ラジオ大阪『話の目薬 ミュージックソン』に快感な男再び

 ラジオは視覚障害者にとってバリアフリーなメディアである。そのためもともとラジオが好きだった僕は、目が悪くなってからはより一層、昔と同じように楽しめるラジオという世界が大好きになった。そんなこともあってこのサイトの放送室でも怪しげなラジオ番組を制作しているわけだが、今回はそんなまがい物ではなく、本物のラジオ番組に電話出演させていただいた経験を。

1.リスナーの思い出

 そもそものラジオ好きの原点は何度かこのコラムでも書いたが、嘉門達夫さんがやっておられた『爆裂スーパーファンタジー』というFM番組である。中学・高校時代はこれをきっかけにラジオの魅力にどっぷり、他にも赤坂泰彦さんがやっておられた『ミリオンナイツ』、中島みゆきさんがやっておられた『お時間拝借』、サザンの桑田さんが今なお続けておられる『やさしい夜遊び』などなど、色々な番組を聴くようになった。
 近年では電波ではなくネット上でのラジオも広まっており、アニメやゲームの声優さんたちがやっておられるインターネットラジオ番組を聴いてみたり、あるいはそれらがまとめて収録されたラジオCDをレンタルして楽しんだりしている。

2.パーソナリティの思い出

 恐れ知らずの中学時代、ラジオのリスナーをやっているとパーソナリティの真似事もしたくなるもので、お昼の校内放送を少しだけやらせてもらった。別に放送部員だったわけではなく、そもそも放送部も校内放送もない学校だったが、ある時放送室の存在を知ってやりたがりの仲間数名で先生に申し込んだのだ。
 この世の中やりたいからやれるというものではないのだが、そこは天下の広島大学附属中学校、生徒の主体性を重んじてくれるアカシアソウオルであっさり許可された。ただ放送室といっても埃だらけの部屋の片隅にマイクが一本あるだけ。本来は事務連絡とか避難訓練の時に使うものでラジオ番組をやれるような設備ではなかった。
 それでも仲間とマイクの周りに集まり、音楽を流す時は持ち込んだラジカセを再生してみんなで黙り、時には先生にもゲスト出演を頼んで歌ってもらうなどしながら、内容も音質もかなりよろしくない放送が数回行われた。
 それとは別に家のラジカセを使ってオリジナルのラジオ番組を作り、仲間にカセットテープを回して聴いてもらうなんてこともやっていた。若気の至りもここに極まれりといったところであろう。

 また大学卒業後の放浪時代にはインターネットラジオ局funny-boneさんという所でDJも少しやっていた。自宅で収録した音源を期限までにアップロードするというシステムで、時には学生時代の友人がゲストで出てくれたり、当時出演していた野外音楽イベント『DREAM LIVE』の仲間が聴いてくれたり、将来が見つからない不安な日々の中で大いに心を支えてくれたのを憶えている。

3.オファーは関西から

 そんなラジオ好きの僕に今回のお話をいただいたのが今年の1月末。所属している『公益社団法人 NEXT VISION』を通して、ラジオ大阪さんから『話の目薬 ミュージックソン』という番組への電話出演のお誘いだった。どうして自分に声が掛ったのかと思ったが、パーソナリティの西村さんが先日僕が新宿区視覚・聴覚障害者交流コーナーの企画で行なった講演のyoutube動画を視聴してくださり、興味を持ってくださったことがきっかけだった。

 それならぜひにということで快諾し、指定の日時に電話がかかってくることを知らされた。内容については自らの視覚障害の経験、仕事のやり方、その心持などについて。また事前に当サイトも閲覧してくださったらしく、音楽好きについても語ってくれてよいとのことだった。

4.本番は思わぬ展開

 そしていよいよ収録当日。もう一人のパーソナリティの原田さん、番組開始と同時に滑舌も発声も変化、さらに聴きやすい話し方になられたのはびっくりした。さすがはプロである。そしてあれよあれよという感じで紹介され、そこからどんどんテンポよく話題が振られる、これぞまさに関西のノリ…嫌いじゃないですぜ。
 序盤はいつ頃から目が見えにくくなったのか、本当に見えなくなった時にどうやって医療の仕事を続けたのかなどの話題。やはり継続のきっかけとしては『視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる』との出会いが大きく、この会についてたくさんお話をさせていただいた。

 中盤はふとしたことから僕が嘉門達夫さんの大ファンだという話題になり、中学・高校時代に「快感な男」のペンネームで嘉門さんのラジオのハガキ職人をやっていたこと、大学卒業後の放浪時代にも嘉門さんの番組にネタを投稿してCDにも採用されたことなどを話すと、「それでよく医者になれましたね」と原田さんにツッコミを入れていただいた。
 大阪は嘉門さんのホームグラウンド、原田さんも当然何度もお会いしておられるとのこと。30年前に嘉門さんのラジオと出会ったことがここにきてまた絡んでくる、そんな人生の不思議を僕は楽しい会話の中で感じていた。

 さらに終盤では僕のオリジナル楽曲『天地創造できない僕らは』を番組内で流していただきまた感激。僕が視覚障害の講演会をする時に必ず伝えるようにしている「優しい想像力」をテーマにした曲だったのでとても嬉しく、「確かに嘉門さんの影響がありますね」なんて原田さんに言われてまた大笑い。人生とは生きてみるものである。

 ちなみにそんな話をしているうちにこの企画を調整してくれたNEXT VISIONについては一言も触れられないまま出演時間が終了。ごめんなさい! これも関西のノリということで。

5.オンエアーは聴けないけど

 収録が終わって数週間、2023年2月21日(火)の午後8時からラジオ大阪で『話の目薬 ミュージックソン』はオンエアーされた…はずである。というのも北海道にいてはどれだけアンテナを延ばしてもさすがに電波はキャッチできない。
 しかし関西方面に住んでいるゆいまーるの仲間から聴きましたとの連絡が届いて一安心。しかも守田代表を筆頭に、自分もかつて出演経験があるという会員がちらほら。どうやらかなりの長寿番組で、視覚障害を持つ当事者やそのご家族に愛されている憩いの番組らしい。
 そんなあたたかい空間に参加できたこと、改めて幸福に思う。ラジオ大阪のみなさん、優しい癒し声の西村さん、安定感のある声の原田さん、そして聴いてくださったみなさん、本当にありがとうございました。後日送っていただいた番組の音源は宝物に致します。

6.研究結果

 ラジオは心が伝わるメディア、ラジオ文化よ永遠に!

令和5年2月24日  P.N.快感な男 こと 福場将太