欠格条項と医師不敗神話

 2023年5月29日(月)、4月に発刊された書籍『障害のある人の欠格条項ってなんだろう? Q&A』の記念イベントがオンラインで行なわれた。原稿を寄せた一人として登壇させてもらったので、今回は欠格条項についての研究を。

1.失格と欠格と不適格

 イベントの中でも言われていたが、そもそも『欠格』という言葉が一般には馴染みが薄い。自分の携帯電話で漢字変換してみても肺病の結核しか出てこない。似たような言葉で『失格』や『不適格』というのがあるが、むしろこれらの方が一般的である。

 『失格』という言葉には、本人の行ないの罪深さによって有していた資格を失うようなニュアンスがある。例えば医者が薬剤を用いて犯罪行為を働いたり、人の命を何とも思っていない考え方だったりすると、いくら診療能力を有していても『医師失格』と呼ばれる。つまり『失格』は法的・道義的に用いられる言葉である。
 一方『欠格』という言葉には、何らかの事情でその職務を果たす能力を欠いているようなニュアンスがある。例えばかつては目が見えない者は医者をしてはいけないとされていたので、失明した医者は『医師欠格』だったのである。『欠格』は主に法的に用いられる言葉のように感じる。
 ちなみに『不適格』という言葉には、別に罪を犯したわけでも能力を欠いているわけでもないがその職務に向いていないようなニュアンスがある。例えば医療の仕事に向いていない個性を持った医者は『医師不適格』と評されたりする。『不適格』は感覚的・実状的に用いられることが多い言葉ではないだろうか。

 そんなわけで今回研究するのは失格条項でも不適格条項でもなく欠格条項。具体的には、2001年に医師の欠格条項が見直され、目が見えない者でも医師国家試験を受験したり、視力を失った医者でも仕事を続けたりする道が生まれた。まだまだ狭き門かもしれないが、完全に道が閉ざされていた時代に比べれば有難い。僕も含め『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』の医者メンバーが存在できるのも、欠格条項が緩和されたおかげなのである。

2.法の下の平等

 人間は平等、障害の有無に関わらず全ての人間に職業選択の自由があるべきという考え方は正しいと思う。一方で難しいのは、そもそも資格や免許は能力を有している者に与えられる物であるということ。人間は平等だからといって、試験の点数が達していない者を合格にするわけにはいかない。当然だ。いくらミュージシャンになりたくても、野球選手になりたくても、能力が及ばなければプロにはなれないのと同じである。
 だから欠格条項をなくすことと誰にでも資格を与えることは異なる。大切なのは「障害がある」イコール「能力がない」と決めつけてはいけないということ。実際に隻腕のプロドラマーやプロ野球選手が存在するように、能力があれば資格を取れる、能力がなければ資格は取れない、障害があろうがなかろうがそこはやはり実力主義なのである。

 その意味では、障害当事者自身も「障害がある」ことと「能力がない」ことをごっちゃにしない注意が大切だ。厳しい言い方をすれば、試験が合格点に達しなかったことを障害のせいにしてはいけない。欠格条項をなくすということは、障害があるというだけで門前払いにしないということ、資格そのものではなく、資格取得のチャンスを平等に与えるということなのだ。

3.医師不敗神話

 とはいえ実際に障害がある者が五体満足の者と同等の能力を発揮するというのは難しい。目が全く見えない医者がレントゲンを読影する、耳が全く聴こえない医者が心音を聴診する、というのは無理がある。先ほど障害の有無ではなく能力の有無によって資格は与えられるべきと書いたが、健常者と同等の能力にこだわってしまうと障害者はやはりそれを有していないことになってしまう。

 これをクリアする一つの方法が、工夫やサポートによって足りない能力をカバーするということ。例えば弱視の医者でも電子拡大鏡で画像を見る、難聴の医者でも補聴器を用いて音を聴く、など。
 もう一つの方法は、できないことはあきらめてできることを頑張るということ。例えば目が見えない医者ならカウンセリングの技術を高める、耳の聴こえない医者なら視診や触診の技術を高める、など。
 おそらくこちらの方が現実的だ。無理なことを無理矢理やるよりも、できることの能力を最大限高める方が医療の現場で貢献できる。つまり「健常者と同等の能力の医者」ではなく「ある部分では劣っているがある部分では優れている能力を持った医者」になるわけである。あきらめるという言葉は、明らかにするという意味から来ている。自分にできないことをあきらめるということは、裏を返せばできることを明らかにするということ。けっして後ろ向きな姿勢ではない。

 しかし2001年以前は事実上そのような医者の存在を法律は認めていなかったことになる。そして法律以前に、誰より医者自身が認めていなかったのではないだろうか。
 医療の業界には、まことしやかに蔓延する不敗神話がある。「医者は何でもできなくてはいけない」「五体満足なのが当たり前」「障害を負うはずがない」…名作小説『白い巨塔』の主人公である財前教授が自らが癌になった時に「まさか僕が」と驚愕している様子からもこの不敗神話の影響がよくわかる。癌の専門医なら癌の発生率も十分しっているわけで、医者の人口を考えれば医者が癌になったって何らおかしくないはずなのに、何故か「医者は五体満足」と妄想的に医療業界は思い込んできたのである。

 だから別に罪を犯したわけでもないのに、障害を負ったことでもう完璧じゃない自分は医師失格だと考え、自ら仕事をやめてしまう医者もいる。かくいう僕自身も視力を失った時に少なからず辞職を考えたし、ゆいまーるに出会うまで自分以外に目の不自由な医者が他にもいるなんて思いもしなかった。いるのが当たり前なのに。
 恐るべし、医師不敗神話。

4.資格至上主義

 先ほど職業選択の自由というワードを出したが、医者にはそもそもそれがあったのだろうか。先祖代々医者の家系に生まれ、子供の頃から親にお前は後継ぎだと諭され、親戚からも期待され、同級生が遊んでいる小学校の放課後も塾に通い、地元を離れた進学校に進み、医大受験コースの予備校にも通う。この環境で医者以外の仕事をやりたいと思えるか? 思ったとしてもそれを主張できるか?
 正直、難しいと思う。高額の学費を出してもらって、高級なマンションに住まわせてもらって、学生の分際で高級車を乗り回して、そんなの贅沢な悩みだと世間からは思われるかもしれない。確かにある意味では恵まれている。しかし裕福だがそれと引き換えの不自由さ、窮屈さを一生背負わされてもいる。
 もちろん全ての医学生がそうだというわけではない。医者家系のプレッシャーではなく自らの情熱によって医学部へ来る者もいる。だが一方で、医者以外の道を探すチャンスが自分にはなかった、どこが法の下の平等だと心の中で叫んでいる医学生も少なからず存在しているのである。

 そして病院は資格至上主義者の巣窟。いくら人間性に優れていても、情熱に溢れていても、医師免許がなければ存在価値は微塵も認められない世界。だから医学生たちは何よりも国家試験合格に血眼になる。足並みを揃えて、自分だけ転ばないように、取り残されないように、心を殺して試験勉強に勤しむ。ミスをしてはいけないという不敗神話は医学生にまで色濃く影響を及ぼしているのだ。そして無事免許を取得すれば途端に先生と呼ばれ、家族や親戚から賞賛され、人間性と情熱が伴っていない医者が完成する。

 かなり極端で過激な表現をしてしまっているが、嘘を書いてはいないつもりだ。
 資格や免許というものは確かに素晴らしい面もたくさんある。誇りを高め、責任感を強め、自らを戒め奮い立たせる原動力になる。2020年、恐ろしくても職務を放棄せず未知のウイルスに医者が立ち向かえたのはその誇りと責任感があったからだ。
 ただ一方で、資格や免許に囚われ過ぎて、人間性や情熱を見失い、自らを追い詰め、業界そのものを閉鎖的にしてしまっているのが問題点。今後欠格条項がさらに見直されて障害があっても情熱に溢れた者がこの業界に参入してくることは、医師不敗神話を払拭し、資格至上主義を見直し、新しい時代の医療を構築することにもつながっていくのではないかと期待している。

 僕の所属している『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』には、視力は頼りないが、情熱は負けていない、むしろ五体満足の医者より勝っているんじゃないかと思える先生がたくさんいる。だって、不敗神話がはびこる業界で目が見えないのに働けば、悔しい思い、情けない思いをする場面は多々ある。視覚障害のせいで患者さんに不利益を及ぼすんじゃないかという恐怖も常にある。その気持ちを押してでも、自分は助けてもらいながらこの仕事をするんだと腹を括っているのだ。その情熱は並大抵ではない。

 なんて、ちょっとかっこよく書き過ぎであるが、ゆいまーるもおかげ様で15周年、アニバーサリーで盛り上がっているのでご容赦くだされ。そしてこれも素直な気持ち、妙な神話や至上主義が横行するキナ臭い業界だが、それでも僕は医療という営みを愛している。

5.もう一度Medical Wars

 ついつい熱くなってしまった。この度、欠格条項について考える機会をいただいたことで、学生時代に抱いていた色々なモヤモヤが蘇った。そしてそんなモヤモヤと希望を込めて医大卒業直後に書いた小説のことを思い出した。
 タイトルは『Medical Wars』。医学生は医者にならなくてはいけないのか、自分は自分の人生を生きているのか、障害を負えば医者ではなくなるのか。医学部という異次元世界で医学生たちが苦悩し、葛藤し、最終的には一つの戦いに挑む青春物語だった。
 大いなる手前味噌だが、この度の僕の講演に興味を持っていただいた方、よろしければ当サイトの図書室に掲載されているこの小説も覗いてみてください。自分でもまた読み返して、二十年前の気持ちに触れてみたいと思います。

小説『Medical Wars ~春の陣~』はこちら!

6.研究結果

 人間は完璧じゃない。そして医療従事者も人間。
 一番の欠格条項は情熱がないこと。

令和5年6月2日  福場将太