相棒となる山田くんも入部してくれて、楽しい音楽部ライフになったのである。
 今回の集いでは『年上オフィスラブ』のバンドメンバーがなんと全員集合。そんなことは全く想定していなかったので涙が出そうなほど嬉しかった。

 その他にも一緒にバンドをやらせていただいた先輩方とたくさん再会でき、当時演奏した楽曲の思い出を語った。バンド名を付けるとそこに一体感が宿るのが不思議だ。さらにオリジナル曲なんて作っちゃったりするとそれはもう永遠の記憶。同じような技術で同じように演奏できる人はたくさんいても、やはりメンバーが一人でも変わればそれは違う音楽。音と音だけではなく、人と人とのふれあいもハーモニーなのである。

4.忘れない味

 二次会は音楽部御用達、新宿区3丁目の『銅鑼』へ。地下へ下りる階段の感触も、ドアを開けた時の香織も、そしてお食事メニューもあの頃のまま。愛飲していたザクロサワーがなくなっていたのが唯一残念だったが、フランスパンのチーズ焼き然り、野沢菜然り、茶そば然り、人気料理の味は全く変わらず。
 学生時代、何十回ここに来ただろう。音楽部でライブをした後は必ずこの店で夜を明かした。僕が東京を離れる時も最後にこの店で仲間たちとオールしてそのまま空港へ向かった。この十数年でなくなってしまったお店も多いと聞いたが、この店が残っていてくれたのは本当に嬉しい。今回集ったメンバーも久しぶりの来店だったそうで、みんなで思い出の店の思い出の味を楽しんだ。

 まあさすがにオールとはならず切り上げたが、会計をして店を出て地上へ戻った時の円陣の雰囲気まであの頃のまま。運んでいかなくてはならない泥酔者が一人もいないところはやっぱり社会人である。
 たくさん気遣ってくれた先輩方、そしてたくさんサポートしてくれた後輩たちには心から感謝。おかげでとても幸福な夜を過ごせました。今回チャージしたエネルギーであと十年くらいは頑張れそうです。

 ちなみに学生時代に最も敬愛した、音楽の神様の生まれ変わりのあの先輩もいらっしゃっていた。音楽への情熱は全く尽きておられずむしろ異次元レベルまでエスカレート。MJ、あなたはやっぱり僕の永遠のヒーローです!

5.忘れない伝統

 唯一気掛かりだったのは音楽部現役生の現状。コロナ禍で三年間ライブも合宿も学園祭もなかった。音楽はソウルでやるものではあるが、ライブにはノウハウが必要。アマチュアミュージシャンである僕らは演者であると同時にマネージャーとローディーでもあるわけで、まずライブハウスを押さえ、手作りのフライヤーとチケットを配り、当日は楽器の搬入からセッティング、リハの仕切りまでやって本番、引退ライブではサプライズセレモニーの花束もこっそり準備、ライブ終了後には撤収チームと打ち上げ先導チームに分かれて動かなければならない。これらのノウハウは長年の伝統の中で培われたものであり、実際に経験して毎年手から手へ引き継がれてきたものだ。これがすっぽり三年間抜けて直接引き継げないのはかなり痛い。

 さらに部活の醍醐味は人とのつながりを得ること。今回僕がこうやって十数年ぶりに再会した仲間と楽しい時間を過ごせたように、部活を通して得た絆は一生ものの財産だ。そしてそれは後輩の頃に先輩に可愛がってもらい、また自分が先輩になった時に後輩を可愛がろうというあたたかい連鎖によって成り立っている。音楽部でごはんをおごってもらった後輩が「ごちそう様でした!」と頭を下げると、先輩はこう答える…「音で返せ」と。このやりとりが僕は大好きだった。仕方のないこととはいえ、コロナ禍三年間そんなふれあいの機会もなかったのは本当に残念である。

 それでも音楽部現役生は今年の10月に活動再開ライブをやると聞いた。どんな状況にも必ずメリットはある。苦難の三年間を過ごした世代だからこそ奏でられる音がある。この三年間でステージの最大の敵であるマンネリが一掃されたともいえる。満を持しての期待感と眩い新鮮味を味方につけて、三年間のフラストレーションを爆発させればそれこそ前代未聞の伝説のライブになるかもしれない。
 頑張ってくれ、現役生諸君! その後で僕たち卒業生もまたOBライブを復活させられたら最高だ。

6.研究結果

 時が経つと誰もが衰える。白髪が増えた、体調不良が増えたなんて話題も盛りだくさん。それでも歳月を重ねたからこその感慨もある。二十年前、自分は確かにこの仲間の中にいて、大好きな音楽をやっていた。こんな変人を受け入れてくださり心から感謝しています。
 飛行機で来たのだからと食事代までおごっていただき、久しぶりに後輩気分でごちそうになりました。この御恩は必ずお返しします、もちろん音で!

令和5年8月16日  福場将太