心の名作#21 ブラック・ジャック

 主人公の姿に強烈な憧れを掻き立てられる、そんな心の名作を研究するシリーズの21回目です。今回も前回に引き続き僕の3大ヒーローを紹介します。

■研究作品

 日本一有名なお医者さんといえばあなたは誰を思い浮かべるでしょうか。歴史に名を残した先生、現在活躍している先生、あるいはテレビによく出ている先生…答えは色々ですね。では日本一有名な無免許医といえばいかがでしょう。きっと答えは一択、この先生をおいて他にいないと思います。
 今回は3大ヒーローの二人目、今年連載開始から50周年を迎えた医療漫画の金字塔、『ブラック・ジャック』について研究します。ただし3000万円いただきますぜ?

■ストーリー

 夏場でも黒いコートを羽織り、長い前髪は半分白く染まり、顔には皮膚を縫合した大きな傷跡を持ち、大人びたことを言う不思議な幼女を連れているその男の通称はブラック・ジャック。困難な手術を引き受ける代わりに法外な治療費を請求する悪名高き無免許医、ただし腕は超一流。この黒い医者は今日も世界のどこかで奇跡を起こしているはずである。

■ 福場的研究

1.先生との出会い

 出会いは医学部に入学して数年した頃にたまたま立ち寄ったコンビニ。当時は独自にエピソードをセレクションしたコンビニコミックが刊行されていて、僕が買ったのは『ブラック・ジャックをめぐる女性編』という一冊。ページをめくってわずか数分、冒頭に掲載されていた『めぐり逢い』というエピソードを読んだ瞬間から心を鷲掴みにされました。
 そこから文庫本シリーズを集めて読破、レンタルビデオショップでOVAシリーズや実写ドラマシリーズを見つけてそれも擦り切れるほど視聴、そうこうしているうちに次はテレビでアニメシリーズが始まって毎週欠かさず観賞…といった具合に、学生時代はどっぷり本作にはまっていました。ブラック・ジャック先生(以下BJ先生)の処置が妥当かどうかを実際の医者が検証する研究本『ブラック・ジャック・ザ・カルテ』なんかも発売されていて、学友とも頻繁に先生の話題で盛り上がったものです。

2.キャラクターの魅力

 BJ先生の3大特徴といえば無免許医・高額医療・天才的技術。まずはそれぞれについて考えてみます。

●無免許医

 どうしてBJ先生は医師免許を持っておられないのか。原作においてその理由は「組織や権威が嫌いだから」「自分には欠陥があると思っているから」などいくつか見受けられますが、最大の理由は「医者を免許の有無で規定していないから」だと思います。
 患者を治そうとする者・その技術を持っている者こそが医者。だからBJ先生は免許がなくても自分を医者と認識し医者として行動する。他の医者に対しても、無医村で長年医療行為をしていた男を立派だと評したり、大病院で長年下働きをしていた熟練医師に花を持たせようとしたり、免許の有無や立場ではなく先生は技量や姿勢を見て敬意を抱くのです。

 確かに医師免許には、それを持つことで責任感を高めたり、自らを奮い立たせる勇気が持てたりといった良い面もあります。一方で免許を取得したことで自分は立派になったと勘違いして人間性が伴っていなかったり、免許に縛られて身動きがとれなくなったり、免許至上主義が医療業界を閉鎖的にしていたりといった悪い面もあります。
 先日僕も参加した欠格条項を考える講演会をもし先生がご覧になったらどんなことを思われたでしょうか。ぜひご意見を伺いたいところです。

●高額医療

 病気で苦しんでいる人からお金をふんだくるなんてとんでもない、医療は金儲けの道具ではない…確かにそれは聞こえが良い言葉で、お金を取らずに治療してくれる医者がいれば最高かもしれません。でもBJ先生は報酬のない治療はしません。あくまで高額医療にこだわっておられます。それはどうしてなのでしょうか。
 一つは「報酬に見合うだけの仕事はしている」というプライド。たくさんお金をもらう分命がけで患者を治す、その代わりうまくいかなかった時は返金して1円も受け取らない、それが先生のスタンスです。
 またもう一つの理由は「患者の本気を見極めるため」。全てを投げ打って治療費を作ってでも生きたいか、その覚悟が確かめられれば必ずしも金額にこだわらず、例えばラーメン一杯分のお金でもそれがその人の精一杯なら先生は十分な報酬として満足されるのです。

 では現実世界において高額医療をするとどうなるでしょうか。お金がないせいで治療を受けられない患者が増える、病院から足が遠のくというのがまずあるでしょう。しかし見方を変えれば、本気で治療を望む患者だけが本当に必要な時だけ受診するようになるわけです。
 日本には公的な医療費の減免制度があり、患者が全額を負担しません。緊急性があれば数日以内に病院にかかれることがほとんどです。高額にならない医療費ですぐに治療を受けられるのは確かに有難く、一見理想の医療システムに思えます。
 しかしそれによって、高度な治療や丁寧な診療を行なう病院ほど赤字になりスタッフが過労になるという問題も生まれています。また海外に良い薬があっても日本では商売にならないからと入ってこないことも少なくありません。つまり治療費を安くすることにより、結果医療の質が下がってしまっている面があるのです。
 さらに、7割は国が払ってるんだからと医療費を未納にする患者、無料だからと不要な薬までもらおうとする患者、経営のために不要な治療や不正な請求をする医者まで存在するのもまた日本の医療の大きな問題。金の亡者と揶揄されるBJ先生ですが、実はそのやり方はこれらの問題を解決してもいるのです。

●天才的技術

 そしてBJ先生の無免許医と高額医療を成立させているのがこれ、他の医者には不可能な手術もやってのける天才的な技術です。先生が組織にも属さず、権威にも屈さず、警察にも捕まらず無免許医と高額医療ができるのはその腕があってこそ。本作のこの設定は、医者の価値は何よりも腕で決まるという痛烈なメッセージだと思います。

 しかしBJ先生は実在しません。現実の世界では孤高の一匹狼でどんな手術でもできる医者なんてのは無理があります。それでもその存在感は医療業界においてあまりにも大きく、多くの医者が権威や経営に振り回されて働く自分が馬鹿らしくなった時、「ブラック・ジャックがいてくれたら」「ブラック・ジャックならきっとこうする」なんてついつい思ってしまうのです。
 BJ先生の魅力については、以前に『ブラック・ジャックとパッチ・アダムス』という研究コラムでも書いているのでよければそちらもご参照ください。

 ちなみにもう一人のレギュラーキャラクターであるピノコもとても魅力的なキャラクター。先生のオクタンを自称し、「アッチョンブリケ」という謎の言葉を発し、有能な手術助手も務める不思議な幼女。孤高の無免許医のパートナーとして彼女を生み出した手塚治虫先生には脱帽しかありません。

3.ストーリーの魅力

 本作の面白さは主人公のキャラクターの魅力だけではありません。そのストーリーの完成度があまりにも高い。毎回一話完結で、時には一本投げられたような、時には戦慄するような、時には涙が出るような、時には思わず笑っちゃうような、時には心があたたまるような、見事な起承転結。これを毎週連載していた手塚治虫先生は本当に漫画の神様だと思います。

 各エピソードの主役も毎回BJ先生とは限らず、先生はただ奇跡の手術をするだけの役回りに徹し、その治療を受けた患者を主役にしていることも少なくありません。命とお金の狭間で、健康と病の狭間で、人はどんな立ち振る舞いを見せるのか…時代が変わって医療が進歩してもこの根源的なテーマは普遍、だからこそ本作は50年経っても色褪せない不朽の名作なのでしょう。

4.メディアごとの魅力

 それではここから、原作版、テレビアニメ版、OVA版の三つについて、それぞれのテイストの違いを検証してみましょう。

●原作漫画

BJ先生像:
 原作のBJ先生は何よりも孤独をまとっているのが特徴。物語の最後の1コマが一人立ち去っていく先生の後ろ姿になっていることが非常に多く、人前にいても長い前髪で表情が見えていなかったり、一人暗い部屋で机を叩いて苦悩したり、アニメシリーズのようにピノコが毎回登場しないこともあって、先生はいつも寂しい男です。
 また原作の先生はとても人間臭く、尊敬・好意・思慕・感謝といった陽性の感情から、憎悪・嫌悪・軽蔑・敵意といった陰性の感情までたくさん剥き出しにします。『サギ師志願』の時の様に気前が良くて優しい顔を見せる一方、『不発弾』の時のように負の劇場にかられた顔も見せる。しかもかなりの気まぐれ屋でひねくれ者、必ずしも善人や正義の人間として描かれていないのが原作のBJ先生です。

作品テイスト:
 丸みを帯びた線で描かれる表情豊かなキャラクター、緻密なのに一目瞭然でわかりやすい絵柄、一目でインパクトを与える画力はまさしく手塚漫画。そしてストーリーはサスペンスから人情話まで非常にバリエイション豊かで、前述したように毎回見事な起承転結に舌を巻かずにいられません。2時間の映画にしても遜色ない完成度のストーリーがゴロゴロあります。
 また未だにコミックス未収録になっているエピソードが数話あるほど時に痛烈に医療の是非や生命の尊厳を問う問題作も多く、『ふたりの黒い医者』『その子を殺すな!』『浦島太郎』『報復』などを初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。

好きなエピソード:
 特に好きなのは『めぐり逢い』と『ブラック・クィーン』。前者は医局員時代の後輩女医・如月めぐみ、後者はメスの鬼の女医・桑田このみが登場する物語で、いずれも珍しくBJ先生が女性に恋慕を抱く姿が描かれています。孤独をまとい「私には愛など無意味だ」と口にする先生ですが、この二人の女性はその牙城を崩しました。手塚治虫先生が描くヒロインは可憐で美しく、BJ先生が心を奪われるのも理屈抜きで納得してしまいます。そして自分の想いが叶わなくなっても医者として手術を行なうという悲恋のストーリーは、先生の男としてのかっこよさと不器用さを見せてくれます。
 『めぐり逢い』はストーリーの核心部に連載当時のジェンダー観・人生観が強く反映されているため、今となってはアレンジなしの映像化は難しいでしょう。『ブラック・クィーン』はテレビアニメシリーズで映像化されましたが、ピノコへの配慮もあってか先生の恋愛感情を明示しないマイルドなテイストになっていました。やっぱり大人の魅力が詰まったこの二つのエピソードは原作漫画で味わってこそです。

●テレビアニメシリーズ

BJ先生像:
 テレビアニメのBJ先生は原作でまとっている孤独がかなり弱まっています。それは毎回ピノコがそばにいて、二人を慕うレギュラーキャラクターがたくさん登場するからです。家に頻繁に遊びに来る仲間たち、クリスマスパーティではピノコからプレゼントをもらって「ありがとう」と答える先生、これでは寂しい男には見えません。
 感情面でも特に陰性感情の描写は控えめで、医者として怒ることはあっても個人的な憎悪を見せる姿は少ないです。先生の悪人としての面もほぼ描かれず、むしろ善人ぶりが強調。そして原作では救えなかった命もテレビアニメでは助かる場合が多いため、先生の無力感・罪悪感・自責感の描写も少なくなっています。

作品テイスト:
 放送がゴールデンタイムで子供もたくさん視聴するということを意識しての配慮が随所に見られます。確かに原作は大人でも愕然とするような救いのない話、ショッキングな話も多いので、これをそのままアニメ化することはできなかったのでしょう。
 だから前述したように、原作では助からなかった命がテレビアニメでは助かったり、倫理的に議論を呼びそうなセリフや設定は差し替えられたりしています。安楽死専門医のドクター・キリコも劇場版まで登場しませんでしたし、ピノコの出生の秘密が描かれたのも放送後期になってからでした。
 毒気が少ないマイルドな『ブラック・ジャック』ではあるのですが、逆に言えば家族で楽しめる上質なファミリーアニメになっているのです。

好きなエピソード:
 そんなテレビアニメ版は、痛烈な医療の話よりもほのぼのした人情話の方が光っています。『奇跡の腕』『揺れる手術室』などはわずか三十分弱の物語なのにラストはついつい涙が滲んでしまいます。
 またテレビアニメ版は最も先生とピノコの絆が描かれているシリーズでもあり、ようやくピノコ出生の経緯が明かされたエピソード『ピノコ誕生』が僕は一番好き。ほぼ原作の『奇形嚢腫』どおりですが、先生の回想という形で描かれていて、先生のピノコへの想いがとてもとても優しい。そしてラスト1秒のピノコのセリフで毎回号泣してしまいます。小さくて可愛くていつも明るいピノコですが、本当の姿は、本当の声は、本当の気持ちは…。やはり本作のヒロインは彼女、BJ先生のパートナーは彼女しかいません。
 ちなみに視覚障害の当事者としてはぜひ『メールの友情』と『一瞬の目撃者』というエピソードをお薦めしたいです。前者は障害のカミングアウト、後者は障害の受容がテーマとなっています。概ね原作のニュアンスは損なわず現代風にアレンジしてアニメ化されているので、目の不自由な方にもぜひ音声でお楽しみいただけたらと思います。

●OVAシリーズ

BJ先生像:
 OVAシリーズの先生はとにかくダンディで落ち着いているのが特徴。八頭身で美形に描かれていることに加え、気分屋でひねくれ者の描写はなく、ピアノを弾いたり海外で休暇を取ったり、エレガントでプロフェッショナルな雰囲気。大人向けのアニメのせいか、原作やテレビアニメよりもアダルトなBJ先生がとても素敵です。

作品テイスト:
 そのため作品全体もはしゃいだ雰囲気はなく、また原作のような起承転結のカタルシスも少なく、ただ語られて静かに終わっていく命にまつわる物語はまるで一つのドキュメンタリーフィルムを見るよう。そして一作一作がとても力を込めて造られているのが伝わってくる高いクオリティを誇っており、この重厚さはまさに大人向けの『ブラック・ジャック』です。

好きなエピソード:
 僕が最初に動くBJ先生を見たのがこのOVAシリーズなのでどのエピソードにも思い入れが強いです。ただ画風もキャラクター設定も原作に縛られず大胆かつ斬新にアレンジされているので、中でも原作にはない完全オリジナルのエピソードが光っているように思います。
 カルテ2の『葬列遊戯』は高校生の少女たちに起きた悲劇の連鎖に先生が関わるストーリーで原作には全くないテイストです。特に手術の最中の独白、麻薬を注射されて昏迷しながらの自問自答の先生の言葉が印象的。さらにラストシーン、先生がヒロインの少女に対して行なっちゃうあの行動も原作漫画やテレビアニメでは絶対に見られません。
 またカルテ7『白い正義』は、先生が難民キャンプに行くというストーリー。世間一般で良い先生と評される医者とBJ先生の対比、無免許と高額医療についての正論と実情がスタイリッシュに提示されます。名医として登場する白拍子先生、彼は原作にも登場するキャラクターですが、OVA版はその余裕と自信に満ちた雰囲気に加え、裕福な家庭で育った御曹司、学生時代は学業も剣道部も首位、純粋で完璧主義だけどその分ちょっと神経質で卑屈な所まで本当にリアルです。医学部にはこういう先生が必ずいるいる、と思わず苦笑。優秀で優しくてまっすぐなとっても良いお医者さんの白拍子先生、本作ではどうしてもかっこ悪い役回りなのが不憫です。
 そしてもう一つ、OVAシリーズの集大成とも呼べる劇場版がすごい。全ての能力を天才的に高めて人間を超人類にしてしまう夢の新薬が開発、しかしその裏にあったモイラシンドロームという奇病。二転三転するストーリーの中ついにはBJ先生まで発病、いったいどこに着地するのか最後まで目が離せませんでした。原作とあまりにも違う雰囲気の完全オリジナルストーリーでここまでの傑作を作ったOVAシリーズのスタッフさんたちは心底すごいと思います。

■福場への影響

 学生時代はBJ先生に憧れて、真夏でも黒いジャケットを着ていました。また一時は前髪の片側だけ顎まで伸ばしてそこだけ金髪にしたりもしていました。まあ先輩からはCCBだと言われましたが。
 今でも特にOVA版のBJ先生の落ち着いた物言い、仕事に対する真摯な姿勢は見習わねばと尊敬しており、服装だけ真似しても仕方ないのですが、必ず黒いベストを着続けております。

■好きなセリフ

「人それぞれ仕事のやり方には色々あっていいんじゃないのかな」
 ブラック・ジャック先生(OVA版)

令和5年8月3日  福場将太