心の名作#19 ビギナー

 共に学んだ仲間たちとの日々を思い出させてくれる、そんな心の名作を研究するシリーズの19回目です。

■研究作品

 現在受験シーズン真っ只中。僕にも経験がありますが、受験勉強はやっぱりつらいもの、なるべくならやりたくない、でもその先に新しい人生が開けると思ったら頑張るエネルギーも湧いてくる。
 今回は見る度にまた勉強をしてみたくなる、今年放映20周年のテレビドラマ『ビギナー』を研究します。この結論は…妥当です!

■ストーリー

 平凡なOLであった楓由子はあるきっかけから弁護士を志し猛勉強、司法試験に奇跡の合格を果たした。そして始まる研修所での生活、最初の課題でさっそくしくじってしまった彼女だが同じく教官からアホ扱いされた同級生たちと知り合う。世代も育った環境もまるで違う8人はいつしか仲間となって課題や実務修習に共に取り組んでいく。まだ弁護士でも検察官でも裁判官でもないビギナー、そんな司法修習生の日常を描いた青春群像劇!

■福場的研究

1.勉学ドラマ

 何をおいても本作一番の特徴は、最初から最後までひたすら登場人物たちが勉強をしているということ。恋愛や友情の要素も皆無ではありませんが基本はとにかく勉強、大部分が講義や実務修習のシーンなのです。

 新米刑事だったり、研修医だったり、ビギナーを主人公にしたテレビドラマそのものは珍しくありません。ただそれらの多くは、新人のはずなのにとんでもない事件やトラブルが巻き起こるストーリー。そりゃ日常だけを描いたってドラマになりませんもんね。
 しかし本作は大事件なんて何も起こりません。過去の因縁とか徐々に明かされる真実なんてものも一切なく、描かれるのはひたすら日常風景。由子たちはカリキュラムどおりに勉強して、実習して、試験を受けて、予定どおりに卒業する。地味といえばかなり地味、激動や波乱の展開を求める視聴者からすれば確かに物足りないかもしれません。

 でも本作はそれが魅力なのです。派手な事件や非現実的な展開はなく、登場人物たちは穏やかな時間の中で真面目にひたむきに勉学に邁進する。そして視聴者は由子と同じ視点で法曹界という未知の世界の入り口をちょっとだけ味わう。本作の恋愛や友情の描写がいずれもほのかでさり気ないように、本作そのものもこのほのかさが心地良く、逆に他の作品にはない光を放っているように思います。

2.軽妙なキャラクター

 本作は登場人物たちの設定やセリフ回しが魅力的なドラマ。基本的にはコメディタッチなので、ついクスッと笑ってしまう場面がたくさんあります。

 主人公の由子は法学部出身ではなく働きながら独学で司法試験に挑んだ変わり種。そのため法律を学ぶ者なら当然知っている事例の知識や当たり前の考え方を持っていません。しかしその分彼女は他の誰も気付かなかった点に着目し、みんなが通り過ぎたことに立ち止まり、記録上は名前も出てこない片隅の人間の痛みを感じることができる。ベテランには見えない物が彼女には見えるわけです。
 さらに捨てられない輪ゴムをつい手首に巻く、広告の裏紙を使ってメモ帳を作る、空気が読めない天然ボケ、という可愛い設定も相まって、スーパーヒロインでは全くありませんが、誰もが親しみやすい等身大のキャラクターに仕上がっています。

 彼女以外の7人も鮮やかに個性が色分けされており、元不良少年、元官僚、元サラリーマン、元暴力団の内縁の妻もいれば、ストレートで司法試験に合格した才女、合格に18年も費やした苦学生、もう一度社会に出たくて受験した専業主婦までいます。
 そしてみんな人生経験が違うからこそ、人に対する優しさや厳しさも違い、正義感や金銭感覚も違い、持ち合わせた強さと弱さも違う。誰かにとっての常識が誰かにとっては初めての着想、だから完全に優れている者も劣っている者もいない。そして無自覚ながらその個性派集団を接着し牽引しているのが一番素人の由子というのがまた面白いわけです。
 実は彼らには全員モデルとなる実在の法律家がいるそうですが、この8人が一堂に会した、仲間になった、という点が日常を描いた本作で一番ファンタジーな部分なのでしょう。

 彼らが交わす言葉はボケやツッコミであっても非情に理屈っぽくて小難しい。実生活で人間がこんな長いセリフを流暢に言うはずがないのですが、登場人物たちがみんな弁論を生業とする法律家の玉子という設定でうまくこの点をカバーしているのも巧み、普段の口げんかまで法定弁論みたいになってしまうのがとても楽しい世界観です。
 また頭の中で思っていることもモノローグのセリフで表現するアニメ的な演出も微笑ましく、普段の会話が理屈っぽい分、頭の中の素朴な一言が良いエッセンスになっています。そう考えると、ストーリーを派手にしていないからこそ、キャラクター演出が際立っているドラマといえるでしょう。

3.ガリ勉への讃歌

 8人は動機はそれぞれながらみんな猛勉強して司法試験を突破した仲間です。研修所を卒業した先には法律家としての未来が待っている。エリートだガリ勉だと勉強する人を揶揄する風潮もある世の中、勉強して資格を取ってその仕事がしたいと頑張る姿を描いた本作はとても新鮮です。

 どうしても「夢を追う」というと、学校を辞めてカバンひとつで上京する姿がイメージされがちですが、コツコツ一生懸命勉強することだってとても立派な夢追い。周囲に流されたくないとか愛さえあればいいとか言って努力することから逃げてしまう若者にはぜひ伝えたい、しっかり勉強しようと。学問は人類が積み上げた知識の財産、学歴ではなく学問は必ず人生を豊かにしてくれます。僕も医学部教育の在り方には大いに反感を覚えていましたが、医学を学べたことは幸福であり、それをさせてくれた両親には感謝しています。
 人間、何歳になっても勉強をすることは絶対に損ではない。学ぶことは貴い。そんなことを感じさせてくれるのも本作の魅力です。

4.それでも話し合おう

 前述のように本作では大事件は起こりません。放課後8人で机を囲み、課題や実際に出会った事例に対して法的な解釈を議論するシーンにこそ、このドラマの本質があります。同じ証言を聞いて同じ記録を読んでも、8人それぞれ捉え方も注目するポイントも異なる。なかなか何が本当かわからない。それでも話し合って一つの結論を出さなくてはいけない。

 これは僕の仕事でも大いに共感できる所です。心の医療では患者さんの言動を見てそれをアセスメント(解釈)しなくてはいけないのですが、これがスタッフによって本当に異なる。同じ患者さんの言葉を聞いていても、自分と眞逆の見解を言う人もいて、そんな考え方もあるのかと驚かされることも多いです。白黒はっきりさせるなんて無理、それが心の医療の悩ましい所でも愛しい所でもあるわけですが、時としてそのせいでスタッフ間の対立やチームのスプリッティング(分裂)が起きるのです。

 本作でも議論をしているうちに険悪になってしまう場面があります。「どうしてそんなふうに思うんですか?」「どうしてわからないんですか!」とお互い相手の不理解を責め、人は所詮わかり合えないとあきらめそうにもなる。それでもそこを乗り越えられた時、事例だけではなくお互いに対しても理解が深まる…それこそが人と人が話し合うことの醍醐味ですね。「わかり合えなくてもわかり合おうとすることから逃げてはいけない」、これは由子のセリフですが、優しい本作において一番強く示されたメッセージでした。

5.ポップなBGM

 本作の世界観に微笑ましさと可愛さを与えているのはBGMの力も大きいです。8人の話し合いで突破口が開いた時に流れる軽快なメインテーマもさることながら、主題歌がカーペンターズの『TOP OF THE WORLD』なのもグッドチョイス。難解な専門用語で議論を交わした後、最後にコメディとしての小さなオチがついたところでこの曲のイントロが流れ出すエンドロールの演出には毎回ほっこりさせられるのです。

 ところで本作の第7話だけ、監察医の活躍を描いた名作ドラマ『きらきらひかる』のBGMが使われているのはどうしてなのでしょう。姉妹番組なのかな? 情報求!

■好きなエピソード

 飲み屋街で男二人が殴り合いの喧嘩になった。たまたま通りかかった女がその喧嘩をはやし立て、男たちが喧嘩をやめようとしても「やめんなよ、男だろ!」と声援を贈った。その結果男の一人は大怪我をしてしまい、女も教唆犯の疑いで警察に取り調べられることに。女はかつての知り合いを頼って由子たちの研修所にやって来る。

→8人で議論するのがすっかりお馴染みになった頃の第6話です。
 この事例、最初に話を聞いた時はどう見ても女に非がある状況なんですが、意外や意外、当事者たちの事情や内面に考えを及ばせていくことで全く違う法的解釈が生まれてくるのです。一つの出来事でもその解釈は色々あるんだなあと感心させられました。この辺り、密室劇の傑作映画『12人の怒れる男』にも通じますね。
 故意があったのかなかったのか、予見できたのかできなかったのか、人の心を認定することは本当に難しい。決め付けてはいけないけど決めなくてはいけない…司法の世界でも心の医療でもそれは同じ。だからこそ一人ではなくみんなで話し合うことが絶対に大切なのです。

■福場への影響

 実はこのドラマ、ちょうど学生時代の病院実習の年に放映されていました。教えてくれたのも同じ実習班のメンバーです。遠征先の病院の宿舎のテレビで班員みんなで一緒に見たのはよい思い出。
 まだビギナーですらなかったあの頃、症例に対してああだこうだと議論したり、どう考えても頭に入るわけない量の教科書を積み上げて試験勉強したり、ストレスフルな医学部教育の中で心を保てたのは一緒に苦悩してくれた仲間たちのおかげです。
 当サイトの図書室に掲載している医学生の青春を描いた小説『Medical Wars』も、そんな学生時代の経験から生まれた物語。特に精神科編で一つの症例の解釈をめぐって班員みんなで議論するシーンはこのドラマのイメージが強く出ています。
 愛しき学生時代、またみんなで議論してみたいなあ。

■好きなセリフ

「君が人をそう簡単に信じられないというのは、君の中に人を信じたいという気持ちがあるからだろう」
 野崎教官

令和5年2月3日  福場将太