秋の日はつるべ落とし。特に北海道ではもうこの時期夕方ともなれば真っ暗で、「日が短くなりましたね」なんて言葉をよく交わす。またカレンダーを見ればもう年末が近付いており、「今年も早いですね」なんて言ったりもする。
とかく人間は時間というものを意識して生活しているものだ。今回はそんな研究を少々。
1.時間と体感
よく言われることだが、年齢を重ねるごとに一年が短くなっている気がする。実際には一日24時間・一年365日で変わりはないのだが、体感としては明らかに時の流れは速まっている。
これを説明する一つの理論として、「人間はこれまで生きてきた年数を基準に一年の長さを感じるから」というのがある。5歳の子供にとって一年は5分の1、50歳の大人にとっては50分の1、というわけだ。これなら年々一年が短く感じるのも納得である。
またもう一つ理由を挙げるなら、「年齢を重ねると新鮮な変化が減っていくから」というのもありそうだ。子供の頃は前の年と同じ一年というのがない。毎年学年も変わり、違う教室で新しいことを勉強し、初体験のイベントばかりで日々が変化に富んでいる。一方大人になって家庭や仕事が安定すると、毎年の恒例が多くなる。「今年もまたこの時期か」と思うイベントばかりで、新鮮な変化には乏しい。きっと変化が多い方が残る記憶も多く、一年を長く感じるのだろう。
ただ日々においては熱中している方が時間が早く過ぎる。例えば僕の場合だと、楽器を触っていたり、小説を書いていたりするとあっという間に何時間も経過。逆に退屈していると何度時計を見ても時間はカタツムリのようにのろのろ進む。でもそんな退屈な一年は振り返ればきっと一瞬なわけで、時間の体感とは本当に興味深いものである。
2.時間を扱った名作
多くの人が時間というものを川の流れに形容する。この川は過去から未来への一方通行で流れ続け、人間はそこに浮かぶ笹船のようなもので流れに抗う術はない。だからだろう、フィクションの世界では時の流れのルールを破った物語が数多く生み出されている。
国外では『夏の扉』『クリスマス・キャロル』『タイムマシン』、そして愛してやまない『BACK TO THE FUTURE』など、タイムトラベルを扱った名作がある。国内では『時をかける少
女』『幕末高校生』など、青春ドラマでもタイムスリップは魅力的に用いられている。あるいは昔話の『浦島太郎』なんて、もしかしたら時空を超えた最初の日本人かもしれない。
このように時間移動を題材にしたSF作品はたくさんあるが、世界で一番このテーマで作品を生み出したのは藤子・F・不二雄先生ではないだろうか。先生がタイムトラベルやタイムスリップ、タイムパラドックスが大好きなのは『ドラえもん』シリーズを見るだけでも十分伝わってくる。短編だと『ドラえもんだらけ』、長編だと『のび太の魔界大冒険』などなど、タイムマシンが活かされた傑作はいくらでもある。
またタイムライトというひみつ道具もあった。これを点灯するとゴウゴウ流れる時間の流れが目に見えるのだ。ただ見えるだけなのだが、この強烈な描写は「流れ去った時間は戻らない、だから一秒でも無駄にしてはならない」という教訓を子供心に刻み込んでくれた。また時門というひみつ道具は時間の流れるスピードを緩やかにする効果があり、勉強するのび太のためにドラえもんがこの道具を使い、その日はみんなが「今日は時間が経つのがゆっくりだね」なんて話す描写がなんだか微笑ましかった。この道具は実際にスピードを遅らせているのか、それとも人間の体感を鈍らせているのか、いずれにしても「門の隙間を狭めることで時間の流れを調整する」というセンスが素敵である。
他にもタンマウォッチ、タマシイムマシン、タイムテレビ、タイムふし穴、タイムベルト、タイム風呂敷などなど、『ドラえもん』において時間に関連したひみつ道具は事欠かない。
別作品の『T・Pぼん』然り、『キテレツ大百科』然り、『SF短編集』然り、藤子F先生には時間をテーマにした話が本当に多く、しかもその全てが面白い。時にコミカルに、時にシュールに描かれる少し不思議な物語、秋の夜長に味わってみてはいかがだろうか。
3.時間を扱った名曲
音楽の題材としても時間は重宝されている。まずはテレサ・テンさんの『時の流れに身をまかせ』や美空ひばりさんの『川の流れのように』が思い浮かぶ。ユーミンさんの『あの日に帰りたい』やサザンの『Ya Ya』などでも、もう戻れない日々への思いが歌われているし、僕らの世代だとWANDSの『時の扉』やEvery Little Thingの『Time goes by』もヒットした。
もちろんドラえもんファンとしては、映画『のび太の日本誕生』の主題歌『時の旅人』も忘れてはならない。時の流れとは無情な厳しさでもあり、同時に悲しみや憎しみを和らげてくれる無償の優しさでもあるのだ。
ただし一方通行で去っていくだけと思われがちな時間の流れだが、いくつかの作品では
また巡ってくる・戻ってくるとも歌われているのが興味深い。その最高傑作は中島みゆきさんの『時代』であろう。時代はまた巡って、今日は別れた恋人たちもまた巡り会う、倒れた旅人たちもまた歩き出す、Time goes around…そんなふうに思えたら、限りある命も受け入れて生きていけそうな気がする。
またサザンのドラマーである松田弘さんがソロでリリースした『それでも時は』というナンバーも、一人の人生の中での時間の還流を歌った隠れた名曲。興味のある方はぜひチェックしていただきたい。
4.時間と病気
人間は老いていく、そして年齢を重ねるほど病苦も増えていく。特に進行性の疾患を持つ患者にとっては同じ一年でもその重みが違う。僕の網膜色素変性症もそうで、視力低下のスピードが速まってからは時間が過ぎることが怖かった。一年後の自分、五年後の自分はどれだけ目が見えているんだろうなんて考えると、抗えない時の流れに対して叫びたくもなった。
ただ時間をかけることで回復していく病気もある。半年後には退院できますよ、来年には手術が受けられますよ、なんて言われている患者たちにとっては逆に時間の流れが待ち遠しいに違いない。そして医療は日進月歩、今は治せない病気でも未来には治療法が必ず開発される。そう考えると、時間の流れは敵でもあり、やはり味方でもあるのだ。僕自身の目はもう見えなくなったが、もちろん未来を楽しみにしてもう一度読みたい漫画は全て捨てずに残している。
また視覚障害には時の流れに対して思わぬバリアバリューがあることも発見した。目が悪くなると自分が年齢を重ねているという感覚がほとんどなくなるのだ。きっと鏡や写真を見れば年々老けているのだろうけど、それが見えないのだからしょうがない。僕の生きている世界では自分自身だけでなく、家族や友人も昔の姿のまま。
だから未だに学生気分が抜けないのかもしれないが、心に年を取らないのならそれはよいこと。ピーターパンになれるのも視覚障害の特権ということで。
5.時間と心
ネイティブアメリカンのホピ族の人たちにとっては時間は流れるものではなく蓄積するもので、過去・現在・未来という概念がないと聞いたことがある。文化が違えば考え方や感じ方も違うのだろうが、過去や未来を意識してばかりいる僕にはわからない感覚だ。ホピ族の人たちは自然を愛し平和を願うとも聞くので、もしかしたら時間の呪縛から解放されることで心に生まれる穏やかさもあるのかもしれない。
ただ時間の流れに縛られているからこそ生み出せるものもある。音楽・文筆・絵画・演劇などなど、芸術においてはその年齢だからこそ表現できることがあるし、時間が経ってから観賞すると過去の作品が妙に味わい深くなったりもする。僕も学生時代の音源や小説を振り返るのが恥ずかしくもあり楽しくもある。そして将来はどんな作品を作っているんだろうと思うと未来が楽しみにもなる。
もちろん永遠の若さが手に入る薬があったらあっさりそれを飲んでしまうだろうけど、加齢や経年もエッセンスになるのは創作活動の醍醐味。そういえばアカシア時代に一緒に音楽をやっていた憲司くんは『Reversible Time』という不思議な曲を作っていた。裏返せる時間…彼はもしやホピ族だったのか?
6.研究結果
勉強したいことはまだまだある。作りたい曲も、書きたい小説も、会いたい人も、叶えたい願いもいくらでもある。限られた時間の中で、精いっぱい好きなことに熱中していたい。北海道銘菓のタイムズスクエアーを食べながら。
令和4年11月7日 福場将太